12月29日(金)午前5時、村上里和さんのラジオ深夜便が終わって、ウトウトしていたら、突然ラジオから大沢悠里の声が流れてきた。
たしかNHKラジオを聴いていたはずなのに、何でTBSが聞こえるのだろうと思って聞いていると、何と、NHKラジオの放送開始100周年記念「ラジオ放送100年 100人へのインタビュー」(題名は不確かだが、2025年が放送開始から100周年らしい)という番組で、その第1回(?)が大沢悠里だったのだ。
ラジオ放送に興味をもったきっかけは?とか、ラジオ放送で泣いたことはあるか?とか、ラジオ放送の未来は?とか、全員が共通のインタビュー項目に答える形式のようだった。大沢悠里は子どもの頃からアナウンサー志望で、NHKの宮田輝や高橋圭三の物まねをしていたと言っていた。
大沢は戦前の生まれだったが、昭和25年生まれのぼくにとって、子どもの頃に一番印象に残っているラジオは竹脇昌作の夕方の番組だった。日本信販の提供で “にっぽん しんぱんの クーポン ♪♪” というコマーシャル・ソングととともに、竹脇のあの独特の抑揚のない話し声がスピーカーから流れていた世田谷の玉電山下商店街の光景が浮かんでくる。“君知るや 君知るや~ オリエンタル・カレー ♪♪” というCMソングも懐かしいけど、オリエンタル・カレーは今でもあるのだろうか。
20分ほどで大沢悠里が終わると、第2回は何とニッポン放送の亀淵昭信だった。
亀淵はもともとディレクターとして入社したのが、後に深夜放送を担当するようになったという。一度休職してサンフランシスコの大学に留学したそうだ。それまで日本のラジオでは喋るのは「アナウンサー」だったが、彼の地では「パーソナリティー」と呼ばれていて、彼が、日本で「パーソナリティー」という呼び方を定着させたと言う。
キャリア最大の危機は、社長になってからのライブドアによる買収への対応だったという。ぼくの記憶では、たしかニッポン放送のほうがフジテレビの親会社で、ライブドアはフジテレビの乗っ取りを画策していたと記憶する。
さらに20分ほどで、今度は3番手で同じニッポン放送の斉藤安弘が登場した。
彼は記憶に残るリスナーとして「たかぎ・ひとみ」さんという視聴者の名前をあげていた。ぜんそくで若くして亡くなったその子の遺品の中にアンコ―さん宛てのリクエスト葉書が残っていて、お父さんが投函したのを読んで以来、そのお父さんと亡くなるまで交流がつづいたと言っていた。
アンコーさんは、ラジオの深夜放送の元祖は文化放送の土井まさるの「真夜中のリクエストコーナー」だと言っていた。ぼくもそう思う。ニッポン放送の「オールナイト・ニッポン」は、1972年までは局アナでやっていたが、その後タレントを使うようになったと言っていた。
ぼくが深夜放送を聞いていたのは、土井まさる(文化放送)、野沢那智・白石冬美(TBS)、カメ&アンコ―(+今仁哲夫)の頃で、歌手・タレントのパーソナリティーでは南こうせつ(&山田パンダ)、谷村新司(あの「天才、秀才、バカ」のころの谷村で、「昴」の谷村とは別人のような時代である)くらいまでである。
斎藤は、ビアフラで子供たちが飢え死にしているのに、日本ではコメが余っているという新聞記事を見て、自分の番組に投書などしなくていいから、ビアフラに米を送るように外務省に投書してくれと呼びかけたところ、外務省に投書が殺到し、結局5000トンの米が贈られることになったというエピソードを紹介していた。そんなこともあったのだ。
斎藤は、かつてどこかのラジオ会社の経営者が「ラジオはやがて消滅する媒体である」と言っていたが、決してそんなことはないと否定していた。ぼくも消滅するとしたら、ラジオよりもテレビのほうが先のような気がする。
年末の録画番組の垂れ流しをみるにつけ、その感を強くする。ただし、ドキュメントだけはテレビがいい。年末のNHK-BSでみた、「映像の世紀 ビートルズとロックンロール」で紹介された東欧(ポーランドだったか)での「ヘイジュード」の話はまったく知らなかった。
ぼくは大学の教師をしていたが、教師という職業は研究論文の審査によって採用されるが、仕事の主要部分は学生に対する講義である。少なくとも文系科目では、研究者は「物書き」だが、教師は「話し家」(「咄家」ではない!)である。「物書き」としての能力で採用された教師の中には、「話し家」としての才能がゼロに近いのもいる。500頁以上の教科書を一人で書きながら、授業では教壇の椅子に座ったまま90分間その教科書をただ棒読みするだけという教師もいた。
現役教師時代のぼくは学生による授業評価の点数が髙かったが、「物書き」のほうはともかく「話し家」としては及第点以上だったと自負している。子どもの頃の毎日曜日に見ていたテレビ番組「サンデー志ん朝」という古今亭志ん朝のトーク番組や、ラジオ深夜放送のパーソナリティーたちから「喋り」を学んでいたのだと今にしてと思う。
早朝からこんな番組を聞いていたので、二度寝して目が覚めたら9時半だった。今朝は今年最後の資源ゴミ出しの日だったので、慌てて起床してゴミを出した。
写真は現在ぼくが聴いているラジオ。オーム社製、スーパーバリューで1980円で買った。チューニングが難しくて、NHK第1すらなかなか同調しないうえに、FENより上の周波数はほとんど入らない。まさに「壊れかけのラジオ」である。
2023年12月29日 記