気ままに

大船での気ままな生活日誌

昭和23年のロンドン五輪

2012-08-28 08:50:34 | Weblog
先週、ロンドン五輪のメダリスト凱旋が銀座で行われたばかりで、その余韻がまだ残っているが、今日は、ずっとむかしの、昭和23年ロンドン五輪に想いを馳せたい。

日曜日に、円覚寺の仏日庵で元NHKスポーツアナの羽佐間正雄さんと草野仁さんの講演会があった。五輪実況中継の面白い話がいっぱいで、それらをぜんぶ紹介していると、1日かかってしまうので(笑)、今回は、羽佐間さんの講演の冒頭に出た、昭和23年ロンドン五輪の話を紹介したい。ぼくも、その話はぼんやりとは知ってはいたが、ロンドン五輪のときだったのかとか、その他、細かいことはすっかり忘却の彼方にあった。

戦後まもない頃の五輪で、敗戦国、日本は招待はされていないし、第一、選手を派遣するような資金もない。その頃、図抜けた力をもつ、ふたりの水泳選手がいた。どうしても五輪に出たいとロンドンに手紙を出したが、プリンス・オブ・ウエールズ(英国自慢の戦艦)を撃沈した国から選手を呼ぶような資金はないと、断られる。

古橋広之進選手と橋爪四郎選手は、戦後の食糧不足で、炭水化物はイモでとり、タンパク質は、プールで飼ったカエルで補い、激しい練習を重ねていたのだ。五輪出場がかなわなくなり、不憫に思った、水連関係者が、五輪の水泳競技の時間に合わせて日本選手権を開催してくれた。

そのときの、1500メートル自由形。古橋、橋爪は、なんとロンドン五輪の金メダリストの記録を40秒も上回り、もし出場していたら、金と銀のメタルをもらうはずだった。これを伝え聞いた、ロンドン五輪関係者は、まだ日本では、正確な時計もつくられていないだろうし、ブールも短いのでは(爆)、と信用されなかった。

それならばと、翌、昭和24年8月16日、ふたりは、ロサンゼルスの全米水上選手権大会に出場する。その結果、二人は、3位以下を大きく引き離して、金銀独占。とくに古橋は、400m自由形で4分33秒3、800m自由形で9分35秒5、1500m自由形でも18分19秒0と、相次いで世界新記録を達成した。はじめ、JAP来たると、蔑んだ目で迎えていた米国の新聞も、コロリと変わって(笑)、こんどは賞賛の嵐。尊敬の意味を込めて”フジヤマのトビウオ”というニックネームまでつけてくれた。米国大衆も褒め称え、両選手のポッケにはチョコレートやお菓子がいっぱい詰め込まれたとか(爆)。このニュースを聞いて、日本中が沸き立ったことはいうまでもない。戦後の日本復活はこのときに始まったのでは、と羽佐間さんは語る。

そんな時代もあった。そのことを思えば、戦後二度目のロンドン五輪の選手たちは、そして応援するぼくらは、なんと幸せものか、と思う。

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羽佐間さんの一番思い出に残る五輪実況は、東京オリンピックの棒高跳び、夜中まで続いた9時間の死闘だそうだ。歴史に残る名放送となったが、先輩アナが、いいとこどりしようとやってきたが、跳ね返し、最後までひとりで実況したそうだ(爆)。甲子園の松山商業と三沢高校決勝戦の死闘も羽佐間アナだったから長時間実況と縁があるのだろう。

草野仁さんは、学生の頃、陸上100米競争で11秒台の記録をもち、相撲でも国体出場権を得た実力らしい。NHKに入ってからの、はじめての五輪放送はラジオの競泳で、モンゴメリーが、100の自由型で夢の50秒を切る(49秒99)世界新記録を出したときも担当したそうだ。

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会場の仏日庵。北条時宗・貞時・高時をおまつりしてある。この日は貞時公の御命日だった。



川端康成の”千羽鶴”の舞台になった茶室も、ここの境内に。



今朝、平成24年8月28日の朝焼け






松坂復活!大リーグ50勝目。


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