気ままに

大船での気ままな生活日誌

妙本寺の海棠満開!八幡さまの段蔓の桜も満開

2017-04-12 22:02:42 | Weblog

こんばんわ、

いつもは、桜が満開になった後、海棠が追うように満開になろのだけれど、今年はほぼ同時に満開になった。それでは、妙本寺と段蔓のデビュー二年目の若桜の満開ぶりご覧ください。

妙本寺の山門は青モミジ

本堂(ほんとは祖師堂)前の両側の海棠が数本、満開になている。

向かって右側の垣根に囲まれた海棠は、小林秀雄と中原中也のゆかりの海棠の三代目。

小林秀雄の”中原中也の思い出”の中に出てくる海棠。
鎌倉比企ヶ谷妙本寺境内に、海棠の名木があった。こちらに来て、その花盛りを見て以来、私は毎年のお花見を欠かしたことがなかったが、先年枯死した。枯れたと聞いても、無残な切り株を見に行くまで、何だか信じられなかった。それほど前の年の満開は例年になくみごとなものであった。名木の名に恥じぬ堂々とした複雑な枝ぶりの、網の目のように細かく別れて行く梢の末々まで、極度の注意力をもってとでも言いたげに、繊細な花をつけられるだけつけていた。

中原と一緒に、花を眺めた時の情景が、鮮やかに思び出された。中原が鎌倉に移り住んだのは、死ぬ年の冬であつた。前年、子供をなくし、発狂状態に陥つた事を、私は知人から聞いてゐたが、どんな具合に恢復し、どんな事情で鎌倉に来るやうになつたか知らなかつた。久しく殆ど絶交状態にあつた彼は、突然現れたのである。晩春の暮方、二人は石に腰掛け、海棠の散るのを黙って見ていた、花びらは死んだような空気の中を、真っ直ぐ間断なく、落ちていた、樹影の地面は薄桃色にべっとりと染まっていた・・・その時、黙って見ていた中原が、突然、もういいよ、帰ろうよ、と言った(中原中也の思い出)  
そのあと、中也は、なんていうほどの海棠でなかったと、後に述べている。

若干、蕾を残し、一番の見頃。

隣りの海棠は縁もゆかりもないが、勢いがあり、花としてはこちらが上かも。

日蓮さまの前の桜もまだまだ鑑賞可能。また、今日は御本尊さまと衣を通して、握手ができる。

八幡宮の段蔓


二年目にしては、見事な咲きっぷりであった。

それでは、おやすみなさい。

いい夢を。

おんめさまで咲いていた、白タンポポと日本タンポポ)

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これぞ暁斎 ゴールドマン・コレクション

2017-04-12 10:48:49 | Weblog

 おはようございます、

新宿御苑のハクモクレンが見頃を迎えた3月18日。ぼくはそのあと、渋谷に出て、ブンカムラで暁斎展を見てきた。暁斎は近年、脚光浴びている浮世絵師で、展覧会にもよく現れる。大々的なものとしては。2015年8月に三菱一号館の画鬼暁斎/幕末明治スター絵師と弟子コンドル展を見ている。

画鬼暁斎の紹介をちょとだけ。7才のとき、武者絵で一世を風靡していた国芳に弟子入りした。子供の頃からの絵好きで、かぞえで3歳のとき、はじめて写生し、その対象はカエルだったそうである。しかし、国芳の侠気と品行を心配した父が、間もなく狩野派の絵師に鞍替えさせた。こんなエピソードも残っている。9歳のとき、増水した神田川で男の生首をみつけると、一心に写生をしたそうである。まさに、画鬼暁斎は双葉より芳しだったのである。

今回の展覧会は、ハーバード大学で美術史を学び、ロンドンで画商の道を歩みはじめた、イスラエル・ゴールドマン氏のコレクションである。あるときゴールドマン氏はオークションで暁斎の半身達磨を入手した。その質の高さおどろいた彼は、その後、暁斎のコレクションをはじめる。

また、こんなエピソードもある。もともと画帖に描かれた小品、象とたぬきをニューヨークの画商から手に入れたが、転売してしまった。しかし、この作品が忘れられず、後日、顧客に返却してもらったという。序章にこの作品、そして、蛙、鯰、蟷螂、等、ほのぼのした動物絵が並ぶ。

第一章:万国飛/世界を飛び回った鴉たち カラスの絵が十数枚並ぶ。カラスもお好きだったようだ。こちらも、ほのぼの系。

烏瓜に二羽の鴉

第二章: 躍動するいのち ここも動物たちの世界。暁斎は鴉をはじめ、鷺、虎、象、狐、猫、鼠から蛙や昆虫までさまざまの動物を自由自在に描いた。ユーモアもいっぱい。蛙の放下師なども(笑)

動物の曲芸 動物を擬人化するのは、鳥獣戯画以来の手法、暁斎も好んでこの手法を用いた。

第三章;幕末明治/転換期のざわめきとにぎわい

明鏡和魂新板 名匠が作った名鏡が、あらゆる悪鬼羅刹を退散させるよいう図。退散する妖怪達は西洋文化を体現しており、明治期に日本へ怒涛のように流入してきた西洋文化への風刺画。

第4章;戯れる

鐘馗と鬼 神仏さえ滑稽にしてしまう暁斎だが、この絵は鐘馗さんあが真面目に(笑)、鬼退治をしている。

この章では鐘馗さまが何度となく登場する。そして春画のコーナー(笑う/人間と性)もある。明るく笑えるものばかり。

第5章;百鬼繚乱/異界への誘い

地獄大夫と一休 一休伝説に登場する、遊女、地獄大夫。三味線を弾く骸骨の頭上に一休を踊らせるちうなんとも楽しい絵。

百鬼夜行図屏風 よく描かれる画題だが、暁斎らしいユーモアにあふれている。

第6章;祈る/仏と神仙、先人への尊祟

達磨

おわりに、ちょっと長くなりますがゴールドマン氏からのメッセージをお伝えして終わりたいとおもいます。

「なぜ、あなたは暁斎を集めているのですか?」 2002年、東京の太田記念美術館で私のコレクションによる最初の暁斎展について議論しているとき、初めて出会った有名な北斎研究家の永田生慈氏が、私にこういう質問をしました。これまで、だれ一人、このような直接的な質問をした人はいませんでした。ためらいなく、私は本能的にこう答えました、「なぜなら暁斎は面白いからです。

私は暁斎を、その技術的な素晴らしさと人を魅了する力、感傷的でない動物の描写などで崇拝していましたが、何よりも彼の異様なほどのウィットとユーモアこそが、ほかの画家たちと彼との間に一線を画すことに気が付きました。

私は、ロンドンのオークションで誰もが見落としていた彼の傑作、豪勢にも僅か55ポンドで落札して以来、暁斎の作品をおよそ35年以上にわたって収集しています。同じころ、私は一匹の象が遊んでいる小さい作品も入手しました。翌日、私はその小品を著名なコレクターに売却してしまったのです。しかし翌朝早くに目を覚まして、何か極めて価値あるものを失ってしまったことを嘆きました。数年間にわたって懇願した末に、それを買い戻すことに成功しました。(暁斎が私を発見したのであって、逆ではないと信じることは、コレクターの虚栄であります。)

暁斎は収集するに値する素晴らしい芸術家であります。彼の作品は、スタイルにおいて、主題において、また技術において、ずば抜けた広がりを持っています。そして私は彼の代表的な作品を網羅するために、あらゆる努力をしました。今回の展覧会に展示されている作品の多くは、暁斎を愛する人々には良く知られているものですが、およそ80点は完全に新しい発見です。私はこのように暁斎に関する個人的な視点を表明する機会を与えられて、極めて有り難く思っています。

それでは、みなさん、今日も一日、たまには妖怪にでもなって、町を彷徨いましょう。お元気で!

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