毎度のGoogleのロゴがこんなことに!
楠瀬喜多生誕183周年
すみません💦 どなたでしょう?
毎度のWikipediaによりますと・・・
楠瀬喜多(くすのせ きた、天保7年9月9日(1836年10月18日) - 大正9年(1920年)10月18日)
は日本の婦人運動家。
通称、民権ばあさん。
え日本人なの?
イヤ、お名前からして日本人なのだけど、ロゴの着物がチマチョゴリっぽかったので😅
1857年には、土佐藩の剣道指南役を勤める楠瀬実と結婚するが、1874年に死別。
2人の間には、養子を含めて子供がいなかったので、楠瀬が戸主として相続した。
しかし、1878年、高知県区会議員選挙で戸主として納税しているのにもかかわらず、
女性であることを理由に投票が認められなかった。
そりゃヒドイ!😠
なお、当時の府県会規則には、
「選挙資格は、満20歳以上の男子で、その郡区内に本籍を定め、地租5円以上を納める者(同法第14条)」
と定められていたものの、
府県会の下部組織である区町村会については
郡区町村編制法に全国的な統一基準が設けられてはいなかったのである。
うーん💦
これに対し、楠瀬は女性であるだけで、選挙権が認められないことに抗議して税金を滞納した。
同時に高知県庁へ抗議文を提出。
だが、高知県側は、楠瀬の要求の受け入れを拒否したため、
楠瀬は内務省にまで意見書を提出した。
結果的にこの選挙での投票はかなわなかったものの、自由民権運動と結びつき、
区町村会選挙規則制定権が各区町村会で認められた。
こうして日本で初めて、戸主に限り、女性参政権が正式に認められるに至った。
スゴイ
だけど・・・
しかし、1884年に政府が区町村会法の改正によって、
規則制定権を区町村会から取り上げられて、参政権は男性のみと規定された。
あちゃー😣
その後も女性解放運動を続け、楠瀬の名は「民権ばあさん」として知られわたった。
そして1920年、大正デモクラシーが叫ばれる最中に亡くなった。
享年84。
なるほど、スゴイ女性だったのね!
全く知らなくて恥ずかしい💦
検索画面のロゴはこんな感じ
お誕生日おめでとうございます!
追記
たくさんコメントいただきありがとうございます😃
個別にお返事できないのでまとめて回答させていただきます🙇
Googleのロゴが変わると趣味的に記事を書いていたのですが、
誰がどのように描いているのか知らなかったので調べてみました😌
2012年12月4日のこの記事
私の肩書は「Doodler」Googleの若きデザイナーが語る記念日ロゴ
によりますと・・・
そもそもは、1998年8月に、創業者のラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンが、
Burnig Manというイベントに参加する際、
ロゴをイベントにちなんだものに変えたのが始まりで、
当初は1人だったけれど、2009年に専門チームが作られたのだそう。
基本は、準備から3ヶ月くらいかけて作っているとのことで、
さらに2017年1月29日のこの記事
「あれ?今日は変わってる」Googleトップのロゴに隠された真実
によりますと・・・
この時点では日本人スタッフの方がいらして、
その方が日本関連のロゴは担当されていた様子。
ただ、どちらの記事も古いので、現在どのようなチーム編成で、
どのようなスケジュール感で作業をしているのかは不明です。
今回、Twitterなどでも間違いの指摘が多かったようで、まとめ記事も見かけました。
検索したけど見つからないので、見つけたらリンク貼っておきます😌
見つけました
本日は楠瀬喜多(婦人運動家)183周年でGoogleのTOP絵に登場するも左前で大陸風の着物に苦情→修正される
おそらく、Goolge関係者にも届いたのでしょうかね?
コメントでもご指摘があったように現在では修正されています。
参考にしたのはこの画像でしょうかね?
着物の衿なども修正が入っていますし、男性の髭もなくなっています。
ただ、文字などは直っていませんし、背景の女性の着物も変ですね😅
検索画面のロゴも直っています
重複しますが、現在どのような環境で作業されているのか不明なのですが、
少し配慮が足りなかったかなと思いますね😅