中日新聞の「風来語(かぜ きたりて かたる)」という欄に「多様性の風景」というタイトルで、中日新聞社 主筆 小出 宣昭さんが投稿されていました。
ロンドンでタクシーに乗っていたときである。
突然、雨がパラパラと降り出し、やがて土砂降りになったら、運転氏が後ろを向いて「イッツ・ア・ファインデー」(いい天気だねえ)とにっこり。
思わず「ノー、ノットファイン」(いや、よくないでしょ)と答えると、彼は両手を広げて首をすぼめ無言のまま目的地へ。
この奇妙な体験を英国人記者に話したら「それは、イエス、ファイン・フォー・ダックス(アヒルたちにはいい天気だね)と答えるのが習わしだよ」と教えてくれた。
お天気は自分だけのものじゃない。
風が吹けば渡り鳥にとって、雪が降れば白熊やスキーヤーにとって「いい天気」なのだ。
大雪になれば「ファイン・フォー・ホワイトクリスマス」とやれば喝采ものだという。
英国人はお天気話が大好きなのだが、それにジョークを交えてさまざまな人、動物、文化に思いをはせていく。
多様性を重んじる根っこの深さというべきか。
日本でもかっては「雨、雨ふれふれ母さんが」の文化があったのに、今や晴れが○、雨はXという非多様性の天気感覚になってしまった。
何につけモノサシ一本主義に染まった現代日本だが、それが露わになったのは1993~94年のタイ米騒動だろう。
冷害でコメ不足に陥り、タイから緊急に米を輸入したときである。
タイ米を買った主婦たちから「パサパサでおむすびも握れない」との不満が続出したのだ。
これにフランソワーズ・モレシャンさんがかみついた。
「チャーハンに適したタイ米でおむすびを食べたいなんて、スパゲティをざるそばで食べたいというのと同じ無意味な言葉。
あの優しい日本の感性はどこへ」
やがて、タイ米を入れた米袋からネズミの死骸が見つかって国中がヒステリー状態に。
国会でも野党議員が「不衛生極まる」と追求したが、これも変な話だった。
米蔵にネズミはつきもので、昔は「俵のネズミが米食ってチュー」とのどかに遊んでいたのではないか。
一連の騒動でもっとも欠けていたのは、苦しいときに助けてくれたタイの人々への思いである。
東京五輪・パラリンピックを機に多様性が脚光を浴びている。
まずは、過去にあった他者のモノサシを尊ぶ習わしを思い出そう。
以上です。
>何につけモノサシ一本主義に染まった現代日本だが、それが露わになったのは1993~94年のタイ米騒動だろう。
タイ米騒動、思い出します。
うちのお袋は「タイ米なんて食べない! 日本のお米しか食べない!」と言っていました。
考えてみれば、政府もモレシャンさんが言われた様に「チャーハンに適したタイ米でおむすびを食べたいなんて、スパゲティをざるそばで食べたいというのと同じ無意味な言葉。」。
タイ米の用途は,違いますよと言ってくれれば良かったのに。
政府はやはりタイ米でおむすびが作れると思っていたのかな?😅
タイ米を日本のお米の代わりに使おうと考えていたとしか思えない。
タイ米の用途は違うのに。
日本はガラパゴス文化と言われます。
世界の主流と違うものを独自に作っていて、世界の主流に乗り遅れてしまってビジネスの世界では負けてしまう様です。
島国の弊害かも知れませんね。
日本も、もっと多様性を身につけねばいけなくなるでしょうね。
少子高齢化社会では、外国人を受け入れなくては生き残れないでしょうから。
Bobby Vinton - Mr Lonely