気ままに

大船での気ままな生活日誌

聖地チベット/ポタラ宮と天空の至宝

2009-09-29 09:45:13 | Weblog


チベットは、”辺境の地”の代名詞に使われるが、たしかに、ヒマラヤ山脈等に囲まれて外界から閉ざされ、それも、富士山より高い、標高4000メートル高原地帯にあるというのだから、確かに辺境の地だ。ただ、その面積は、日本の約6倍もあるということを知り、驚いた。そして、この地に、こんなに華やかな、仏像や仏画等、チベット文化が華開いていることにも驚いてしまった。

チベットはもともと多神教だったとのことだ。それが7世紀に入って、何とかという人が、チベットを統一し(吐蕃王国)、お妃を唐とネパールから呼び寄せ、それがきかっけで仏教が入ってきたそうだ。その後、その国は衰退するのだが、また8世紀頃からインドから密教が入ってきて、いろいろ変遷はあるものの、現在まで続いているのだ。

上野の森美術館で開催されている”聖地チベット/ポタラ宮と天空の至宝”。ちらしのキャッチコピーは、”誰も知らない神秘のチベット、もうひとつの密教美術を上野で初公開”とある。たしかに、ぼく自身もほとんど知らなかった。チベットの国宝級のものが、多数、上野に勢ぞろいし、見ごたえのある展覧会であった。仏像、仏画は、17~18世紀作のものが多く、色もあせてなく、きらびやかな姿を魅せてくれる。いくつか、絵ハガキやポスターの写真を示し、その感想を述べてみたい。

このちらしを飾る仏像さん、”十一面千手千眼観音菩薩立像”。金色に輝いている。


千眼? どこに?アップしてみよう、ひとつひとつの手のひらに眼があるんよ。それで千手千眼なのだ。


そして、こんな色っぽい仏像さんが。緑ターラー立像。抜群のプロポーションと、身体をちょとひねってと、インド仏像の影響がよく分かる。松岡美術館の松岡翁はインド、ガンダーラの仏像の蒐集で有名だが、なぜかとの問いに”日本の仏像のように、抹香くさくないから好き”。松岡翁なら、どんなに高価でも買っただろう(笑)。


中でも一番、色っぽい仏像さんはこれだろう。”カーラチャクラ父母仏立像”。方便(慈悲)の象徴である父と空の知恵の象徴である母が抱き合う姿。これらが一体となることで、悟り世界に到達できる、との説明文。

アップすると。忿怒尊と明妃がくちづけ。下半身はお見せできない(爆)。おおらか、というか、あるがまま、ということだろう。ただ、寺院では衣を着せて、裸のお姿はおみせしないようだ(笑)。それにしても、お美しい明妃さまだ。それぞれのお顔の表情は、何度も観てもあきない。ほかにも父母仏立像があったが、これが一番だった。


タンカ(軸装仏画)もいいのがあった。チベット高原には、魔女が横たわり、災いを起こすという、言い伝えがあり、ソンツェンガンポ王が占いに従い、チベットの地形を魔女にみたて、魔女の手・足・肩・肘・膝・臀部の危険スポットに寺院を建てたという。この作品はそれをタンカとして表現したものだ。
”魔女仰臥図”


”グヒヤサマージャ坐像タンカ”鮮やかな朱色と紺色のコラボが絶妙。


”チャム装束” チャムとは、チベット仏教で行われる僧侶による仮面舞踏会で、こうゆう装束で、祈祷呪術を伴う密教儀礼を行うようだ。


こうゆう作品が、序章:吐蕃王国のチベット統一、第一章:仏教文化の受容と発展 第二章:チベット密教の精華、第三章:元・明・清との交流、第四章:チベットの暮らし、それぞれのコーナーにちりばめられている。めったにみられない数々のチベット至宝を目の当たりにして、ご機嫌な午後だった。



こうゆう文化はいつまでも続いてほしいものだ。大きな国の体制内では、民族の文化の多様性はどんどん失われてゆく。ウイグルもそうだが、チベットもひとつの国としてまとまるのが、適当だろう、とぼくは思う。

美術館を出て、上野公園内に、こんな芸術品もみられ、幸せだった。終章:リヤカーと空き缶との交流(爆)
コメント (1)
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