志村立美の美人画展を、近くの鎌倉芸術館でやっていたので、2回ほど観にいった。ジークレー版画だが、原画と変わらない美しさで、おまけに無料だというので、2回も訪れたのだ(汗)。それに、志村の描く、美人が頬がふっくらした、ボクのタイプの美人であることもある(汗)。
この美人画家は、よく知らなかったが、横浜で幼少年期をすごしたとのことだ。お父さんが、野沢屋(この前、閉店した横浜松坂屋の前身)に勤めていて、本町小学校に通っていたのだそうだ。その関係で、この展覧会を主催している、ハナサキ画楼(誤字ではなく、この楼なのだ、なんとなく美人画の画廊としてはいいではないか)は、本町小学校の近くにある。
挿絵画家に詳しい方なら、よくご存じだろうが、岩田専太郎(ボクでも知っている)、小林秀垣と並ぶ、挿絵画家の三羽ガラスと言われたそうだ。丹下左膳や、”主婦の友”(なつかしい)の”人妻椿”の挿絵で有名だそうだ。ここでは写真が撮れないので、画集から撮った、挿絵をまずおみせする。
清方もそうだが、挿絵画家から美人画家に”転身”する。それも、晩年にである。光悦が晩年に茶碗をつくり始めたのと似ている。遊びの達人ともいわれ、狂言、新内、三味線、浪曲、小唄、尺八となんでもこなす。考証の鬼ともいわれ、背景などにも細心の注意を払うとのこと、これも清方に似ている。
とにかく、うっとりするような美人だ。松園は眉毛や口元が美しいが、立美のは、長いまつ毛がうつくしいと思った。ワイルドワンズの、想い出の渚の歌詞にもあるが、♪長いまつげの 大きな瞳が 僕を見つめて うるんでた このまま二人で 空の果てまで 飛んでゆきたい 夜だった♪ まあ、そんな感じなのだ(汗)。
大川端
河岸
そして、清方も同名の作品をもつ、”築地明石町”。夏から秋に移り行く、今の季節。帰る旦那を見送る寂しさ。黒縮緬の袖を頬に。
関東の絵描きには京女は描けない、逆に関西の絵描きは江戸前の粋な女は描けない、とも述べている。
こんな絵も。剣豪列伝集の表紙絵。バックに忠臣蔵、大石家の家紋、二つ巴が。
そして、72歳、亡くなる年にインドネシアのバリ島に行き、描いた”踊り子”。すごいですナ。そういえば、粋な美女ですね。
すっかり”志村美女”のフアンになってしまいました。そうそう、この絵も気に入っていたんだっけ。生まれは群馬だそうですが、高崎のだるま市でだるまを買ってきた美女。背中のだるまがかわゆい。ぼくも三鷹に住んでいた少年時代は深大寺のだるま市によく行ったけ。三鷹にはこんな美女はひとりもいなかった(爆)