こんにちわ。
今朝、東の空いっぱいにきれいな朝焼けが拡がりました。
さて、今日の話題は時空を超えて、拓本の世界へ。東博の企画展、拓本のたのしみ/明清文人の世界へ
年末に三井記念美術館で応挙の国宝・雪松図を見に行ったときに、”拓本コレクターとその蒐集品”のコーナーがあり、10数点、展示されていた。それがまだ頭に残っていたせいか、東博に初もうでしたときに東洋館の”拓本のたのしみ”展につい入ってしまった。ぼくは書にはうといので、普通ならまず入ることはない。写真撮影もできたし、素人なりにまあ結構、楽しんだのでここに記録しておこうと思う。
まず、初めに驚いたのは、巨大な拓本と、その中に今朝の朝焼けのような朱色のもあり、度肝を抜かれた。
万安橋記 蔡襄 北宋時代_嘉祐4年(1059) 天下第一と讃えられる泉州万安橋の架橋経緯を刻した記念碑。蔡襄49歳の作で、尊敬する顔真卿の楷書を彷彿とさせる重厚で威風堂々たる字姿とのこと。原石の全形をとどめる。
大盂鼎 西周時代(前11世紀)銘文のある青銅器を拓本で表現したもの。
開通褒斜道刻石 後漢 66 摩崖碑、自然の岩肌に刻まれた雄大な書。
大型拓本の数々
大智禅師碑 史惟則 荘厳な淡くうつくしい拓調。
貴重な小品も。
定武蘭亭序(許彦先本)原跡:王羲之筆 東晋時代・永和9年(353)
定武蘭亭序(独狐本)原跡:王羲之筆、跋:趙孟頫他筆 東晋時代・永和9年(353) 奇跡的な伝来、定武蘭亭序の宋拓本
千福寺多宝塔碑 顔真卿筆 中国 唐時代・天宝11年(752) 長安の千福寺多宝塔の建立経緯を刻した石碑。顔真卿、44歳の作。
国学本蘭亭序 原跡 王義之 東晋時代 353 「国学本」と呼ばれる蘭亭序。明時代・万暦年間(1573-1620)に刻石が出土し、後に宮廷の国学(国子監)に移されたことから、この名で呼ばれる。損傷により不鮮明な箇所があるが、貴重な存在。
興福寺断碑 王義之 唐時代・開元9年(721) 長安の興福寺の僧、大雅が王義之の書から集字した石碑。
何とかまとめてみたが、頭には入っていない(汗)。ただ、今後、拓本展に出会ったときにこのページを振り返ることもあるだろうと思って記録した。
拓本のたのしみ―明清文人の世界―(以下、公式サイトより)
本展示は台東区立書道博物館との連携企画第22弾として、書の拓本(たくほん)に注目します。書の資料には青銅器(金)・石碑等(石)に施された金石(きんせき)文字や、肉筆による歴代の名筆があります。これらの複製である拓本には、前者の金石拓本や、後者の名筆を版に刻して拓本にとり編集した法帖(ほうじょう)があり、碑拓(ひたく)法帖とも総称されます。
唐時代(618~907)にはすでに碑拓が普及していたとみられ、宋時代(960~1279)には碑拓に加えて法帖の制作・鑑賞・研究が盛行しました。元(1271~1368)・明(1368~1644)を経て清(1616~1912)に至るまで、碑拓と法帖のいずれに重きを置くかは時代によって推移し、鑑賞・研究の水準は清時代に頂点に達したと言えます。
碑拓法帖を手習いした臨書(りんしょ)や模本(もほん)、鑑賞記録として書きつけられた題跋(だいばつ)や印記(いんき)等の資料は、伝来はもとより、碑拓法帖の鑑賞・研究の実体を物語ります。なかでも、書画家や収蔵家としても名を馳せた明・清時代の文人たちによるこれらの資料は、比較的多く残され、当時の状況を今に伝えています。
昨夕(1月5日)の月と金星のランデブー
お正月元旦以来接近してきたが、少し、離れはじめた。はやくもお別れか。
六日月。元旦の二日月から始まり、これでお月見5連勝。ぼくのブログ史上初(笑)。
では、また。
ハート型土偶(東博)