昨日の続きです。
押富さんが挑んだバリアー 3回目「恐怖の体験」
「絶望の淵から奇跡の”声”」というタイトルで、中日新聞の安藤明夫さん(編集委員)の記事が載っていました。
「死にたくなければ一生食べるな。食べたいなら声はあきらめろ」
押富俊恵さんが主治医からこんな言葉をぶつけられたのは、二十七歳の時だった。
重症筋無力症に合併した誤嚥(ごえん)性肺炎や敗血症で、入退院を繰り返してきた。
誤嚥をなくすには、唾液が気道に入るのを防ぐ喉頭(こうとう)気管分離手術をするか、胃ろうからの栄養補給だけで、体力の低下を覚悟するしかない。
医師が勧めたのは分離手術だが、空気が声帯を通らなくなるため、話す力を失ってしまう。
押富さんは「そんな重大なことを突然言われても」と戸惑った。
看護師たちも相談に乗ってくれず、一人で考えた末、手術を断った。
話せないと復職の夢も絶たれるし、意思を伝えられなくなることに「恐怖の体験」があったからだ。
<患者の尊厳は口先?>
院内で痰(たん)がのどに詰まって意識不明になり、救命のために気管切開した後のこと。
まぶたが下がって目が開かず、人工呼吸器に妨げられて声も出ず、全身の脱力で筆談もできなくなった。
神経難病の世界では、意識も感覚もあるのに伝える手段がないことを「完全な閉じ込め状態」と呼び、患者たちが恐れているが、それに近い状態に陥ったのだ。
その時、医療者たちは押富さんへの関心をなくした。
医師は声をかけることもなく、黙って点滴の針を刺した。
看護師たちは押富さんの体を拭きながらプライベートな雑談を始めた。
作業療法士も黙々と関節をほぐして帰って行った。
すぐに回復できたが、不信感が残った。
「命を守ることが最優先」「信頼関係が大事」と言っている医療者が、患者の尊厳を大切にしているのだろうかと。
押富さんにとっては、入院中は患者だが、家に帰れば生活者として充実した時間があった。
歩行や嚥下のリハビリに全力投球する一方投球する一方、誤嚥を防ぐ「おいしい嚥下食」のメニューを考え、母たつ江さん(69)に作ってもらった。
趣味の手芸にも打ち込んだ。
2009年、28歳の夏には、高校の仲間の結婚式に酸素ボンベなしで松葉づえを使って出席し、おしゃべりや食事を楽しんだ。
<医師の涙に手術決意>
だが、また再発して別の病院に緊急入院した。
一時は生死の境をさまよう重症だった。
担当した医師はやはり分離手術を勧めた。
「敗血症を繰り返すたびに救命の可能性が下がる。
今のうちにやるほうがいい」。
前の病院とは違い、丁寧な説明だった。
付き添った たつ江さんは、医師の涙を覚えていた。
文字盤を使い「ほかにほうほうはないの(か)」と泣きながら訴える押富さんに、説得する側の目も真っ赤だったのだ。
一週間考え、イエスの返事をした。
「医療職の関わり方が患者の決意を後押しするのだと、身をもって学びました」と13年の「作業療法ジャーナル」の連載で書いている。
そして、奇跡が起きた。
体調が回復してきたある日、ベッド上で「口パク」のように舌や唇を動かしているうち「口やのどにある空気を使って音が出せるかも」と、ふと思った。
空気を吸い込めないから、大きな音は出せないが、看護師を相手に練習するうち、だんだん思うような響きを出せるようになって、意味のある声に変わっていった。
この独自の発声法、多くの患者の福音になりそうだが、うまく説明できないという。
昨年9月に、私がやり方を尋ねたとき
「懸命なリハビリというより、気楽に気長に続けることで、今に至ります。
いろいろな方法で呼吸器を着けていても話す方はいますが、私みたいな方法で話す人はまだ会ったことがないですし、医師も不思議がっていますよ。たぶんすごく稀です」と返事のメールをもらった。
この「気楽に気長に」がポイントかもしれない。
12年のブログでは「声と呼べない口パクのようなもの」と記し、併用する文字盤では気持ちが伝わりにくいと嘆いていた。
それが15年になると「パソコンって言うと、50%近い確率で「ばんそうこう?」って返される。
「今日は『血、止めているの』と言ったら、シートベルトだと思われた」と聞き間違いされた体験をおもしろがっていた。
19年に私が知り合った時には、声量はないが明瞭で聞き直す必要のない精度だった。
講演では文字をスライドに映して読み上げていたが、なくても十分に伝わると思えた。
20年に押富さんをインタビューした湘南医療大教授の田島明子さん(作業療法学)は「楽しむことに何よりも価値を置き、そのためにとことん頑張れる人」と評する。
市民団体を立ち上げ、障害者と健常者が集う「ごちゃまぜ運動会」などのイベントを企画し、地域でのつながりを広げていったのも、電動車いすで遠方まで講演に出掛けたのも「楽しいから」。
楽しむために努力を重ね、発声障害のバリアーを乗り越えたのだ。
以上です。
>医師は声をかけることもなく、黙って点滴の針を刺した。
看護師たちは押富さんの体を拭きながらプライベートな雑談を始めた。
作業療法士も黙々と関節をほぐして帰って行った。
自分が人間扱いされなくなったら、どれほど悲しいでしょうか。
それこそ奈落の底に落ちた気分なのでは。
それを医療者が行う。
なんて残酷なんでしょう。
>20年に押富さんをインタビューした湘南医療大教授の田島明子さん(作業療法学)は「楽しむことに何よりも価値を置き、そのためにとことん頑張れる人」と評する。
本当にそうですよね。
学生時代からずっと頑張り続けた女性ですね。
常識をものともせず、いろんな工夫をされた方ですね。
それを楽しんで行なっていた素晴らしい女性です。
最後の最後まで人生を謳歌された女性でしたね。
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