今日は朝からいい天気。 久しぶりの青空です。
晴れたら、月が見えるなあって思ってて。
お、今晩は満月の日ではないですか‥と気がついて。
「好きな絵本」カテゴリーの(なんと)100冊目は、ちょっと前から
この絵本にしようと決めていたので、その偶然の重なり具合が
なんとも嬉しいです。満月をまって
メアリー・リンレイ 作 バーバラ・クーニー 絵
掛川恭子 訳
絵本ブログを始める前から、クーニーの『にぐるまひいて』を
持っていたのは、私の中では、「ちょっとすごいかも」ということで、
絵本ブログを始めてから知った、クーニーの数々の絵本は、
そのどれもが、大事な1冊になり得るものばかりでした。
『にぐるまひいいて』
『ルピナスさん』
『エミリー』
『7ひきのこうさぎ』
持っているのは、この4冊だけだけど、借りて読めるものは
全部読んだし、思ったことをその時々、ブログにも残してきました。
この『満月をまって』は、クーニーの最後の作品で、大好きな月が
描かれている、大好きな本だけれども、どこから、この絵本の
よさを(私にとっての)書いていいのか、ずっと迷っていた、難しい絵本
でもありました。
今回、声に出して読んでみて、これは、主人公の少年が、子ども時代を
卒業していく話なのだと、思い至りました。
舞台は100年以上前のニューヨーク州ハドソンの山あい。
家族と数人の友人だけで暮らし、木を削って籠を作り、それを町で
売って、生計を立てていた人の話です。
主人公の「ぼく」は、とうさんとその友人たちが籠をつくる様子をみながら育ち、
8歳になったら、町へ行く時に、とうさんが自分を連れていってくれるに
ちがいないと夢みていました。
が、それは叶わず、さらに1年以上待って、はじめて、とうさんが
声をかけてくれたのです。
町への道は遠く、帰りは決まって夜になってしまうので、
とうさんが出かけるのは必ず、満月の日。
だから、「ぼく」は、満月がやってくるのが待ち遠しくてなりません。
しかし、初めて見た町は、きらきらと光輝くものばかりではありませんでした。
「ぼく」は、そこで、初めて現実に直面します。
自分のあこがれだった父親は、町では「山ザル」呼ばわりです。
父の仕事も、父の作った籠も、もう見たくなんかないと思う少年。
けれど、彼の中で、何かがすこしづつほどけていきます‥
ビッグ・ジョー(とうさんの友達)のこんな言葉をきっかけに。
「風からまなんだことばを、音にしてうたいあげる人がいる。
詩をつくる人もいる。風は、おれたちには、かごをつくることを
おしえてくれたんだ」
そして、風がえらんでくれた人になりたい、と、強い意志が芽生えます。
そのときには、「ぼく」は、小さな男の子ではなく、大人への一歩を
自分でも知らないうちに踏み出していたのです。
「風がえらんでくれた人」は、風の声に耳を傾けることができる人で、
風の声に耳を傾けることができるということは、自分の心の中を
まっすぐに見て、内なる自分の声に気がつくことができる人だと思うのです。
大人になるっていうことは、まず、自分の心の声を聴いて、
それにむかって進んでみようと思うことなのではないかなと、思います。
周囲の声に惑わされない、強い気持ちを持つことって、言い換えても
自分の好きなものを見つけるっていうことに換えても、いいかもしれません。
10月が誕生日の友達に、この絵本を選んだのですが、彼女はすこし
戸惑ったのではないかな、と思っています。
だって彼女は、もうすでに「風がえらんでくれた人」だから‥。
じゃあ、私はなんで(クーニーの他の作品ではなく)
この絵本にしたのでしょうね。
月が、きれいだったからかな。
BASKET MOON というタイトルが彼女にぴたっときたからかも。
(私が)絵本が好きになって、クーニーの絵本が特に好きで、
そのクーニーの最後の作品を、知ってほしいと思ったからかな、と
そう思っています‥