豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

軽井沢に行ってきた(2024年5月18〜19日)

2024年05月20日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 5月18日(土)も快晴、気温は昨日と同じ23℃で、気持ちがよい。

 午前中から旧軽井沢に出かける。いつも通り、水車の道沿いの神宮寺に駐車。
 昭和30年代の終わり頃に、毎年夏休みをこの寺の宿坊で過ごす友人に亡父が会いに行っていた懐かしい寺である。2、3年前に読んだ堀辰雄や川端康成「高原」にも、この寺に隣接する藤屋旅館が登場していたので、それからは、堀や川端の姿も懐かしさの中に加わった。
 本堂は新しくなったようでかつての面影はないが、境内の樹齢400年という枝垂れ桜や木立がかつてを思い出させてくれる。堀も川端もこれらの木々を眺めたのだろう。堀が友人にあてた葉書にはここの桜のことが書いてあった。駐車料金はお布施のつもりである。

   

 つるや旅館の手前の路地を入ったところにある「デリカテッセン」の向かいにある花屋さんの店先を借りて、万平ホテルのアップルパイを販売しているという記事を読んだので行って見たが、連休中だけの臨時営業だったようで、花屋さんは閉まっていた。
 上の写真は、その「デリカテッセン」。創業1980年(?)と壁面に書いてあったので、1960年代の旧軽井沢にあった「デリカテッセン」とは別の店なのだろう。現在の店名が “Delicatessen” という英語なのに対して、昔あったデリカテッセンの看板はドイツ語の “Delikatessen” で、店も本通りに面していたように思う。それにしても、まったく関係がないのか聞いてみたい気がしている。

 旧軽井沢通り(本通り)をそぞろ歩いたが、旧道もかつての賑わいはなく、「貸店舗」の掲示が貼ってある空き店舗も目立つ。物産館は建物もなくなってしまい、大城レース店の旧店舗はシートがかかって改装中だった。三笠会館はどの辺にあったのかすら分からなくなってしまった。
 正午を過ぎたので、浅野屋で昼食をとることにした。
 満席だったが、幸い一組が席を立ったので、ほどなく席につくことができた。ランチのメニューは3つのみ、サービスも若い男性1人だけで、注文、食器の片づけはセルフサービスになっていた。三笠会館は最後までブラック・スーツの年配の男性2人でサービスをしていたが、結局軽井沢から撤退してしまった。浅野屋のような形ででも持続してくれたほうがよかったのに。
 ぼくは、信州産鶏のトマト煮込み、野菜添えを注文。パンは食べ放題だが、われわれの胃ではおかわりは無理だった。ドリンクがついて2180円は、昨今の値上げの時代にあってはリーズナブルだろう。
   
   

 観光会館に立ち寄って、今年の軽井沢のカレンダーとポスターをゲット。冒頭の写真は観光会館の正面。かつては郵便局の建物だった。ここの館内は夏でもひんやりしていて涼しい。

 神宮寺を出て、鹿島の森、雲場の池、六本辻、離山を経由して(スコルピオーネの跡地は何とか温泉になっていた!)、中軽井沢駅前から国道146号に右折して、かつての西武百貨店軽井沢店の手前のスケートセンター、テニスコート跡地を曲って、セゾン美術館、立教女学院キャンプ場を通って帰宅。
 そう言えば、軽井沢新聞5月号に、千ヶ滝温泉ホテル跡地など約22ヘクタールを、西武と野村不動産が大規模開発するという記事が載っていた。2029年の完成を目ざすというが、開発の中味は未定とのこと。どうなるのか心配だが、リゾートマンションなどが建たないといいのだが・・・。
 できればスケート場を作ってほしい。赤坂サカスや、日比谷シティのスケートリンク程度でもいいのだが。それと、西武百貨店軽井沢店も昭和の姿のままに再建を願う。
 記事の見出しには「千ヶ滝温泉ホテル跡地」と書いてあり、ぼくも学生時代に千ヶ滝温泉ホテルにアイスホッケーの合宿で泊ったことはあるが、あの辺りは「軽井沢スケートセンター跡地」と言うべき場所ではないか。

 夕方から散歩に出かける。
 浅間山の夕景がきれいだったので、浅間台公園から大日向神社にむかって坂道を上る。途中で、ISAC(軽井沢インターナショナル・スクール?)の生徒らしい2人組の女の子と、1人歩きの男の子に出会う。ともに外国人のようだったが、女の子たちは「こんにちわ」と声をかけてくれ、男の子は軽く会釈をしてくれた。

   
   

 翌5月19日(日)、午前9時過ぎに東京に向けて出発。渋滞を避けるために、たいていは土曜か日曜の午前中に軽井沢を出発して帰宅することにしている。
 発地(ほっち)市場に立ち寄って野菜を眺めるが、家内の話では東京とほとんど値段は変わらないという。ブロッコリーなどは東京よりも高いという。そのせいか、土曜日の午前というのに人影は少なかった。

 風越公園の交差点を右折して、碓氷軽井沢インターに向かう途中の道沿いに(地図には「女街道」と書いてあるのと「下仁田街道」と書いてあるのがあった)、「モミの木」という洋菓子店があることを知った(下の写真)。
 軽井沢の不動産屋が出しているパンフレットに紹介が載っていて、ここのオーナーは元は東京のヴィクトリアで修業し、夏は旧軽井沢の店舗に勤務していたとあった。軽井沢のヴィクトリアは、あの、「レイホホ レイホホ レ イッ ホ~ ♪」とヨーデルを流しながら千ヶ滝を販売車がまわっていた懐かしい洋菓子店である。

     
 
 ご夫婦でやっているようで、ご主人も厨房(?)から出てきて、しばし昔話に花が咲いた。ヴィクトリアから独立した後は高崎で洋菓子店をやっておられ、最近高崎の店は息子さんに任せて、軽井沢で開店されたとのこと。
 旧軽井沢の旧道入口手前、草軽電鉄の旧軽井沢駅前にあったヴィクトリアのこと、千ヶ滝の西武百貨店にも出店していたこと(そういわれてみると確かに西武の中にもあったのを思い出した)、西武百貨店の入口近くには島津貴子さんプロデュースのPISAのコーナーがあったこと、高崎観音の川向かいの小高い丘の上にあったドライブインや、安中でヤナセがやっていたピラミッド型のドライブインなど、しばし共通の思い出話で盛り上がった。
 ヴィクトリア時代からの定番だというバナナのパイと、イチゴのタルトを買って帰る。値段もリーズナブルで、美味しかった。

 途中横川の荻野やに立ち寄って、孫の好物の力餅も買って帰ったのだった。

 2024年5月20日 記

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軽井沢に行ってきた(2024年5月17日~)

2024年05月19日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 5月17日(金)、天気が良かったので、軽井沢までドライブに行ってきた。

 午前9時半頃に東京を出発。関越道を行く。
 途中の本庄児玉だったかで、工事渋滞しているところに、さらに追越し車線で追突事故が発生したため混雑していたが、それ以外はスムースに進み、上里での休憩を挟んで12時すぎに軽井沢に到着。
 車窓の左側にはまだ雪を頂いた富士山が見え、妙義山、恩賀高岩、浅間山も、きれいな山影が青空に映えていた。新緑の候から初夏にむかう木々の葉の緑が、まぶしく輝いている。

 軽井沢の気温は、軽井沢バイパス、南軽井沢交差点の標識の表示では23℃。
 窓を開けて走ると、爽やかな風が吹きわたっていた。町はそれほどの混雑ではない。人々は連休疲れで、あまり出歩いていない時期なのかもしれない。
 軽井沢に到着後は、ツルヤで食材を買い出ししてから山荘へ。まずはすべての窓を全開にして風を入れ、置きっぱなしの布団やタオル類を虫干しにして、昼食に出かける。
 いつも通り、「追分そば茶家」へ行ったが、「臨時休業」の看板が・・・。木曜日が定休日のはずだが、仕方ないので、中軽井沢駅前の「かぎもとや」に入り、天ざるを(下の写真)。
 「かぎもとや」は壁一面に貼ってある吉川英治その他の有名人の写真の入った色紙が名物だったが、今回は気がつかなかった。撤去したのだろうか。

 当日の軽井沢の空気感が表れているかどうか分からないが、17、18日の風景写真を何枚か。
 最初は、しなの鉄道の中軽井沢駅舎につづく沓掛テラスの図書館2階から眺めた浅間山。窓側の席はすべて占拠されていたので、いい位置から撮影できなかった。
   

 次は、翌日(18日)に図書館2階のほぼ同じ位置から撮った浅間山と、中軽井沢駅前の通り。
   
   

      

 さらに、軽井沢消防署の隣りのしまむらの駐車場から眺めた18日の浅間山を2枚。
 山頂ちかくの向って少し左側に小さな白い斑点が見えた。どうしてそこにだけ雪が残っているのか。
   
   
 いつもは、長野県国道事務所「鳥井原」の定点カメラの画像で眺めるしかない風景である。

 2024年5月19日 記 

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今朝の軽井沢(2024年3月6日)

2024年03月06日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 今朝の天気予報では、軽井沢の積雪は18センチとか言っていた。思ったほどの「大雪」ではなかったようだ。何年か前の南軽井沢交差点付近で、トラックを先頭に数十台が立ち往生した時のようなことはなかったようだ。
 冒頭の写真は、3月6日の気象庁監視カメラの「浅間山(鬼押)」の画像だったが、煙っていて何も見えないので、3月7日午前の画像に差しかえた。古い写真は下に移しておいた。霧の向うに浅間山があるのだ。
      

 例によって、長野国道事務所のライブカメラから、長倉、鳥井原、追分の写真を。
 なお、軽井沢町役場のライブカメラはメンテナンス中とのことだった。

      

      

      

 2024年3月6日 記

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今の軽井沢(2024年3月5日午後10時05分頃)

2024年03月05日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 テレビニュースの天気予報で、長野県に大雪警報と言っていたので、今ごろ軽井沢の雪景色はどんなになっているのだろうと思って、例の如く、長野国道事務所と軽井沢町役場と気象庁監視カメラの画像を検索してみた。

 軽井沢町役場は開くことができなかったが、長野国道事務所の定点カメラはしっかりと今の軽井沢を見せてくれた。
 下の写真は、軽井沢バイパスの鳥井原と追分の現在。長倉(南軽井沢交差点)は画像が悪かったのでスルーしたが、気温-2・9℃、路面温度-1・9℃と表示してあった。

     

     

 冒頭は気象庁監視カメラの浅間山(追分)の画像。雪の向うに浅間山があるのだろう。

 2024年3月5日 記

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きょうの軽井沢(2024年3月1日)

2024年03月01日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 きょうから3月。

 夕方のテレビのニュースを見たら、軽井沢では29センチの積雪があったと言っていたので、びっくりして長野国道事務所のライブカメラと、気象庁監視カメラの浅間山(鬼押)を開いてみた。それほどの積雪の感じはしなかった。昼間が暖かったので融けたのだろうか。
 冒頭は気象庁の浅間山(鬼押)の画像。山肌が雪に覆われてはいるが、それほどの積雪には見えないけれど。

 ついで、国道事務所の、順番に、長倉、鳥井原、追分の画像である。長倉は気温4・9℃、道路温度2・9℃となっている。

     
    
     

     

 せっかく雪景色を見たかったので、少し山深い信濃町(長野県)の画像をアップしておく(下の写真)。
     

 2024年3月1日 記

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午後のじゅん散歩(テレ朝)は軽井沢

2024年02月23日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 毎週金曜日は午後にも “じゅん散歩” をやっているが(テレ朝)、今日の “午後のじゅん散歩SP” は軽井沢から小諸への散歩。そういえば先週の “午後散歩” も軽井沢だったか。

 旧軽井沢の万平ホテルから例の赤い観光バスに乗って、テニスコート脇を通って、碓氷峠を見晴台に向かう。長野県側の方の神社を参拝して、見晴台から周囲の山並みを眺めて下山(上と下の写真)。
 「むかし武士たちがこの道を登ったのか」と高田純次が言っていたが、30年前に、ぼくは3歳だった次男を背負ってこの道を下った。
     

 軽井沢駅に戻り、しなの鉄道で小諸に向かう。 
 しなの鉄道の車両は、グレーと赤色のツートンカラーだったのが、いつの間にかグリーンとイエローのツートンカラーに変わり、さらに輝くブルー色のボディーカラーに変わっていた(下は軽井沢駅に停っているしなの鉄道を見下ろす写真)。
     

 車窓から浅間山を眺め、信濃追分駅を通って列車は小諸駅に(下の写真)。
     
     
 
 人通りのない小諸駅前で喫茶店に入り、北国街道沿いの蕎麦屋でしぼりそばを食べて、きょうの散歩は終了。昨年の夏に撮影したものらしく、半そでシャツでも小諸では暑そうだった。
 懐かしい風景を眺めることができた40分(?)だった。

 2024年2月23日 記

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きょうの軽井沢(2024年2月12日)

2024年02月12日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 ネタのない日はネットで見つけた軽井沢の画像で。

 冒頭は気象庁監視カメラの「浅間山(鬼押)」で見た現在の浅間山。冬晴れなのか春の日ざしなのか、浅間山の山肌が輝いている。

 次は長野国道事務所の定点カメラから、最初は「長倉」。通称プリンス通りの南軽井沢交差点を西に曲がったところである。「気温2・9℃、路面温度0℃、路面乾燥」と表示されている。日は傾き始めているようだ。
     

 同じく「鳥井原東」交差点の現在の画像。道路わきに雪が積み上げてあるが、道路は乾いているように見える。
     

 次は軽井沢町役場のライブ・カメラの画像。町役場前の国道18号のように見えるが、浅間山の姿は写っていない。どういう角度で撮ったものなのか。
     

 昨日2月11日は亡くなった母の生誕100年に当たる日だった。大正13年(1924年)、神戸の須磨の生まれで、亡くなって12年が経った。

 2024年2月12日 記

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きょうの浅間山(2023年11月22日)

2023年11月22日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 気象庁監視カメラ画像から、現在の浅間山の光景を。

 2023年11月22日12時00分(ややフライング気味か?)の浅間山。
 山頂付近はうっすらと雪化粧をしていて、太陽の光が雲に反射しているのか筋状に輝いている。
 「初雪」も「初冠雪」も「初積雪」も、その違いは分からないが、浅間山は冬景色になりつつある。

 2023年11月22日 記

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きょうの浅間山(2023年11月13日)

2023年11月14日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 NHKテレビの天気予報によると、きょう浅間山は初冠雪を記録したとか。浅間山の映像が出てきたので慌ててシャッターを押したが、ちょっとピンぼけ(上の写真)。

 「初冠雪」という言葉の定義は分からないが、「初雪」というのではないだろう。いくら地球灼熱化の異常気象とはいえ、11月13日は初雪にしては遅すぎる。頂上の雪が根雪になったということだろうか。それにしては画像で見る雪の量は少ないようだが。
 いずれにしろ、軽井沢は寒い季節になったのだ。

 今日は東京も結構寒かった。木枯らし1号が吹いたそうである。「木枯らし1号」というは気温何度以下で、風速8メートル以上の北風が最初に吹いた日だそうだ。
 明日の東京新聞の一面には東京の木枯らし1号の風景が載っているかもしれない。

     

 ※今朝の東京新聞一面には「東京に木枯らし1号」のことは載っていなかった。地域版(山手版)も含め、1面から最終面までしっかり見たが、木枯らしの木の字も出ていなかった。残念。
 最近の東京新聞ではこんなことは記事に値しないのだろうか。前の週までは東京も夏日を記録していたのが一転して木枯らしが吹いたのだから、ニュースだと思うけど。
 数日前のNHKラジオ深夜便3時台の「風」をテーマにした歌特集では「木枯らし紋次郎」のテーマソング(曲名は忘れたが上条恒彦が歌っていた)が流れていたが。
 もう一つ、昼のNHKテレビ列島ニュース、長野局発で、今朝の軽井沢の最低気温がマイナス4・4℃だったと報じていた。
 そのニュースの背景に現在の浅間山が映っていた(上の写真)。スマホをカメラに切り替えようと焦っているうちに、画面は山頂から石尊山の方に移動してしまった。
 画面からは、浅間山の頂上は雪をかぶっていないように見えた。昨日の「初冠雪」がもう溶けてしまったのなら、「初冠雪」というのは頂上に降った雪が根雪になったことではないらしい。(2023年11月14日追記)

 2023年11月13日 記

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きょうの浅間山(2023年9月29~30日)

2023年10月01日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 9月29日(金)、天気がよいので、軽井沢にドライブに出かけた。
 関越道は、週末でしかも月末ということもあってトラックがいつもの平日より多かったものの、それでもほぼ順調だったのだが、最後の上信道、高岩山トンネルが工事中のため、トンネルの手前から大渋滞が始まり、トンネルを抜けるのに30分以上かかってしまった。それでも車窓からは、清涼な空気感が漂う妙義連山など秋の山並みを眺めることができたので、それほど苦にはならなかった。

 昼すぎに軽井沢に到着。窓を開けて秋の外気を入れてから、追分そば茶家に昼食に。いつも通り、天せいろともりそばを注文して、二人でシェア。
 窓の外を見ると、信濃追分駅から国道に向かう脇道を、番号のついたゼッケンに、リュックサックを背負った小学生が三々五々歩いてくる。店のおばさんによると、この日は(西部?)小学校の遠足で、八風山に登ったという。八風山というのはどの程度の山なのか知らないが、低学年の子には結構きつい遠足ではなかったか。バテ気味の子も見かけたが、みんな元気そうだった。

   
   

 その後プリンス・ショッピング・モールに出かけて、孫たちの誕生祝いを物色する。
 冒頭の写真は、ショッピング・モールの人造池から眺めた浅間山、と言いたいところだが、浅間山は離山の後ろにわずかにすそ野がのぞいているだけ。ショッピング・モールや旧軽井沢からは浅間山はほとんど見ることができない。
 昭和20年代に起きた浅間山麓を米軍の訓練基地化する計画に対する地元民の反対運動でも、旧軽井沢の人たちはほとんど参加しなかった。旧軽井沢、新軽井沢の人たちにとって、姿が見えない浅間山は関心の対象ではなかったのかもしれない。
 29日は天気がよく、青空に映える浅間山はあのハート形の噴火口もくっきりと見せていたが、写真を撮らなかったら、翌日は朝から曇天で、浅間山の姿を見ることはできなかった。残念なことをした。

 下の写真は9月30日の佐久農協販売所前の踏切を通過するしなの鉄道。晴れていたら、線路の向こうに浅間山が見えるはずなのだが・・・。

   

 発地市場、ツルヤ、佐久農協をめぐって、野菜を大量に買い込んだ。東京に比べると驚くほど安いらしい。
 天気がよければもう1泊しようと思っていたのだが、曇天のうえ、翌日曜日(10月1日)も雨という予報だったので、30日に帰ることにした。
 今朝(10月1日)、NHKラジオの道路情報を聴いていたら、上信道の碓氷軽井沢インターと八風山トンネルの間は雨のため50キロに速度制限されていると言っていた。

 2023年10月1日 記

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この夏の軽井沢(2023年7月29日)

2023年09月28日 | 軽井沢・千ヶ滝
  
 7月29日(土)も夏晴れ。前日より、日中でも多少凌ぎやすい体感。

 午前中に、時間つぶしのDVDを借りるために沓掛テラス(旧中軽井沢駅舎)の中軽井沢図書館に出かける。
 上の写真は、中軽井沢図書館2階から眺めた浅間山(7月29日)。
 下の写真は、中軽井沢駅前(沓掛テラス)から眺めた浅間山。
     

 夜になってから、図書館で借りてきた新海誠の「君の名は。 Your Name ・・・」を見た。
 「時をかける少女」と「転校生」を合わせて3で割ったようなストーリー。
 観客1900万人を動員したとパッケージに書いてあったが、ぼくはダメだった。ストーリーの展開が分かりにくく、時空の移動についてくことができなかった。唾液のシーンも気持ちが悪い。

 せめてもの慰めだったのは、ぼくが予備校時代とサラリーマン時代を過ごした四谷界隈が出てきたことである。残念ながら、時代は予備校生だった1968~9年、サラリーマンだった1974~83年の四谷ではないが、迎賓館前の若葉町公園らしき公園、文化放送(旧社屋)の近くにあった石段、上智大学沿いの土手らしき風景も出てきた。
 ※(9月28日追記)数日前のテレビで、訪日外国人観光客が好きな東京の風景の一つとして、四谷須賀神社の石段が出てきた。この石段の上の方に立って、坂下とその遠方の住宅街を背景に自撮りする外国人カップルがいた。なかなか目が高い!と言いたいところだが、おそらくアニメ「君の名は」で知ったのだろう。あそこは東京のモンマルトルである。
 この石段こそ、まさに、文化放送近くの石段である。ぼくの会社は須賀町にあったが、あの界隈は「四谷怪談」の舞台だったらしく、お岩さんを祀る於岩稲荷というのと須賀神社があって、この題目を演ずる歌舞伎役者や落語家が奉納したお札(?)が並んでいた。
 須賀神社のあの階段も、たまに昼飯に遠征した際に上り下りした。ぼくたちが昼飯を食べに行った「来夢来人」(ライムライト!)というスナックは、確かあの坂下の近くにあったはずである。

 「君の名は」では、四谷のマンション屋上からの眺めを細密画で描いた画面があったが、1968年の夏に、駿台予備校四谷校舎の屋上のベンチに寝そべって、高層ビルが地平線を切り苛んでいる新宿や都心方面の風景をぼんやり眺めていたころの気持ちがよみがえってきた。
 あの頃は、高層ビルといっても、浜松町の貿易センタービル(だったか?)と、新宿の京王プラザホテル、四谷のホテルニューオータニくらいしかなかった(はずである)。
 あの頃から55年も経ってしまった。

 7月30日(日)。この日も朝から暑い。

 2023年7月30日 記(9月28日追記)

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この夏の軽井沢・余滴(2023年8月22日)

2023年09月03日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 旧聞ながら、8月22日の朝のテレビで、上皇ご夫妻が4年ぶりに軽井沢を訪問されたニュースが流れた。
 29日まで滞在の予定と報じられていた。

 満蒙開拓団の帰村地である大日向村(おびなた)を訪問される様子が映っていたので、あわててカメラをオンにしてテレビの画面を撮ろうとしたが、シャッターを押したときには、すでに別画面に切り替わってしまっていた。

 何年か前の晩夏の夕方、浅間台公園方面に散歩に出かけたところ、途中のT字路に制服の警官が二人立っていて、この先の通行は遠慮してほしいと言われたことがあった。 
 夜のニュースで、この日の午後、上皇ご夫妻が浅間山の裾野の丘陵地帯に広がる大日向村を訪問されたことを知った。そのための交通規制だったのだろう。
 それ以前にも、大日向村のレタス畑の近くを散歩していたら、遠くに人だかりがあって、中にはテレビカメラを肩に担いだ人もいた。その時もなんのロケだろうと思っていたら、やはり上皇ご夫妻が訪問されたことを夜のニュースで知った。

 あれから4年以上経ったのだった。
 終わってみれば、あっという間のコロナ禍だったようにも思うが、コロナのために入学式が中止になった孫が、今では小学校4年生である。

     

 大日向開拓記念館を訪問された時の映像は、左肩には2008年、画面中のキャプションには2003年とあって、どちらが正しいのかわからないが、今年ではないようだ。
 あそこには昭和天皇巡幸(行啓、行幸の違いは何だったか?)記念の歌碑もあるから、旧軽井沢のテニスコートだけではなく、大日向村にも深い思い入れがおありなのだろう。

 2023年9月3日 記

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この夏の軽井沢(2023年8月15~17日)

2023年08月28日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 8月15日に、二男夫婦と孫が軽井沢にやって来た。
 3歳の孫の軽井沢デビューだが、あいにく天気予報では連日雨の予報である。予報が外れることを祈りつつ、雨に対応できるイベントを考えておいた。

 8月15日の12時15分、定刻通り、あさま609号で軽井沢駅に到着。
 おじいさん、おばあさんがいつもと違う場所で待っていたので、孫はちょっと戸惑った表情。しかし、大好きな新幹線 “かがやき” に乗って来たのでご満悦の様子。

 来る途中に「アクシデント発生!」というメールが息子から届いたので、何事かと思ったら、東京駅に向かう山手線の駅のホームで、孫の靴が線路上に落ちてしまったのだという。駅員に頼んだが、列車の運行に影響するので線路上に降りることはできない、後日取りに来てくれと言われてしまったとか。
 幸い、雨降りを予想して雨靴を持参していたので、黄緑色の蛙のイラストが入った雨靴を履いて登場した。

   

 そんな訳で、まず駅前のナイキで、子供用のスニーカーを買う。幸運にも、15センチのジャストサイズがバーゲンに出ていたので、1999円でゲット。
 カラフルでかわいらしいし、何といっても履きやすそう。3歳児でも一人で履くことができた。
 ほかの孫たちにも毎年買ってやっていたのと同じものだが、上のふたりの孫たちに合うサイズは最近ではバーゲンに出なくなってしまった。

 幸い天気予報は外れて、15日は曇り空だが明け方からの雨はやんでいて、ショッピング・モールの芝生で遊ぶことができた。

   
   
 トンボを追いかけ回し、キッズ・パーク(だったか?)で、トーマスの豆機関車に乗り、トランポリンのような遊具でジャンプしまくって、大はしゃぎだった。
 足腰の弱った私たちは、相手をしながら、追いかけまわるのに一苦労、二苦労だった。
 ここのトーマスが気に入って、また乗りたいというので、帰京する17日、新幹線に乗る前にふたたび立ち寄って乗ることにした。

       

 8月17日の正午、12時発の新幹線で次男一家は東京に帰って行った。
 紙パック入りの峠の釜めし(!)と、鶏弁当を買い込んで行ったのだが、「美味しかった」と車中からメールが届いた。

     

 われわれ老夫婦は、この日の午後から、布団を干したり、シーツや枕カバー、タオルを洗濯するなど、帰京の準備を始めた。
 この夏、はじめてツルヤ近くのコインランドリーを利用した。滞在の後半は曇りや雨の日が多く、洗濯物がなかなか乾かなかったので。
 夕方、追分のコンビニに立ち寄った。霞にもやる浅間山には秋の気配が忍び寄っていた。

     

 そして8月20日(日)の午前9時、いつも通り家を出発し、発地市場に立ち寄って野菜を買い込んで帰京。

 確か、毎年8月20日が、旧軽の諏訪神社の花火大会ではなかっただろうか。
 この夏は一度だけ、万平ホテルにアップルパイを買いに行った以外は、旧軽には出かけなかったけれど、かつては20日の諏訪神社の花火を、旧道に面した明治牛乳軽井沢出張所の庭から眺めるのが恒例だった。
 この花火が終わると、軽井沢の夏も終わり、旧道に出張した店の店仕舞いが始まり、人々が去り始めるのだった。
     
 2023年8月28日 記

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この夏の軽井沢(2023年8月9日、11日)

2023年08月24日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 8月11日(金)は「山の日」というらしい。

 風越のアイスアリーナにスケートに行く途中、発地市場に立ち寄った。スケートの一般滑走は13時10分から14時40分までの1回だけなので、それまでの時間つぶしである。孫たちは雲梯(うんてい)で遊んでいる。
 空の青と、山の木々の緑と、白い雲が美しい。山頂に鉄塔が見えた。

     

 その前々日、8月9日が雨降りだったので、アイスアリーナにスケートに出かけた。
 スケート靴を履くのは10年ぶりに近い。しかもここにはフィギュアの貸靴しかなかった。フィギュアの靴など、幼少期以来履いたことがなかったので、恐るおそるのリハビリテーションになってしまった。孫を教えるなどとてもできない。

 その折、ホッケーのユニフォームと防護をつけて上手に滑っていた小学校低学年の少年を見かけた。リンクサイドのベンチで隣り合わせになったので「上手だね」と声をかけた。
 軽井沢バッファローズというチームのメンバーだという。おじさん(本当はおじいさんだけど)も学生時代にアイスホッケーをやっていて、軽井沢スケートセンターで夏合宿の時に軽井沢高校と練習試合をやったことなどを話す。
 最近の軽井沢高校は強いのだろうか。ぼくたちの頃は、日光高校、八戸工業、苫小牧東(?)などと共にインターハイの常連校だった。

 あまりにも情けない滑りだったので、この日、8月11日にリベンジに出かけたのだった。
 今度こそと孫の手を取って滑り出したのだが、ぼくのほうがバランスを崩して孫を道ずれに転んでしまった。申し訳ないので、それ以後は1人で滑った。
 東京に帰ったら東伏見のリンクで少し練習をしよう。そして来年からはホッケー靴を軽井沢に持参することにしよう。

 2023年8月24日 記

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この夏の軽井沢(2023年8月11日)

2023年08月22日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
「きょうの軽井沢」といいながら、8月11日の軽井沢の風景をというのも何んだから、タイトルを「この夏の軽井沢」に改めた。

 場所は、追分というか、借宿の浅間台公園(とわが家では呼んでいる公園だが、地図を見ると正式な名称は「ふれあい公園」とか何とかいうらしい)から眺めた浅間山。

     

 ここからも、浅間山の、あの南側の山肌に彫られたハート形のクレーターがくっきりと見えた。
 もう忘れかけてしまったが、この日も気もちのよい夏空だったのだ。
 幼い孫が一生懸命にトンボを追いかけていたが、結局1匹も捕まえることはできなかった。ぼくが子どもの頃の軽井沢の空には大量のトンボが舞っていて、虫取り網を振りまわすだけでトンボのほうから網の中に飛び込んでくるくらいだったのだが、トンボもずい分少なくなってしまった。

 2023年8月22日 記

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