気ままに

大船での気ままな生活日誌

プロバンスの贈り物?

2008-02-28 18:28:24 | Weblog
今朝の散歩で、新たな富士見の場所を見つけて、その関連の記事を書いたばかりですが、また今日の夕方、新たな、それも、じゃまの入らない、うつくしい富士山のみえる場所を見つけたのです。

近くの鎌倉芸術館で、ワイフと”プロバンスの贈り物”という映画をみた帰りのことです。ちょっと遠回りして、すでに確認している富士見の場所を通りながら、富士山を眺めながら、高台にある神社の境内に辿りつきました。そこの長い石段の途中の踊り場からもみえることは確認していたので、そこに向かおうとしたとき、ふと前方を見ると、なななんと、夕映えに浮かぶ富士山がくっきりと。その左には夕陽がちょうど沈むところでした。

これで、7番目の富士見の場所を見つけたことになります。わかってみると、なんでそんなこと、今まで気づかなかったんだろう、大発見をした科学者がよく口にする言葉です。ボクも同感です。たしかに、朝の冨士山より、夕映えの富士山の方がはっきりしていて、見つけやすいと思います。夕方この辺を散歩したことがなかったのです。

ですから、夕方、ここまで導いてくれたのは、映画”プロバンスの贈り物”のおかげといえます。まさに、ボクにとって、何よりもうれしい贈り物でした。メルシー、プロバンス。


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石の上にも三年?

2008-02-28 10:41:45 | Weblog
”石の上にも3年”ということわざがあります。冷たい石でも3年も座り続ければ暖かくなる、どんなつらいことでも3年頑張れば道が開けてくる、という意味をもっています。たしかに、3年という年月はそういう期間だなと現役時代に思うことがよくありました。たとえば5年計画ぐらいで、あるテーマの仕事を始めると、最初の3年ぐらいは、ああでもない、こうでもないの試行錯誤の時期が続きます(つらいというより、楽しい時期でもあるのですが)。それが、ある日突然、小さな発見があり、それをきっかけに、その後の2年間は続々成果が上がり、5年終了時にはニッコリできるのです。

何故、こんなことを言うかとゆうと、”なるほど3年だ”と思うことが最近、あったからです。ボクがこの地に越してきてから、そろそろ3年になろうとしていますが、ごく最近、ボクの朝散歩のコースで富士山のみえる場所を1ヶ所、偶然見つけることが出来ました。小躍りしたボクはその日を”富士見記念日”と名付けました。そして1週間も経たないうちに、第二、第三の富士見の場所を見つけました。これも小躍りして、ボクはその日を”第二富士見記念日”と命名しました。

そして、ボクはそれ以降も、まだあるはずだと、西の方角に眼をやりながら朝散歩を続けていましたら、高台住宅街の中央道路の一点、神社の長い石段の中途の踊り場にも富士見の場所を発見しました。そして今朝は、お寺の裏山の道なき道に入ってみましたら、そこからも、鉄塔が邪魔しない富士山をみることができたのです。

3年近く、ボクの朝散歩道はとても気に入っているけど、富士山がみえないのが唯一の欠点だと、ぶつぶつ言っていたのに、ここにきて一気に、合計6地点の富士見場所を発見してしまったのです。この状況は、現役時代の仕事とそっくりだなと思ったのでした。

新しい環境に入ると、ボクらの脳はきっと、パラボラアンテナのように回りの様子を調べはじめ、おおよその状況をインプットするのに3年ぐらいかかるのでしょうか。そして、パラボラアンテナが一仕事終えて、休憩に入る頃に、ボクらの何かが、別の世界をみるようになるのかもしれませんね。

・・・
お墓参りで、母がよく言っていました。お父さん(夫)が亡くなって、3年間は寂しくてしょうがなかったけど、3年経ったら、急にその寂しさが消えていったよ、と。失恋もそうですね(汗)。
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