ご飯粒を残すのに抵抗のある世代だけど大胆に残す同級生がいた。彼は米農家で、米を沢山作ってる農家だからこの程度の事は良いのだという独自の理論を展開した。農家の人に限らないけど野菜の捨てっぷりが豪快な人は多い。うちのヨメもジャガイモは四角く皮を剥くし白菜やキャベツの葉もちょっとでも変だと大胆に捨てる。単なる不器用?
朝食にピーマンとジャコの炒め物が出た。流しには大胆に切り落としたピーマンのヘタ。ヨメの実家は畑を持ってるからこういう野菜も夏に作る。売るほど作らないけど家族で食べるには多いから何処の家でもちょっとでも変なのは捨ててしまう。そんな俺でも食べきれない野菜、貰って貰えない野菜が山ほどあったら庭に捨ててしまう。
農家の人が汗水流して作った物は大事にしなさいという話を親とか学校などで聞かされた。だけど今の冬のピーマンはそれとは性格が違う。ピーマンに限らないけどピーマン農家は皆赤字なんだそうだ。何故ならハウスで使う重油価格が高騰してるからだ。どういう訳か知らないが末端の生産者や製造業者がそういうしわ寄せを受けるんだけど、兎に角残り少ない石油を使って夏に採れる物をわざわざ寒い冬に作っているのだ。
だからもうちょっと大事に食べないとバチが当たりそう。どんなバチ? 1個5百円の国産ピーマンを食べる? それとも1個10円の某国産のを食べる? 庶民にとっては究極の選択だ。
朝食にピーマンとジャコの炒め物が出た。流しには大胆に切り落としたピーマンのヘタ。ヨメの実家は畑を持ってるからこういう野菜も夏に作る。売るほど作らないけど家族で食べるには多いから何処の家でもちょっとでも変なのは捨ててしまう。そんな俺でも食べきれない野菜、貰って貰えない野菜が山ほどあったら庭に捨ててしまう。
農家の人が汗水流して作った物は大事にしなさいという話を親とか学校などで聞かされた。だけど今の冬のピーマンはそれとは性格が違う。ピーマンに限らないけどピーマン農家は皆赤字なんだそうだ。何故ならハウスで使う重油価格が高騰してるからだ。どういう訳か知らないが末端の生産者や製造業者がそういうしわ寄せを受けるんだけど、兎に角残り少ない石油を使って夏に採れる物をわざわざ寒い冬に作っているのだ。
だからもうちょっと大事に食べないとバチが当たりそう。どんなバチ? 1個5百円の国産ピーマンを食べる? それとも1個10円の某国産のを食べる? 庶民にとっては究極の選択だ。
サムライ商法ってのがある。ブログ作成士なんていう有りもしない資格を取るように勧誘し高額な受講料を取ったりする詐欺だ。
葉書の隅に再生紙と印刷してあるのに再生紙が入ってなかったり、エコマークを貼るに値しないインク。これもサムライ商法の一種かなぁ。ところでこういうインチキの無い業界ってまだあるのかな。
今から30年くらい前、会社の先輩の部屋に行くとジャスミンの鉢があった。行商の婆さんから買ったもので花が咲くのが楽しみだと言う。一緒にTVを見ていたら 「 最近ジャスミンと偽って売っている・・・ 」 という音声と共にそこにあった鉢植と全く同じ写真が画面に現れてビックリ。人の良さそうな婆さんが騙すわけがない、という事は無いようだ。
これは生協で買った××だなんて言う人が身近に何人かいる。安全なんだよ、美味しいんだよ、と言ってるんだろう。だけど生協も規模がこんなに大きくなればどうなのかなぁ、と前から思っていた。そしてああやっぱりというのが去年の食肉偽装だ。そして今回のギョーザ騒ぎ。
上の記事は無印良品の嘘再生紙の話だ。再生紙率がゼロ%だけどこういう商品の中には骨董屋が古臭く見せようとするようにわざわざ着色してるってことがあるのかな、薄茶色などに。それと如何にも生成りの色に見えるような着色とか。偽装というのは良く見せるのが目的だけど、敢えてちょっと悪くもしくは古く見せて1つ1つ手作りだからこんなもんだよと思わせる偽装もありそうだ。
ところでうちのドリップ用フィルターは無漂白タイプで茶色い。だけど無漂白を強調した着色をしてるんじゃないかという疑問が浮かんだ。だいたい無漂白だからって茶色過ぎるような気がする。
車の仮免の練習問題で 「 ファンベルトは冷却装置である 」 が○か×かというのにはまった。仮に冷却装置の一部とあっても引っ掛け問題かもしれないと思い迷っただろう。
マッサージチェアは道路特定財源で買うのに相応しいかという問題だったら俺は即×だ。しかし大臣は微妙だ。もしかする今でも相応しいと思ってるのだろう。取り敢えずアホ庁とは全然違うと言うが何が違うんだろ。単なる程度問題の似た者同士。
だいたい税金で娯楽費を買うなんてのは批判が無くても止めて貰わないと困る。官僚は並の人では到底答えられない試験問題に正解を連発してようやく成れるんだけど、それに脳の全てを使った結果誰でも分かるような判断能力を失ったのか。
生物の進化の過程である能力が発達するとそれまでの能力を失うってのがある。官僚や政治家も困った方向に進化した人類のようだ。だから何時まで経っても腐敗は無くならない。だけどさすがにそんな事はないだろう。ならばこの発想は何処から生まれるんだろう。犯罪心理学者はこの方面の研究もしてるんだろうか。