おはようございます、
新宿御苑のハクモクレンが見頃を迎えた3月18日。ぼくはそのあと、渋谷に出て、ブンカムラで暁斎展を見てきた。暁斎は近年、脚光浴びている浮世絵師で、展覧会にもよく現れる。大々的なものとしては。2015年8月に三菱一号館の画鬼暁斎/幕末明治スター絵師と弟子コンドル展を見ている。
画鬼暁斎の紹介をちょとだけ。7才のとき、武者絵で一世を風靡していた国芳に弟子入りした。子供の頃からの絵好きで、かぞえで3歳のとき、はじめて写生し、その対象はカエルだったそうである。しかし、国芳の侠気と品行を心配した父が、間もなく狩野派の絵師に鞍替えさせた。こんなエピソードも残っている。9歳のとき、増水した神田川で男の生首をみつけると、一心に写生をしたそうである。まさに、画鬼暁斎は双葉より芳しだったのである。
今回の展覧会は、ハーバード大学で美術史を学び、ロンドンで画商の道を歩みはじめた、イスラエル・ゴールドマン氏のコレクションである。あるときゴールドマン氏はオークションで暁斎の半身達磨を入手した。その質の高さおどろいた彼は、その後、暁斎のコレクションをはじめる。
また、こんなエピソードもある。もともと画帖に描かれた小品、象とたぬきをニューヨークの画商から手に入れたが、転売してしまった。しかし、この作品が忘れられず、後日、顧客に返却してもらったという。序章にこの作品、そして、蛙、鯰、蟷螂、等、ほのぼのした動物絵が並ぶ。
第一章:万国飛/世界を飛び回った鴉たち カラスの絵が十数枚並ぶ。カラスもお好きだったようだ。こちらも、ほのぼの系。
烏瓜に二羽の鴉
第二章: 躍動するいのち ここも動物たちの世界。暁斎は鴉をはじめ、鷺、虎、象、狐、猫、鼠から蛙や昆虫までさまざまの動物を自由自在に描いた。ユーモアもいっぱい。蛙の放下師なども(笑)
動物の曲芸 動物を擬人化するのは、鳥獣戯画以来の手法、暁斎も好んでこの手法を用いた。
第三章;幕末明治/転換期のざわめきとにぎわい
明鏡和魂新板 名匠が作った名鏡が、あらゆる悪鬼羅刹を退散させるよいう図。退散する妖怪達は西洋文化を体現しており、明治期に日本へ怒涛のように流入してきた西洋文化への風刺画。
第4章;戯れる
鐘馗と鬼 神仏さえ滑稽にしてしまう暁斎だが、この絵は鐘馗さんあが真面目に(笑)、鬼退治をしている。
この章では鐘馗さまが何度となく登場する。そして春画のコーナー(笑う/人間と性)もある。明るく笑えるものばかり。
第5章;百鬼繚乱/異界への誘い
地獄大夫と一休 一休伝説に登場する、遊女、地獄大夫。三味線を弾く骸骨の頭上に一休を踊らせるちうなんとも楽しい絵。
百鬼夜行図屏風 よく描かれる画題だが、暁斎らしいユーモアにあふれている。
第6章;祈る/仏と神仙、先人への尊祟
達磨
おわりに、ちょっと長くなりますがゴールドマン氏からのメッセージをお伝えして終わりたいとおもいます。
「なぜ、あなたは暁斎を集めているのですか?」 2002年、東京の太田記念美術館で私のコレクションによる最初の暁斎展について議論しているとき、初めて出会った有名な北斎研究家の永田生慈氏が、私にこういう質問をしました。これまで、だれ一人、このような直接的な質問をした人はいませんでした。ためらいなく、私は本能的にこう答えました、「なぜなら暁斎は面白いからです。
私は暁斎を、その技術的な素晴らしさと人を魅了する力、感傷的でない動物の描写などで崇拝していましたが、何よりも彼の異様なほどのウィットとユーモアこそが、ほかの画家たちと彼との間に一線を画すことに気が付きました。
私は、ロンドンのオークションで誰もが見落としていた彼の傑作、豪勢にも僅か55ポンドで落札して以来、暁斎の作品をおよそ35年以上にわたって収集しています。同じころ、私は一匹の象が遊んでいる小さい作品も入手しました。翌日、私はその小品を著名なコレクターに売却してしまったのです。しかし翌朝早くに目を覚まして、何か極めて価値あるものを失ってしまったことを嘆きました。数年間にわたって懇願した末に、それを買い戻すことに成功しました。(暁斎が私を発見したのであって、逆ではないと信じることは、コレクターの虚栄であります。)
暁斎は収集するに値する素晴らしい芸術家であります。彼の作品は、スタイルにおいて、主題において、また技術において、ずば抜けた広がりを持っています。そして私は彼の代表的な作品を網羅するために、あらゆる努力をしました。今回の展覧会に展示されている作品の多くは、暁斎を愛する人々には良く知られているものですが、およそ80点は完全に新しい発見です。私はこのように暁斎に関する個人的な視点を表明する機会を与えられて、極めて有り難く思っています。
それでは、みなさん、今日も一日、たまには妖怪にでもなって、町を彷徨いましょう。お元気で!