たびたびで恐縮だが、今回も徳大寺先生の引用から始めることにしたい。
徳大寺氏の「ぼくの日本自動車史」(草思社)のホンダN360に関する評価のなかには、次のような一文がある。
「大人4人が乗れ、エンジンはうるさいが、ガマンすればこのクルマで遠いところまで行けた。当時こいつで遠距離旅行をした若者はけっこう多いはずである(173~4頁)。
この文章をきっかけに、大学2、3年頃に大学の友人3人で出かけた軽井沢へのドライブを思い出した。
どうして徳大寺氏は、当時このクルマで遠出した「若者はけっこう多いはずである」などと決めつけた、しかし間違いなく現実であった文章を書くことができるのか不思議である。
氏はクルマそれ自体だけでなく、よほどしっかりとその時代ごとの日本社会におけるそのクルマの位置を見きわめておられたのだろう。
ぼくたちも、まさにその当時の若者たちの1人として、「こいつで遠距離(?)旅行」をしていたのである。
時は(やや不確かだが)1970年から72年の秋である。ぼくは、大学の同級生3人で軽井沢への2、3泊のドライブを計画した。
友人の1人が親父さんの会社の営業用の古くなったホンダN360なら2、3日持ち出してもよいというので、これを借りて、もう1人の友人と3人で秋の軽井沢に出かけた。
当時東京-軽井沢間がクルマでどのくらいかかったのか、もう記憶にないが、3人で運転席、助手席、後部席と順番に交代しながら軽井沢に到達した。
N360のサイズは、2995×1295×1345とあるから、現在の軽自動車などと比べてもかなり小さい。写真を見ると、自分の背丈と比べてもかなり小さな車であるが、しかし、友人だけで軽井沢に出かける楽しさを考えたら、クルマの狭さなど物の数ではなかったのだろう。狭かったという記憶はまったくない。
これまた、徳大寺氏によれば、「日本ではスバル以降、FFの軽自動車でこれほどパッケージのすぐれたものはそう多くない」というから(173頁)、パッケージも悪くはなかったのだろう。
狭さの記憶はないが、スピードは3人乗って90キロ出たことを鮮明に覚えている。急な下り坂でのN360での90キロは、遊園地のジェット・コースターのようで恐ろしかった。
しかし、このドライブの一番の思い出は、このN360が中軽井沢駅近くで側溝に脱輪してしまったことである。
ぼくたちは軽井沢に到着すると、まず中軽井沢駅前の「清水屋食堂」というところで昼食をとることにした。
じつは、その前の年だったかの、軽井沢スケートセンターでのアイスホッケーの夏合宿の際に、この食堂で食事をしたことがあり、そのときに先輩の1人がこの食堂の娘さんか店員さんかに恋をしたということがあったので、その女性を見てみたいという気持ちもあった。(清水屋食堂の当時の娘さんか店員さん、もし見てたらごめんなさい。)
店は、国道18号を中軽井沢駅前の交差点(あの桐万薬局さん)で右折して国道146号に曲がったすぐの左手にあったのだが、クルマを左に寄せすぎたため、左後輪が側溝にはまってしまったのである。
どうしても抜けられないので、2人が降りて後ろから持ち上げて、押すことにした。今調べると、N360の車重はなんと475kgである。非力な2人の力でも車体は少し浮いた。そして、エンジンをふかすと後輪はみごとに側溝から抜けたのであるが、抜ける直前に「バギッ!!」というすごい音がして、なにやら謎の物体が後ろで押していた2人をかすめて飛んだのである。
拾ってみると、それは幅20cm、長さ40cm、厚さ1cm弱ほどの鉄板だった。左後輪の下にもぐって調べてみると、そこには中学の技術家庭科の授業で習ったような、3枚の重ね板バネが付いていて、そのうちの一番短いやつが半分吹っ飛んでいた。
最近のサスペンションはかなり気のきいたものになっているようだが、当時は(ショック・アブソーバーと呼んでいたが)ずいぶん簡単なものだったのである。
軽井沢の道路わきの側溝は、蓋がついて暗渠になっている所と、蓋がなく側溝がむき出しになっている所とが交互に出現する。おそらく、秋に落ち葉がたまったときの清掃の便宜のためだと思うが、このときの経験から、軽井沢の道でクルマを左に寄せるときは、つねに側溝に蓋があるかどうかに注意するようになった。この夏も側溝に脱輪して抜けなくなってしまった車に1回だけ出合った。
徳大寺氏の、見事に時代を言い当てた文章に触発されて、若かった頃のことを思い起こしたのだが、さて、当時ホンダN360でドライブを楽しんだ若者が、もし今の時代の若者だったらどんな車を選ぶのだろうか。
学生時代だったら、親の車を借りるしかないが、サラリーマンになりたてで多少は自分の貯金があるというなら、おそらくマツダのロードスターの中古車あたりだろうか。
上信自動車道などで私たちの車を追い越していく先代か先々代のロードスターに若者が2人で乗っているのを見ると(アベックは除く)、「ああ、昔のオレだ・・・」と懐かしい気持ちになる。
徳大寺氏は、ジジイこそオープンカーに乗れと言うが、軽井沢でも時おり見かけるオープンカーのジジイは、なんかやっぱり無理を感じてしまうのである。本当はぼくも子どもたちが完全に独立して、4人で乗る必要がなくなってしまったら、ロードスターにも乗ってみたいのだが・・・。
* 写真は、おそらく千ヶ滝のからまつの森あたりの一番標高の高ところで撮ったもの。当時はまだ落葉松が成長していなかったので(植えられてすらいなかったかもしれない)、浅間山がくっきりと見えている。
2006/9/3