今朝、ショッキングな葉書が届いた。
大学のゼミで1年下級生だった女性のご主人から、彼女の死を知らせる喪中欠礼の葉書だった。
卒業後50年間一度も会うことはなかったが、年に一度、正月の年賀状だけは(それこそ双方の親の喪中の年を除いて)欠かすことなく取り交わしていた。毎年達筆で一言添えられていた。
それが今年の7月に彼女は亡くなっていたという。年齢も1歳下の元気で活動的な女性だったから、当然ぼくのほうが先だろうと思っていただけに、ショックだった。
これまでにも何度か書いたが、学生時代、彼女の国際法のレポートを代筆したり、民事訴訟法の論点ノートを作ってあげたりした。下心ありありだったが、効果はなかった。
卒業式当日の謝恩会の帰りが遅くなって終電で彼女を家まで送っていたら、お父さんが泊っていきなさいと言って下さって、もう1人のゼミ生と一緒に彼女の家に泊めてもらった。
卒業した年の五月の連休に、彼女から電話があって新宿駅東口のビルの1階か地階にあった「ビストロ アンアン」という店で食事をした。期待して出かけたが、ただのお礼の飲み会だった。その時のボトルカードを今でも持っている(写真)。有効期限はとっくに過ぎているし、あの店が今でもあるのかどうかすら分からない。
やがてぼくは結婚し、彼女も数年遅れて結婚した。その後は年賀状の近況報告だけがつづいた。
そして今朝の葉書である。
メモを見ると、彼女が亡くなった日は家内と軽井沢に出かけた日だった。今年の元旦の年賀状を見ると、彼女からの今年の年賀状は印刷文字だけで、何も添え書きがなかった。そのころすでに体調がすぐれなかったのだろうか。
一昨年に、高校大学と一緒で学生時代一番親しかった友人を失っている。この年齢になると、喪中欠礼の葉書は見るのが怖い。
きょう書類の整理をしていたら、E・ルディネスコ「ジークムント・フロイト伝」を読んだときのメモが出てきて、そこにボルヘスの言葉が書き写してあった。
「人が本当に亡くなるのは、その人を知っている最後のひとりが亡くなるときに他ならない」(7頁)
ぼくも忘れないでおこう、あの学生時代の日々を。
2024年11月20日 記