「小津安二郎監督作品 サウンドトラックコレクション」に続いて、小津安二郎関係をもう1本。
最近読んだ5、6冊の本のなかで一番難しかったのが、吉田喜重『小津安二郎の反映画』(岩波現代文庫)。
「yosidakijuu」と入力すると、一発で「吉田喜重」と出た。さすが!
若かったころの吉田喜重が小津の映画(“小早川家の秋”だったらしい)を映画雑誌で批判したところ、松竹の監督の新年会の席で小津が怒ったというエピソードは、確か高橋治『絢爛たる影絵』(文春文庫)で読んだ。
吉田に向かって小津は、「映画監督は所詮橋の下で菰を被って客を引く女郎だ」といったという。それに対する吉田の反論の書らしいが、吉田の小津批判(“小早川家の秋”批判)を読んでないので、小津が何でそこまでの言葉を吐いたのかは分からない。
ヌーベルバーグといわれた若手監督たちの売れない映画の穴埋めのために、商業映画を撮らなければならなかった小津の苛立ちが背景にあったのではないかと、誰かの本に書いてあった。
ぼくもそんな気がする。とくに“小早川家の秋”は戦後の小津の映画のなかでも出来の悪い映画だと素人のぼくでさえ思うのだから、そんな映画を批判されたのでは小津も堪らなかっただろう。
「客を引く女郎」とまでは言わないが、所詮映画は娯楽である。しばしスクリーンの中に夢を見、ときに自分を見ることができればぼくは十分である。
小津の映画は、ぼくにとっては一種の“タイムマシーン”である。
余った木切れで出入りの大工が拵えたような物干し、同じように作られた手製のゴミ箱、天井の電球の横の二股ソケットからコードを引いたアイロン、いかにも映画のセット然としているけれど、しかしそこかしこにあった横町の飲み屋、電信柱の看板、そして湘南電車や池上線や迎賓館前などなど、懐かしい昭和30年代の風景が画面に登場するだけでも、ぼくには十分なのである。
最近になって気がついたのだが、BGMに流れる音楽もいい。とくに“秋日和”と“秋刀魚の味”の音楽がいい。そしてストーリーがいい。笠智衆、中村伸郎、北竜二、佐分利信たち中学校の同窓会仲間が、娘の結婚をめぐって動きまわる。
ぼくには娘はいないし、行きつけのBARもないのだが、結婚が近づいた息子の嫁さん(候補)を豆腐料理に連れて行ったり、鰻を食べに行ったりするとき、ぼくは小津の映画のなかの笠や佐分利の気分になる。小津の映画によって、ぼくは現実社会での気分の持ちようを学んだのである。
ちょっとしたストーリーがあり、懐かしい小道具や風景が出てきて、穏やかな音楽が流れる120分。今ではいなくなってしまった月丘夢路、岩下志麻、岡田茉莉子、文谷千代子らが登場する。
演技を禁じられた役者の独白のような科白、宙をさまよう視線、不安を抱かせる構図など、まったく気にならないのである。
批評の対象となった小津の作品は全部見ているので、吉田の指摘には、なるほどと思う記述もなくはない。
例えば、小津の映画に頻出する記念撮影の場面。吉田によれば、葬式や結婚式の記念写真の撮影のときだけ家族は「家族」を演じることが許される、しかも記念写真はやがて訪れる「死」の予兆だという。確かに、“父ありき”の鎌倉の大仏の前で撮った修学旅行の記念写真は、翌日の芦ノ湖での生徒の事故死の予兆といえる。死んだ生徒の遺族にとっては、あの大仏前で並んで撮った記念写真が亡くなった子どもの生前最後の姿だろう。
あるいは、“晩春”や“秋刀魚の味”で、娘を嫁がせた父親が、結婚式を終えて娘のいなくなった家に一人で帰って来るラストシーン。考えたこともなかったが、あれはいったい誰の視線だったのか。
家の中には父親以外の誰もいない。さっきまで娘が座っていた椅子、誰もいない娘の部屋は父親の視線だろうが、その父親の姿は誰が見ているのか。娘といいたいところだが、おそらく「観客」なのだろう。
それ以外の、吉田のいう「小津の反映画」は、ぼくには了解不能に近かった。
映画評論という領域はどうも苦手だ。
* 吉田喜重『小津安二郎の反映画』(2011年、岩波現代文庫)。
2011/6/25