ぼくが美術展に足繁くかようようになったのは、気まま生活に入ってからのことだから、マリー・ローランサンを好ましく思うようになったのも、比較的最近のことである。今は閉館になってしまったが、鎌倉の大谷記念美術館での、所蔵品を中心とした”エコール・ド・パリの花と美女達”展でローランサンの描く美女たちをみてからのこと。ちょうど似たようなテーマの美術展が、本家本元のニューオータニ美術館で開催されているというのでみに行った。”マリー・ローランサンとその時代展/巴里に魅せられた画家たち”
この美術館もそう大きくないが、地方の小さな美術館のよりすぐりを、あるテーマの元に集め、展覧会を開催するという一環のものらしい。うまいことを考えたものだ。だから、マリー・ローランサンは、茅野市のマリー・ローランサン美術館、ルオーはパナソニック汐留ミュージアム、児島虎二郎は高梁市成羽美術館、三岸節子は一宮市三岸節子記念美術館、小磯良平は神戸市立小磯記念美術館、荻須高徳は稲沢市荻須記念美術館等からというふうに、当地に赴かなくても名品を鑑賞できるというわけだ。
マリー・ローランサンは約30点もあり、初期のものから晩年の作品まで通して鑑賞できるのがうれしい。ピカソ像(1908)がある。詩人アポリネールとの恋の仲立ちをしたのがピカソだそうである。その後、アポリネールはモナリザ盗難事件の容疑者になったりして、恋は終わる。1913年の”優雅な舞踏会あるいは田舎での舞踊”ではキュピスムの影響がみてとれるが、それ以降、次第にキュピちゃんから脱してゆく。1914年、ドイツ人男爵と結婚。第一次世界大戦に入り、亡命するなど、暗い生活を送り、実際、悲しげな絵ばかり描いていた。そして、もういやあたし、と1921年、離婚。繊細さを残しながら、明るい色彩の絵を描くようになり、これぞ、ローランサンという美女たちを量産する。ちらしの表紙になった絵”三人の若い女”は、60歳ころから10年かけて制作したものだという。若々しい絵だ。加えて、バレー劇”牡鹿”の舞台衣装のデザインもみることができる。ローランサンのミニ回顧展みたいで、とても楽しめた。
藤田嗣治の”仰臥裸婦”がいた。フジタの裸婦をみると、みなモンパルナスのキキにみえてしまう(笑)。大原美術館の絵画買付で有名な、児島虎二郎自身の作品がいくつも。”裸婦と椿”、モデルの肌のうつくしさとやわらかさ。佐伯祐三の”リュクサンブール公園”。マロニエの並木と歩く人々が踊っているよう。三岸節子。札幌で夫の美術館をみた(中には入らなかった、司馬遼太郎が評価するご夫婦)。前期は野獣派のような華やかな色彩。”室内”など。そして、50年代に入るとブラックを好むようになる。”アンダーソンの壺と小鳥”など。佐分真の”ブルターニュの女たち”。たくましい女たちの姿。小磯良平のバレリーナの絵など。
キスリングの”ハンモックの婦人”、モデルをしていて女流画家になってしまったジュザンヌ・ヴァラドンの”座る裸婦”、ドンゲンの”腰かける婦人”、加えて、ルオー、ヴラマンク、ユトリロ、ドランなど盛りだくさん。
ずいぶん楽しめた。次回が、またお楽しみの展覧会。忘れないように、おわりに、ちらしをつけておいた。
三人の若い女(ローランサン)
仰臥裸婦(藤田嗣治)
次回