中日新聞に、下記の記事が載っていました。
弱者を救う力は市民に 反骨の弁護士からの伝言 吉光慶太(社会部)
2023年7月9日
今年六月、名古屋市で開かれた名古屋城木造復元事業のバリアフリー化を巡る市民討論会で、一部の参加者から車いすを利用する障害者の男性に差別的な言葉が投げかけられた。
司会者から指名された男性が「外付けのエレベーターは計画していませんか」と質問すると、会場から「平等とわがままを一緒にするな」「どこまでずうずうしいのか、我慢せえよ」という声が上がった。
配慮のかけらもない発言内容もさることながら、会場の一部から拍手がわき上がったとされることに私は空恐ろしさを感じた。
車いすの男性は、「百対一のような孤独感」にさいなまれているという。
「一匹の羊」とともに
「百匹の羊がいて、そのうち一匹が迷い出たら九十九匹を残しても一匹を捜しに行かないだろうか」。
そんな聖書の教えを胸に、半世紀以上にわたって法廷に立ち続ける弁護士が愛知県にいる。
内河恵一(よしかず)さん(84)。
昨年四月から一年間、本紙愛知県内版でその半生を連載した。
一九三八年に生まれた内河さんは、太平洋戦争の空襲で焼け出されて疎開を経験。
定時制高校、大学の夜間部を卒業して六七年に司法試験に合格し、七〇年に開業した。
二〇〇八年に名古屋高裁が自衛隊のイラク派遣に憲法九条一項違反として初の違憲判断を下した訴訟では弁護団長で、市民が気軽に法律相談できる環境を目指して〇六年に開設された日本司法支援センター(法テラス)愛知地方事務所の初代所長も務めた。
生活保護行政に一石を投じたホームレスの就労能力に関する訴訟や、太平洋戦争中に朝鮮半島から動員された「朝鮮女子勤労挺身(ていしん)隊」の訴訟も手掛けた。
「一匹の羊=社会的弱者」とともに歩み続ける内河さんが言い表す今の日本の空気は、「浮かれたように大衆がバッシングになびいていく社会」。冒頭のシーンと重なる。
相いれない考え方への過度なバッシング。
社会的に弱い立場とされる相手には、より強まる。
匿名性が強いインターネットの急速な広がりで問題となった現象が、実社会にも顔を出してきたように感じる。
新型コロナウイルスを巡っては、マスクをしていない人や県境をまたいでの移動などを対象に「自粛警察」という言葉が登場した。
自身が信じる正しさを振りかざし、嫌がらせや中傷という形で他者を傷つけた。
かつてはどうだったのか。時計の針を内河さんが若かった「戦後」と呼ばれていたころに戻す。
内河さんが弁護士となってすぐに参加した四日市公害訴訟(一九七二年判決)。コンビナートからの排煙が原因でぜんそくになった原告との出会いは、その後の弁護士人生の方向性を決める出来事だったという。
高度経済成長の陰で苦しむ人たちの姿に「経済発展は結構だけど、その結果困っている人がいたら助けるのが公平だ」との思いを強めていく。
そして、自身が「世直し裁判」と呼ぶ大企業や国など大きな権力を相手にした訴訟を続けることになる。
四日市公害訴訟は原告側の全面勝訴となった。
内河さんは「戦後復興とそれによって被害を受けた人たちの間でバランスを取ろうとした判決だった」と評価する。
判決言い渡しの時の津地裁四日市支部は興奮の渦に包まれた。
取材でその様子を知る人から話を聞いたり、当時の新聞記事を繰ったりすると、司法も、市民も「一匹の羊」に寄り添う価値観を共有していた雰囲気が感じ取れる。
分断が進み続ける社会
それから五十年余りで様変わりした日本。
その変換点はどこにあるのか。
内河さんは、市場原理を最優先することでバブル崩壊後、停滞する日本に活力を生み出そうとした小泉純一郎政権以来の新自由主義の弊害を訴える。
重視されるのは競争と効率。
その結果、自己責任論が広がった。
大企業の成長を優先する経済政策「アベノミクス」を掲げた安倍晋三政権、自助を強調した菅義偉政権を経て勝ち組と負け組の分断も進み続ける。
内河さんの目に映る今の日本は「転がり出すと止まらない滑り台社会」。
勝ち組が正義の世の中から転がり落ちた「一匹の羊」は負け組。
苦境は自らの責任で、救済を求めれば攻撃の対象にさえなる。そんな価値観が社会に広がっていないか。
内河さんは四日市公害訴訟の判決を踏まえ、「裁判所というのは、時代の流れをよきにつけあしきにつけ見る」と言う。だとすれば、「一匹の羊」を救う力は時代の流れをつくる市民一人一人にもあるはずだ。
「動物の世界では弱肉強食が当たり前。でもそうじゃない生き方を選んだのが人類。
みんなが一緒に成り立っていくという社会には、どうしても助け合いが必要になる」。
障害者の訴えを「わがまま」とする指摘が一部であれ同調されてしまう時代に、内河さんの言葉を心に留めておきたい。
以上です。
イラクで26日、日本の民間人男性(24歳)が拘束される事件が起きた。拘束したイラクの武装グループは「イラクからの自衛隊即時撤兵」を要求し、「拒否すれば48時間以内に殺害する」と表明した。
そう言えば、小泉政権はたまたま旅行でイラクに行った青年が、殺害されるのを自己責任と言い張り、助け出さなかった。
「イラクは非戦斗地域」だといいはり、安全だから自衛隊を派遣するといいつづけてきたのは小泉であったにも関わらず。
マスコミも世間もこの青年が、イラクのような危ない地域に行ったのが悪いと同調した記憶がある。
「よど号ハイジャック事件」
昭和45年(1970)に起きた日本で最初の航空機ハイジャック事件。
模造拳銃や日本刀などで武装した共産主義者同盟赤軍派の活動家9人が、東京発福岡行きの日本航空機を乗っ取り、乗員・乗客129人を人質に取って、北朝鮮へ向かうよう要求。
福岡空港および韓国の金浦空港で乗客と客室乗務員を開放した後、平壌郊外の美林ミリム飛行場に着陸させ、亡命した。
この時の日本政府は、赤軍の言うことを聞き、乗客と乗組員全員を助けに行きました。
マスコミも世間も政府の行動を支持しました。
小泉政権以降、政府は「一匹の羊」を助けなくなりましたね。
「動物の世界では弱肉強食が当たり前。でもそうじゃない生き方を選んだのが人類。
みんなが一緒に成り立っていくという社会には、どうしても助け合いが必要になる」。
障害者の訴えを「わがまま」とする指摘が一部であれ同調されてしまう時代。
恐い世の中になりましたね。
北国の街 舟木一夫さんの歌唱です