平成20年2月7日。この日が、ボクにとって、記念すべき日となりました。ボクは、おいしいタンメンのお店を見つけた日を”タンメン記念日”とか、とても嬉しかった日を”なんとか記念日”にしていますが、昨日もこれに相当する日でした。
数日前の日記にも書きましたように、ボクの朝散歩コースはとても気に入っているのですが、富士山のみえる場所が一カ所もないということが、唯一の不満でした。それが、昨日の朝散歩で見つかったのです。
ボクは前日、いつもの朝散歩コースのお寺の周辺でまだ残る雪景色を堪能しましたので、この日も、まだ残雪の景色がみられだろうと、1週間に1度程度の割で向かう別の散歩コース、”丘の上公園”に向かいました。予想通り、丘の上にはまだうっすらと雪が被り、なかなかの雪景色でした。なだらかなスロープの雪景色をみながら、まるで富士山みたいだなと歩いていて、ふと西の方角に目をやりますと、・・・な、ななんと、富士山が。シンジラレナーイです。だって、ボクは3年近くもここを歩いてるのですから。
大規模マンションの棟と棟の間のわずかな隙間に富士山がちょっとかすみながらも、ちょっこと顔を(7,8合目ぐらいから頂上まで)出していたのです。ボクはしばらく佇み、みとれていました。そして、ボクの胸に嬉しさがこみ上げてきて、なんともいえない幸福感で胸がいっぱいになりました。
なんで3年間も、この地点を見逃していたのだろう。たしかに、数メートル先に歩みを進めると、もう見えなくなってしまう僅かな距離、つい目がゆく朝日とは反対の方角の、それに白いマンションの隣りで目立たない、加えて、富士山が見える天候の日は限られている、そんないくつもの障壁がボクの目から富士山をそらせていたのだろう。それが、富士山のみえる日に、この散歩コースをとり、その地点で、たまたま西側に振り向き、はじめて気づいたのです。幸運が重なったのです。本当に運が良かったです。お天道様に感謝です。とくに雪見に来たのですから、お雪さんに感謝です。富士山みたいだなと思わせた、お雪さんがボクを富士山の方に振り向かせてくれたのでしょう。ありがとう、お雪さん。
ボクは幼少年期から青年期までずっと、富士山のみえるところに住んでいた関係か、富士山がみえないところはちょっともの足らない感じがするのです。それが、この日で解消しました。もちろん、江ノ島モノレールや東海道線の下りに乗れば、すぐみられるのですが、朝散歩の途中でみられというのが、ボクにとってキワメテ重要なのでございます。
で、ボクはこの記念すべき重要な日を”富士見記念日”としたのでありんす。平成20年2月7日。絶対忘れないように語呂合わせもつくりました。”冨士大船”です。わかりますか、”冨士山を大船でみた”ですが、冨士(2)大船(027)となります。2は”ふたつ”の”ふ”、あるいは、不二の2でもいいです。0はオオ、7は”なな”です。
証拠写真です。ごらんのように不鮮明ですが、何とかわかるでしょうか。夕方の方がはっきりするでしょうから、機会があれば写真に撮って報告します。また、富士山を思わせる、丘の上の公園の残雪風景も載せておきます。順に、富士山の稜線と裾野の雪景色、それと、一度迷ったら戻ってこれないこわい”樹海”と富士五湖(ただの水たまりですが5個つながっていたので)です。
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そして、この記念すべき日の午後、ボクは、モノレールにのって江ノ島まで富士山をみに出掛けました。ところが、もう富士山は雲に隠れていました。しかたなく、ボクは一度入ってみたいと思っていた、江ノ島スパを訪ねてみました。オーシャンビュウーの温泉はとても気持ち良かったです。そして、その温泉の名前が、なななんと、”冨士海湯”でした。”富士見記念日”に”冨士海湯”につかる、なんという幸運でしょう。そして、幸運はまだ続きましたよ。帰りに、夕陽をみながら、新しくできた海に突き出た桟橋のプロムナードの先頭まで歩きましたが、夕陽が落ちて、桟橋を戻る途中、今まで雲に隠れていた富士山がひょっこり顔を出してくれたのです。
ボクの気持ちが通じたのでしょう。Thanks 富士山。
”富士見記念日”の1日でした。