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【cinema】『それでも恋するバルセロナ』(試写会)

2009-07-01 02:54:48 | cinema
'09.06.24 『それでも恋するバルセロナ』(試写会)@ユナイテッドシネマ豊洲

これ見たかった! yaplogで当選。いつもありがとうございます。今回はららぽーと豊洲内にあるユナイテッドシネマ豊洲での試写会。稼動しているシネコンなので設備が充実。音響もいいし座席も見やすい。しかも今回の会場、シアター4には2人掛けのプレミアシートが2席あって、けっこうギリギリだったのに1席空いていた! 広々して足伸ばし放題。小さなテーブルもあるので飲み物なんかも置けて快適。

「バルセロナにバカンスにやってきたヴィッキーとクリスティーナは親友どうし。真面目で保守的なヴィキーと、情熱的で奔放なクリスティーナは、画家のファン・アントニオに惹かれる。婚約者のいるヴィッキーは躊躇し、クリスティーナは突き進む。そこへファン・アントニオの元妻マリア・エレーナが現れる・・・」という話。おもしろかった! けっこう毒のあるオシャレ映画。ウッディ・アレン監督の作品は実はそんなに見ていない。正直に言うと"オシャレ映画"って感じがちょっと食わず嫌いだったところもある。見てみたいと思ったのは、最近アレン作品の常連といった感じのスカーレット・ヨハンソンと、この作品の演技でアカデミー助演女優賞を受賞したペネロペ・クルスの競演が見たかったから。ファン・アントニオがハビエル・バルデムなのも理由の1つ。

ヴィッキーとクリスティーナがバルセロナに到着し、タクシーで市内へ向かうシーンから始まる。2人のこれから始まるバカンスへの期待感が、見ている側の映画への期待感と重なってワクワクする。そこにナレーションが入り2人の人となりを紹介していく。しかもわりと容赦ない感じ(笑) このオープニングは好き。2人は共に少なからず芸術的な活動をしていて、芸術に憧れを抱いている。保守的なヴィッキーはガウディーに関する論文を書き、奔放なクリスティーナは短編映画を撮影したものの、まだ自分のやりたい事が定まっていない様子。2人の年齢設定が何歳なのか不明だけど、流行のアラサーかと思われる。知人の家に間借りしてのバカンスのようだけど、美術界に顔が利くらしい知人宅がなんとも豪華。普段2人がどんな生活ぶりなのか知らないけれど、こんなバカンスで自分探しとは羨ましい限り(笑) そんなコチラの思いを代弁するかのようにナレーションが「異邦人気取りのクリスティーナ」などと辛口。ウッディ・アレン監督の目線はここなのかなと思ったりする。

2人が恋する相手はハビエル・バルデム扮する画家ファン・アントニオ。画家のパーティーで彼を見かけたクリスティーナは興味津々。セレブっぽい知人の女性は彼を見下している様子。彼女の態度から彼に対し警戒するヴィッキー。2人のこの反応が対照的で面白い。どちらに共感するかは人によってそれぞれ違うと思う。少し前の自分なら完全にヴィッキーだと思うけど、今ならクリスティーナの大胆さもないと"何か"は始まらないかもしれないと思ったりもする。そして2人はこんな感じのままファン・アントニオの強引なセクシーアプローチ(笑)を受けてオビエドへ向かうことに。

オビエドでヴィッキーとって大事件が起きる。まぁ、何が起きるのかって言われても1つしかないので、分かりきったことではあるし、口の上手い芸術家とオビエドの美しさに酔いしれたヴィッキーが、ああなることは不思議なことじゃない。問題は彼女の中でその出来事をどう処理するかっていうこと。それがこの映画を通してのヴィッキーのテーマ。保守的な彼女は安定を望み、そういう意味では理想の夫となりそうな男性と婚約した。着々と自分の道を歩んでいると思っているけれど、一見正反対のクリスティーナと親友であるということは、やっぱり自分にないものを持っている彼女に対する憧れがあるわけで、もちろんそれは逆もまた然り。そして、彼女にしては大冒険することになる。その事自体を大冒険と見るか、たいしたことないと思うかは、これもまたそれぞれかと思うけど、個人的にはまぁそんなに大冒険ではないかなと・・・(笑) でも、彼女がその思い出で頭が一杯になっちゃう気持ちは分かる。その出来事のおかげで自分の人生が色あせて見えることも理解できる。でも、彼女が恋だと思っているそれは、本当に恋だったのか・・・。いろいろなスペシャルに酔っただけのような気もする。でも、この場合は恋だと思っておいた方が幸せなんだと思う。だって結局、こんな大胆でロマンチックな恋をした私がスペシャルだったわけで、本当に好きなのはそこだし。

クリスティーナはオビエドで失敗。結果ヴィッキー大冒険をアシストしてしまうけれど、そんな事くらいではくじけない。バルセロナに戻ると早速ファン・アントニオの家に引っ越してしまう。2人はいつまで滞在する予定なんだろうとか、お金はどうなっているのかとかは考えちゃダメなんでしょう(笑) 思う存分恋愛を堪能している時、元妻マリア・エレーナが現れる。お金も行くあてもない彼女は同居することになる。芸術的才能があり激しくエキセントリックな性格のマリア・エレーナ。そんな人物じゃなくても元妻との同居なんてあり得ないと思うけど、意外なことに3人の生活は足りないピースがはまったかのように上手く行く。多分、自我の強いファン・アントニオとマリア・エレーナの過剰な感情とか感受性の受け皿がクリスティーナなんだと思う。クリスティーナは「望まないものはわかるけど、望むものはわからない」という女性。要するに"自分"がない。ヴィッキーのように「こうあるべき」がない分自由ではあるけれど、自分の中に確固たる何かがあって奔放なのとも違う。だからこそ自分の感情のままに恋にまい進できるんだと思う。恋してる時ってやっぱり楽しい。特に恋愛初期は一緒にいるだけで楽しくて、自分が相手にとって特別な存在なんだって事がうれしくて仕方がない。だから"自分"を持っていないと思っている彼女は恋愛に走るのかも。そこまで意識しているわけではないと思うけれど・・・。だけど彼女は自己主張をすることになる。多分、受け皿が一杯になったんだと思う。

ファン・アントニオのような人物によく映画の主人公達は惹かれているけれど、個人的には好みのタイプではない。多分それは自分の中の保守的な部分が「やめとけ!」って言ってるからだと思うけど(笑) 確かに気になる存在だと思う。それはすごく分かる。だから食事中にチラチラ見てしまうクリスティーナの気持ちは分かる。でも、いくら自信満々で遊び慣れた男だからといって、初対面でいきなり小旅行に誘い、その目的がセックスだと言われてついて行っちゃうのはどうなんだろう(笑) でも、結局彼も満たされない何かがあって、それを埋めるために女性と関係を持ってしまうのかなと思ったりする。元妻のマリア・エレーナが前にもアメリカ人の旅行客の女性と浮気をした事があると言っていたとおり、実際は誰かと人生を歩もうという気持ちはないのかも。1度結婚してるからポリシーというわけではないと思うし、本人も気付いていない気がするけれど・・・。要するに彼も自分探しをしているわけで、自信がないので誰かに認めて欲しくて、それには恋愛が手っ取り早いので、それに走るのかも。旅行客とそうなるのは深い関係にならずに済むからって気もする。だからヴィッキーじゃなくてクリスティーナを選んだんだと思う。ヴィッキーだとちゃんとしないといけないから。すごくズルイ! 彼の気持ちを分析して理解することはできても、認める気にはならない。芸術家ってそういう部分がないとダメなのかもしれないけど、それもステレオタイプ過ぎる気もするし、結局言い訳だよなと思ったりする。

この作品の中で1番感情移入しにくいのはマリア・エレーナだと思う。芸術に関する才能にあふれていて、絵も描くし、写真の才能もある、被写体としても素晴らしい。でも、その才能を持て余し、それがさらに自分の性格をもコントロールできずにいる感じ。最初に画面に現れた時にはヒステリックな女だと思ったけれど、この映画の登場人物の中で、実は誰よりも"自分"を持っている。そして自分が何者であるのか分かっている。でも、その"自分"を扱い兼ねている。才能とか感情って何らかの形で吐き出してこそ、誰かに理解されるわけで、その吐き出し方が独創的過ぎる彼女の作品は受入れられにくいのかもしれない。でも、クリスティーナに写真を教えたり、モデルになったりすることで、それを上手く表現できたのかもしれない。芸術家と言ったって、誰かが良いと思ってくれなければ自称芸術家なわけで、彼女の激しい性格やファン・アントニオのプレイボーイぶりの言い訳っていうか、分かりやすくするために芸術家にしているけれど、言いたい事は人はみな誰かに認めて欲しいんだってことなんじゃないかと思う。認めてもらうのは何も教えてもらう側だけじゃない。教える側だって、自分の言うことを吸収して上達してくれれば、それは自分を認めてもらえたことになるんじゃないだろうか。戻ってきたばかりの彼女は情緒不安定っぽかったけれど、クリスティーナに写真を手ほどきしている内に、落ち着いてきたのはそのためかもしれない。"自分"がないことで満たされないクリスティーナと、"自分"を持て余しているマリア・エレーナは正反対だからピタリとはまったのかも。

一見、ヴィッキーとクリスティーナの芸術家への憧れが、ファン・アントニオへの恋に形が変わって、彼もしくは彼との恋愛が自分を変えることになるんじゃないかと、すがったり戸惑ったりしている話の様に思えるけれど、芸術家側だって同じ。自分に憧れて受け入れてくれる者、刺激を与えてくれる何かを求めているんだと思う。"自分探し"というと何だか流行の甘えた若者とか、大人になりきれていない人物を思わせて、ありきたりな感じがするけれど、じゃあ"大人になりきれた人"ってどんな人なんだろう。人間なんて一生悩み続けるものなんじゃないのかな・・・。その事の例としてバカンス滞在先の知人女性のエピソードが出て来るんだと思う。そういう事を押し付けがましくなく、さらりとコミカルに見せるウッディ・アレンの演出は見事だと思う。本当にコミカルなものって実は切なかったり毒を持っていたりする。そして逆に、辛かったり苦しかったりする事をコミカルに見せることにより、心に染みる事もある。でも、それはすごく難しいんだと思う。

1番皮肉で良く考えるとコミカルなのは、マリア・エレーナがヴィッキーに発砲するシーン。これまで見てる側は旅先のありがちな恋愛物語にニヤリとしたり、ヴィッキーの現実と幻想に考えさせられたり、クリスティーナの男女3人の現実離れした恋愛体験を通しての、自分探しにビックリしたりしつつ、コミカルでテンポ良く進むストーリーと、バルセロナの街並みやガウディーの建築に魅了され、いつの間にか夢物語を一緒に楽しんでいたのに、あのシーンで一気に現実へ。そして皆現実へ戻ることになる。このシーンはおもしろい。

やっぱり役者がいいと見ごたえある。先日見たドラマ『刑事一代』でも感じたこと。本当に上手い演技って叫んだりして大芝居しているシーンじゃない。何気ない会話にその人物の人となりを感じさせることが上手い演技なんだと思う。『刑事一代』の渡辺謙が妻に言う「どっちが刑事か分からねぇつーんだよな(笑)」のセリフは素晴らしかった。2人の間に夫婦の年輪を感じた。全く話が反れましたが(笑) 恋愛に奔放なクリスティーナのスカーレット・ヨハンソンは相変わらず魅力的。女性から見ればクリスティーナは嫌いなタイプな気がする。自分の女性的魅力に自信があって、恋愛に生きるタイプ。自分が無くて、大した努力もしていないのに、自分には何か出来ると思っている。この辺りのことは何となく感じながら見ていたけど、それをヴィッキーの婚約者に言われると腹が立つ(笑) 恋愛に奔放なのは本能に対して素直だから、好きだと思ったら迷わない彼女を少し羨ましく思う。"自分"が無いのは逆に柔軟なんだとも言える。だからファン・アントニオとマリア・エレーナの受け皿になれたのかも。そう思えたのはスカーレット・ヨハンソンのおかげ。

ヴィッキーのレベッカ・ホールは初めて見たけど知的で女性らしい雰囲気のある女優さん。ヴィッキータイプが1番多いのかなと思う。保守的なばかりに、あんな俗物でつまらない男と結婚して幸せなのか? なんて思うけど結局彼女の選択は、彼女にとっては正しいんだと思う。そういう風に思わせる雰囲気が良かったと思う。彼女のさり気ないけど品のいい服装は好きだった。ハビエル・バルデムが女性3人に愛される役と聞き「うーん・・・」と思った(笑) 画家の役だと言うし、プレイボーイの芸術家というステレオタイプなんだろうなと思っていたら、まさにその通り。こんな人物は魅力的かもしれないけれど、絶対幸せになれないから止めとけと思うので、全然タイプじゃないし、見ていてイライラするのでむしろ嫌いな役どころ。でも、行くあてのない元妻を見捨てられなかったり、クリスティーナに気を使ってマリア・エレーナに英語で話せと注意したりと一応紳士(笑) そういう部分に説得力があるし嫌味でもない。こんな風に生きているけれど、彼は一体何を求めているのか。きっと満たされることは無いんだろうと思うと、かわいそうに思えてくる。それはハビエル・バルデムの演技によるもの。彼の言動の裏側に迷いとか怯えとかを感じていたからなんだと思う。

ペネロペ・クルス良かった。別にアカデミー賞を取ったからというわけではないけれど(笑) マリア・エレーナは登場する前からファン・アントニオやその父から語られ、激情的だけど魅力的な女性であるとハードルを上げられての登場。現れたのは行くあてのないボロボロの情緒不安定な女性。多分、4人の中で1番感情移入しにくい役どころ。一体何なのかと思っていると、キリキリしている中にポソッと本質的な事を言ったりする。その鋭さにドキリとしていると、クリスティーナとファン・アントニオとの3人が見事な調和を見せ初め、その中で最もキラキラ輝いて、誰よりも自信に満ちて楽しそうなのはマリア・エレーナだった。その演技がいい。そしてやっぱりペネロペは美しい。そしてエロくて魅力的。

現状に不満があるわけじゃないけれど、どことなく物足りなさや不安を感じることってある。きっとそういう気持ちがないと何も変わらないし、向上もしないから必要なんだとは思う。では恋をすれば変わるのかといえば、恋に夢中になっている間はキラキラして世界が変わったように感じるけれど、結局人はそんなに簡単に変わらない。そして人は突きつめると自分のことしか愛さないのかもしれない。芸術家2人はお互いを認め愛し合っていると思うけど、自我が強すぎてぶつかり合ってしまうし、ヴィッキーとクリスティーナも芸術に憧れ本物の芸術家と恋をしたけれど、これも結局そんな自分が好きなわけだし。もちろん本当に相手を好きなのは間違いないけど、やっぱり恋してる自分に酔ってる部分は絶対あると思う。そして、それは別に悪いことじゃないと思う。そういう自分に酔っているから、幸せを感じるのだろうし。パートナーを愛することも、子供を愛することも、相手のために愛するわけじゃない。自分が彼らを必要としているから愛しているんだと思うし。それはわがままでもエゴでもないんじゃないかと・・・。

恋愛で人の本質は変わらないかもしれない。でも、何も知らなかった元の人生には戻れない。それは別に恋に破れたからじゃないし、恋愛だけにいえることじゃない。恋に限らず良い事でも悪い事でも、望まなくても知ってしまったからには、知らなかった人生には戻れない。だったらそれを良い糧にするしかない。ラスト何かを失い、何かを悟ったような、それでいて結局変わっていないヴィッキーとクリスティーナを見て、そんな事を考えた。

なんて堅苦しく考えなくても、男女4人のコミカルでオシャレな恋愛モノとして見てもとっても楽しい。そしてバルセロナやオビエドの美しさが素敵。女性が歌う「バルセロナ」ってテーマソングがかわいらしくて好きだった。

チラシに3人の女性のタイプ別診断があった。チャート式で質問に答えていくと、予想に反してクリスティーナだった! 意外・・・


『それでも恋するバルセロナ』Official site

コメント (11)
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