【tv】ぶらぶら美術博物館「奇想の系譜展」
開催中の美術展や博物展を紹介する番組。今回は東京都美術館で開催中の「奇想の系譜展」近々見に行こうと思っていたので、録画して鑑賞。見どころをメモしたので記事に残しておく😌
1970年に刊行された辻惟雄著『奇想の系譜』をもとに、東大教授として赴任した最初の教え子である山下裕二明治学院大学教授(Wikipedia)が中心となって企画した展覧会。山下先生によりますと、辻先生(Wikipedia)への恩返しということなのだそう。ちなみに"奇想"というのは、変な絵ということではなく、中国語の優れたものという意味から来ているのだそう。今回の解説は山下先生によるもの。
『奇想の系譜』は2019年2月4日にカラー版が発売された。これ欲しいけど5,400円😣💦 『奇想の系譜』に登場するのは、岩佐又兵衛(Wikipedia)、狩野山雪(Wikipedia)、伊藤若冲(Wikipedia)、蘇我蕭白(Wikipedia)、長沢蘆雪(Wikipedia)、歌川国芳(Wikipedia)の6人だけど、ここに白隠慧鶴(Wikipedia)と鈴木其一(Wikipedia)を加えた8人を紹介する形。いずれも『奇想の系譜』が出版されるまでは忘れ去られていた絵師たち。
1.伊藤若冲
現在の若冲ブームのきっかけとなったのは、2000年京都国立博物館で開催された「没後200年 若冲展」だった。この時も人気であったが来場者は9万人。2016年に東京都美術館で開催された「生誕300年記念 若冲展」はなんと45万人! まさに21世紀にブレイクした絵師。とはいえ生前は人気のあった絵師でもある。明治時代以降、江戸時代以前の絵画が良いとされた。平安・室町・桃山時代の作品より一段階下とみなされた。江戸時代の作品は琳派と狩野派くらいしか評価されなかった。
伊藤若冲「象と鯨図屏風」
「象と鯨図屏風」と「鶏図押絵貼屏風」は82歳頃の作品。「象と鯨図屏風」は『奇想の系譜』が出版された後、若冲作品ではないかと持ち込まれた。「鶏図押絵貼屏風」は今展準備中発見された作品!
「象と鯨図屏風」象と鯨というのは陸と海の巨大生物を対比させたということなのかな? 山田五郎氏によると、ライアル・ワトソン著「エレファントム」によると、象と鯨はコミュニケーションが取れるそうなので、この構図にも意味があるかも?
伊藤若冲「鶏図押絵貼屏風」
「鶏図押絵貼屏風」 若冲といえばの鶏シリーズ。生前は円山応挙の次ぐらいに人気があった若冲だが、1788年天明の大火で大打撃を受けた。お金のために絵をたくさん描いたのではないか。若い頃は鶏をじっくり観察し、細密に描いていたけれど、晩年にはサラサラと描けていたと思われる。
伊藤若冲「旭日鳳凰図」
「旭日鳳凰図」は40歳頃の作品。この2年前に描いた「動植綵絵」より一回り大きい。若冲は40歳で技術を確立。良い画材を買えるようになったことも重要。空想上のイメージをリアルに描くのが若冲の特徴。リアルを突き詰めてリアルの先に行く。残念ながら「旭日鳳凰図」は展示終了😢 現在は「白梅錦鶏図」が展示されているとのこと。「旭日鳳凰図」は見たことあって、たしか「白梅錦鶏図」は見たことないからいいか😌
2.蘇我蕭白(醒めたグロテスク)
蘇我蕭白「雪山童子図」
「雪山童子図」お釈迦様の前世を描いた「本生譚」(Wikipedia)を元に描かれた作品。ヒマラヤの雪山で前世の釈迦が修行していると、鬼が現れて悟りの言葉をつぶやき始める。前世の釈迦が続きを求めると、ならば自分の体を差し出せと言われ、前世の釈迦は木から飛び降りようとしている。結果、この鬼は帝釈天の化身であったということらしい。赤と青の色の感覚がスゴイ。サイケデリックである。『奇想の系譜』が出版された1970年頃はサイケデリックが流行った時代で、時代とマッチしたのではないか。横尾忠則氏は蘇我蕭白のファンである。
蕭白がこの絵を描いた当時、じわじわと京都で人気になっており、同時代に贋作も数多く描かれた。京都では"狂"が尊いという陽明学(Wikipedia)左派の考えが流行したことも影響したのではないか。
蘇我蕭白「富士・三保松原図屏風」
「富士・三保松原図屏風」富士山と三保松原というのは定番の画題。ただし虹を掛けてしまうのは蕭白のみ。当時、虹は不吉なものと考えられていた。松原の後ろの雲のようなものも髑髏に見える。落款も適当な名前で入れている。当時、絵師たちは比較的近くに住んでいたが、若冲との直接のつながりは不明。当時は円山応挙の存在が大きく、応挙が完璧なスタイルを貫き、他の絵師はそれとは違う画風を模索した。"図柄が欲しければ応挙のところに行け、本物の絵が欲しければ俺のところに来い"と言ったというのが有名だが、これは逆に応挙を意識していたのではないか。この「富士・三保松原図屏風」は残念ながら展示終了😢 現在は「群仙図屏風」が展示されているとのこと。
3.長沢蘆雪(円山応挙の弟子)
長沢蘆雪 「白象黒牛図屏風」
「白象黒牛図屏風」白象には黒い鳥、黒牛には白い犬を配してコントラストを表している。若冲の「象と鯨図屏風」に似ている。制作時期もほぼ同じなので、どちらかが影響を与えたのではないか? 犬は円山応挙のスタイル。蘆雪は応挙の代作もしており、応挙スタイルを踏襲したが、師匠の眼の届かないところでは大暴れしている😀
長沢蘆雪「方寸五百羅漢図」
「方寸五百羅漢図」一寸=3cm四方の作品。五百羅漢の他に象や虎も描かれている。2010年に辻先生が発見した。
長沢蘆雪「なめくじ図」
「なめくじ図」なめくじが這った跡の線を先に描き、後からなめくじを描いたのではないか? ライブ的な。蘆雪はエンターテイナー。人々にウケたいという欲求。
長沢蘆雪 「群猿図襖」
「群猿図襖」兵庫県の大乗寺の襖絵。応挙と弟子たちが分担。今作は2階の襖。応挙との共作なのでふざけていない。実力を発揮している。一方で流派に属さない絵師への憧れも抱いていたのではないか。
4.岩佐又兵衛
山下先生によると、今回の企画展のテーマとして岩佐又兵衛のすごさを思い知らせるということがあるのだそう。岩佐又兵衛は荒木村重(Wikipedia)の息子で、父親が織田信長(Wikipedia)に謀反を起こしたため、その妻子が処刑された。その際、又兵衛の母親も殺されている。
岩佐又兵衛「山中常盤物語絵巻 第四巻」
「山中常盤物語絵巻 第四巻」 「山中常盤物語絵巻」は全12巻で約150mに及ぶ。岩佐又兵衛は絵巻物を多く描き、それらの総延長は1kmを超える。展示しきれないためなかなか評価されない。「山中常盤物語絵巻」は牛若丸伝説を描く。常盤御前(Wikipedia)が源義経(Wikipedia)を追いかけ、途中の宿で盗賊に襲われる場面が今作。2歳で記憶にはないが、自分を救った乳母などから母親が殺されたことを聞いていたのではないか。枝ぶりが場面ごとに変わっており、BGM的な役割を果たす。映画監督的な視点。これ見たい! でも、既に展示終了😫 現在は「山中常盤物語絵巻 第五巻」が展示されているとのこと。これは常盤が埋葬されるシーンを描いているらしい。
岩佐又兵衛「妖怪退治図屏風」
「妖怪退治図屏風」は新発見! 妖怪と武者が戦う。元のストーリーが何に基づいているのかが分かっていないとのこと。今作は伝岩佐又兵衛作ということなので、岩佐又兵衛の作品と断定されているわけではないけれど、又兵衛は工房を組織していたそうで、これはおそらく又兵衛工房の作品ではないかとのこと。
岩佐又兵衛は画風のレパートリーが広く、漢画から大和絵まで描くオールマイティーである。何故、人気がでなかったのかといえば、学者は流派として語りがちであることも一つの要因。又兵衛含め奇想の画家たちは独学なので語られないことが多い。
5.狩野山雪(狩野永徳の弟子である狩野山楽の弟子)
狩野派は狩野永徳(Wikipedia) ー 狩野孝信(Wikipedia) ー 狩野探幽(Wikipedia)の流れを主流としているが、この探幽が江戸に出てしまったため本家が江戸になってしまった。永徳の弟子である狩野山楽(Wikipedia) ー 狩野山雪は京都に残り京狩野(Wikipedia)と呼ばれるが、ある意味貧乏くじを引いた形になってしまう。徳川方についた方が権威があるため。
狩野山雪 「梅花遊禽図襖」
「梅花遊禽図襖」 幾何学的な構図にこだわり。春と秋が混ざるなどバーチャルを作り出す。狩野派きっての知性派だと思われる。
狩野山雪「武家相撲絵巻」
「武家相撲絵巻」 日本相撲協会が所有している。皇位継承争いがあった時に相撲で決着をつけたという逸話に基づく。
6.白隠慧鶴(禅宗の僧侶)
白隠慧鶴「達磨図」
「達磨図」 超有名な作品。83歳頃の最晩年に描かれた。本格的に描き始めたのは60歳から。下描きとズレている。『奇想の系譜』には載っていないが、白隠は起爆剤となったのではないかと考えて辻先生と相談して白隠も加えた。
白隠慧鶴「乞食大燈図」
「乞食大燈図」 大燈国師(Wikipedia)を描く。大徳寺を開山した僧侶。顔が「達磨図」と同じ顔。顔は基本同じ。おそらく白隠自身を描いているのでは? 自画像とも言える。
白隠慧鶴「蛤蜊観音図」
「蛤蜊観音図」 蛤から出て来た。実際にいる観音様。観音は33の姿に変化するが蛤蜊身は含まれない。中国の民間信仰はら取り入れたのではないか。オリジナルの画題。周りの人々が頭に海産物を乗せている。脱力感。素人のすごさ感じる。教えを伝えるために描く。現存1万点。民衆のために描いた。この観音様カワイイ😍
7.鈴木其一(琳派の奇才)
江戸琳派。山下先生によると、俵屋宗達(Wikipedia)=ナタ、尾形光琳(Wikipedia)=包丁、酒井抱一(Wikipedia)=カミソリ、鈴木其一=手術用メスという切れ味。
鈴木其一「夏秋渓流図屏風」
「夏秋渓流図屏風」バーチャル的。色がスゴイ! 高い顔料を使用。左隻が秋で右隻が夏。コンピューターグラフィックを感じる。こちらも残念ながら展示終了😢 でも、これは見たことあるのでOK。
鈴木其一「百鳥百獣図」
「百鳥百獣図」アメリカから里帰り。琳派らしくない作品。若冲の影響があるのではないか? 師匠の酒井抱一の作品にも若冲の影響がみられる。鳥と獣と2枚の軸。2枚とも上の方には想像上の鳥や動物いわゆる霊獣を描き、下の方には現実の動物を描いている。動物のヒエラルキー。鶏やガチョウは若冲の「動植綵絵」に似ている。色彩酔いしてしまう。
琳派作品の値段としては、俵屋宗達>尾形光琳>酒井抱一>鈴木其一となるため、其一の作品は多くがアメリカに渡ってしまった。実は琳派の中で一番好きなのは鈴木其一。なのでアメリカに渡っちゃってるの悲しい😢
8.歌川国芳(幕末の浮世絵師)
歌川国芳 「相馬の古内裏」
「相馬の古内裏」 超有名作品。3枚つづりでワイドスクリーン。12歳で歌川豊国に弟子入り。退廃的でポップ。タトゥーの柄などで若者に人気となっていると語っていたような気がする。
歌川国芳「火消千組の図」
「火消千組の図」肉筆! 箱崎辺りを担当していた町火消の千組が成田山新勝寺に奉納。火事場に向かう様子を描く。みなタトゥーだらけ。実在の人物も描かれているのでは? 当時火消はヒーローだった。火事と喧嘩は江戸の華と言われ、国芳も好きだったのではないか? 一方で大変な猫好きで、懐にはいつも猫をいれていたらしい。ヤダ国芳素敵😍
まとめ
50年前の本で美術の見方が変わった。常にスゴイものを見つける目を持つことが大切。専門家でなければ発掘できないということはない。自分の目で見て好きなものを見つけることが大切。
たしかにそうだと思う。でも自分に自信がないから、専門家の裏付けって欲しくなったりするよね。まぁ、専門家ではないから本当の意味での美術品の発掘は無理なんだけど、そういうことではなくて、こうして提示された作品を見て、その中で自分が好きだと思うものを見つけていくことも、芸術を埋もれさせないことの一つの方法であるということなのかなと思った😌
うーん💦 「山中常盤物語絵巻 第四巻」の展示が終わってしまったのが残念過ぎる😫 でも、若冲の新発見と、其一の里帰りが見れるから近々見に行こう! 金曜日に行こうと思っている😌
ぶらぶら美術博物館:毎週火曜日 21:00~22:00 @BS日テレ
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