気ままに

大船での気ままな生活日誌

没後50年 鏑木清方展 

2022-05-08 18:50:30 | Weblog

こんばんわ。

今日は大相撲夏場所の初日。横綱・大関が次々破れるなど波乱のスタートだった。一方、竹橋の東京国立近代美術館(東近美)で開催されていた没後50年/鏑木清方展は今日(5月8日)が千秋楽。今日のブログはまだ1本も書いていないので、どちらかを取らねばならない。初日か千秋楽か、どちらかといえば、やはり千秋楽の清方展でしょうか。中日(なかび)頃に出かけているが、まだ記事にしていなかった。まだ中途半端でよく練れていないが、千秋楽に投稿することにした。

鏑木清方(1878-1972)は挿絵画家としてスタートしたが、文部省美術展覧会の開設(1907年)を契機に日本画に転向している。今回は、その日本画のみが109点も展示される大規模な回顧展である。ただ、展示期間がそれぞれ異なるため、お目当ての作品がみられないこともある。実際、そういう作品があったが、ここでは見たことにして(笑)載せておきたい。また、是非、本展に展示してもらいたかった作品も一部あった。会場は写真撮影禁止だが、ここでは、”マイ所蔵品(写真)”の中で調整した。

本展は次のように作品のテーマ別の展示構成になっている。以下、各章ごとに代表作品を載せていきたい。

第1章 生活をえがく
第2章 物語をえがく
第3章 小さくえがく

第1章 生活をえがく

本展の目玉はなんといっても、本章の、”築地明石町”(1927年)であろう。お相撲さんに例えれば横綱だ。そしてこれと合わせて三部作とされる”新富町”、”浜町河岸”の両大関が並んで展示されている。これらは44年間行方不明で、2018年に再発見され、東近美に購入された。そのお披露目展が2019年11月に開催され、ぼくは二日目に見に行って、感想文を書いている。また、12月にも二度目の鑑賞をしている。だから、今回、2年半ぶりの再会となる。

築地明石町(1927年)明治期に、外国人居留地があった築地明石町を舞台に立ち姿の美しい婦人を描いた。西洋風の巻き髪の婦人が秋風に思わず羽織の袖をかき合わせる。水色のペンキで塗られた柵は洋館を想像させる。初秋の朝顔、帆船のマストもほのかに描かれる。近代美人画の最高峰とされる。

新富町(1930)  新富町は花街だった。芸者さんの袖口から見える襦袢は紅葉と菊の模様なので、秋雨だろう。うしろの新富座の絵看板は仮名手本忠臣蔵とのこと。

浜町河岸 (1930) 稽古帰りの町娘が描かれる。付近に藤間流の大家が住んでいた。隅田川、火の見やぐら、右に新大橋がうすく描かれる。

三点そろって見られる。季節が少しづつ移ろい、女性も少しづつ娘さんから年増へ。

ためさるゝ日(1918)長崎丸山の遊女の、正月恒例の宗門改めの行事を題材として描いたもの。初期の弾圧が厳しい頃ではなく、年中行事化した後の長崎の丸山遊女の踏絵。馴染みの客から遊女たちに贈られる衣装は”踏絵衣装”と呼ばれ、次第にその艶を競うようになったようだ。第12回文展に向け、左右対幅の作品として描かれたが、途中で思い直して展覧会には左幅だけが出品された。左幅が公開されるのは1992年の展覧会以来、30年ぶり。左右あわせてのは公開は1982年の展覧会以来、40年ぶりとなる。ぼくは、右幅だけを鏑木清方記念美術館蔵で何度も見ている。

朝涼(1925) 長女、清子をモデルに描いた。蓮池のほとりをおさげ髪をさわりながら歩く少女。明け方に残る白い月が描かれている。清方記念館所蔵なので何度も見ている。

墨田河舟遊(1914)東近美所蔵。常設展のときに撮った写真。

雛市(1901)

明治風俗十二ヶ月(1935)四月のお花見、五月の菖蒲湯など各月の風俗が細かく描かれる。清方記念館のお正月展示に名押絵師・永井周山の”明治風俗十二ヶ月”を元にした押絵羽子板12枚が飾られる。

第2章 物語をえがく 

一葉女史の墓(1902)”たけくらべ”の美登利が、樋口家の墓にもたれる図。 美登利が持つ水仙の作り花は、小説の最終章で、恋しく思っていた信如が修行に発つ日の朝、格子に挿されていたもの。

幽霊(茶を献ずるお菊さん)(1906)2017年に94年振りに発見され、2019年に谷中の全生庵の幽霊展で初見している。清方26,7歳頃の作。全生庵は円朝のお墓もある。

三遊亭円朝像(1930)重文 円朝は自身の創作落語で人気を博していた。その速記本が四迷や逍遥に読まれ、彼らの文章体に影響を与えたという。円朝といえば、怪談噺で有名。幽霊図の蒐集家としても知られる。全生庵で毎年、幽霊展が行われる。師匠のお墓もここある。清方は父親の関係で子供の頃から可愛がってもらい、慕っていた。

曲亭馬琴(1907) 曲亭馬琴が失明した後に、息子の嫁・路に一字一句文字を教え、口述筆記により”南総里見八犬伝”を書き継いでいる場面。

遊女(1918)通夜物語(泉鏡花)の遊女の丁山がモデル。横浜美術館所蔵でよく見ている。

一葉(1940) 清方は実際に会ったことはないが、少年のころから憧れていて、”たけくらべ”や”にごりえ”は暗唱するほど愛読していたという。試しに描いた一葉図が、鏡花によく似ていると言われ、一葉の妹さんを参考にしながら、本格的に描いたのが”一葉”だ。芸大美術館所蔵。

kiyo1940.1.jpg

小説家と挿絵画家 鏡花文学を愛し、挿絵や口絵、装丁でその世界を描き出した清方が、若い頃の二人の姿を晩年に追想して描いた作品。木挽町にあった清方の住まいに鏡花が訪ねて来た時の様子を描いた。鏡花は生ものを食べないので、夏でも湯豆腐を出している(笑)。 

(特集2歌舞伎)

野崎村(1914)国立劇場所蔵。大坂の質屋油屋の娘お染と丁稚の久松の禁断の恋。この絵は、二世市川松蔦のお染と六世市川門之助のお常を描いたもの。

薄雪(1917) 近松門左衛門の世話物浄瑠璃”冥途の飛脚”に取材した作品で、心中前に最後の抱擁をする梅川と忠兵衛を描いたものだ。福富コレクション。福富自身もこの絵が一番好きで、最後の入院中の病室に飾っていた。福富コレクションの”刺青の女”がここに入っていなかったのが残念。

道成寺鷺娘(1929)大谷コレクション

第3章 小さくえがく

にごりえ(1934)

註文帖(1927)

朝夕安居(1948) 明治20年頃の東京下町の人々の暮らしを描いた。ぼくは、清方の作品の中では、美人画では”築地明石町”、風俗画ではこの”朝夕安居”が一番好き。朝、昼、夕1,2とあるが、4点を全公開します。 

朝、その1。新聞配達をする少年。道を掃き清める奉公の娘さん。煮豆屋の車を呼び止めるおかみさん

昼。百日紅の木陰で一服する風鈴屋さん。ちりんちりんと涼やかな音が聞こえてきそう

夕方、その2。むぎゆ(麦茶のこと)、さくらゆを楽しむ人々。夏の夕方、涼み台を並べ、むぎゆやさくらゆを売るお店がかってあったようだ。

夕方、その1。娘さんが行水で汗を流している。手前の女性はランプの掃除をしているのだろうか。

公式サイトから。浮世絵系の挿絵画家からスタートした清方は、その出自を常に意識しながら、晩年に至るまで、庶民の暮らしや文学、芸能のなかに作品の主題を求め続けました。本展覧会では、そうした清方の関心の「変わらなさ」に注目し、いくつかのテーマに分けて作品を並列的に紹介してゆきます。関東大震災と太平洋戦争を経て、人々の生活も心情も変わっていくなか、あえて不変を貫いた清方の信念と作品は、震災を経験しコロナ禍にあえぐいまの私たちに強く響くことでしょう

とても素晴らしい展覧会でした。

なお、東京展は今日、5月8日で閉幕しますが、5月27日より7月10日まで京都国立近代美術館で再開するようです。京都まで出かけるかも。

では、おやすみなさい。

いい夢を。


大船フラワーセンターの今日の薔薇園

 

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安養院政子どのの大紫つつじ

2022-05-07 21:16:33 | Weblog

こんばんわ。

鎌倉駅から歩いて15分ほどの安養院の大紫躑躅は、季節には必ず訪れる。ここの躑躅はなかなか見頃の適期を計るのが難しく、もう遅いかなと思う頃がちょうどいい。はやる気持ちを抑え、満を持してようやく今日、出掛けた。その甲斐があった。

お寺の垣根の大紫躑躅が見頃になっていた。カメラを向けたら、ちょうど観光人力車がやってきた。

その先の山門周辺の躑躅もばっちり。

この山門前の躑躅がいつも一番遅く、ほかは満開でもまだ五分咲き程度ということが多いのだ。今回は満開になってくれていた。

つつじは年季が入っている。老いてますます盛んなり。

山門

境内にも大紫躑躅が何株も。

樹齢750年の槙の木が中心に。

由緒ある古木で鎌倉市の天然記念物である。

さて本堂奥へ。本堂のガラス戸にもツツジが咲く。

この奥に、今をときめく政子どのの墓がある。ここの大紫つつじはもう終盤に入っていた。

大河ドラマの政子どのはまだこれから。娘の大姫の婿さんになるはずだった木曽義高が殺害されることになり、悲しむ政子どのと大姫。

死して政子の法名は安養院政子となる。政子どのの法名がお寺の名前になった。

”鎌倉殿の十三人”の応援の故か、今年の安養院政子どのの大紫つつじはことのほかよく咲いた。

では、おやすみなさい。

いい夢を。


安養院からの帰り道のカラー。源氏の白旗のよう。

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上野公園 立夏の風景

2022-05-06 10:58:24 | Weblog

こんにちわ。

5月5日が立夏であったが、まさに夏が来たという陽気であった。上野公園に着いた時にはもうシャツは脱ぎ、Tシャツ姿になった。一日、上野で遊んだが、立夏の上野公園の風景を気ままに載せてみた。

国立西洋美術館のロダンの彫刻

モデルも考える人

カレーの市民と小さな市民

地獄の門を覗く人々

新緑の股覗き

噴水広場のイベント

上野の森親子ブックフェスタが行われていた。ここでは、サツキ展、陶磁器展、国内、国外の祭典等が行われるが、ブックフェスタは初めて見るかもしれない。60もの出版社等が合計4万冊もの児童書、絵本を販売している。結構、科学本があったのにはおどろいた。

化学同人も児童書を。

上野の森も今日は日陰が人気。

旧東京音楽学校奏楽堂

東京芸大の旧門

芸大美術館に入る。コレクション展。

黒田清輝記念館

今日はGWだし、開いているかと思った特別展示室は閉まっていた。一般展示室では清輝の奥さんの絵があった。

奥さんをモデルにした”湖畔”は特別室にある。

黒田清輝の自画像も。

銅像も良く似ている。

清輝の師匠、コランの裸婦。

清輝の名作、”野辺”の画稿。

本絵は箱根のポーラ美術館にある。

東博の躑躅とユリノキの花(再出場)

東博のシンボルツリー、ユリノキ。

東博のシンボル、見返り美人図(菱川師宣

現在、国宝室に展示されている。「未来の国宝 ― 東京国立博物館 書画の逸品」シリーズの第1弾です。現在は重文でもないが、切手になったり、東博のポスターになったり大活躍。5月8日まで展示。運が良かった。

いつ行っても、上野の森は一日、楽しめる。

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大谷翔平 フェンウェーパークで投打、躍動 歴史的3勝目 

2022-05-06 09:00:14 | Weblog

おはようございます。

大谷翔平があのベーブルースが投げて打ったボストンのフェンウェーパークに投打二刀流で初登板。見事に今季最長の7回を投げ切り、6安打無失点、無四球で11三振を奪い、今季3勝目を挙げた。

この試合は日本時間の午前2時半頃からはじまったので、生中継はないだろうと勝手に判断して、夜中にトイレに起きた時にスマホで試合経過をチェックしていた。まず、3回まで0対0だった。大谷は初回で崩れることがあるので、まずまずと。その後は、気になって、よく眠れず、ときどき、チェック。6回まで0がつづく。このままじゃ、勝ち投手になれないかもと心配したら、7回表でウォルシュがツーランで勝ち越し。よし、7回裏、大谷がゼロに抑えれば、勝ち投手だ。もう5時頃だったので、ここで本格的に起きて、スポーツナビで追っていく。ふと、ひょっとしたらと、BS1をかけてみる。なんと、生中継をやっているではないか。そして、場面は、ニ死走者一塁でバッターは1番、ストーリー。ここは全投球、見た。結局、これが大谷の今日の最後の対戦になった。力が入る、大谷。カウント3-2から豪速球。空振り三振最高の場面をテレビ画像で見ることが出来た。

雄たけびをあげる大谷!解説の小早川さんが思わず、サイヤング賞だ!と口走った(笑)。これは、ぼくが常々言っていることだが(汗)、この調子ならいくぞ!加えて、最多勝も。今季は投手で羽ばたきたい。

このあと、エンゼルスは大量点を上げ、勝利。大谷に3勝目がついた。

ただの3勝目ではない。歴史的なもの。大リーグ最古の球場として知られるフェンウェーパークで、先発投手が4番までの上位打線に名を連ねるのは、ルース以来103年ぶりとのこと。

それも7回、無失点、11K、無四死球の快投。打ってはグリーンモンスター直撃など2安打1打点。フェンウェーパークで投打で躍動した。明日から西海岸に戻っての試合。お昼前のちょうどいい時間に観戦できる。 

いつも、監督のコメントや現地の反響を聞くのが楽しみだが、まだ出てきていない。歴史的快挙に大騒ぎになるだろう。

。。。。。

大谷選手へのぼくからの贈り物は、昨日の上野の東博の花々。

円形二刀流。表慶館ドームと大紫躑躅

大リーグのシンボルスター選手、大谷選手へ。東博のシンボルツリー、ユリノキの花。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

追記:再放送でも見たが、緊迫する投手戦で、とても面白い試合だった。味方の守備に助けられた部分もあるが、全体的にみて、今季、最高のピッチングだった。次の登板が楽しみ。

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木曽塚の鯉のぼり

2022-05-05 09:47:41 | Weblog

今朝の散歩は常楽寺の裏山の木曽塚に向かった。定年退職後すぐ、こちらに越してきてから17年になるが、はじめの頃の朝散歩道コースはこの方面で、偶然、木曽塚を見つけたときはびっくりしたものだ。木曽義仲の嫡子、義高のお墓(木曽塚)がこんな身近な場所にある、さすが歴史の街だと感心した。

大河ドラマ、”鎌倉殿の13人”で、染五郎演じる義高が前回、殺害されたことをふと思い出し、朝散歩の足がそちらに向かったのだ。

頼朝が平家討伐の旗を上げると同時に木曽義仲も挙兵する。源氏の主導権争いで二人は対立する。そこで、和解のため、実質の人質として、義仲の嫡子、義高(11歳)が、頼朝と政子の子、大姫(5,6歳)のいいなずけとして鎌倉へ送られる。その後、二人は兄妹のように仲良く暮らしていた。しかし、翌年、頼朝は義経らに攻めさせ、近江の粟津で義仲は殺される。そのあと、復讐を恐れた頼朝は義高の殺害を計画する。それを知った政子は義高を逃すが、入間川で追っ手に殺害される。大姫はその日以来、病気がちとなり、二十歳の若さで病死する。

木曽義高を染五郎が演じる。

頼朝に義高の命だけは助けてと、懇願する大姫。

常楽寺の裏山のうしろは住宅街になっているが、坂道を登ったところに小さな公園があり、その公園から裏山に入ることができる。そこが裏山の頂点に当たるところのようで、そこに義高のお墓がある。横に鯉のぼりがたっている。今日は折しも五月五日。なお、毎年5月のゴールデンウィーク期間中に入間川の河川敷には、義高の供養と子供たちの健康と成長を祈念して鯉のぼりが飾られるそうだ。

時代が下がって江戸初期に、常楽寺の南西に”木曾免”という名の水田(木曾義高の供養のための費用を出す水田だから、雑税は免除になっている田という意味)から枯骨の入った青磁の瓶が見つかり、それが今の木曾塚に移された、ということだ。

少し降りた山道に大姫の墓が。

大姫の墓。北条泰時の娘の墓との説もあるが、死後、義高と一緒にさせてあげたいという庶民の気持ちでしょうか。

常楽寺は、北条泰時が夫人の母の追善供養のためにここに寺院(粟船御堂)を建てた。粟船御堂は常楽寺と名前を改めているが、泰時の没後、その法名(常楽院殿観阿)をとってつけられた。泰時のお墓は仏殿の裏にある。泰時は大河ドラマの主役、北条義時の嫡男である。現在、赤ちゃんとして出演中。

常楽寺山門

散歩道に咲く住宅街の花々。

カルミアも蕾を膨らませている。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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義経藤&弁慶藤 澤村vs.大谷 四日月

2022-05-04 21:22:10 | Weblog

こんばんわ。

義経を祀る藤沢市の白旗神社の白藤が満開になっています。義経藤と名付けられています。

斜向かいに弁慶藤。こちらは、藤色のフジ。

振り向くと、広場には五月の薫風を受けて、鯉のぼりが。

折しも牛若祭り。

沖縄エイサー

白旗神社にお参り

石段の踊り場に”源義経公陳霊碑”が。

祭神は寒川比古命、源義経公。創建年代は不明だが、相模国一ノ宮寒川神社を歓請した。文治5年(1189)、義経の首実検の跡、怨霊に苦しめられた源頼朝が、首塚からほど近い亀尾山に社を建てたのが始まりともいわれている。現在の社殿は天保6年(1835)に落成し、昭和56年に(1981)に社殿の腐朽により大改修が行われた。典型的な流権現造り。

ここから歩いて5分くらいのところに、義経首洗い井戸がある。

義経は兄頼朝に鎌倉を追われ奥州平泉に逃げていましたが、文治5年(1189)藤沢泰衡は亡父秀衡がかくまっていた義経を攻め、ついに衣川で義経を自刃させました。平泉から鎌倉に送られてきた義経の首は、首実検の後に片瀬の浜に捨てられたといわれています。潮にのって境川をさかのぼり白旗神社付近に漂着した義経の首を里人がすくいあげ、この井戸で洗い清めたということです。一説によれば、鎌倉に入る前に首実検に備えて化粧を施したとも、また、夜間に鎌倉方面から、首が目を見開いて亀の背に乗り飛んできたとも伝えられます。(ふじさわ宿交流館)

”鎌倉殿の13人”では、今、義経(菅田将暉)は絶頂期。一の谷の戦い(鵯越)を制し、いよいよ、来週は、平家を滅亡させる壇ノ浦の戦いだ。しかし、その後、頼朝に疎まれ、義経の最期はこのように哀れなことになる。

澤村vs.大谷

大谷翔平が怪我をして、あわや長期離脱で年寄りの楽しみが奪われるかと心配させたが、今朝、三番DHでスタメン出場ということで一安心。もう、今日は出場してくれるだけで十分と思っていたが、二打席目にヒット。おまけに、9回最終打席にレッドソックスの澤村と対決という豪華なサービス。

この対戦、結局、澤村が大谷を92マイル(約148キロ)のスプリットで空振り三振に仕留め、勝利。澤村はいずれ上原のようにクローザーになるのではと解説者。がんばってほしい。今季、エンゼルス対レッドソックスのリーグチャンピオンシップシリーズで両者の夢の対戦が実現するかもしれない。

空振り三振!(いつもは大谷の三振でがっかりするが、今日はよくやった澤田!)

四日月

今夕は、四日月&夕富士としたいところだったが、撮影直前に富士山(左下、わずかに残る影)が消えてしまった。

四日月。5月1日が新月だったので数えやすい。昨日が三日月で、今日は四日月。

では、おやすみなさい。

いい夢を。

 

 

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風薫る五月 なんじゃもんじゃ&ハクウンボク 三日月と夕富士

2022-05-03 21:42:01 | Weblog

こんばんわ。

風薫る五月。円覚寺のナンジャモンジャとハクウンボクが見頃になっていました。

松嶺院のナンジャモンジャ

塀の外から。

境内の坂道から見上げる。

近くで。雲のように、あるいは雪のように。

見頃です!

もう一本は、仏殿のうしろに。

白雲木は方丈の前。

今日は国宝舎利殿も公開されていた。

国宝舎利殿:室町時代中期(15世紀)頃の建築物、日本最古の唐様(禅宗様)建築物。サワラ木葺の屋根は日本建築にはない急勾配なものであるが、これが禅宗様の特色とのこと。屋根の四方が反り上がりは、元・尼寺の仏殿らしい女性的なつくり。

真民さんの詩も、五月の詩。

夕空は五月の三日月と夕富士。

すがすがしい風薫る五月の一日だった。

では、おやすみなさい。

いい夢を。


花手水(ナンジャモンジャとフジの花)

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浄智寺の初夏 白雲木と大紫躑躅

2022-05-03 09:27:04 | Weblog

おはようございます。

先日、東御苑の本丸広場でハクウンボクがもう咲いていたので、浄智寺に出向いた。ここには、本堂の先の平和塔傍に立つ大将格のほか、書院の庭園に二本、それと、門の外の駐車場脇のと計、4本もある。これだけ揃えているところは鎌倉にはほかにない。せいぜい、一本で、ぼくが確認しているところでは、長谷寺、円覚寺、極楽寺くらいである。昨年は浄智寺のハクウンボクは見事な咲きっぷりで、大豊作だったが、今年はどうか。

北鎌倉駅から5,6分も歩くと、浄智寺で、甘露の井を手前に惣門、そしてそこから鐘楼門へつづく石段が目の前に現れる。思いのほか躑躅がまだきれいだ。

大紫躑躅がちょうど見頃になっている。いつもハクウンボクの頃は終盤になっていたように思う。額に”寶所在近”の文字。寶は遠くまで探しに行かなくても、目の前にある、ということか。

ツツジが惣門を囲んでいる。

惣門から石段へ登る前に広い駐車場がある。

そこに一本、ハクウンボクが立っている。躑躅の隣りの木。

見上げると、まずまずの出来、お米でいえば平年作(笑)。これなら、境内の大将格のも大丈夫だろうと一安心。

では、石段を登ろう。

途中でヤマツツジらしき一本。東御苑ではおわっていたが。

そして、鐘楼門をくぐり、本堂にお参りして、大将格のハクウンボクに。

ありゃありゃ。なんてこった。花房はいくもない。去年、あれだけの大豊作だったのに、凶作といって良い。やっと、まばらに咲いている枝を写真に撮った。最近、豊作は一年おきのようだ、この木も年をとり、精力を温存しているのだろう。よしよし、来年、またお願いしますよ。

去年の大豊作↓

この書院の庭の両端にあるハクウンボクも不作であった。結局、惣門近くの1本だけであった。

布袋様にご挨拶。4本中1本ならいいじゃないか、ほかのお寺は一本勝負だよ、と慰められた。

手前の東慶寺ではナニワイバラが満開であった。お目当ての燕子花はみつからなかった。

大谷、今朝は代打で出場。怪我の状態も良いようで、ほっと一安心。でも無理しないで。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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東御苑の小さなバラ園

2022-05-02 10:02:05 | Weblog

おはようございます。

東御苑の二の丸雑木林の金蘭と銀蘭をみた後は、本丸御殿のあった辺りにある小さなバラ園へ。華やかな現代バラの原種となったような古典的バラが。

東御苑のバラ園 うしろの建物が富士見多聞。松の廊下はその左側辺り。刃傷にござる。

モッコウバラ 

中国南部を原産とするバラ科の蔓性植物。古典的な蔓薔薇の一つで、一般家庭でフェンス、アーチ、生垣などに使われる。日本へ渡来したのは江戸時代中期。モッコウは中国名「木香花」の音読みで、キク科のモッコウに香りが似ることによる。白花が原種で、黄花に比べると開花はやや遅く花数も少ない。黄花をキモッコウと呼んで区別することも。(”庭木図鑑 植木ペディア”より、以下同様)

ナニワイバラ 中国を原産とする原種バラの一つ。日本へ渡来したのは宝永年間(1704~11年)で、浪速商人が流通を担ったためナニワイバラと名付けられたとされる。古くから観賞用に栽培されるが、紀伊半島の南部、四国及び九州の山地では野生化したものが見られる。

サクラバナ 日本を原産とする野バラの一種。沖縄を除く日本各地に分布するノイバラと、中国の雲南省や四川省に分布するコウシンバラが自然に交配してできたと考えられている。

コウシンバラ 中国西部を原産とするバラの一種。年に数回咲く四季咲きの性質があり、これを「庚申」に擬えて命名された。日本には平安時代に渡来し 藤原定家の「名月記」にその名が見られるほど古くから庭で栽培される。近現代の様々なバラを作出した重要な原種であり、バラの園芸品種に四季咲きの性質を導入したとされる。現代ではあまり話題にならないバラだが、西洋薔薇が普及する前はモッコウバラやナニワイバラと共に愛好されていた。

サンショウバラ 神奈川、静岡、山梨の富士山付近にのみ自生するバラの原種。バラとしては太くたくましく育ち、園芸用に販売されているが、自生地では絶滅が危惧される。名所は富士山付近の不老山にある「サンショウバラの丘」。葉の形や幹枝にあるトゲが山椒に似るとしてサンショウバラと名付けられた。

ハマナス 北海道から山陰地方(鳥取まで)の海岸沿いに自生するバラ科の低木。寒冷地に使える貴重な花木として特に北海道で普及している。同地の原生花園で令和天皇が本種を特に愛でたことにちなみ、雅子皇后の御印となっている。

マイカイ ハマナスよりも濃い赤紫色の八重咲き品種。花には芳香がある。株元から数本の主幹が立ち上がり自立する。脇枝を良く伸ばし枝先は枝垂れ気味になる。庭木としてもおもしろい存在。

この近くには姫ウツギが真っ盛り。

富士見櫓の方の林にはタニウツギが満開。

富士見櫓 明暦の大火で焼失したが、すぐ再建され天守の代用にされた。

大番所の脇には花の名を知らない人でも知っている花が。この花の名知ってる?シラン。(当たり)

三の丸尚蔵館の新築棟が立ち上がってきた。令和6年7月31日完了予定。パリ五輪と同じ年。60代のときの目標は東京五輪まで元気でいたい、だった。無事、通過し、今はパリ五輪とここが目標。

三階建ての豪華な美術館になりそう。

今の三の丸尚蔵館はそれまで休館。

令和6年、オープン記念の展覧会は何が出るか。ぼくの予想。若冲の動植綵絵と春日権現験記絵巻。

春日権現験記絵巻。とくに巻第19の雪の御笠山と春日奥山(1309)。世界史上最古の雪景色絵画といわれる。

これを見るまでは、元気でいないと。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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金蘭と銀蘭 東御苑の雑木林に咲く

2022-05-01 10:50:05 | Weblog

おはようございます。

昨日、早朝から大谷選手の豪快な4号ホームランが出たので、いい気分で皇居東御苑に出掛けた。そろそろ、二の丸雑木林で金蘭と銀蘭が咲いているはず。

広い雑木林の中を探すのが楽しみ。小さな花で、また群生しているわけではないので、簡単には見つからない。はじめ小さな蕾をもつ銀蘭を見つけ、よし、これなら必ず、他にもと目をきょろきょろ。そのうち、数株、並んでいる銀蘭を発見。よしと、先ずパチリ。

近くに比較的大きな株が。

同好の士の行動も参考になる。

ここにも銀蘭が。

金蘭はなかなか見つからない。おっ!いた。小さな株だが可愛い蕾をつけている。

よし、これだけでも、ここへ来たかいがある。気が楽になり(笑)、ゆっくりと新緑の雑木林の中を探し歩いた。この雑木林は、昭和天皇の発案で武蔵野林(雑木林)をここに再現しようと造成されたもの。ぼくの少年時代の遊び場はまさに武蔵野雑木林だったので、ここに入ると、少年時代に戻ったみたいな気になる。時間がたつのを忘れる。

そのうち、つぎつぎと金蘭がみつかってきた。

雑木林の中には、フタリシズカ(二人静)とアマドコロが時々顔を出して楽しませてくれた。

フタリシズカ(二人静)

アマドコロ。鳴子百合とよく似ている。

二ノ丸池の向こうの丘にはシャガの群生。ちょっと盛りが過ぎたのか、すかすかだったが。

白藤は見頃だったが、東御苑ご自慢の躑躅とヤマツツジがおわっていたのは残念だった。来年こそ、見逃さないぞ。やはり、4月には二度、来なければ。今年はここを見てがまん。次回は6,7月の花菖蒲と山百合の頃。これも見頃時期が異なるので二度、来なければ。

でも、東御苑の”築地明石町”(貴婦人)に出逢えたので文句はいえない。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

コメント (4)
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