MAKIKYUが12月に乗車した長崎県と佐賀県に跨って走る第3セクター鉄道・松浦鉄道(MR)に関しては、この路線で使用している車両に関して何度か取り上げていますが、今日は日本最西端の駅として知られるたびら平戸口駅に関して取り上げたいと思います。
日本の東西南北端にある駅としては、旧国鉄時代から北海道の宗谷本線・稚内駅(北端)、根室本線・東根室駅(東端)、九州の指宿枕崎線・西大山駅(南端)と共に、松浦線(現松浦鉄道)の平戸口駅(MR発足後たびら平戸口へ改称)が知られています。
この内西端のたびら平戸口駅以外の現在もJRに属する3駅は既にMAKIKYUは通った事があり、12月にたびら平戸口駅へ立ち寄った事で、MAKIKYUとしてはようやく日本国内(本土)の東西南北端にある駅全てを通った事になりました。
(ただ無人の途中駅である東根室駅と西大山駅は下車しておらず、その代わり最東端と最南端の有人駅になっている根室駅と山川駅に下車しただけですが…)
MRはそれなりに乗り応えがあって魅力的な路線とはいえ、全国的な知名度は決して高いとは言えず、ワンマン運転の軽快気動車ばかりが走る路線という事もありますので、やや地味な印象が否めないですが、この様な特色のある駅を持つ事は非常に特徴的で、全国にMRの存在をPRできる事もあってか、駅構内などには最西端の駅である事を誇らしげに示す看板などが幾つも目に付き、駅舎のすぐそばには最西端を示す石碑も建てられている他、たびら平戸口駅へ列車が到着する際の案内放送でも最西端の駅である事が案内され、駅では最西端の駅へ訪問した事を証明する証明書(200円)も発行している程です。
MAKIKYUがたびら平戸口駅に立ち寄った際は、10分程度の列車停車時間に少々記念撮影をして訪問証明書を求めた程度でしたが、たびら平戸口駅は単に最西端の駅というだけでなく、駅舎内には鉄道資料館が設けられているのも注目です。
資料館では旧松浦線やMRに関する様々な資料などが展示されていますので、多少待ち時間があっても退屈せず、むしろもう少し時間があるなら資料館をゆっくりと眺めていたいと感じる程でしたので、機会があればまた再訪したい駅ですが、平戸口と名乗るにも関わらず平戸方面へのアクセスは決して便利とは言えないのは惜しい限りです。
(現在平戸島へ行くのであれば、佐世保~平戸間を直通運行する西肥バス利用が最も至便です)
また駅舎脇の最西端駅である事を示す石碑の脇には、日本国内にある東西南北端駅や主要都市を示す地図が描かれた看板(看板の拡大画像はこちらをクリック)があり、ここには博多124km、大阪780km、東京1336km、札幌2551km、ソウル538kmなどと書かれているのを見ると、随分遠くまで来たものと感じさせられ、日本という国の広さを意識させられると共に、首都圏からはるばる九州までやって来たからには、もう一歩足を伸ばして韓国にも…という気になるものです。
(実際に九州と韓国は非常に近く、福岡~釜山間は200km強・JRの高速船で片道僅か3時間程度、九州からはソウルまで行っても大阪より近い位ですので…)
ただ12月の九州旅行では韓国へ足を伸ばす余裕がないどころか、たびら平戸口駅を訪問したその日には新幹線で九州を離れ、首都圏まで帰らなければならないハードな行程だったのは惜しい限りで、またこの駅を訪問した後に乗車する新幹線(のぞみ号)の速さと便利さを実感させられたものです。
ちなみに余談ながら日本では本土と遠く離れ、唯一鉄道のない県として有名だった離島の沖縄(今でも国内各都道府県の中で唯一JRが通っておらず、また2本のレールで走る営業線もありませんが…)にも数年前モノレールが開通し、これも日本の鉄道に含めるのであれば、最南端を名乗る同じ九州の西大山駅と同様に、厳密な意味での最西端駅ではなくなってしまいますが、西大山駅では現在最南端を示す標柱の上部に赤で「JR」と記されているのに対し、こちらは最西端の他に「MR」「本土」などの表示は加えられていないのも特徴です。
(まあどちらにしてもMAKIKYUにとっての日本国内最西端駅は、当分たびら平戸口駅である事(最南端は勿論西大山駅)に変わりないのですが、「MAKIKYUのページ」をご覧の皆様は如何感じられているでしょうか?)