箱根のポーラ美術館で、”コレクター鈴木常司/美へのまなざし"展が開催されている。その第I期のテーマは、”ピカソとポーラ美術館の絵画”。
コレクター鈴木常司(1930~2000)って? ポーラの創業者の二代目です。23歳から経営を引き継いだ。40数年に渡り、集めたわ、集めたわ、なんと9,500点もの美術品。それも、西洋絵画、日本の洋画、近現代の日本画、東洋陶磁器、はたまた化粧道具などなど、非常に多岐にわたっている。何故、こういう蒐集となったのかが、わかるような展示構成になっていて、とても面白かった。鈴木常司の人生劇場、はじまりはじまり。
♪やると思えば どこまでやるさ それが男の 魂じゃないか 義理がすたれば この世は闇だ なまじとめるな 夜の雨♪
コレクションは、28歳のとき藤田嗣治の”誕生日”と荻須高徳の”バンバラ城”から始まり、70歳で亡くなる年に買った、ピカソの”花束を持つピエロに扮したパウロ”まで、とぎれることなく続いた。
はじめて買った作品。 藤田嗣治の”誕生日”。コレクター鈴木常司の誕生でもあった(笑)
ポーラが銀座から五反田に移った、1971年前後から本格的なコレクションが始まったらしい。アラフォーの頃。会社経営も順調に伸び、恐いものなし、よしやるぞ、と身も心も張り切っている時代。みんなもそうだったでしょう、あの頃は。野獣のように仕事して(笑)、フォーヴィスム(野獣派)やエコール・ド・パリの作家の作品をバンバン集めた。ユトリロ作品を特に好んだらしい。
それぞれのセクションで、鈴木の、これら絵に対する感想が添えられているのが、面白い。たとえば、第3節、ルオーとルドンのところでは、彼らの絵を観ていると勇気が湧いてくるんだよな、と周囲の人に語っていたらしい。新しい事業を始めるときなどに、ルオーとルドンがドンドン蒐集されたのだろう。
一方、岡鹿之介とルソーについては、これらの絵をみると、心が落ち着くんだよ、と言っている。これも社内外で問題があったときに、コレクションしたのかもしれない。岡鹿之介の”掘割”の静謐な感じをとくに好んだ。
そして、ポーラの目的は美女をつくること(笑)。というわけで、蒐集も女性美を表現したものも多い。”第5節 美の女神たち”にはお馴染みの名画がずらりと。ぼくがポーラで一番好きな作品、岡田三郎助の”あやめの衣”もここ。黒田清輝の”野辺”も。藤島武二、中村つね、梅原龍三郎の美女も。そして、ルノワール、ゴーガン、ボナール、マネの美女たちも。ピカソよりここの方が楽しめた(笑)。
岡田三郎助”あやめの衣
黒田清輝 ”野辺”
ルノワール ”レース帽子の少女”
マネ ”ベンチにて”
清少納言の枕草子 ”なにもなにも、ちいさきものはみなうつくし”。鈴木常司も小さきものを愛した。フジタ73歳の作、15センチ角の「小さな職人たち」シリーズ。子供たちがいろいろな職業に扮している絵。魚屋や歯医者、御者なども。フジタもこんな可愛い絵も描いていたんだ、とにっこり。ひとつだけ絵ハガキを買った。
風船売り
そして、お待ちかね、第7節のピカソ。19の絵画作品があるが、初期の時代から晩年まで揃っている。青の時代の”海辺の母子像”がお気に入りで、1980年代半ばに入手して以来、会長室に飾っていたとのこと。鈴木は仕事上の決断に迷った時、この絵と必ず向き合ったという。ちらしを飾るのも、母子像。絵の向こうに自分のお母さんがいたのだろう、と推測した。
海辺の母子像
そして、珠玉のコレクション。モネやセザンヌ。
モネ

セザンヌ
自分が午年なので、馬の絵もあつめた(笑)。青木繁がとくに好きだった。馬の親子の姿に人間以上の愛情を感じた。
そして、最後のコレクションとなる。
ピカソの”花束を持つピエロに扮したパウロ”
鈴木常司の人生を感じさせてくれる、とてもいい展覧会だった。
おわりに、展示構成をまとめておきます。
1)1958年/コレクションの始まり
2)初期の蒐集とユトリロ
3)絵画の照らす道 ルオーとルドン
4)心静まる絵画 岡鹿之介とルソー
5)美の女神たち
6)小さきものへの愛情
7)ピカソ ”海辺の母子像”
8)精しさと厳しさ 技法と構図
9)馬 坂本繁二郎から東洋陶器
10)2000年最後のコレクション
ポーラ美術館のヒメシャラ林も大好き。