豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

長野県、上田まち歩き

2011年08月21日 | 軽井沢・千ヶ滝

 8月16日(火)。

 午後2時前に上田駅に着く。

 腹がへっていたが、昼食は柳町の“おお西”で蕎麦を食べる予定なので我慢して、駅前の竹風堂で栗ソフトクリームを買って、舐めながら歩くことにする。

 駅前のメインストリートを北へ歩く。暑い。道路脇の気温表示では36度となっていた。

 かつてのぼくの大好物だった“みすず飴”の本店を見つけた。「みすず飴本舗」という看板が掛けてあるが、地図では「飯島商店」とある。「みすず飴本舗」のほうが通りがよいだろう。
 正面の玄関には、妙齢の番頭さんと思しき人物が立って、客の出入りのたびに慇懃に頭を下げてドアの開け閉めをしている。
 本店で売っているみすず飴は、軽井沢のツルヤで売られている飴とは違うのだろうか。

         

 またしばらく行くと、“うさぎや”を見つけたので、立ち寄る。店内が涼しくて助かる。
 ここでは、クルミゆべしその他のお土産を買う。
 長野銀行上田支店もあった。初期の卒業生で上田出身の学生が長野銀行に就職している。仕事中に突然立ち寄るのも何かと思い、遠慮することにした。

 そして中央3丁目の交差点を左折し、程なくを右折すると、上田の観光スポット、旧北國街道、柳町の古い街並みに出る。
 その名の通り、入口には柳が枝を垂らしている。(↓)

         
         
 妻籠などには遠く及ばないが、俗化してしまった旧軽井沢の中山道旧道や、中山道の追分宿などよりははるかに昔の面影を残している。
 そして旅行案内本のすすめに従って、「おお西」で更科そばとてんぷらを食べる。
 店の外には、兵馬俑の陶器の兵隊のような像が立っていた。店の人に由来を聞こうと思って忘れてしまった。(↓)

         

 柳町通りをでて西へ向かい、北大手町を左折してしばらく歩くと、上田城の北端の木立が見えてくる。
 左手に、近代建築がある。現在は上田市教育委員会らしいが、もともとは何だったのだろうか(↓)。

         

 炎天下をようやく上田城にたどり着く。
 城の東側は全長300メートルのケヤキ並木。(↓)かつては二の丸堀があり、昭和47年までは電気軌道傍陽線(そえひ)の駅があったという。

         

 正面は「東虎口櫓門」というらしい。右手に上田城名物の真田石という巨石(というほどでもないが、大きいことは大きい)がある。(↓)

          

 入ってすぐ左手の「南櫓」にのぼる。

         

 小津安二郎“父ありき”で、金沢の中学校教師を辞めて故郷の上田に戻った笠智衆が、息子を連れて城の石垣にのぼり、二人で話すシーンがある。(↓)
 あまりの変わりようで、どこでロケをしたのか定かでないが、この南櫓が一番それらしい。

         

 上田城を出て、長野県立上田高校に向かう。
 ここは、かつては上田藩主の居館があったという。黒い門にかけられた看板には「長野県上田高等学校」とある。「長野県立」ではないところに、同校の矜持を感じる。
 夏休みの部活動か何かで出入りする生徒も、しなの鉄道や上田電鉄で見かけた高校生とどこか違っている印象を受けた。

          

 そう言えば、小津“父ありき”では、上田にやってきた父子が飯屋で飯を食べながら、父の笠智衆が息子に向かって、「お祖父さんは漢学の先生で、お城に漢学を教えに通っていた」といっていた。天井からはランプが下がっている。(↓)

         

 そして上田駅に戻り、20分ほどの時間待ちで小諸行きしなの鉄道に乗る。小諸駅でまた20分ほど待ち時間があったので、駅の北口を歩くが上田に比べて寂れている感じだった。
 午後5時過ぎに中軽井沢駅に到着。
 こうして、「軽井沢・別所温泉フリーきっぷ」の旅は終わった。

 * 最初の写真は、旧北國街道の街並み。

 2011/8/21 記

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別所温泉を歩く

2011年08月21日 | 軽井沢・千ヶ滝

 8月16日(火)、午前9時32分に中軽井沢駅を出発して、上田駅でしなの鉄道から上田電鉄に乗り換え、11時前に別所温泉駅に到着。

 旅行案内本に従って、街道を西に進み、常楽寺に向かう。途中に「常楽寺500メートル」の表示があるところを右に折れるが、ここからは緩やかな上り坂。
 お寺の境内に入るとさらに上り坂が急になり、最後に石段を登ると正面に本堂が、左手に樹齢350年という見事な松が見えてくる(↓)。

         

         

 参道沿いには、四国の霊場札所の仏像も祀ってある。
 お彼岸が終わったので、お墓参りの人がちらほら。重要文化財の多宝塔(↓)というのがが名物らしい。

         

 常楽寺に向けて出発しようとした時に、鐘楼の鐘が鳴り始めた。12時少し前から撞き始め、ほぼ12時に終わった。(↓安楽寺の鐘楼)

         

 「安楽寺350メートル」の表示に従って、小高い丘の中腹の順路を安楽寺に向かう。
 左手が開けていて、別所温泉の街並みが見下ろせる。

         

 左手に何やら石碑が建てられている。山本宣治の記念碑である。
 この鄙びた観光地に山本宣治の記念碑とは意外だが、碑文を読むと、上田出身のタカクラ・テルの招きに応じて、山本はこの地で農民運動支援の講演会を開き、その後右翼に暗殺されたという。
 記念碑は権力者の追及を逃れて、柏屋別荘主人斉藤房雄によって同別荘に隠し続けられ、戦後になってこの場所に建立されたとある。
 いかにも信州人らしいエピソードである。(↓山本宣治の記念碑)

         

 安楽寺も石段を登らなくてはならない。しかし高い木々が生い茂っていて陽が差し込まないので助かる。
 さらに本堂の裏山を登ったところに、国宝の八角三重塔というのがあるらしいが、現在は修理中でシートが掛っており、見ることはできない。下の写真は、そのシートに覆われた三重塔。
 森閑とした木々に覆われたお寺の中で、森林浴を堪能することができた。

         

 旅館七草の湯を通って、北向観音堂に向かう。といっても、今度は道を挟んだ向かい側に移動するだけ。
 ここの参道は、金毘羅宮の参道を小振りにしたような風情である。(↓)

         

 正面に(おそらく)北向観音堂がある。(↓) 
 長野の善光寺(南向観音)と両方を拝まなければご利益がないという。ぼくは去年の2月の地方入試の時に善光寺にはお参りしている。

         

 温泉街の通りに出て、柏屋別荘(臨泉楼)に至る。(↓)
 立ち寄り湯もあるというが、30度を超す暑さのなか、温泉に入る気分ではない。昼食をとることができないか聞いてみたが、予約がなければならないとのことだった。次回は予約してから出かけることにしよう。

         
 
 ふたたび別所温泉駅に戻り、13時40分発だったかの電車で上田に向かう。

 * 最初の写真は、今回の旅で一番のお気に入り、別所温泉、臨泉楼・柏屋別荘。有島武郎、西条八十らの文人も逗留し、作品を執筆したという。
 
 2011/8/21 記

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