尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』を読む

2024年01月03日 22時20分13秒 |  〃 (歴史・地理)
 岩波ブックレットの『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』(小野寺拓也、田野大輔著、岩波書店、820円+税)を読んだ。2023年7月に出たもので、評判になっていることは知っていたが、なかなか本屋で見なかった。ネットで買えばいいわけだが、できるだけ本屋で買うようにしている。高い本じゃないからわざわざネットで取り寄せるまでもない。授業で使うわけでもないから緊急に読む必要もない。偶然にある書店で新書コーナーの近くに置いてあったので、早速買ってきて読んだ紹介。

 この手の歴史評論みたいなのを読んでない人には、多少取っつきにくいところもあるかもしれない。でも同じような新書などに比べても、抜群に読みやすくて判りやすいと思う。もっとも上下2段組、115ページもあるので、結構分厚い。その代わり構成が工夫されていて、まず「ナチズムとは?」「ヒトラーはいかにして権力を握ったか?」「ドイツ人は熱狂的にナチ体制を支持していたのか?」と最初の三章で前提を押える。続いて「経済回復はナチスのおかげ?」「ナチスは労働者に味方だったのか?」「手厚い家族支援?」「先進的な環境保護政策?」「健康帝国ナチス?」と5つの具体的テーマを深掘りしていく。

 とても理解しやすく、「歴史を調べるとはこういうこと」のお手本みたいである。中で著者も言及しているが、高校の授業に教科「探求」が設置されるようになった。そこでネットを「駆使」して、一方的な主張ばかりを見つけてきて「探求学習の成果」と称する生徒がいっぱい出て来ると思われる。それに対して「歴史的文脈」をしっかりとふまえて議論することの大切さを、この本(ブックレット)ほど教えてくれるものも少ない。ナチスやヒトラーにあまり関心がない人でも、政治や経済について考える意味「学問」とはどういうものかを教えてくれるので、是非読んでみる価値がある。

 ところで、個別論に入る前に「ナチス」ではなく「ナチ」、「国家社会主義」ではなく「国民社会主義」と表記するべきだと書いている。前者はナチスは複数形なので、集団じゃなく思想や運動を呼ぶときは「ナチ」がふさわしいという。また、後者は昔の教科書には「ナチ党」の訳として「国家社会主義ドイツ労働者党」とあったが、近年は「国民社会主義ドイツ労働者党」と書くことが多いという。これは自分の経験でも確かだけど、変更の理由までは考えたことがなかった。詳しくは著者の一人小野寺拓也氏の「なぜナチズムは「国家社会主義」ではなく「国民社会主義」と訳すべきなのか」(現代ビジネス)がネット上にある。

 簡単に書けば、ナチはそれまでにあった「国家社会主義」じゃなく、あくまでも「民族共同体」ファーストであり、「国家」よりも「民族」なのである。だからこそ、「優れたアーリア人」の共同体たるドイツでは「劣ったユダヤ人」を排除しなければならない。国家経済的観点からは損になる場合であっても、民族共同体の純化の方が優先するわけである。そういう思想は「国民社会主義」と呼ぶべきで、そうじゃないと「ソ連とナチは同じ国家社会主義」などと粗雑な議論になりやすいというのである。
(アウトバーン)
 個別的議論を全部書いてると終わらないし、この本を読む楽しみを奪うことにもなる。いくつかだけ触れると、イタリアのムッソリーニ政権も同様だが、ヒトラー政権が経済を立て直したという議論はよくある。特に高速道路網(アウトバーン)を建設することで景気回復につながったという話を聞いたことがある人も多いと思う。そのナチ経済のからくりをこれほど簡潔に説明してくれるものはない。そもそもが借金頼りの経済運営で、さらにユダヤ人や女性労働力を奪う(女性は家庭にいるべきだとした)ことにより、失業率が改善したように見えた。例の「フォルクスワーゲン」に至っては、何十万の労働者が積立金を払ったにもかかわらず、開戦後にすべて軍用車生産に変更され一台も納車されなかったというから驚き。
(「健康大国ナチス」という本)
 近年注目されているのが、ナチの環境政策健康政策だという。僕も詳しく知らなかったので、非常に勉強になったところが多かった。そもそもナチ党の政策にはオリジナルなものがほとんどないらしい。それでも「動物保護」や「禁煙」をこれほどうたっていたとは知らなかった。ただし、である。「動物保護」を言い出しても、それは結局「反ユダヤ」なのである。目的は「ユダヤ人排撃」と「戦時体制確立」なのであって、個別的には今見てもオッと思う政策があったとしても、全体的文脈で見れば「不健全」であり、かつ戦争激化で結果を残さずに終わったことばかり。

 最後にそもそも「ナチスは良いこともした」と言う主張をする背景も検討される。それはネット内にある「反PC」(政治的公正さ)的なムードである。学者が反論しても「マウント」と批判されてしまう。だが、このブックレットを読むと、「きちんと学ぶこと」の大切さを痛感するのではないか。何もシロウトは口を出すなということではない。ネット上にはいろんな情報があるが、マジメに調べれば極端な主張をぶち上げるなんて出来ないはず。何でもマジメがベースにないとまずいという話である。

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