毎度のGoogleのロゴがこんなことに!
ジョセフィン・ベイカー生誕111周年
知ってはいるけど、一応毎度のWikipediaでチェック👉
ジョセフィン・ベーカー(Josephine Baker、1906年6月3日 - 1975年4月12日)は、
フランス語読みで「ジョゼフィーヌ・バケル」とも呼ばれる。
生まれたときの名前は、
フリーダ・ジョセフィン・マクドナルド(Freda Josephine McDonald)。
「黒いヴィーナス」の異名をとった。
とのことで・・・
彼女のキャリアは、16歳でフィラデルフィアのスタンダード劇場でのデビューから始まる。
その後すぐニューヨークに行き、
ちょうど半年間アメリカを巡業していたボードビル・グループに参加。
1925年10月2日、パリのシャンゼリゼ劇場に出ていた
「レビュー・ネグロ(黒人レビュー)」に加わることになる。
1926年-1927年、彼女はまさにフォリー・ベルジェール劇場のスターだった。
彼女は、ルイ・ケーナシャンの2つのレビューに出演、
有名なバナナを腰の周りにぶら下げただけの衣装で踊った。
バナナ🍌衣装の写真は見たことあるかも!
当時ベーカーは、ラングストン・ヒューズやパブロ・ピカソ、
アーネスト・ヘミングウェイなど同時代の作家、画家、彫刻家にとっての美の女神、
大衆にとってのセックス・シンボルとなった。
ヨーロッパの貴族の称号を持つことになった初めてのアフリカ系のアメリカ人女性ということになった。
アーティストたちの美の女神だったことは知ってたけど、
ヨーロッパ貴族の称号を持っているとは知らなかった
でも・・・
たちまちにしてフランスで最も成功したアメリカ人となったベーカーは、
そのために祖国アメリカでは、人種的な差別、偏見に人一倍さらされることとなった。
うーん💦 そして、こんな秘話が・・・
1951年に、ニューヨークのナイトクラブに
客として入店しようとしたベーカーを拒否するという人種差別事件
(いわゆる「ストーク・クラブ事件」)が起きた。
この時、たまたま店にいあわせて、
店側に猛然と抗議する彼女の様子を見た映画女優のグレース・ケリーは、
初対面の彼女を庇って一緒に店を出て、自分のパーティーが終わるまで店に戻らなかった。
これがきっかけで始まった2人の交友は、
経済的に危機におちいったベーカーを援助したりした。
なるほど~ それは知らなかった!
日本では1954年に来日し、帝国劇場などで公演しているらしい。
1975年4月8日に、
フランスのパリでベーカーの芸能生活50周年を祝うショーの初日の公演が行われた。
その直後に脳溢血に襲われ、4月12日死去した。
ベーカーはモナコの墓地に埋葬されている。
とのこと
このロゴはスライド形式になっていて、彼女の一生を表しているのかな?
再生をクリック👉
人種差別を表しているのかな?
パリ時代? 左がバナナ衣装🍌
画面が遷移する合間も画像がある。タイミングが難しいので全部取れなかったけど、猫画像は頑張って取った!
カワイイ♡
歌手活動や映画出演もこなす
講演活動?
子供たちとも交流したのかな?
これで終了!
これ素敵✨
検索画面のロゴはこんな感じ
Happy Birthday!