8月16日(火)。
午後2時前に上田駅に着く。
腹がへっていたが、昼食は柳町の“おお西”で蕎麦を食べる予定なので我慢して、駅前の竹風堂で栗ソフトクリームを買って、舐めながら歩くことにする。
駅前のメインストリートを北へ歩く。暑い。道路脇の気温表示では36度となっていた。
かつてのぼくの大好物だった“みすず飴”の本店を見つけた。「みすず飴本舗」という看板が掛けてあるが、地図では「飯島商店」とある。「みすず飴本舗」のほうが通りがよいだろう。
正面の玄関には、妙齢の番頭さんと思しき人物が立って、客の出入りのたびに慇懃に頭を下げてドアの開け閉めをしている。
本店で売っているみすず飴は、軽井沢のツルヤで売られている飴とは違うのだろうか。
またしばらく行くと、“うさぎや”を見つけたので、立ち寄る。店内が涼しくて助かる。
ここでは、クルミゆべしその他のお土産を買う。
長野銀行上田支店もあった。初期の卒業生で上田出身の学生が長野銀行に就職している。仕事中に突然立ち寄るのも何かと思い、遠慮することにした。
そして中央3丁目の交差点を左折し、程なくを右折すると、上田の観光スポット、旧北國街道、柳町の古い街並みに出る。
その名の通り、入口には柳が枝を垂らしている。(↓)
妻籠などには遠く及ばないが、俗化してしまった旧軽井沢の中山道旧道や、中山道の追分宿などよりははるかに昔の面影を残している。
そして旅行案内本のすすめに従って、「おお西」で更科そばとてんぷらを食べる。
店の外には、兵馬俑の陶器の兵隊のような像が立っていた。店の人に由来を聞こうと思って忘れてしまった。(↓)
柳町通りをでて西へ向かい、北大手町を左折してしばらく歩くと、上田城の北端の木立が見えてくる。
左手に、近代建築がある。現在は上田市教育委員会らしいが、もともとは何だったのだろうか(↓)。
炎天下をようやく上田城にたどり着く。
城の東側は全長300メートルのケヤキ並木。(↓)かつては二の丸堀があり、昭和47年までは電気軌道傍陽線(そえひ)の駅があったという。
正面は「東虎口櫓門」というらしい。右手に上田城名物の真田石という巨石(というほどでもないが、大きいことは大きい)がある。(↓)
入ってすぐ左手の「南櫓」にのぼる。
小津安二郎“父ありき”で、金沢の中学校教師を辞めて故郷の上田に戻った笠智衆が、息子を連れて城の石垣にのぼり、二人で話すシーンがある。(↓)
あまりの変わりようで、どこでロケをしたのか定かでないが、この南櫓が一番それらしい。
上田城を出て、長野県立上田高校に向かう。
ここは、かつては上田藩主の居館があったという。黒い門にかけられた看板には「長野県上田高等学校」とある。「長野県立」ではないところに、同校の矜持を感じる。
夏休みの部活動か何かで出入りする生徒も、しなの鉄道や上田電鉄で見かけた高校生とどこか違っている印象を受けた。
そう言えば、小津“父ありき”では、上田にやってきた父子が飯屋で飯を食べながら、父の笠智衆が息子に向かって、「お祖父さんは漢学の先生で、お城に漢学を教えに通っていた」といっていた。天井からはランプが下がっている。(↓)
そして上田駅に戻り、20分ほどの時間待ちで小諸行きしなの鉄道に乗る。小諸駅でまた20分ほど待ち時間があったので、駅の北口を歩くが上田に比べて寂れている感じだった。
午後5時過ぎに中軽井沢駅に到着。
こうして、「軽井沢・別所温泉フリーきっぷ」の旅は終わった。
* 最初の写真は、旧北國街道の街並み。
2011/8/21 記