豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

安達正勝『物語 フランス革命』

2022年02月14日 | 本と雑誌
 
 安達正勝『物語 フランス革命ーーバスチーユ陥落からナポレオン戴冠まで』(中公新書、2008年)を読んだ。

 エドマンド・バーク『フランス革命の省察』を読みながら、フランス革命時代の概説をあらかじめ読んでおいたほうがよかったと何度か思った。しかし、バークの記述は、1789年1年間というフランス革命のごく初期に限定されており、必ずしも革命史の概略を知らなくても読み通すことができた。
 この際せっかくなので、買ったまま放ってあった本書を読むことにした。

 「物語」と題するだけあって、高校世界史の僅かな知識だけでも簡単に読むことができた。そして、フランス革命の展開や登場人物のエピソード的な話題をたくさん知ることができた。どちらかというと、「フランス革命人物列伝」的な記述が中心で、しかも「革命女性列伝」の色彩が強い。
 マラーを暗殺した女や(皮膚病のためバスタブに浸かって執筆中のマラーの絵を見た記憶はあるが、暗殺者の(女性だったことは記憶にあったが)動機や背景は知らなかった。
 「人(l'homme)権宣言」が「男(l'homme)権宣言」にすぎないとして「女権宣言」を起草したオランプ・ド・グージュが最後はジャコバン政権下で処刑されたことは知らなかった。フランス革命では王族、貴族、革命家、民衆を通して女性が活躍したことはどこかで聞き及んでいたが、マリー・アントワネット、ルイ16世の妹(王妹)、ナポレオンの最初の妻ジョセフィーヌからパリ民衆など庶民階級の女房たちまで、多くの女性が登場する。
 フランスで女性参政権が認められるのは1944年(!)のことだが、その後は100名以上の女性大臣が生まれているという。

 本書で知ったトリビアな知識をアト・ランダムに列挙しておく。

 1.フランス国旗の三色旗は、もともとはパリ市を象徴する赤と青の二色旗の真ん中に、ブルボン家の象徴である白を挟んだものだった。フランスの三色旗は、(当時最強国だった)オランダの(赤、白、青の)ヨコ縞の三色旗をタテ縞にしたものと聞いたことがあるけれど(マギー司郎のマジックのようなもの?)。
 2.フランス革命の標語である「自由、平等、博愛」のうち「博愛」は不適当で、「友愛」と訳すべきだと著者はいう。原語の “fraternite” は、本来は修道院の宿舎(“fraternity”[英語]の原語のラテン語)で共同生活を送る修道士たち(“frater”[仏語]の原語のラテン語)の同志愛、同胞愛の意味であり、やがて寄宿学校の寄宿舎(“fraternity”)で共同生活を送る学生たちの同志愛に転じたものであると、以前何かで読んだ。
 要するに、“Fraternite” とは、親族間の血縁に基づく家族愛ではなく、血縁にかかわりなく共に生きる人間の間の「兄弟愛」(シュバイツアーの「人間はみな兄弟」)のような意味だろうから、ぼくは「自由、平等、人間愛」と解している。「博愛」という言葉も「友愛」という言葉も、ぼくは日常生活で使ったことはない。
 3.ルイ16世は開明的で、改革派の国王だった。国民からも愛されており、その後の革命の展開によってギロチンにかけられてしまうが、本来はそのような国王ではなかったと著者はいう。最近の研究ではルイ16世の再評価が進んでいるとのことである。
 ぼくも説得された。大変な勉強家で、早くから英語ほかの外国語を学び、9歳でヒュームと面会した際には彼の著書に「親しんでいた」ためヒュームが驚いたという(35頁)。チャールズ1世も謹厳な人物だったことを想い出した。 
 4.ルイ16世は愛人を持たなかったただ一人のフランス国王であり、悪妻というしかないマリー・アントワネットを守り続けた。パリから逃亡する際にも、アントワネットの愛人を途中まで同道させている。
 国王15歳、王妃14歳で二人が結婚してから7年間も「結婚が成就しなかった」と書いてあった(32頁)。「成就」がいわゆる「婚姻の完成」(イギリス法でいう “consummation”)だとしたら(フランス法にはこの婚姻を無効とする概念があるのか?)、「性交がなかった」という意味である。
 5.ルイ16世は刑罰の人道主義化を唱え、死刑の件数を減らし、執行方法も(失敗が多く簡単に死にきれないで死刑囚が苦しむことになる)斬首をやめてギロチンを導入した。ギロチンの歯を斜めにしたのも国王の提案だという(国王は錠前作りが趣味で金属工学に造詣が深かったという!)。
 ちなみに、女性の髪型のショートカットは、ギロチンにかけられる際に、長い髪が邪魔して首をしっかり刎ねることができないという事態を避けるために始まったという。
 6.革命初期の三部会では第三身分から「国王万歳!」の声も上がった国王が処刑された原因は、反革命に燃える周辺諸国から革命フランスを防衛する戦争のさなかに、敵国オーストリアが支配するベルギーに逃亡を図ったために民衆の怒りを買ったことにあった。これもチャールズ1世と同じである。
 裁判の中では、敵国や王党派などの反革命勢力と通謀する文書が(家臣の裏切りによって暴露された秘密の箪笥から)多数発見され証拠として提出されたのだった。
 7.ロベスピエールは、革命前には合法主義を貫く弁護士であり、革命当初は死刑廃止論者だったという。バークは「三百代言」というだろう。弁護士の中にはそんな輩もいるかもしれないが、ロベスピエールはそんな人物ではなかったようだ。彼も「信仰の人」だったらしく、厚い信仰心はラディカルになりがちであることは、常に「神の摂理」に忠実でありたいと願ったクロムウェルを思い出させる。
 8.ナポレオンンは、上司に連れられて出席したサロンで出会った、年上で2人の子どもの母である未亡人ジョゼフィーヌに一目惚れして結婚する。婚姻届出に際して、妻は年齢を2歳若く申告し、夫ナポレオンは年齢を1歳多く申告したという(年上の妻というのはそれほど恥ずかしいことだったのか?)。教会の権力が衰えた革命後にあってはそのような年齢詐称の婚姻届出も可能だったらしい。

 人物のエピソード中心に記述されているため、時おり時間が前後して革命の流れに迷うこともあったが、バークを苦労して読んだ後では面白く読みやすい本だった。

 2022年2月14日 記