世の中には、猫好きや犬好きが多いですね。ぼくが時々のぞく、みなさんのブログの中にも、まるで自分の子供みたいに、(あるいはそれ以上に)犬や猫をかわいがっている様子が綴られているものが多く、いつも、ほほえましく読ませてもらっています。
でも、あの名随筆家、内田百聞先生ほどの猫好きは、古今東西、どこを捜してもいないでしょうね。百聞先生は自分の家に居ついた野良猫を、飼い猫にしてかわいがっていました。名前はノラとつけましたが、イプセンの”人形の家”のノラからではなく、野良ネコだったからノラとつけたそうです。小あじの筒切り、鮨屋の握りの卵焼きやカステラが好きだったようです。
そのノラが3月28日から姿を見せなくなり、百聞先生の悲しみの日々が続きます。その日の日記。”ノラが昨日から帰らない。ノラのことが非常に気にかかり、もう帰らぬのではないかと思って、可哀そうで、一日中、涙が止まらず、やりかけた仕事の事も気にかかるが、まるで手につかない”
この日から、9月26日(ノラ失踪後184日)まで、ノラのことを綴る日記が続くのです。毎日のように、ノラのことを思い出しては、あふれる涙を抑えることができないと、書いているのです。この間、手をこまねいていたわけではありません。まず、床屋さんの店内に、そして新聞に、さらには小説新潮にと、賞金を出すので、ぜひ、こうゆう特徴の猫がいたらどうか知らせてください、という広告を何度も出しました。
うちの近くに、そっくりの野良猫がいるとか、道端に死んでる猫がいるが、良く似ているとか、いろいろな情報はありましたが、結局ノラは見つかりませんでした。
以上の経緯は、百聞先生の”ノラや”という随筆を最近読んで、紹介しているわけです。飼い猫の失踪の日記だけで、飽きさせず最後まで読ませる、さすが、我が国屈指の名随筆家ですね。
日記のほかに、このことを知った人からの、なぐさめの手紙も33通、紹介しています。その2番目に鎌倉市大町の人からの手紙を紹介しましょう。あの、芸術院会員の推挙を、いやだからいやだと断った、へそまがりの百先生が、こんなにも、やさしい心をもっているのだと、ぼくはカンドウしたのですが、大町の方も同じような感慨をもったようです。
”ノラちゃんはまだ帰ってまいりませんか?横須賀線の車中で小説新潮の”ノラや”を読み、涙が溢れ出てきて抑えるこができませんでした。”阿房(あほう)列車”から感じた百鬼園先生のアマノジャク、ツムジマガリの中に、あの様なやさしい情があるとは。何日も顔を洗わず、ノラのことばかり考えて、夜も眠れぬ時をすごしていられることを思うと、はやくノラちゃん帰っていらっしゃいと、叫ばずにはいられません”
愛猫家や愛犬家のみなさん、散歩中も、いつも目を離さないでくださいね。
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二度目のポスター ”今一度 迷い猫についてのお願い”
師の漱石先生の描いた猫
ノラちゃんはこんな猫だったのだろうか。
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ぼくは猫を飼っていませんが、猫は好きですよ。とくにお寺の野良ネコは、おさわりさせてくれので大好きです(汗)。また、百聞先生は、無目的にただひたすら電車(当時は汽車)に乗るのが好きだったそうです。ぼくもそうです。いろいろのことが落ち着いたら”あほう列車”に乗って、一週間ほど旅をしてくるかな(汗)。