回想のCMソング
① 不二家 “トプシー”
さあ、目を閉じて
はい、眼を開けて
君のかわいい 手のひらに
金色の夢を のせてあげよう
おしゃれな 不二家トプシー
愛のよろこび 恋の甘さを
Golden Dreams トプシー
ボブ・マグラスが歌っていた不二家のトプシーというチョコレートのCMソング。ボブ・マグラスは一時“セサミ・ストリート”にも出ていた。見てくれは少しふけていたけれど、甘い声は昔のままだった。ぼくたちの子どものころは、不二家のミルキーでできた七五三の千歳飴もあった。やたら歯にへばりついた。
不二家はどうなってしまうのだろう。雪印と同じ運命をたどるのか、山崎パンの子会社になるのか。松たか子ファンとしては、山崎パンも悪くない。
前に書いたことのある紅梅キャラメルのほかにも、仁丹野球ガム(ロッテやハリスよりもチューインガムの枚数は1枚少ないかわりに、横長のチューインガムと同じ形と厚さをした野球選手カードが1枚入っていた)や、フルヤ・ウィンター・キャラメル(スキーのジャンプ選手がモノクロームで箱に描かれていたように思う。一度潰れてそれこそ雪印かどこかが引き継いだのではなかったか)、ワタナベのジュースの素(1袋5円)なんてのもあった。渡辺プロと関係あるのか?
② ヴィレッジ・シンガーズが歌うコカ・コーラの歌
風のなかで 君がつぶやく
小麦色した 夏の終わりを
コカ・コーラ
恋するふたりで
幸せの夢を 作ってあげよう
スカッとさわやか
コカ・コーラ
ちょっと歌詞の記憶はあやしいけど・・。ヴィレッジ・シンガーズだから1967、8年ころではないか。コカ・コーラやペプシ・コーラが普及し始めたころ、森永からもクラウン・コーラというのが出たけれど、たちまち撤退してしまった。ただし森永からは森永スパークという飲み物が出ていた。森永は“スパーク・ショー”という木崎義二や星加ルミコの出る音楽番組も提供していた。土曜日の午後だったと思う。ミッション・コーラなんてのもあった。
1959年か60年ころの軽井沢スケートセンターの“真夏の夜の夢”(渡辺プロ主催のショー)の入場者に無料で配られたコカ・コーラは、のちに日本で普及することになった甘ったるいコカ・コーラとはまったく別物の薬のような味で、小学生にはとても飲めなかった。
* 写真は、1983年のマクドナルドの“コークのまた来てキャンペーン”のカード。このクーポン券を持参するとコカ・コーラSサイズが1杯無料になったらしい。しっかり使ったらしく右下が切り取られている。
カードは“Screen in Fifties”というシリーズの1枚で、期間中8種類デビューすると書いてある。家にはこの1枚しかないけれど、「サンセット大通り」「アニーよ銃をとれ」「巴里のアメリカ人」「欲望という名の電車」「ローマの休日」「理由なき反抗」「慕情」「暴力教室」「お熱いのがお好き」の9タイトル(!?)が列挙してある。
2007/2/28
※ その後ネット上で、「クラウン・コーラ」「ミッション・コーラ」に関する情報があがっていることを知った。
「クラウン・コーラ」は正式には「ロイヤル・クラウン・コーラ」といい、全米で第3位の発売を誇る商品だった。日本では壽屋(後のサントリー)によって1962年から発売されたが、業界1位のコカコーラ、2位のペプシコーラに大きく水をあけられたため、1974年に撤退したようだ。
「クラウン・コーラ」が森永発売というのは誤りだった。商標が森永とよく似た王冠(クラウン)形だったので誤解したか誤って記憶したらしい(負け惜しみ)。
「ミッション・コーラ」のほうは驚くなかれ、国産のコーラで、コカコーラなどの輸入に先駆けて1953年(昭和28年)に販売が開始されたという(日本清涼飲料検査協会おHPによる)。
わが国でのコーラ飲料の生産が始められたのは、戦後の1952年(昭和27年)にウインコーラ、1953年(昭和28年)にミッションコーラ