林芙美子を読んできて、とりあえずこれが最後。川本三郎『林芙美子の昭和』(新書館、2003)である。僕は川本三郎さんの本が好きでかなり読んできた。この本は400頁以上ある分厚い本で、2800円もした。どうしようかと思ううちに、発行1ヶ月で第2刷になっていた。やっぱり買っておくことにしたが、この本を読むのは林芙美子をちゃんと読んでからにしたいと思って、早20年。読み始めたら面白くて『放浪記』より早く読み終わった。中身も面白かったが、ようやく片付けられて嬉しい。
川本三郎さんの本をここで何回書いたか、自分で調べてみたら4回書いていた。それは『川本三郎「荷風と東京」を読む』、『川本三郎「小説を、映画を、鉄道が走る」』、『川本三郎「『男はつらいよ』を旅する」を読む』、『川本三郎「『細雪』とその時代」を読む』の4本。本当はもっと読んでるが、書いてないのもある。例えば、どちらも2014年に出た『成瀬巳喜男 映画の面影』(新潮選書)や『日本映画 隠れた名作 - 昭和30年代前後』(筒井清忠と共著、中公選書)である。
川本三郎は70年代後半から「都市論」的な評論で注目されたが、次第に近代日本の小説や映画を論じるようになった。都市論的視角から東京を歩き回った永井荷風に関心を持つ一方で、昔の庶民の姿を写し取る成瀬巳喜男監督の映画にも惹かれた。そうなると、成瀬監督が何作も映画化し、荷風を敬愛した「東京を歩く人」である林芙美子に注目したのは必然というべきだろう。そして予想通りこの本はとても面白くて読みふけってしまう本だった。
(川本三郎氏)
まず本書では『放浪記』を「大都市東京を歩いた本」として読み解く。それも「新興の町・新宿」から生まれたという。なるほど芙美子本人も新宿から近い落合近辺に長く住んでいたし、「下町」を舞台にした小説は少ない。あれほどの「貧乏」に苦しめられながら、東京の東側に住んだことがないのである。そして一日中行商に歩いたり、原稿売りに歩き回る。世田谷に住んでいた時は、歩いて都心の出版社に原稿を持ち込んで、また数時間かかって家に到着すると、すでに速達で原稿が戻っていたりした。
言われてみれば『放浪記』で林芙美子は東京を歩き回る。ただ読んだときにはその事をあまり意識しない。それは「求職」か「原稿売り」という、窮迫に迫られての徒歩だからだ。もっとお金があれば市電を使うんじゃないかと思ってしまう。だが、確かにこの本を読むと、林芙美子の「肉体」は歩くことを苦にしない。だからこそ、後に中国戦線で「漢口一番乗り」を果たせるのである。150㎝もない身長だったというが、驚くべき元気さ。それは「都市」という誰も知らない町で、自立して生きている女性の強さである。他の「女流作家」には「お嬢様」が多い中、これほど庶民そのものの中から出て来た小説家は珍しい。
そして東京を歩き回ったように、林芙美子はパリも歩く。「満州」も歩き、戦火の中国も歩いた。そこで見た民衆像を等身大で書き続けた。ただ従軍して書かれた文章には、やはり弱さもある。林芙美子は「一生懸命戦う兵隊」に寄り添いたいという思いでいっぱいだった。しかし今から考えれば、その戦争は紛れもなく「不義の戦争」だった。当時はそのことを書けないとしても、そのことを全く意識していないらしいのは、今になると困る。現時点で断罪するというのではなく、ただ林芙美子の真情に寄り添うのでもなく、現在地からすれば「次は間違わない」ためにどうすれば良いのかを問う必要がある。
戦時中の疎開から帰って来て、林芙美子は書きまくる。そこで書かれたのは、「解放された明るさ」ではなく「暗い戦争」であった。それが『浮雲』を覆っている「暗さ」に現れている。しかし、最後に未完で終わった新聞小説『めし』では、新しく登場した「主婦の不安」を描いているという。林芙美子を読んで、今読んでも十分面白いことに驚いた。数多くの庶民が出て来るが、ジェンダー的に引っ掛かるところが少ない。戦争中の文章は頂けないが、当時生きていた人々を考える時には、今も必読だと思う。
川本三郎氏の本は重くて持ち歩くのも大変だが、林芙美子を読んでなくても、成瀬巳喜男の映画を見てなくても、十分面白く読めると思う。こういう本を読むのはとても楽しい。人生のご褒美みたいな体験だ。
川本三郎さんの本をここで何回書いたか、自分で調べてみたら4回書いていた。それは『川本三郎「荷風と東京」を読む』、『川本三郎「小説を、映画を、鉄道が走る」』、『川本三郎「『男はつらいよ』を旅する」を読む』、『川本三郎「『細雪』とその時代」を読む』の4本。本当はもっと読んでるが、書いてないのもある。例えば、どちらも2014年に出た『成瀬巳喜男 映画の面影』(新潮選書)や『日本映画 隠れた名作 - 昭和30年代前後』(筒井清忠と共著、中公選書)である。
川本三郎は70年代後半から「都市論」的な評論で注目されたが、次第に近代日本の小説や映画を論じるようになった。都市論的視角から東京を歩き回った永井荷風に関心を持つ一方で、昔の庶民の姿を写し取る成瀬巳喜男監督の映画にも惹かれた。そうなると、成瀬監督が何作も映画化し、荷風を敬愛した「東京を歩く人」である林芙美子に注目したのは必然というべきだろう。そして予想通りこの本はとても面白くて読みふけってしまう本だった。
(川本三郎氏)
まず本書では『放浪記』を「大都市東京を歩いた本」として読み解く。それも「新興の町・新宿」から生まれたという。なるほど芙美子本人も新宿から近い落合近辺に長く住んでいたし、「下町」を舞台にした小説は少ない。あれほどの「貧乏」に苦しめられながら、東京の東側に住んだことがないのである。そして一日中行商に歩いたり、原稿売りに歩き回る。世田谷に住んでいた時は、歩いて都心の出版社に原稿を持ち込んで、また数時間かかって家に到着すると、すでに速達で原稿が戻っていたりした。
言われてみれば『放浪記』で林芙美子は東京を歩き回る。ただ読んだときにはその事をあまり意識しない。それは「求職」か「原稿売り」という、窮迫に迫られての徒歩だからだ。もっとお金があれば市電を使うんじゃないかと思ってしまう。だが、確かにこの本を読むと、林芙美子の「肉体」は歩くことを苦にしない。だからこそ、後に中国戦線で「漢口一番乗り」を果たせるのである。150㎝もない身長だったというが、驚くべき元気さ。それは「都市」という誰も知らない町で、自立して生きている女性の強さである。他の「女流作家」には「お嬢様」が多い中、これほど庶民そのものの中から出て来た小説家は珍しい。
そして東京を歩き回ったように、林芙美子はパリも歩く。「満州」も歩き、戦火の中国も歩いた。そこで見た民衆像を等身大で書き続けた。ただ従軍して書かれた文章には、やはり弱さもある。林芙美子は「一生懸命戦う兵隊」に寄り添いたいという思いでいっぱいだった。しかし今から考えれば、その戦争は紛れもなく「不義の戦争」だった。当時はそのことを書けないとしても、そのことを全く意識していないらしいのは、今になると困る。現時点で断罪するというのではなく、ただ林芙美子の真情に寄り添うのでもなく、現在地からすれば「次は間違わない」ためにどうすれば良いのかを問う必要がある。
戦時中の疎開から帰って来て、林芙美子は書きまくる。そこで書かれたのは、「解放された明るさ」ではなく「暗い戦争」であった。それが『浮雲』を覆っている「暗さ」に現れている。しかし、最後に未完で終わった新聞小説『めし』では、新しく登場した「主婦の不安」を描いているという。林芙美子を読んで、今読んでも十分面白いことに驚いた。数多くの庶民が出て来るが、ジェンダー的に引っ掛かるところが少ない。戦争中の文章は頂けないが、当時生きていた人々を考える時には、今も必読だと思う。
川本三郎氏の本は重くて持ち歩くのも大変だが、林芙美子を読んでなくても、成瀬巳喜男の映画を見てなくても、十分面白く読めると思う。こういう本を読むのはとても楽しい。人生のご褒美みたいな体験だ。
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