音楽の喜び フルートとともに

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カルメン

2009-05-26 09:23:52 | 音楽

TVをつけると、skyAで歌劇カルメンをやっていました。「目をつぶると思い出す故郷の村」カルメンに心を奪われたホセが、故郷の村からやってきた無垢な婚約者と会い、故郷や母を思い出して歌います。
カルメンのことは「忌まわしい魔女」と。

今でも、よく家庭がきちんとしていれば、めちゃくちゃしてもまた子どもは戻ってくるなんて事はよく言われていますが、ホセは歌劇の終わりまで「故郷か女、どっちにしよう?」と決めきれずに悩み続けることになります。

ホセは官吏だったのですが、官吏達は女達を脅し、押さえつけ上官の指令には反抗できません。一見、力を持っているようで自由ではない。この演出によれば、官吏は第二次大戦下の軍隊の姿をしてい、カルメンたちは自由なボヘミアン。退廃的なキャバレーのイメージで語られます。

そして私には彼が官吏と言う職業を選んだ時点で、すでに力を選んだように見えます。「人を従わせる為の力」。彼は、はじめからその種の力を得たいという野心を常に捨てられない。
軍隊では中間管理職のホセは、窮屈。十分に報われない。カルメンは美しく社会的力が無い。そういう相手に対しては絶対的力が振るえ、美しいということで、手に入れると軍隊とは別種の力、勲章のような優越感をえることができます。
しかし、カルメンは彼に従うタイプではなかったところに悲劇が発生します。
故郷の暮らしを選ぶチャンスは最後まであったのにホセは選ばない。故郷に帰れば、農耕。社会で力を発揮して、人に力を振るうことはできなくなります。
カルメンを殺したのは彼の愛でしょうか?別れ話の時、愛ならば、相手の幸せを願うはず。

官吏もだめ、盗賊としてもだめ、故郷の暮らしは彼のプライドを満たさない。社会的成功の道をすべて絶たれ、自信を失ったホセが今、力を示すことができるのは、カルメンに対してだけ、そのカルメンは彼に従うどころか、去ろうとします。彼の誤った力への欲望がカルメンを殺します。

もし、ホセが農耕や、官吏の仕事を充分に楽しみ、満足し、自信を感じることができる人だったならば、この物語は成立したでしょうか?
今も変らないDVや虐待の構造を、この物語りに見てしまいます。

人を殺すのは20代の男性が突出しておおいそうですが、戦後、60年間日本は安定雇用と年功序列で、その層の殺人事件を10分の1に減らしてきました。職を失う人が多くなり、無理な雇用関係に泣く人が増えてきた今、DVや虐待、殺人などはどうでしょう?
私達は職業でもなく、人を支配することでもない自信の持ち方を、覚えるべき時に来ているという気がします。人としてとか、人に貢献することで感じるプライドといった。