2020年5月に大きく報道された訃報は、「勝武士」というしこ名の力士と「木村花」という女子プロレスラーだった。勝武士は日本の新型コロナウイルス死亡者の中で最年少だった。木村花は「リアリティ番組」に出演してネット上でバッシングを受けていたという。SNS上の発言の法的規制問題が論議されている。どちらも痛ましい訃報だが、ここで書く対象とは違うので名前のみ。
世界では「環境芸術家」のクリストが31日に亡くなった。84歳。ブルガリア生まれで、妻のジャン=クロードはカサブランカ生まれ。二人は同じ1935年6月13日に生まれ、1958年10月にパリで出会い、以来共同で制作を続けた。(妻は2009年11月に亡くなった。)歴史的建造物を布で包む「梱包の芸術」で知られたが、本人には「梱包」に違和感もあったらしい。アメリカと茨城で公開された大量の巨大傘を立てる「アンブレラ・プロジェクト」を見れば、それも判る。だが、やはりパリのポン・ヌフや凱旋門、ベルリンの国会議事堂(ライヒスターク)を包んだことで記憶されると思う。世界に現代の「アート」を示した。
(クリスト)(包まれたライヒスターク)
フランスの俳優、ミシェル・ピコリが12日に死去、94歳。舞台、テレビでも活躍し、映画監督もしたらしい。だが、60年代から70年代ぐらいのフランスやイタリアのアートシネマで渋い演技をした俳優という印象。ブニュエルやゴダールなどの名作によく出ていた。「軽蔑」ではバルドーの夫の脚本家、ブニュエルの「昼顔」「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」などでも重要な役を演じた。リヴェットの大作「美しい諍い女」では主役の画家だった。カンヌやベルリンで受賞しているが、どっちも日本未公開なのが残念。2011年の「ローマ法王の休日」では法王役だった。演技力の確かな助演タイプ。
(ミシェル・ピコリ)
「ロックンロールの草分け」の一人、リトル・リチャードが9日死去、87歳。50年代後半に「のっぽのサリー」「ルシール」などが大ヒット。チャック・ベリー、ファッツ・ドミノなどと並び、ロックンロール創始者とされる。57年に突然引退を表明、神学を修めて牧師となったが、62年に復帰した。ポール・マッカートニーに大きな影響を与えたという。
(リトル・リチャード)
日本では中国文学者の井波律子が13日死去、76歳。「三国志演義」の個人全訳で知られ、多くの中国文学研究の一般書を書いた。僕も岩波新書の「中国の五大小説」(上下)を持ってるけれど、結局今も読んでいない。「水滸伝」や演義じゃない正史の「三国志」も翻訳している。単に翻訳しただけではなく、「酒池肉林」とか「トリックスター群像」とか「中国のグロテスク・リアリズム」とか、現代に通じる視点で本を書いた。しかし、中国古典文学をちゃんと知らなくて、一冊も読んでない。
(井波律子)
漫画家のジョージ秋山が12日死去、77歳。1973年から2107年までビッグコミックオリジナルに連載された「浮浪雲」が代表作。しかし、1970年に「銭ゲバ」が大評判になり、同時期の「アシュラ」が描写が過激として問題となった。その頃の不逞な勢いが印象的だった。他に「ピンクのカーテン」「恋子の毎日」「うれしはずかし物語」など映画やドラマになったものが多い。すごくたくさんの作品がある。
(ジョージ秋山)
民社党元委員長の塚本三郎が20日死去、93歳。1958年から60年、1967年から1993年まで、通産10回愛知県から衆議院議員に当選した。1985年から89年まで民社党委員長。最初は右派社会党から出馬して落選。58年に社会党から当選し、60年の民主社会党(後、民社党)結成に参加した。もう「民社党」を覚えている人も少ないだろう。党内には「社公民」路線と「自公民」路線の対立があり、塚本は自民党に近かった。「政界再編」で労組出身議員(米沢隆ら)は民主党に所属したが、塚本、大内啓伍らは自民党から出馬した。これで民社党委員長経験者がすべて亡くなった。
(塚本三郎)
・戦後日本の前衛美術家として知られた菊畑茂久馬(きくはた・もくま)が21日死去、85歳。福岡で活動し、60年代前半には前衛画家のホープとして注目された。藤田嗣治などの日本の戦争画を論じるなど、多くの著書もある。世界記憶遺産に登録された炭鉱画家山本作兵衛を紹介したことでも知られている。
・俳優、演出家の岡村春彦が31日死去、85歳。劇団民藝研究所同期の米倉斉加年、常田富士男らと劇団青年芸術劇場を結成して活動した。映画「真田風雲録」で望月六郎役をやった人だという。晩年に「自由人 佐野碩の生涯」(2008)を著した。この本は持っているけど、読んでない。「南ヴェトナム従軍戦記」の岡村昭彦の弟にあたる。佐野碩はメキシコの演劇運動で知られた人物である。
・JR東日本元社長の松田昌士が19日死去、84歳。「国鉄改革3人組」と呼ばれ、分割民営化を進めた。
世界では「環境芸術家」のクリストが31日に亡くなった。84歳。ブルガリア生まれで、妻のジャン=クロードはカサブランカ生まれ。二人は同じ1935年6月13日に生まれ、1958年10月にパリで出会い、以来共同で制作を続けた。(妻は2009年11月に亡くなった。)歴史的建造物を布で包む「梱包の芸術」で知られたが、本人には「梱包」に違和感もあったらしい。アメリカと茨城で公開された大量の巨大傘を立てる「アンブレラ・プロジェクト」を見れば、それも判る。だが、やはりパリのポン・ヌフや凱旋門、ベルリンの国会議事堂(ライヒスターク)を包んだことで記憶されると思う。世界に現代の「アート」を示した。
(クリスト)(包まれたライヒスターク)
フランスの俳優、ミシェル・ピコリが12日に死去、94歳。舞台、テレビでも活躍し、映画監督もしたらしい。だが、60年代から70年代ぐらいのフランスやイタリアのアートシネマで渋い演技をした俳優という印象。ブニュエルやゴダールなどの名作によく出ていた。「軽蔑」ではバルドーの夫の脚本家、ブニュエルの「昼顔」「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」などでも重要な役を演じた。リヴェットの大作「美しい諍い女」では主役の画家だった。カンヌやベルリンで受賞しているが、どっちも日本未公開なのが残念。2011年の「ローマ法王の休日」では法王役だった。演技力の確かな助演タイプ。
(ミシェル・ピコリ)
「ロックンロールの草分け」の一人、リトル・リチャードが9日死去、87歳。50年代後半に「のっぽのサリー」「ルシール」などが大ヒット。チャック・ベリー、ファッツ・ドミノなどと並び、ロックンロール創始者とされる。57年に突然引退を表明、神学を修めて牧師となったが、62年に復帰した。ポール・マッカートニーに大きな影響を与えたという。
(リトル・リチャード)
日本では中国文学者の井波律子が13日死去、76歳。「三国志演義」の個人全訳で知られ、多くの中国文学研究の一般書を書いた。僕も岩波新書の「中国の五大小説」(上下)を持ってるけれど、結局今も読んでいない。「水滸伝」や演義じゃない正史の「三国志」も翻訳している。単に翻訳しただけではなく、「酒池肉林」とか「トリックスター群像」とか「中国のグロテスク・リアリズム」とか、現代に通じる視点で本を書いた。しかし、中国古典文学をちゃんと知らなくて、一冊も読んでない。
(井波律子)
漫画家のジョージ秋山が12日死去、77歳。1973年から2107年までビッグコミックオリジナルに連載された「浮浪雲」が代表作。しかし、1970年に「銭ゲバ」が大評判になり、同時期の「アシュラ」が描写が過激として問題となった。その頃の不逞な勢いが印象的だった。他に「ピンクのカーテン」「恋子の毎日」「うれしはずかし物語」など映画やドラマになったものが多い。すごくたくさんの作品がある。
(ジョージ秋山)
民社党元委員長の塚本三郎が20日死去、93歳。1958年から60年、1967年から1993年まで、通産10回愛知県から衆議院議員に当選した。1985年から89年まで民社党委員長。最初は右派社会党から出馬して落選。58年に社会党から当選し、60年の民主社会党(後、民社党)結成に参加した。もう「民社党」を覚えている人も少ないだろう。党内には「社公民」路線と「自公民」路線の対立があり、塚本は自民党に近かった。「政界再編」で労組出身議員(米沢隆ら)は民主党に所属したが、塚本、大内啓伍らは自民党から出馬した。これで民社党委員長経験者がすべて亡くなった。
(塚本三郎)
・戦後日本の前衛美術家として知られた菊畑茂久馬(きくはた・もくま)が21日死去、85歳。福岡で活動し、60年代前半には前衛画家のホープとして注目された。藤田嗣治などの日本の戦争画を論じるなど、多くの著書もある。世界記憶遺産に登録された炭鉱画家山本作兵衛を紹介したことでも知られている。
・俳優、演出家の岡村春彦が31日死去、85歳。劇団民藝研究所同期の米倉斉加年、常田富士男らと劇団青年芸術劇場を結成して活動した。映画「真田風雲録」で望月六郎役をやった人だという。晩年に「自由人 佐野碩の生涯」(2008)を著した。この本は持っているけど、読んでない。「南ヴェトナム従軍戦記」の岡村昭彦の弟にあたる。佐野碩はメキシコの演劇運動で知られた人物である。
・JR東日本元社長の松田昌士が19日死去、84歳。「国鉄改革3人組」と呼ばれ、分割民営化を進めた。
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