気ままに

大船での気ままな生活日誌

二条城展 えどはく

2012-08-24 10:45:39 | Weblog
京都の二条城は、築城以来(400年)の大修理が行われている。完了までは、なんと20年かかるという。その合間に、お部屋の襖や天井画をはずして、目の前に並べてくれるというのだからうれしい。そして、そのすべてが重要文化財というからすごい。

圧巻は、それらを集めた、第三章”寛永障壁画の輝き”。秀忠とお江の娘、和子(まさこ)が入内し後水尾天皇と共に、御所から二条城への行幸が行われた寛永時代。それに備え、大改修が行われた。そのインテリア部門を担当したのが狩野派画工集団で、そのリーダーが、狩野永徳の孫、20代前半の狩野探幽だった。二の丸御殿の遠待勅使の間、式台老中の間、大広間、黒書院そして白書院の、それぞれの襖絵がずらりと展示されている。竹林群虎図(豹らしきものは虎の雌と考えていたようだ)、青楓図(発芽時の赤色が青の楓になっていくさま)、檜図、蘆雁図、松鷹図、花龍図、菊図と、どれも金箔を背にし、豪華絢爛だ。ただ、寝室に使用したという白書院だけは、水墨を基調とした、堅苦しい一日がやっとおわった、ああゆっくり休みたい色調になっている。西湖図、それと、天井画の花卉図が展示されている。

それぞれの襖の絵もいいけれど、スクリーンで、二条城の各部屋をデジタル画像でみたときに、おおっと思った。やっぱり、襖は個々でみるより、部屋全体でみる方がさらに引き立つ。煌めきがちがう。で、ギフトショップでは、重そうな図録は買わず、京都新聞社センター発行の冊子”二条城”を買った。軽いし、御殿の各部屋の写真がたくさん載っている。京都には何度も行っているのに、こんなすばらしい二条城には行っていない。去年なんか、そのすぐそばのホテルに泊まったのに、祇園祭だけにうつつを抜かしていた。ああ、もう20年、観られないなんて。途中でぼやきを入れてしまったが、第三章ではプロジェクトチーム長の探幽の、名古屋城本丸御殿の襖絵や、狩野派の画家たちの作品も並んでいる。これらも見事。

二条城を含む洛中洛外図屏風も、創建時、大改築時のものなどが、三つほど、各章でみることができる。寛永の行幸の街中の行列を入れたものもあるし、祇園祭の山鉾巡行はいずれの屏風にも入っている。ぼくの酒の肴にお刺身が欠かせないように、洛中洛外図には祇園祭は欠かせないのだ

第一章”二条城再建”では鬼瓦と鯱瓦が迎えてくれた。そして、どんと一発、唐門欄干彫刻、”松竹梅に鶴と亀”。これ以上ない、おめでたずくしの大きな欄干。建物自体が国宝だから、これももちろん国宝だ。そして、この二条城建築の大工頭であった、中井正清の肖像画がある。中井氏所蔵とあったから子孫の方だろう。当時の設計図なども展示してあり、建築好きにはうれしい展示。

第二章”二条城大改築/東福門院和子の入内と寛永の行幸”ここでは美貌の東福門院像や秀忠、家光、後水尾天皇像のほか、東福門院入内図屏風(重文)も。建築関係の資料も展示されている。

寛永11年の三代将軍家光の上洛以来、なんと十代もの間、将軍は二条城を訪れなかった。229年振りに、ふらりと、ではなく緊張な面もちで入場したのが、14代将軍、家茂。幕末の動乱期であった。そして、十五代将軍、徳川慶喜により、大政奉還。ここ二条城で行われた。その後、明治に入ってからは、皇室のものとなり、離宮時代へと入るのである。これらが、第4,5,6章で、様々な絵画、写真、衣装、資料などの展示で紹介される。

大修理が済んだあと、ぜひ二条城を訪ねてみたいと思わせる、すばらしい展覧会だった。でも20年後だと、○○歳。でも10歳は若くみえるから大丈夫だろう


竹林群虎図


檜図


白書院の間の天井画花卉図


大広間、一の間


白書院の間


東福門院像


洛中洛外図


大政奉還


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処暑の日は、えどはくで涼む

2012-08-23 21:52:11 | Weblog
処暑の日というのに、暑い一日だった。でも、えどはく(江戸東京博物館)内は暑さが収まっていて、一日、涼んできた。えどはくには、たいてい、国技館で相撲をみる日に行くので、ゆっくりすごしたことは余りなかった。

今日は、お相撲はないし、外で散歩という気候でもないし、特別展”二条城展”を観たあとも、涼しい常設展を廻り、特別展示の”市民からのおくりもの(新所蔵品)2012”も楽しんだ。加えて、7階の図書室では、浮世絵の本や映像ライブララリーの映像を楽しんだりもした。結局、午後4時頃まで、えどはくで涼んでしまったことになる。

今回、ブログ夕刊記事(笑)として常設展の方だけ、ちょっぴり、紹介しようと思う。

”市民からのおくりもの”から

プロレスのポスター。力道山と柔道日本一の木村との格闘技日本一を決める対戦。あのときは、すごい人気だったなあ。結局、力道山がはじめの打ち合わせを守らず、いきなり空手チョップで、木村をうちのめしてしまったのだ。

ライトとの対戦。ああ、なつかしい。ルー・テーズ、シャープ兄弟、ブラッシー、デストロイヤー・・・ラーメン屋さんや大久保くんちのテレビでみたっけ。


終戦の日の朝日新聞。この日から、突然、平和主義に。


大正時代の郵便袋。親書をこれに入れて送ったら、受け取るかもしれない。すっかり幼稚園児になってしまった某国大統領。 


新吉原細見


雪月花三美人図 北馬 (北斎の弟子)


”常設展”から

北斎の晩年の住居 えどはくの近くに生まれ、93回引っ越した。晩年はここに戻った。資料から住居と北斎の仕事振りを再現した。世界の北斎もこんな生活をしていた。


三越呉服店のポスター


歌舞伎 ”助六”


楽しい処暑の一日だったでござんす。
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北斎の描いた阿弥陀ヶ瀧&長滝白山神社

2012-08-23 09:08:17 | Weblog
北斎展となると、必ず展示される”諸国滝巡り”。そのひとつが、”木曽路ノ奥 阿弥陀ヶ滝”。先日、その滝を観てきました。天から落ちてくるような滝。天文年間に法師が祈祷していると阿弥陀如来が現れたという伝説から、その名がつけられた。




北斎はこんな風に描いている。滝の中途から見上げた図。


70歳を過ぎてからの作(1833)だという。この頃、名作、富嶽三十六景も描いているから絶頂期なのだ。 八つの滝を巡った。歩いてだから、すごい馬力。ぼくらはバスの駐車場から2,30分、歩くだけでふーふー。ちなみに、あと七つの滝は”下野黒髪山きりふりの滝 ” ”東都葵ケ岡の滝” ”相州大山ろうべんの瀧” ”木曽海道小野ノ瀑布” ”美濃ノ国養老の滝” ”東海道坂ノ下清滝くわんおん” ”和州吉野義経馬洗滝”。これをきっかけに八滝全制覇を目指そうかな。でも虎の門付近の滝(葵ケ岡の滝)はもうない。


白山信仰の修験道(滝行)の地でもある。近くに山岳信仰の雄、白山神社が。白山の美濃側の登山口にある。長滝白山神社とも称され、日本各地に分布する白山神社の中心的な神社の一つ。当然、北斎も訪ねているはず。美人の神主さんの奥さまがいろいろ説明してくださった。実妹が鶴岡八幡宮におつとめとの方に嫁いでいるときいて、びっくり。





拝殿。1月6日の花奪い祭は、賑わうらしい。郡上おどりの元祖もここだったとのこと。




境内には、谷崎潤一郎が”細雪”を執筆した”欄柯亭”が移築されている。


自宅兼博物館の若宮修古館には宝物がいっぱい。ご主人も出てきて下さり、白山信仰についてのおもしろ講義をいただく。


鎌倉にも、今泉方面に白山神社があるので、また、訪ねてみよう。滝はあったかな、鎌倉には。あ、そうだ、白山神社の先の称名寺の境内に小さな滝があったけ。これとセットで歩いて来ようかな。 暑いのはしょうがないかな、残暑でザンショ。今日は二条城へ。京都でなくて、両国でやんす。
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裕次郎の赤いハンカチ

2012-08-22 10:48:59 | Weblog
鎌倉市川喜多記念館の企画展”石原裕次郎”もそろそろ終わりに近づいてきた。映画もあと2本残すだけとなり、昨日は”赤いハンカチ”だった。ぼくのカラオケおはこでもある(汗)、この歌のレコードは275万枚もの売り上げを達成し、映画は大ヒット曲のあとにつくられた。昭和39年の正月映画だったそうだ。

名作”第三の男”を意識した脚本で、麻薬ルートを追う二人の刑事(裕次郎と二谷英明)の容疑者射殺事件をきかっけに反転するふたりの人生と、容疑者の美貌の娘(浅丘るり子)との恋愛がからむムードアクション映画。

舞台は横浜。山下公園、ホテルニューグランド、埠頭など見慣れた風景が出てくるのがうれしい。エリート刑事を辞めさせられ、山奥のダム工事現場から4年振りに横浜に戻る裕次郎。どうも自分ははめられたらしい、と知る。ギター片手の流しで”赤いハンカチ”を歌いながら、横浜の歓楽街を探る。刑事時代に麻薬づけから救ってあげた寿司屋のおやじ(桂小金治)が捜査に協力してくれる。そして、重要な証拠をつかんだと息子(川地民夫)に告げた、その夜、何者かに殺される。

裕次郎の怒りが爆発。これぞ裕次郎の、痛快なアクションで、悪人ども蹴散らかす。そして、その元凶は、なんと浅丘るり子を妻にして、スーパーを経営し、豪邸に住む、二谷英明だった。結末はこれから見る人のために教えません。明日までやっていますので、どうぞおいでください。

裕次郎は、石坂洋次郎の文芸作品より、アクションの方が似合う。石原プロ時代の、黒部の太陽とか太平洋ひとりぼっちなどもいいね。

・・・・・
この日、得したことが。
なんと、”赤いハンカチ”のスチル写真を担当した井本俊康さんが上映前に特別出演。10分ほどお話しをしてくださった。

裕次郎作品だけで33本も、全部で380本の映画スチールを担当したとのこと。
スチル写真は、いってみれば、イメージピクチャー。”赤いハンカチ”のときは、歌詞の三番、”こころにのこるよ 切ない影が”からイメージしたそうだ。
雪国に生き続ける大木を背景に、裕次郎が大股で立ち、ギターを弾く姿のポスターが出来上がった。
会心の作で、三越の裕次郎展でもこれがちらしに使われたそうだ。

赤いハンカチ(作詞:萩原四郎、作曲:上原賢六)

アカシヤの 花の下で
あの娘がそっと 瞼を拭いた
赤いハンカチよ
怨みに濡れた 目がしらに
それでも涙は こぼれて落ちた

アカシヤの 花も散って
あの娘はどこか 俤(おもかげ)匂う
赤いハンカチよ
背広の胸に この俺の
こころに遺(のこ)るよ 切ない影が

・・・・・

井本俊康さんの作品。 かっこよく撮るのがぼくらの商売と、井本さん。








プライベートの写真も


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今朝の夏美人

2012-08-22 08:35:51 | Weblog
昨夕の夏美人に負けない、今朝の夏美人

全裸の富士山


初咲きの酔芙蓉 昼酒のほろ酔い姿(ピンク色)もうつくしい。


朝日に輝くねこじゃらし




いぬじゃらし(?)








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夏美人三題

2012-08-21 23:00:19 | Weblog
ベランダから南の空をみると、なんとも優雅な夕焼け雲


この雲とツーショットで撮りたかったが、ちょっと離れて、うるわしい夕月


昼間、みてきた”清方のまなざし/夏の美人”展






どれも、誰にも文句を言わせない、夏美人だった。
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マリー・ローランサンとその時代展 ニューオータニ美術館

2012-08-21 10:28:15 | Weblog
ぼくが美術展に足繁くかようようになったのは、気まま生活に入ってからのことだから、マリー・ローランサンを好ましく思うようになったのも、比較的最近のことである。今は閉館になってしまったが、鎌倉の大谷記念美術館での、所蔵品を中心とした”エコール・ド・パリの花と美女達”展でローランサンの描く美女たちをみてからのこと。ちょうど似たようなテーマの美術展が、本家本元のニューオータニ美術館で開催されているというのでみに行った。”マリー・ローランサンとその時代展/巴里に魅せられた画家たち”

この美術館もそう大きくないが、地方の小さな美術館のよりすぐりを、あるテーマの元に集め、展覧会を開催するという一環のものらしい。うまいことを考えたものだ。だから、マリー・ローランサンは、茅野市のマリー・ローランサン美術館、ルオーはパナソニック汐留ミュージアム、児島虎二郎は高梁市成羽美術館、三岸節子は一宮市三岸節子記念美術館、小磯良平は神戸市立小磯記念美術館、荻須高徳は稲沢市荻須記念美術館等からというふうに、当地に赴かなくても名品を鑑賞できるというわけだ。

マリー・ローランサンは約30点もあり、初期のものから晩年の作品まで通して鑑賞できるのがうれしい。ピカソ像(1908)がある。詩人アポリネールとの恋の仲立ちをしたのがピカソだそうである。その後、アポリネールはモナリザ盗難事件の容疑者になったりして、恋は終わる。1913年の”優雅な舞踏会あるいは田舎での舞踊”ではキュピスムの影響がみてとれるが、それ以降、次第にキュピちゃんから脱してゆく。1914年、ドイツ人男爵と結婚。第一次世界大戦に入り、亡命するなど、暗い生活を送り、実際、悲しげな絵ばかり描いていた。そして、もういやあたし、と1921年、離婚。繊細さを残しながら、明るい色彩の絵を描くようになり、これぞ、ローランサンという美女たちを量産する。ちらしの表紙になった絵”三人の若い女”は、60歳ころから10年かけて制作したものだという。若々しい絵だ。加えて、バレー劇”牡鹿”の舞台衣装のデザインもみることができる。ローランサンのミニ回顧展みたいで、とても楽しめた。

藤田嗣治の”仰臥裸婦”がいた。フジタの裸婦をみると、みなモンパルナスのキキにみえてしまう(笑)。大原美術館の絵画買付で有名な、児島虎二郎自身の作品がいくつも。”裸婦と椿”、モデルの肌のうつくしさとやわらかさ。佐伯祐三の”リュクサンブール公園”。マロニエの並木と歩く人々が踊っているよう。三岸節子。札幌で夫の美術館をみた(中には入らなかった、司馬遼太郎が評価するご夫婦)。前期は野獣派のような華やかな色彩。”室内”など。そして、50年代に入るとブラックを好むようになる。”アンダーソンの壺と小鳥”など。佐分真の”ブルターニュの女たち”。たくましい女たちの姿。小磯良平のバレリーナの絵など。

キスリングの”ハンモックの婦人”、モデルをしていて女流画家になってしまったジュザンヌ・ヴァラドンの”座る裸婦”、ドンゲンの”腰かける婦人”、加えて、ルオー、ヴラマンク、ユトリロ、ドランなど盛りだくさん。

ずいぶん楽しめた。次回が、またお楽しみの展覧会。忘れないように、おわりに、ちらしをつけておいた。

三人の若い女(ローランサン)


仰臥裸婦(藤田嗣治)








次回






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五輪メダリスト凱旋パレードを見る

2012-08-20 19:53:29 | Weblog
みなさんを代表して、五輪メダリストの銀座凱旋パレードをみてまいりました。老骨に鞭打って、熱狂50万人のひとりになったでごわす。

この日はちょうど、都内のホテルに泊まっていた。最寄駅の有楽町線、江戸川橋駅から銀座一丁目まで、20分程度で到着。凱旋パレードは11時、銀座一丁目を出発と聞いていた。まだ、1時間も前なのに、改札口はもう人でいっぱい。地上に出て、またびっくり。銀座通りの歩道は人で埋まっている。これは困った、どこでみるか。警備の人が、二階だてのオープンバスだから、遠くでも選手の姿をみえる、と言っていたので、銀座通り沿いは避け、スタート地点の交差する道路沿いを選んだ。まだ、そこには、それほど人がおらず、一番前に陣取ることができた。実際、ここで、十分、見学もできたし、何とか写真も撮ることができた。

以下、写真で紹介します。

1時間前、銀座通りはこの人出。

交差点を渡る

ここの歩道に陣取る。凱旋がはじまる頃には、こうして車道に人が入り込んできた。

警備陣が増強される。

空にはヘリコプターが。出発時間が迫ってくる。


わあー、歓声があがる。通常の背の低いオープンカーがやってくる。ここでは見えない。あとで知ったが、ここに旗手を務めたレスリング吉田選手が乗っていたそうだ。
そして、一台目の赤いオープンバスが。歓声が一段と大きくなる。二階だから、選手の姿がよくみえる。愛ちゃんも、石川ちゃんも、卓球三人組だ。

二台目には重量挙げの三宅選手の顔も。

三台目。おっ、野獣の目(爆)。柔道選手。そして、北島ら水泳選手。


そして、あの人、この人。感動をどうもありがとう。






2020年、東京開催ぜひお願い。その日まで生きるぞ!そして、また、銀座凱旋パレードに出掛けるぞ!!元気が湧いてきた。 


涼しいホテルでテレビ中継をみていたワイフからメール。熱中症大丈夫? でも、50人くらい救急車で運ばれたらしい。


一生、思い出に残る一日だった。この日、ヤンキースのイチローが二本塁打、黒田が12勝目をあげた。
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かるがも日誌

2012-08-20 05:34:09 | Weblog
ぼくが初めて、このカルガモ家族に出会ったのは、6月19日のことであった。大船フラワーセンターに向かう途中の柏尾川で、上流に向かうカルガモの一連隊を目撃した。一羽の親鴨のうしろを7羽の子鴨が必死に追っていた。そして、その20メートル位下流で、今度は親子のカルガモを二羽、みつけた。子鴨はいかにも、もうだめといった感じで泳ごうとしない。親鴨はいらいらしたように、羽をばたつかしていた。どうも、先をゆく家族の一員で、おそらく、お父さん鴨が、遅れた子供の面倒をみている図であった。だから、この家族は、この時点では、お父さん、お母さんの親鴨2羽と8羽の子供の、計10羽家族だった。

6月19日柏尾川

母親+子鴨7羽

父親+子鴨1羽


しばらく、この家族のことを忘れていたが、その1週間後(6月26日)に、砂押川で見つけたのだ。この川は柏尾川の支流で、大船駅の下をくぐり、ぼくの家の近くを通り、源流の今泉の鎌倉湖にまでのぼっていく。その砂押川の、駅にわりと近い場所で、また出会った。

6月26日 砂押川 母親+子鴨6羽、計7羽  


この段階で、母親グループの子鴨が一羽、行方不明。父親+子鴨1羽、計2羽も行方不明と判断された。その後、何度もその家族に砂押川で出会い、家族の動向を調査した。さて、どうなるか。最後にどんでん返しが待っていますので(笑)、最後まで読んでくださいね。


6月27日 砂押川 母親+子鴨6羽 変わらず


6月28日 夫婦鴨 (早朝、砂押川の松竹二号橋付近で発見;身体の大きさから夫婦鴨と推測。子鴨と離れて早朝ランデブーと思われる


そして、しばらく行方が分らなかったが、再発見。

7月7日 砂押川 母親+子鴨5羽  さらに、子鴨1羽行方不明


7月12日 砂押川 母親+子鴨5羽 前回と変わらず
 

7月13日 砂押川 母親+子鴨5羽 前回と変わらず
 

7月15日 砂押川 母親+子鴨5羽 この頃から子鴨が、親鴨と区別がつかないくらい大きくなってきている。
 

7月16日 砂押川 夫婦鴨 早朝ランデブー 


7月24日 砂押川 母親+子鴨5羽 確認 


7月26日 砂押川 3羽? どうしたのか。離れ離れ?


7月28日 砂押川で、なんと、9羽発見。すぐ近くに、 6羽+3羽 計9羽! ということは、6月19日の、初見の10羽家族より1羽少ないだけではないか。あの日の弱っていた子鴨だけが不明ということか。・・・・さらに、前向きに考えれば、父親鴨は、子育てには協力しないということらしいから、この9羽の中には父親は入っていない。すると、母親と子鴨8羽という可能性が強い・・・・ななななんと、子鴨は全員、元気に育ったことになる。





。。。。。

そして、8月12日ぼくが、初めてこの家族と出会った、柏尾川のちょうど同じ場所。
で4羽、もう少し離れたところに2羽のカルガモをみつけた。数は合わなくて、もう心配しない。二か月近くになると、みんな、親元を離れ、それぞれの生活するそうだから。



これで、ぼくの二か月近くに渡る、カルガモ日誌も終了することにしよう。


矢印がはじめて、そして最後にカルガモ一家をみつけた場所。
柏尾川の支流、砂押川は大船駅の下を通り、今泉方面に向かう。カルガモの子育ては、支流の入り口周辺で行われた模様。
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虹のみえた日 感動話

2012-08-19 09:08:23 | Weblog
土曜日の午後4時頃だっただろうか、北東の空に、大きな虹がかかっていた。久しぶりにみたので、ちょっとカンドーした。そういえば、この日はカンドーしたことが多かった。

午前中のぐずついたお天気も、午後になって晴れてきたので、外に出た。砂押川の桜並木は、蝉が八木重吉の詩のように鳴いている。いまないておかなければ、もうだめだというふうに鳴いている。そのとき、一匹の蝉がふらりと飛んできて、ぼくの身体にとまったようだ。でも姿はみえない。十歩ほど歩いた時に耳元でジジージジー(笑)とささやく(怒鳴られる?)。えっ、頭にでもとまったか、と頭の毛を手でくし上げると、鳴き声は止まった。でも、飛び立った様子はない。やっぱり、気のせいか、と思いながら、歩くと、またGGGGと。たしかに耳元だ。どこかにたかっている。もし、そうなら、こんな珍しいことはない、蝉を泣かしながら歩く色男の図だ。5分ほど歩くと桜並木が終わる。このままにしておいて、電車の中でも鳴かして、みんなを驚かすという手もあるが、それでは猿回しの猿のようで、かわいそうだ。で、立ち止まり、こんどは、首のうしろ辺りに気配を感じたので、そっと手をまわした。すると、一匹の蝉が飛び立った。おしっこをひっかけながら。やっぱりそうだったのだ。生まれて初めての経験にカンドー。

何故、ぼくにとまり、安心して鳴き続けたか。すぐに気づいた。この日のスタイルは、くすんだ緑色のTシャツで、桜の葉っぱ色だ。そして首の色は連日の外歩きで真っ黒。老木の桜の幹の色にそっくり。ぼくは歩く桜の木だったのだ

午前中の甲子園にもカンドー。家内の故郷、熊本代表の済々黌が、強豪、大阪桐蔭と対戦。50数年前、済々黌は甲子園で優勝している。それが自慢で、仲間が集まるといつも話題になるくらい熊本市民の誇りだ。実際、ぼくは熊本の居酒屋で目撃したことがある(笑)。ぼくの川崎市(武蔵小杉)も、元巨人の柴田投手(投手だったんですよ)を擁した法政二高が優勝している。やっぱりクラス会などでよく話題になる、50年も前のことなのに。四番はうちの中学を出たハタノだったよな、とか。先日、円覚寺の夏期講座で姜尚中先生のお話を聞いたが、熊本生まれの彼も少年時代、濟々黌の優勝に感動して、その後、あこがれの濟々黌に入学したそうだ。

何がカンドーしたかといえば、あの大応援団。スクールカラーの黄色で埋め尽くされた甲子園の一画。結局、負けてしまったが、勝者の大阪桐蔭の監督が、こちらが地元なのに、まるでアウェイで試合をしているようだった、といわしめた。さすが、濟々黌。全国から関係者があつまってきたのだろう。義弟ふたりが濟々黌なので、やっぱり応援に行ったそうです。のぼせもん。






甲子園


夕方は50年も前の懐かしの歌謡曲、”思い出のメロディー”で感動。

熊本出身の水前寺清子さん。男ならどんとやれ。女も。


68年のヒット曲。由紀さおりさん。なつかしいにゃー。


50年前、舟木一夫さんが、高校三年生でデビュー。ぼくらの同窓会歌。そろそろ、またミニクラス会だ。


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