川本三郎は、『朝日のようにさわやかに--映画ランダム・ノート』(筑摩書房、1977年)以来、ぼくの好きな物書きの一人である。
とくに、『シネマ裏通り』(1979年、冬樹社)や『町を歩いて映画のなかへ』(1982年、集英社)など、映画関係の随筆が好きだった。
ぼくの通った中学校は杉並区西荻窪にあったが、昭和36年から39年当時の西荻駅北口、和菓子の“三原堂”の向かいには、「映画通り」だったか「シネマ通り」と呼ばれる路地があって、映画館が3軒並んでいた。
川本は阿佐ヶ谷に住んでいて麻布高校に通っていたらしいが、確か、川本の本のどれかに、その“西荻映画通り”のことが書いてあったと思う。
前にも“ノンちゃん雲に乗る”で触れたけれど、『シネマ裏通り』には三原葉子のことが書いてあって、同書の最後のページには、“1981.2.8(日)読了。春の訪れか、暖かい。12、3℃はありそう。谷ナオミと三原葉子とジャック・レモンのことがいい”と書き込みがしてある。
そんなわけで、川本というと、なぜか“西荻映画通り”と三原堂と三原葉子のことが思いおこされる。
一時期は、『走れナフタリン少年』(1981年、北宋社)から『雑(ザッツ)エンタテイメント』(1981年、学陽書房)に至るまで、せっせと買っては読んだものである。『雑(ザッツ)エンタテイメント』の巻末には、“1981.10.25(日)秋冷。雑だったな”などと書き込みがある。
彼の書いている内容に全面的に同感というわけではなく、1980年に『同時代を生きる「気分」』(1977年、冬樹社)を読んだらしいが、そのときは、彼とはまったく「同時代」を生きていないと強く感じた記憶がある。
先日、このコラムの豪徳寺ネタを読んだ友人から、川本の『向田邦子と昭和の東京』がいいよ、と薦められたので、さっそく買って読んだ。
第一章「・・・懐かしい言葉」を読んだときは、まずいなと思った。
ぼくが向田で一番嫌いなところを、川本は褒めているのだ。向田は、ぼくも好きな作家で結構読んだほうだが、あの「ご不浄」だの「シャボン」だのといった言葉が出てくるたびに、いつも引っかかってしまうのだ。
ぼくの伯母も明治末年の東京生まれで、余丁町小学校から三輪田を出た“東京っ子”で、沢村貞子のような喋り方をする人だったが、あんなふうな言葉は使わなかった。
あれは、向田がそれこそ「字引き」をひいて、無理やり「昭和の東京」風を気取っていたのではないだろうか。ちょうど『三丁目の夕日』を見たときに、次々に登場するゴテシチとした昭和30年代グッズの氾濫にウンザリしたのと同じ気分になってしまうのだ。
しかし、その後はいい。とくに第五章「家族のなかの秘密と嘘」がいい。これこそが向田の小説の核心のような気がする。ぼくとしては、「昭和」でも「東京」でもなく、『家族のなかの秘密と嘘』だけで向田邦子を論じてほしかった。
川本は他の章では、向田の小説と彼女自身の人生を重ね合わせて論じているが、この第五章では、まったく彼女自身の家族のなかの「秘密」と「嘘」との照合をしていない。
彼女は多くの家族の「秘密と嘘」を書いたが、何か書かなかったことがあるのではないだろうか。
川本のこの本に触発されて、きょう小津安二郎の『麦秋』を安DVDで買ってきて見た。
登場人物たちの言葉遣いは、ごく自然にぼくの耳に入ってきた。向田の「字引き」で引いたような言葉はまったくなかった。安心した。
* 写真は、川本三郎『向田邦子と昭和の東京』(2008年、新潮新書)の表紙。