'09.10.09 『空気人形』@新宿バルト9
これは見たかった。ペ・ドゥナは好き。板尾さんも出てるし! オダジョーも出てるので、オダジョーファンのbaruを誘って行ってきた。
*ネタバレありです。 そして熱弁です
「"男性の性の処理をする代用品"の空気人形ノゾミは、ある朝心が芽生えてしまった。一人街へ出た彼女は様々な体験をする。ふと立ち寄ったレンタルビデオ店の店員純一に恋をした彼女は、店で働き始めるが…」という話。これは良かった。是枝監督の作品は『花よりもなほ』しか見ていない。史上最年少受賞となった柳楽優弥くんの『誰も知らない』も見ていない。だから、この割とブラックというか暗い感じは、監督の持ち味なのか、原作に因るものなのかは不明。"空気人形"というふわふわ感の漂うタイトルと、メイド服に身を包んだペ・ドゥナの写真から、『アメリ』みたいな話を想像してた。何度も書きますが、『アメリ』は2度チャレンジして、2度とも30分くらいで寝てしまったので、どんな話なのか不明なんだけど(笑)
決算週間だけど担当分はある程度メドがついたし、息抜きも必要ってことでこの日にしたけど、合算する報告帳票の一部が集まらずギリギリに… っていうか始まってしまってた(涙)少し前に入ったbaruも間に合わなかったみたいで、申し訳なかった。というわけで、何故急に心を持ったのか分からない。席に着いた時には、人形のまま歩き出してた。そのまま窓辺へ向かい、窓を開け軒先についた雨の雫を手に受けて「キレイ」とつぶやいた瞬間、ペ・ドゥナに変わる。ベタだけど好き。そしてペ・ドゥナいきなりヌードです! 痩せてグラマラスな体ではないけれど、古い木造の部屋にいるそういう人形だと思えば、とってもリアルですごくエロい。彼女は部屋にあったメイド服を着て外に出る。最初はギクシャクと、時にちょこちょこと歩く姿や、耳にした言葉を繰り返し、使い方を覚えていく感じは、言葉を覚え始めたヨチヨチ歩きの子供のよう。言葉を覚えて、世の中の成り立ちが分かってくる。知らないことを知るのは楽しい、空気人形が楽しくてしかたがない感じは分かる。大人がするとおかしな行動も、今目覚めたばかりの子供なんだと思えばかわいらしい。でも、逆にメイド服を着た彼女が不思議行動をしていても、誰も気にしない感じが、都会の孤独感とともに、不思議キャラが個性であるという現代の基準の不思議さみたいなものも感じる。趣味趣向は人それぞれだから、否定する気はないけれど…
空気人形が何歳設定で製造されているのか分からないけれど、おそらく18~23くらいかと… 彼女はレンタルショップの店員純一に恋をしたことにより、急速に大人になっていく。彼女の無邪気過ぎる質問にきちんと答える純一との会話がいい。恋愛初期って会話してるだけで楽しいし、逆に沈黙が怖かったりするから、たわいもない質問とか繰り返しちゃうことってある。まぁ、空気人形ほど無邪気な内容でもないし、彼女はホントに知らないから聞いてるんだけど(笑)その辺りはホントにポップな感じでかわいらしく描かれる。海を知らないと言えばゆりかもめに乗ってお台場に連れて行ってくれるし、何を聞いても穏やかにきちんと答えてくれるなんて素敵(笑)
でも、いろんな事を知り、いろんな人と関わり、心が成長してくると楽しいことばかりではなく、切なさや痛みが加わってくる。"性の処理の代用品"だから、持ち主である秀雄を受け入れなくてはならない。でも、それは汚らしいことに感じるようになる。この辺りは女性の心理としては当然とも思うけれど、もう一つ思春期ということを描いているのかなとも思う。要するに性を理解するというか・・・。それは、恋を知ったからでもある。ある日、空気人形は腕に穴を開けてしまい、純一の前で空気が抜け人形に戻っていってしまう。純一は驚きながらも、手の傷をテープでふさぎ、おへその辺りにある空気穴(?)から息を吹き込む。しぼんでいた体が次第にふくらみ、恋する人の息で満たされていく。それはまるで2人の愛の行為。激しく抱き合う2人。その興奮は人形が生還したからではない。つまり愛とはその行為なのではなく、心が満たされるということなのだということ。このシーンは官能的でありながら無垢で美しい。それは行為を連想させると同時に、純一が無償の愛を捧げているからなんだと思う。だから彼女は満たされた。愛という形のないものを頭で考えすぎると、どうしても形で表して欲しくなって、満たされなくなってしまうけれど、愛する人の息で満たされるというのはとっても分かりやすい。上手く言えないけれど、すごく大切でそれなしには生きられないけれど、形にするのはとても難しい。それを"空気"に例えているのかなと・・・。
人形は自我を持ち、自分の意思で生きはじめる。愛する人の息で満たされた体に、別の空気を入れることはできない。空気は少しずつ抜けていく。それは人が年を取るのと同じ。この作品の登場人物たちはみな空虚な感じを抱いている。秀雄は人と深く関わるのが苦手。勤め先のファミレスで自分より若い厨房担当(?)にネチネチ叱られるけれど、ヘラヘラ笑ってごまかしている。人形が心を持ったと知ると、元に戻って欲しいと言う。自分は元カノのノゾミの代用品じゃないかと人形が責めれば、こういう修羅場が煩わしいのだと言う。受付嬢の佳子は40代半ばから後半と思われる。独身の彼女は若さに固執し、あらゆる美容器具を揃え、毎晩パックを欠かさない。そして常に誰かに電話し愚痴をこぼし「あなたは必要な人間である」と勇気づけてもらっている。元高校教師の老人敬一は中身がないという人形に、自分もカラッポだと言う。彼は代用教員だった。他にもゴミの山で暮らす過食症OL、心が通じ合えない父娘。世の中の事件は全て自分が犯人だと交番へ自首する老女、悪徳刑事が出てくる映画を借りに来る警官、リストラされ妻子に逃げられたレンタルビデオ店店長など・・・。これでもかというくらい孤独で少し病んだ人達が出てくる。でも、デフォルメされているだけで、自分にも思い当たるふしがあったりもする。
直接、人形に関わらなくても彼らの孤独感が心を持った人形の切なさに重なってくる。純一の息で満たされた直後はふわふわと風船のように宙を舞っていたのに・・・。このシーンはかわいくて好き。でも、彼女が空気ポンプを捨て自我に目覚めた辺りから切なく苦しくなってくる。少しずつ断片的に描かれていた登場人物達の背景が、じわじわと人形の成長と重なる。人形には切ない気持ちは分かるけれど、何故切なく苦しいのかが分からない。それが孤独で生きることに不器用な人達の切なさが代弁することで、見ている側も自分の中の切なさや苦しさを揺さぶられる。そして、どんどん息苦しくなってくる。この辺りも含めて"空気"ってことなら見事!
思いを寄せる純一にも忘れられずにいる人がいるらしい事を知った人形。彼女が秀雄に自分は代用品だと言った言葉は、ホントは純一に向けてられたもの。そして"自分は何者なのか"という自我。自分が何者であるかって問いに答えを出せる人はほぼいないと思う。それは普通のOLちゃんだって同じ。だから人形は自分を探して"生みの親"に会いに行く。心を持った人形を人形師は少しおどろいた後、静かに「おかえり」と迎える。このシーンは好き。誰かに迎えてもらえる、受け入れてもらえるのは素敵なことだと改めて思う。彼は様々な姿になって戻ってきた人形達をノゾミに見せ、元は同じ顔だけど愛され方によって顔つきも変わってくると言う。だったらノゾミが心を持ったのは、秀雄なりに彼女を愛していたからかもしれないと思う。お風呂に入れたり、誕生日を祝ったり、公園のベンチでハートのマフラーを2人で巻いたり、一方的で他人から見れば普通の恋愛とは思えないけれど・・・。再び、今度は自らの意思で旅立っていくノゾミに「いってらっしゃい」と送り出す人形師。ノゾミは彼に「生んでくれてありがとう」と言う。このシーンは泣いてしまった。どんなに切なくても苦しくても、生まれてきてよかったと、やっぱり自分も思う。
そしてホントの愛を求めて純一のもとへ。「君が誰かの代わりなんてことはない」と言う彼に、再び空気を抜かれ、彼の息で満たされる悦びに酔う。純一も自分を必要としてくれる存在を求めていたのかもしれない。自分の息によって満たされ、生きているノゾミは正に理想の存在なのかも。心が満ち足りて眠る彼と、本当に一体になりたかったノゾミはある行動に出る。それはやっぱり悲劇だけれど、見方を変えると幸せなのかも。愛する人と永遠に一つになるため、男性の一部を切り取って死に至らしめてしまった阿部定のように・・・。決してあってはならないことだから、後からきっと苦しむけれど、あの一瞬は最高に幸せだったんだと思う。自分では踏み込みたくない領域だし、あんまり共感できてしまうのはマズイ気がするので、そうなんだろうという想像にとどめておくことにする(笑)
役者さんたちはみんな良かったと思う。なんとなく富司純子の虚言壁のある老女の役が浮いていた気はするけれど・・・。過食症のOL星野真理は似てると思ったけどエンドクレジットまで分からなかった(笑) セリフはないのに全身から孤独感と空虚感を漂わせていたのはスゴイ。受付嬢の余貴美子は相変わらずの存在感。受付で口説かれる(かなり)年下の同僚を見つめる目つきが素晴らしい!(笑) 嫉妬と虚しさ、そして孤独感。口説かれたいわけじゃないけど、もう自分にはそんなときめきは訪れないのかと思うと悲しい。諦めているけど、諦めるのが切ない感じ。とってもよく分かる(笑) 元国語教師の高橋昌也がいい。主要キャストの中で人形からコンタクトした相手を除けば、彼が最初に人形に話しかけたんだと思ったけど違うかな・・・。 この映画の登場人物の中で多分一番まともで、そして唯一彼女を教え導く人物。純一も彼女にいろんな事を教えるけど、彼のそれとは違う。人生とはってことを教える父親のような存在。そういえばこれは母親不在の映画でもある。父娘は離婚してしまい母がいないし・・・。過食症OLも秀雄も母はおせっかいな存在として描かれるけれど、電話で話しているだけで画面には登場しない。富司純子あたり人形の母的な存在となってもよさそうなものだけど、そうは描いていない。これはやっぱり狙いなのかな・・・。純一に向かう気持ちは女であって母性的な要素はないということなのか? と思うけれど、考えすぎかな。店長の岩松了は相変わらずおとぼけぶりを発揮しているなと思ったら、途中鬱屈した感情を人形にぶつける。行動自体は女性として嫌悪感を覚えるけれど、彼は彼なりに辛いんだろうということは分かる。卵ごはんに殻が入ってしまい、取れなくてイライラしてキレてしまうシーンがすごくいい。オダジョーは出演シーンは短いけれど、彼女の生みの親であるという重要な役どころ。薄暗い作業場で1人もくもくと人形を作る。戻ってきた人形達について淡々と語る中に、自分が生み出したモノが受けた仕打ちに対する諦めと、愛情に対するよろこびが感じられるこのシーンは好きだった。それはオダジョーのひょうひょうとした佇まいによるところが大きいかも。
秀雄の板尾さんが演技しているのは『空中庭園』などで見たけど、特になんの説明もなく関西弁を押し通し、飄々とした役どころが多いので、演技なのか素なのかよく分からない。正直、演技が上手いとも思わないけど、この役の感じにはとっても合ってると思う。人形と暮らしてて、2人で夜の公園に出かけたりしちゃうなんて気持ち悪いけど、何故か哀しくて、そして少し可笑しく感じるのは板尾さんのおかげ。人と深く関わることが苦手で、だから恋愛も人形相手がいいなんて、現代人の心の闇なんて言われそうだけど、板尾さんが人形に責め立てられて、いつもは感情を表わにしないのに、思わず言ってしまった本音には何だか少し共感する部分があったりもする。それもやっぱり板尾さんのおかげな気がする。純一のARATAは好き。ファンというほど作品見てないし、よくも知らないけど。声がいい。ハスキーだとか特徴があるわけではないけれど、ほとんど声を張ることもなく、穏やかに語る感じがすごく心地いい。そして顔けっこう好み(笑) 純一のことはほとんど語られないけれど、あまりはやっているとも思えないレンタルビデオ店の店員にしては、スタイリッシュで素敵な部屋に住んでいる事を考えると、以前はけっこう収入のある仕事をしてたんじゃないかと思われる。クローゼットの中から人形が見つけた元カノとの写真。こんな風に置いてあるのは、まだ忘れられないからで、辛い別れだったのかしれない。次々繰り出される質問に、一つ一つ丁寧に分かりやすく答えてくれたり、さりげなく気遣かってくれる。そして穏やか。かなり理想の彼氏(笑) だからきっといい恋愛してたんじゃないかと思う。勝手な想像だけど彼は彼女を亡くしたのかなと思った。だから空虚な感じがするし、人形と愛し合う時、彼女の空気を少し抜き、また自分の息を吹き込むという行為は"死"を思わせる。お店での事故で彼女に息を吹き込んだ時、満たされたのは彼女だけじゃない。彼は生と死の間に興奮したのかもしれない。セリフには一切ないけど、なんとなくそんな気がしたけど、考え過ぎかな。もし、ホントにそうだとすればこれは演出の上手さだと思うけど、ARATAのどこか静かに憤ってるような雰囲気によるものでもある気がする。そんなとこも含めてかなり好き(笑)
そして何といっても空気人形のぺ・ドゥナが素晴らしい! そのひょろりとした姿からして人形っぽい。かなり長回しでもまばたきしない! セリフは全て日本語だけど、そもそも言葉をあまり知らない設定なので、逆にそれが良い方向へ作用している。言葉を覚えてかなり話せるようになっても違和感なし。少しずつ感情を表し始めるけど、やり過ぎない感じもいい。その辺りは演技なのか、言葉の壁なのかよく分からないけれど、どちらも上手く作用した感じはする。心を持ってしまった人形が最初は見るもの全てが新鮮で楽しくて、いろんな事を吸収していく。5歳と3歳の甥っ子達みたいでかわいらしい。そして恋を知り切なさと苦しさを知る。いつものように秀雄に抱かれることに嫌悪感を持つ。人形なのでほとんど表情を変えないし、セリフも抑揚がない。でも、そういう切なさが伝わってくる。そして、その切なさは人形だからというわけではない。彼女が苦しんでいるのは自分が人形であることではなくて、自分が何者か分からないということ。それはきっと誰もが一度は考えたことあるんじゃないかと思う。だから切ない。彼女は愛する人の息で身も心も満たされ、今度は自分が彼を満たそうとする。そのシーン自体はけっこう壮絶だけど、とっても切ない。人形が無知だったから起きた悲劇にも見えるけれど、なんだかとっても切なく美しかったのはペ・ドゥナが人形の心をしっかり表現していたから。読売新聞に載っていた是枝監督のインタビュー記事には、彼女が理解できないと言うシーンがあり、監督が説明して演じてもらったけれど、出来上がってみると全体の流れから浮いていて、結局カットしたそうで、彼女の方が監督よりも役柄を的確に理解していたことのエピソードとして紹介されていた。この事が全てを表しているというくらい、空気人形が心を持つというあり得ない物語にリアリティーがあったし、彼女の切なさに共感させられた。この演技は見事。そしてエロイ(笑) 美人でもグラマラスでもないけれど、とってもエロイ。ぺ・ドゥナいいです(笑)
各キャラが暮らす部屋がそれぞれ個性的でいい。意外にスタイリッシュだった純一の部屋から、勝手に彼の過去を妄想してしまったし(笑) 食器棚の前にゴルフバッグが置かれた食卓で、毎朝1人卵かけご飯を食べる店長の中年独身男性のわびしさとか、アロマキャンドルだらけで雑誌に出てくるような赤やピンクのゴージャスな部屋で、パックや美容器具をためしまくる受付嬢の孤独感もそう。昭和な香りが漂う内装の部屋に意外にかわいらしいポップな柄のカーテンがかかっていたり、さり気なくブライスが置いてあったりする秀雄の部屋を見ると、秀雄は実は気持ちが少女なんじゃないかと思ったりする。現実逃避だといえばそうなんだけど・・・。そういう生活臭とも違う"その人"が表れているセットや美術がスゴイ。空気人形の衣装もかわいい。半袖のピッタリニットに、ちょっとレトロでサイケっぽい大きな柄のマイクロミニのタイトスカート、靴下と紅い靴なんて自分じゃ絶対着れないけど、見ている分にはすごくカワイイ。ふわっとフレア感のあるミニワンピをレギンスもはかずに着こなす感じは"人形"って感じでカワイイ。
リー・ピンビンの映像が美しい。ゆりかもめで通る高架下の感じは、ちょっと近未来的でもあり、アジアの都市のようでもあり、知ってる風景なのに、知らない土地みたいで不思議。元教師の敬一が佇む空地の向こうに高層ビルが見える感じが空虚感を表しているのもいい。ラストシーンの光の感じがすごくいい。美しくなりうるはずのない設定なのに、過食症OLが「キレイ」と呟くのに、大きくうなずいてしまうくらいキレイ。とにかくセリフは多弁じゃないのに、美術とか映像とか演技とか、それら全てで切なさや悦びが伝わってくるのがスゴイ。悲しくて切ないけれど美しいラスト。人形師によると最終的に人形は燃えないゴミ、人間は燃えるゴミになるそうだけど、せめて生きている間の一瞬でも、人形が朗読する吉野弘の「生命は」の一説にあるように「私はあるとき 誰かのための虻だったろう あなたはあるとき 私のための風だったかもしれない」というような存在でありたいと思う。
というわけで、いつも以上に長々と熱弁してウザイかと思いますが、とっても良かったということが言いたいわけです(笑)
『空気人形』Official site
これは見たかった。ペ・ドゥナは好き。板尾さんも出てるし! オダジョーも出てるので、オダジョーファンのbaruを誘って行ってきた。
*ネタバレありです。 そして熱弁です
「"男性の性の処理をする代用品"の空気人形ノゾミは、ある朝心が芽生えてしまった。一人街へ出た彼女は様々な体験をする。ふと立ち寄ったレンタルビデオ店の店員純一に恋をした彼女は、店で働き始めるが…」という話。これは良かった。是枝監督の作品は『花よりもなほ』しか見ていない。史上最年少受賞となった柳楽優弥くんの『誰も知らない』も見ていない。だから、この割とブラックというか暗い感じは、監督の持ち味なのか、原作に因るものなのかは不明。"空気人形"というふわふわ感の漂うタイトルと、メイド服に身を包んだペ・ドゥナの写真から、『アメリ』みたいな話を想像してた。何度も書きますが、『アメリ』は2度チャレンジして、2度とも30分くらいで寝てしまったので、どんな話なのか不明なんだけど(笑)
決算週間だけど担当分はある程度メドがついたし、息抜きも必要ってことでこの日にしたけど、合算する報告帳票の一部が集まらずギリギリに… っていうか始まってしまってた(涙)少し前に入ったbaruも間に合わなかったみたいで、申し訳なかった。というわけで、何故急に心を持ったのか分からない。席に着いた時には、人形のまま歩き出してた。そのまま窓辺へ向かい、窓を開け軒先についた雨の雫を手に受けて「キレイ」とつぶやいた瞬間、ペ・ドゥナに変わる。ベタだけど好き。そしてペ・ドゥナいきなりヌードです! 痩せてグラマラスな体ではないけれど、古い木造の部屋にいるそういう人形だと思えば、とってもリアルですごくエロい。彼女は部屋にあったメイド服を着て外に出る。最初はギクシャクと、時にちょこちょこと歩く姿や、耳にした言葉を繰り返し、使い方を覚えていく感じは、言葉を覚え始めたヨチヨチ歩きの子供のよう。言葉を覚えて、世の中の成り立ちが分かってくる。知らないことを知るのは楽しい、空気人形が楽しくてしかたがない感じは分かる。大人がするとおかしな行動も、今目覚めたばかりの子供なんだと思えばかわいらしい。でも、逆にメイド服を着た彼女が不思議行動をしていても、誰も気にしない感じが、都会の孤独感とともに、不思議キャラが個性であるという現代の基準の不思議さみたいなものも感じる。趣味趣向は人それぞれだから、否定する気はないけれど…
空気人形が何歳設定で製造されているのか分からないけれど、おそらく18~23くらいかと… 彼女はレンタルショップの店員純一に恋をしたことにより、急速に大人になっていく。彼女の無邪気過ぎる質問にきちんと答える純一との会話がいい。恋愛初期って会話してるだけで楽しいし、逆に沈黙が怖かったりするから、たわいもない質問とか繰り返しちゃうことってある。まぁ、空気人形ほど無邪気な内容でもないし、彼女はホントに知らないから聞いてるんだけど(笑)その辺りはホントにポップな感じでかわいらしく描かれる。海を知らないと言えばゆりかもめに乗ってお台場に連れて行ってくれるし、何を聞いても穏やかにきちんと答えてくれるなんて素敵(笑)
でも、いろんな事を知り、いろんな人と関わり、心が成長してくると楽しいことばかりではなく、切なさや痛みが加わってくる。"性の処理の代用品"だから、持ち主である秀雄を受け入れなくてはならない。でも、それは汚らしいことに感じるようになる。この辺りは女性の心理としては当然とも思うけれど、もう一つ思春期ということを描いているのかなとも思う。要するに性を理解するというか・・・。それは、恋を知ったからでもある。ある日、空気人形は腕に穴を開けてしまい、純一の前で空気が抜け人形に戻っていってしまう。純一は驚きながらも、手の傷をテープでふさぎ、おへその辺りにある空気穴(?)から息を吹き込む。しぼんでいた体が次第にふくらみ、恋する人の息で満たされていく。それはまるで2人の愛の行為。激しく抱き合う2人。その興奮は人形が生還したからではない。つまり愛とはその行為なのではなく、心が満たされるということなのだということ。このシーンは官能的でありながら無垢で美しい。それは行為を連想させると同時に、純一が無償の愛を捧げているからなんだと思う。だから彼女は満たされた。愛という形のないものを頭で考えすぎると、どうしても形で表して欲しくなって、満たされなくなってしまうけれど、愛する人の息で満たされるというのはとっても分かりやすい。上手く言えないけれど、すごく大切でそれなしには生きられないけれど、形にするのはとても難しい。それを"空気"に例えているのかなと・・・。
人形は自我を持ち、自分の意思で生きはじめる。愛する人の息で満たされた体に、別の空気を入れることはできない。空気は少しずつ抜けていく。それは人が年を取るのと同じ。この作品の登場人物たちはみな空虚な感じを抱いている。秀雄は人と深く関わるのが苦手。勤め先のファミレスで自分より若い厨房担当(?)にネチネチ叱られるけれど、ヘラヘラ笑ってごまかしている。人形が心を持ったと知ると、元に戻って欲しいと言う。自分は元カノのノゾミの代用品じゃないかと人形が責めれば、こういう修羅場が煩わしいのだと言う。受付嬢の佳子は40代半ばから後半と思われる。独身の彼女は若さに固執し、あらゆる美容器具を揃え、毎晩パックを欠かさない。そして常に誰かに電話し愚痴をこぼし「あなたは必要な人間である」と勇気づけてもらっている。元高校教師の老人敬一は中身がないという人形に、自分もカラッポだと言う。彼は代用教員だった。他にもゴミの山で暮らす過食症OL、心が通じ合えない父娘。世の中の事件は全て自分が犯人だと交番へ自首する老女、悪徳刑事が出てくる映画を借りに来る警官、リストラされ妻子に逃げられたレンタルビデオ店店長など・・・。これでもかというくらい孤独で少し病んだ人達が出てくる。でも、デフォルメされているだけで、自分にも思い当たるふしがあったりもする。
直接、人形に関わらなくても彼らの孤独感が心を持った人形の切なさに重なってくる。純一の息で満たされた直後はふわふわと風船のように宙を舞っていたのに・・・。このシーンはかわいくて好き。でも、彼女が空気ポンプを捨て自我に目覚めた辺りから切なく苦しくなってくる。少しずつ断片的に描かれていた登場人物達の背景が、じわじわと人形の成長と重なる。人形には切ない気持ちは分かるけれど、何故切なく苦しいのかが分からない。それが孤独で生きることに不器用な人達の切なさが代弁することで、見ている側も自分の中の切なさや苦しさを揺さぶられる。そして、どんどん息苦しくなってくる。この辺りも含めて"空気"ってことなら見事!
思いを寄せる純一にも忘れられずにいる人がいるらしい事を知った人形。彼女が秀雄に自分は代用品だと言った言葉は、ホントは純一に向けてられたもの。そして"自分は何者なのか"という自我。自分が何者であるかって問いに答えを出せる人はほぼいないと思う。それは普通のOLちゃんだって同じ。だから人形は自分を探して"生みの親"に会いに行く。心を持った人形を人形師は少しおどろいた後、静かに「おかえり」と迎える。このシーンは好き。誰かに迎えてもらえる、受け入れてもらえるのは素敵なことだと改めて思う。彼は様々な姿になって戻ってきた人形達をノゾミに見せ、元は同じ顔だけど愛され方によって顔つきも変わってくると言う。だったらノゾミが心を持ったのは、秀雄なりに彼女を愛していたからかもしれないと思う。お風呂に入れたり、誕生日を祝ったり、公園のベンチでハートのマフラーを2人で巻いたり、一方的で他人から見れば普通の恋愛とは思えないけれど・・・。再び、今度は自らの意思で旅立っていくノゾミに「いってらっしゃい」と送り出す人形師。ノゾミは彼に「生んでくれてありがとう」と言う。このシーンは泣いてしまった。どんなに切なくても苦しくても、生まれてきてよかったと、やっぱり自分も思う。
そしてホントの愛を求めて純一のもとへ。「君が誰かの代わりなんてことはない」と言う彼に、再び空気を抜かれ、彼の息で満たされる悦びに酔う。純一も自分を必要としてくれる存在を求めていたのかもしれない。自分の息によって満たされ、生きているノゾミは正に理想の存在なのかも。心が満ち足りて眠る彼と、本当に一体になりたかったノゾミはある行動に出る。それはやっぱり悲劇だけれど、見方を変えると幸せなのかも。愛する人と永遠に一つになるため、男性の一部を切り取って死に至らしめてしまった阿部定のように・・・。決してあってはならないことだから、後からきっと苦しむけれど、あの一瞬は最高に幸せだったんだと思う。自分では踏み込みたくない領域だし、あんまり共感できてしまうのはマズイ気がするので、そうなんだろうという想像にとどめておくことにする(笑)
役者さんたちはみんな良かったと思う。なんとなく富司純子の虚言壁のある老女の役が浮いていた気はするけれど・・・。過食症のOL星野真理は似てると思ったけどエンドクレジットまで分からなかった(笑) セリフはないのに全身から孤独感と空虚感を漂わせていたのはスゴイ。受付嬢の余貴美子は相変わらずの存在感。受付で口説かれる(かなり)年下の同僚を見つめる目つきが素晴らしい!(笑) 嫉妬と虚しさ、そして孤独感。口説かれたいわけじゃないけど、もう自分にはそんなときめきは訪れないのかと思うと悲しい。諦めているけど、諦めるのが切ない感じ。とってもよく分かる(笑) 元国語教師の高橋昌也がいい。主要キャストの中で人形からコンタクトした相手を除けば、彼が最初に人形に話しかけたんだと思ったけど違うかな・・・。 この映画の登場人物の中で多分一番まともで、そして唯一彼女を教え導く人物。純一も彼女にいろんな事を教えるけど、彼のそれとは違う。人生とはってことを教える父親のような存在。そういえばこれは母親不在の映画でもある。父娘は離婚してしまい母がいないし・・・。過食症OLも秀雄も母はおせっかいな存在として描かれるけれど、電話で話しているだけで画面には登場しない。富司純子あたり人形の母的な存在となってもよさそうなものだけど、そうは描いていない。これはやっぱり狙いなのかな・・・。純一に向かう気持ちは女であって母性的な要素はないということなのか? と思うけれど、考えすぎかな。店長の岩松了は相変わらずおとぼけぶりを発揮しているなと思ったら、途中鬱屈した感情を人形にぶつける。行動自体は女性として嫌悪感を覚えるけれど、彼は彼なりに辛いんだろうということは分かる。卵ごはんに殻が入ってしまい、取れなくてイライラしてキレてしまうシーンがすごくいい。オダジョーは出演シーンは短いけれど、彼女の生みの親であるという重要な役どころ。薄暗い作業場で1人もくもくと人形を作る。戻ってきた人形達について淡々と語る中に、自分が生み出したモノが受けた仕打ちに対する諦めと、愛情に対するよろこびが感じられるこのシーンは好きだった。それはオダジョーのひょうひょうとした佇まいによるところが大きいかも。
秀雄の板尾さんが演技しているのは『空中庭園』などで見たけど、特になんの説明もなく関西弁を押し通し、飄々とした役どころが多いので、演技なのか素なのかよく分からない。正直、演技が上手いとも思わないけど、この役の感じにはとっても合ってると思う。人形と暮らしてて、2人で夜の公園に出かけたりしちゃうなんて気持ち悪いけど、何故か哀しくて、そして少し可笑しく感じるのは板尾さんのおかげ。人と深く関わることが苦手で、だから恋愛も人形相手がいいなんて、現代人の心の闇なんて言われそうだけど、板尾さんが人形に責め立てられて、いつもは感情を表わにしないのに、思わず言ってしまった本音には何だか少し共感する部分があったりもする。それもやっぱり板尾さんのおかげな気がする。純一のARATAは好き。ファンというほど作品見てないし、よくも知らないけど。声がいい。ハスキーだとか特徴があるわけではないけれど、ほとんど声を張ることもなく、穏やかに語る感じがすごく心地いい。そして顔けっこう好み(笑) 純一のことはほとんど語られないけれど、あまりはやっているとも思えないレンタルビデオ店の店員にしては、スタイリッシュで素敵な部屋に住んでいる事を考えると、以前はけっこう収入のある仕事をしてたんじゃないかと思われる。クローゼットの中から人形が見つけた元カノとの写真。こんな風に置いてあるのは、まだ忘れられないからで、辛い別れだったのかしれない。次々繰り出される質問に、一つ一つ丁寧に分かりやすく答えてくれたり、さりげなく気遣かってくれる。そして穏やか。かなり理想の彼氏(笑) だからきっといい恋愛してたんじゃないかと思う。勝手な想像だけど彼は彼女を亡くしたのかなと思った。だから空虚な感じがするし、人形と愛し合う時、彼女の空気を少し抜き、また自分の息を吹き込むという行為は"死"を思わせる。お店での事故で彼女に息を吹き込んだ時、満たされたのは彼女だけじゃない。彼は生と死の間に興奮したのかもしれない。セリフには一切ないけど、なんとなくそんな気がしたけど、考え過ぎかな。もし、ホントにそうだとすればこれは演出の上手さだと思うけど、ARATAのどこか静かに憤ってるような雰囲気によるものでもある気がする。そんなとこも含めてかなり好き(笑)
そして何といっても空気人形のぺ・ドゥナが素晴らしい! そのひょろりとした姿からして人形っぽい。かなり長回しでもまばたきしない! セリフは全て日本語だけど、そもそも言葉をあまり知らない設定なので、逆にそれが良い方向へ作用している。言葉を覚えてかなり話せるようになっても違和感なし。少しずつ感情を表し始めるけど、やり過ぎない感じもいい。その辺りは演技なのか、言葉の壁なのかよく分からないけれど、どちらも上手く作用した感じはする。心を持ってしまった人形が最初は見るもの全てが新鮮で楽しくて、いろんな事を吸収していく。5歳と3歳の甥っ子達みたいでかわいらしい。そして恋を知り切なさと苦しさを知る。いつものように秀雄に抱かれることに嫌悪感を持つ。人形なのでほとんど表情を変えないし、セリフも抑揚がない。でも、そういう切なさが伝わってくる。そして、その切なさは人形だからというわけではない。彼女が苦しんでいるのは自分が人形であることではなくて、自分が何者か分からないということ。それはきっと誰もが一度は考えたことあるんじゃないかと思う。だから切ない。彼女は愛する人の息で身も心も満たされ、今度は自分が彼を満たそうとする。そのシーン自体はけっこう壮絶だけど、とっても切ない。人形が無知だったから起きた悲劇にも見えるけれど、なんだかとっても切なく美しかったのはペ・ドゥナが人形の心をしっかり表現していたから。読売新聞に載っていた是枝監督のインタビュー記事には、彼女が理解できないと言うシーンがあり、監督が説明して演じてもらったけれど、出来上がってみると全体の流れから浮いていて、結局カットしたそうで、彼女の方が監督よりも役柄を的確に理解していたことのエピソードとして紹介されていた。この事が全てを表しているというくらい、空気人形が心を持つというあり得ない物語にリアリティーがあったし、彼女の切なさに共感させられた。この演技は見事。そしてエロイ(笑) 美人でもグラマラスでもないけれど、とってもエロイ。ぺ・ドゥナいいです(笑)
各キャラが暮らす部屋がそれぞれ個性的でいい。意外にスタイリッシュだった純一の部屋から、勝手に彼の過去を妄想してしまったし(笑) 食器棚の前にゴルフバッグが置かれた食卓で、毎朝1人卵かけご飯を食べる店長の中年独身男性のわびしさとか、アロマキャンドルだらけで雑誌に出てくるような赤やピンクのゴージャスな部屋で、パックや美容器具をためしまくる受付嬢の孤独感もそう。昭和な香りが漂う内装の部屋に意外にかわいらしいポップな柄のカーテンがかかっていたり、さり気なくブライスが置いてあったりする秀雄の部屋を見ると、秀雄は実は気持ちが少女なんじゃないかと思ったりする。現実逃避だといえばそうなんだけど・・・。そういう生活臭とも違う"その人"が表れているセットや美術がスゴイ。空気人形の衣装もかわいい。半袖のピッタリニットに、ちょっとレトロでサイケっぽい大きな柄のマイクロミニのタイトスカート、靴下と紅い靴なんて自分じゃ絶対着れないけど、見ている分にはすごくカワイイ。ふわっとフレア感のあるミニワンピをレギンスもはかずに着こなす感じは"人形"って感じでカワイイ。
リー・ピンビンの映像が美しい。ゆりかもめで通る高架下の感じは、ちょっと近未来的でもあり、アジアの都市のようでもあり、知ってる風景なのに、知らない土地みたいで不思議。元教師の敬一が佇む空地の向こうに高層ビルが見える感じが空虚感を表しているのもいい。ラストシーンの光の感じがすごくいい。美しくなりうるはずのない設定なのに、過食症OLが「キレイ」と呟くのに、大きくうなずいてしまうくらいキレイ。とにかくセリフは多弁じゃないのに、美術とか映像とか演技とか、それら全てで切なさや悦びが伝わってくるのがスゴイ。悲しくて切ないけれど美しいラスト。人形師によると最終的に人形は燃えないゴミ、人間は燃えるゴミになるそうだけど、せめて生きている間の一瞬でも、人形が朗読する吉野弘の「生命は」の一説にあるように「私はあるとき 誰かのための虻だったろう あなたはあるとき 私のための風だったかもしれない」というような存在でありたいと思う。
というわけで、いつも以上に長々と熱弁してウザイかと思いますが、とっても良かったということが言いたいわけです(笑)
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