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【Googleのロゴ】ルイーザ・メイ・オルコット生誕184周年

2016-11-29 00:18:34 | Google's logo

毎度のGoogleのロゴがこんなことに!



ルイーザ・メイ・オルコット生誕184周年

「若草物語」の作者だよね?


毎度のWikipediaによりますと・・・


ルイーザ・メイ・オルコットLouisa May Alcott,)は、アメリカ小説家

1868年に書かれた『若草物語』(Little Women)で知られる。


オルコット一家は貧しかったようで・・・


1843年 - 1844年にかけてのわずかな期間には、

ユートピア的な共同体であるフルーツランズに移住し、

そこが瓦解した後は貸家に住み、

さらにその後は母親の遺産とエマソンの援助で購入したコンコードの家

「オーチャード・ハウス」(Orchard House)に移住した。


という経験からか・・・


成長するにつれて、オルコットは奴隷制廃止論者、フェミニストとなっていった。

1847年に一家は一週間ほど逃亡奴隷の家に住み、

1848年にオルコットはセネカ・フォールズ会議Seneca Falls Convention)によって

出版された女性の権利に関する書物『感情宣言』(Declaration of Sentiments)を読み、

賞賛している。


とのこと。

1860年から本格的に作品を書き始めたそうだけれど・・・


ルイーザ・メイ・オルコットの大成功は、

若草物語』(Little Women: or Meg, Jo, Beth and Amy, 1868年)の

第1部が掲載された時から始まった。

この物語は、彼女が姉妹達と一緒にコンコードで過ごした少女時代をもとにした半自伝的な話である。


なるほど、やっぱり自伝的な物語だったのね


生涯独身だったそうで、

後半生において、オルコットは女性参政権の主張者となり、

コンコードで初めての投票権をもつ女性となった。


とのことで・・・


健康状態の悪化に反して、オルコットは残りの生涯も物語を書き続け、

最後には南北戦争中の労働時に発症した水銀中毒の後遺症で倒れた

(彼女は腸チフス患者の治療のためにカロメルを使用していた)。

ルイーザ・メイ・オルコットは1888年3月6日

死の床に伏していた父を見舞った2日後にボストンで逝去した。


とのこと


このロゴは「若草物語」かな?

「若草物語」は何度も映画化されているけど、

原作も読んでいないし、映画も見ていない。

それでも、なんとなく話は知っているのだから、力のある作品なのでしょう。

今度読んでみようかな


検索画面のロゴはこんな感じ


Happy Birthday

コメント
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