京都の二条城は、築城以来(400年)の大修理が行われている。完了までは、なんと20年かかるという。その合間に、お部屋の襖や天井画をはずして、目の前に並べてくれるというのだからうれしい。そして、そのすべてが重要文化財というからすごい。
圧巻は、それらを集めた、第三章”寛永障壁画の輝き”。秀忠とお江の娘、和子(まさこ)が入内し後水尾天皇と共に、御所から二条城への行幸が行われた寛永時代。それに備え、大改修が行われた。そのインテリア部門を担当したのが狩野派画工集団で、そのリーダーが、狩野永徳の孫、20代前半の狩野探幽だった。二の丸御殿の遠待勅使の間、式台老中の間、大広間、黒書院そして白書院の、それぞれの襖絵がずらりと展示されている。竹林群虎図(豹らしきものは虎の雌と考えていたようだ)、青楓図(発芽時の赤色が青の楓になっていくさま)、檜図、蘆雁図、松鷹図、花龍図、菊図と、どれも金箔を背にし、豪華絢爛だ。ただ、寝室に使用したという白書院だけは、水墨を基調とした、堅苦しい一日がやっとおわった、ああゆっくり休みたい色調になっている。西湖図、それと、天井画の花卉図が展示されている。
それぞれの襖の絵もいいけれど、スクリーンで、二条城の各部屋をデジタル画像でみたときに、おおっと思った。やっぱり、襖は個々でみるより、部屋全体でみる方がさらに引き立つ。煌めきがちがう。で、ギフトショップでは、重そうな図録は買わず、京都新聞社センター発行の冊子”二条城”を買った。軽いし、御殿の各部屋の写真がたくさん載っている。京都には何度も行っているのに、こんなすばらしい二条城には行っていない。去年なんか、そのすぐそばのホテルに泊まったのに、祇園祭だけにうつつを抜かしていた。ああ、もう20年、観られないなんて。途中でぼやきを入れてしまったが、第三章ではプロジェクトチーム長の探幽の、名古屋城本丸御殿の襖絵や、狩野派の画家たちの作品も並んでいる。これらも見事。
二条城を含む洛中洛外図屏風も、創建時、大改築時のものなどが、三つほど、各章でみることができる。寛永の行幸の街中の行列を入れたものもあるし、祇園祭の山鉾巡行はいずれの屏風にも入っている。ぼくの酒の肴にお刺身が欠かせないように、洛中洛外図には祇園祭は欠かせないのだ。
第一章”二条城再建”では鬼瓦と鯱瓦が迎えてくれた。そして、どんと一発、唐門欄干彫刻、”松竹梅に鶴と亀”。これ以上ない、おめでたずくしの大きな欄干。建物自体が国宝だから、これももちろん国宝だ。そして、この二条城建築の大工頭であった、中井正清の肖像画がある。中井氏所蔵とあったから子孫の方だろう。当時の設計図なども展示してあり、建築好きにはうれしい展示。
第二章”二条城大改築/東福門院和子の入内と寛永の行幸”ここでは美貌の東福門院像や秀忠、家光、後水尾天皇像のほか、東福門院入内図屏風(重文)も。建築関係の資料も展示されている。
寛永11年の三代将軍家光の上洛以来、なんと十代もの間、将軍は二条城を訪れなかった。229年振りに、ふらりと、ではなく緊張な面もちで入場したのが、14代将軍、家茂。幕末の動乱期であった。そして、十五代将軍、徳川慶喜により、大政奉還。ここ二条城で行われた。その後、明治に入ってからは、皇室のものとなり、離宮時代へと入るのである。これらが、第4,5,6章で、様々な絵画、写真、衣装、資料などの展示で紹介される。
大修理が済んだあと、ぜひ二条城を訪ねてみたいと思わせる、すばらしい展覧会だった。でも20年後だと、○○歳。でも10歳は若くみえるから大丈夫だろう
竹林群虎図
檜図
白書院の間の天井画花卉図
大広間、一の間
白書院の間
東福門院像
洛中洛外図
大政奉還
圧巻は、それらを集めた、第三章”寛永障壁画の輝き”。秀忠とお江の娘、和子(まさこ)が入内し後水尾天皇と共に、御所から二条城への行幸が行われた寛永時代。それに備え、大改修が行われた。そのインテリア部門を担当したのが狩野派画工集団で、そのリーダーが、狩野永徳の孫、20代前半の狩野探幽だった。二の丸御殿の遠待勅使の間、式台老中の間、大広間、黒書院そして白書院の、それぞれの襖絵がずらりと展示されている。竹林群虎図(豹らしきものは虎の雌と考えていたようだ)、青楓図(発芽時の赤色が青の楓になっていくさま)、檜図、蘆雁図、松鷹図、花龍図、菊図と、どれも金箔を背にし、豪華絢爛だ。ただ、寝室に使用したという白書院だけは、水墨を基調とした、堅苦しい一日がやっとおわった、ああゆっくり休みたい色調になっている。西湖図、それと、天井画の花卉図が展示されている。
それぞれの襖の絵もいいけれど、スクリーンで、二条城の各部屋をデジタル画像でみたときに、おおっと思った。やっぱり、襖は個々でみるより、部屋全体でみる方がさらに引き立つ。煌めきがちがう。で、ギフトショップでは、重そうな図録は買わず、京都新聞社センター発行の冊子”二条城”を買った。軽いし、御殿の各部屋の写真がたくさん載っている。京都には何度も行っているのに、こんなすばらしい二条城には行っていない。去年なんか、そのすぐそばのホテルに泊まったのに、祇園祭だけにうつつを抜かしていた。ああ、もう20年、観られないなんて。途中でぼやきを入れてしまったが、第三章ではプロジェクトチーム長の探幽の、名古屋城本丸御殿の襖絵や、狩野派の画家たちの作品も並んでいる。これらも見事。
二条城を含む洛中洛外図屏風も、創建時、大改築時のものなどが、三つほど、各章でみることができる。寛永の行幸の街中の行列を入れたものもあるし、祇園祭の山鉾巡行はいずれの屏風にも入っている。ぼくの酒の肴にお刺身が欠かせないように、洛中洛外図には祇園祭は欠かせないのだ。
第一章”二条城再建”では鬼瓦と鯱瓦が迎えてくれた。そして、どんと一発、唐門欄干彫刻、”松竹梅に鶴と亀”。これ以上ない、おめでたずくしの大きな欄干。建物自体が国宝だから、これももちろん国宝だ。そして、この二条城建築の大工頭であった、中井正清の肖像画がある。中井氏所蔵とあったから子孫の方だろう。当時の設計図なども展示してあり、建築好きにはうれしい展示。
第二章”二条城大改築/東福門院和子の入内と寛永の行幸”ここでは美貌の東福門院像や秀忠、家光、後水尾天皇像のほか、東福門院入内図屏風(重文)も。建築関係の資料も展示されている。
寛永11年の三代将軍家光の上洛以来、なんと十代もの間、将軍は二条城を訪れなかった。229年振りに、ふらりと、ではなく緊張な面もちで入場したのが、14代将軍、家茂。幕末の動乱期であった。そして、十五代将軍、徳川慶喜により、大政奉還。ここ二条城で行われた。その後、明治に入ってからは、皇室のものとなり、離宮時代へと入るのである。これらが、第4,5,6章で、様々な絵画、写真、衣装、資料などの展示で紹介される。
大修理が済んだあと、ぜひ二条城を訪ねてみたいと思わせる、すばらしい展覧会だった。でも20年後だと、○○歳。でも10歳は若くみえるから大丈夫だろう
竹林群虎図
檜図
白書院の間の天井画花卉図
大広間、一の間
白書院の間
東福門院像
洛中洛外図
大政奉還