団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

日常の当たり前のことが当たり前でなくなったときほどつらいことはないですね。

2020-04-15 03:03:28 | 日記
 中日新聞のサンデー版の「おじさん図鑑」に「喪失」というタイトルで、飛島圭介さんがエッセーを書かれていました。




 日常の当たり前のことが当たり前でなくなったときほどつらいことはない。
事故や災害でそんな「日常の生活」を奪われた人は、どんなにつらいだろうか、
おじさんの貧しい想像力では思いも及ばない。
事故や災害でなくとも、連れ合いの突然の死は、もう取り返しのつかない事態だろう。

 今秋、おじさんの友人二人から、立て続けに連れ合いの訃報を伝えられた。
前者の妻は何の予兆もない急死だった。
ぞれだけに衝撃も大きく、電話で涙声になりながら、
「ずっとウソだろうという思いが抑えられない」と訴えた。

後者の妻は病院勤めの栄養士だった。
春に不調を訴え夏前に亡くなった。すい臓がんだった。

 彼ら夫婦には子どもはいない。
仲良し夫婦だった。

 彼は料理が得意で、妻より先に帰った日はいつも夕食をこしらえて妻を待った。

 「先日、帰宅して冷蔵庫に冷や飯があった。
今夜はチャーハンにしようと作ったら、無意識に二人前こさえていた。

 冷めないうちに帰ってこないかなあ、と思ってハッとした。
もう帰ってこないんだ、と」

 当たり前の日常が失われると、現実感も喪失してしまうのか。


 以上です。



>事故や災害でなくとも、連れ合いの突然の死は、もう取り返しのつかない事態だろう。

 男にとってこれは大変つらいですね。
有名な文芸評論家の江藤 淳さんも奥様を亡くされてから半年余りで自裁されてしまいました。
それほど、奥様を失うということは、衝撃が大きいですね。

>冷めないうちに帰ってこないかなあ、と思ってハッとした。
もう帰ってこないんだ、と」

 やりきれないですね。
本当に、日常の当たり前のことが当たり前でなくなったときほどつらいことはないですね。





薬師丸ひろ子「コール」

コメント (8)
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