団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

妻の病気の9割は夫がつくる

2020-04-25 03:45:08 | 日記
 中日新聞の記事に「『夫原病』定年後に訴え増」という記事が載っていました。




 循環器科の専門医で、「妻の病気の9割は夫がつくる」(マキノ出版)などの著書がある石蔵文信さん(64)は、
夫の言動に対する不満などから、妻が心身に不調をきたすことを「夫源病」と呼ぶ。

 特に、夫の定年後に動悸やめまい、頭痛、不眠などを訴える女性が多いという。

 石蔵さんによると、「家族を養ってきたのは自分だ」という自負が強かったり、
仕事関係以外の交友や趣味がなかったりする夫は要注意。

 お互い不満はため込まず、素直に気持ちをぶつけた方がいい。
「口げんかは、立派なコミュニケーション」

 妻の大きなストレスの一つが、毎日の夫の昼食づくりだ。
石蔵さんは男性向けの料理教室を全国で開催。

 やきとりの缶詰を使った親子丼など、簡単な昼食を夫が作ることを提案している。
「お互い、いつか一人になるかもしれない。
自立できるようにしておくことは家庭のリスク管理」だと指摘。

 「定年は夫婦関係を見直し、お互いにストレスとならない快適な関係をつくるチャンスでもある」と呼びかける。



「夫源病」危険度チエックリスト

 夫の現状について、以下の質問に○Xで答える。
 ○の数で判定



□人前では愛想がいいが、家では不機嫌

□上から目線で話しをする

□家事に手は出さないが口は出す

□妻や子どもを養ってきたという自負が強い

□「ありがとう」「ごめんなさい」はほとんどない

□妻の予定や行動をよくチエックする

□仕事関係以外の交友や趣味が少ない

□妻が一人で外出するのを嫌がる

□家事の手伝いや子育てを自慢する自称「いい夫」

□車のハンドルを握ると性格が一変する


*4個以下・・・セーフ

*5〜7個・・・夫源病予備軍

*8個以上・・・明らかに夫源病


<石蔵文信さんの「妻の病気の9割は夫がつくる」から>


 以上です


↑の「夫源病」危険度チエックリストなるものをやって見ました。

 私は2個でしたのでセーフでした。(笑)
でも私の定年後、かみさんはめまい、頭痛、不眠などを訴えていました。(苦笑)

 今でも頭痛、不眠があるようですので、軽い夫源病かもしれないですね。(苦笑)





白線流し(Hakusen nagashi) OP 1996 -2005
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この女性、私と違ってあまりにも優等生ですね。

2020-04-24 04:30:09 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「休校中 今できることを」というタイトルで、60歳の女性が投稿されていました。



 新型コロナウィルスの感染拡大で学校の休校がすっかり長期化してきました。
子どもたちは十分過ぎる自由時間を持て余し気味だと聞きます。

 ひと昔前の子どもなら自分で遊びを考えたり本を読んだりしたでしょう。
私は小さい頃、進級したらすぐに真新しい教科書をむさぼりよみました。

 兄や姉の教科書も手にしては眺めていました。

 やることが何もないと思うのではなく、まずは今できることを自分で見つけて
それに取り組んでみましょう。

 ギターや鍵盤ハーモニカなどの楽器があれば練習するのもよし、
作曲してみるもよし。

 新たに外国語の勉強を始めるのもいいかもしれません。

 この機会に、自分の世界を広げる努力をしてはいかがですか。


 以上です。


>ひと昔前の子どもなら自分で遊びを考えたり本を読んだりしたでしょう。

 えぇ〜、ほんと?
思わずそう言いそうになりました。(笑)
私はこの女性より13歳も年上ですが、「子どもなら自分で遊びを考えたり本を読んだりしたでしょう。」。
そのような事をしたことがないです。

 本を読むならマンガ本、昼間はテレビを見ながらぼっ〜としていました。
休みは、のんべんだらりと過ごしていました。
長期の休みなら、よりのんべんだらりと過ごしていました。(笑)

>私は小さい頃、進級したらすぐに真新しい教科書をむさぼりよみました。
 兄や姉の教科書も手にしては眺めていました。

真新しい教科書をむさぼり読む、そんな経験一度もないです。 
この女性、私と違ってあまりにも優等生ですね。
何か住む世界が違っているように思いました。(苦笑)


>子どもたちは十分過ぎる自由時間を持て余し気味だと聞きます。

 子どもだけではなく、私のような年金暮らしのおじいちゃんも時間を持て余し気味です。(苦笑)
いつも行く喫茶店もいけないし、たまの外食もできないですし。

 日々カラオケへ行かれる男性は、営業していないので、奥様の買いものに引っ付いて行かれ、時間つぶしをされているようです。(笑)

>ギターや鍵盤ハーモニカなどの楽器があれば練習するのもよし、
作曲してみるもよし。
新たに外国語の勉強を始めるのもいいかもしれません。
この機会に、自分の世界を広げる努力をしてはいかがですか。

 子どもたちより、私たち年配の者へのアドバイスと受けとめましょう。(笑)





緑の日々 ~ 君が、嘘を、ついた/オフコース【日本武道館1987】
コメント (12)
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♪泣きたい日もある 絶望に嘆く日も そんな時そばにいて  寄り添うあなたの影♪

2020-04-23 05:20:25 | 日記
 中日新聞の「くらしの作文」に「あたたかい手」というタイトルで、51歳の女性が投稿されていました。




 温室メロン農家へ嫁いで一年がたった。
夫も私も子育ての終わった再婚同士。
気楽に関わり合いながらも、仲良く過ごしている。

 農業とは無縁の生活をしていた私にとり、嫁いだ当初は戸惑うことばかりだった。
拙い私の作業を、夫はもちろん、義父母も長男も温かく見守り、優しく指導してくれた。

 今年も桜の季節がやってきた。
数日前の夜のこと、風邪をひいたことに加え、蓄積していた疲れが重なって体調を崩した私は、
気持ちが不安定になり、涙が止まらなくなってしまった。

 不安でいっぱいになり、悲しくてどうしようもなかった。

 すると突然、泣きじゃくる私の手を、夫がぎゅっと握ってくれた。
何も言わず、ただただ静かに。

 その手のぬくもりは、私の心を落ち着かせてくれた。
おかげでその夜は、安心して眠りにつくことができた。

 最愛なる夫へ。
思いがけない優しさをありがとう。
普段はすごく不器用で、気の利いた言葉をかけてくれることもないけれど、
あなたのそのあたたかい手がある限り、この先どんなにつらいことがあっても大丈夫と信じている。

 そして、もしこれからあなたにつらいことがあったら、
今度は私があなたの手を、ぎゅっと握ってあげるからね。


 以上です。


>数日前の夜のこと、風邪をひいたことに加え、蓄積していた疲れが重なって体調を崩した私は、
気持ちが不安定になり、涙が止まらなくなってしまった。
不安でいっぱいになり、悲しくてどうしようもなかった。

 家族全員に優しくされても、慣れない仕事の疲れから体調を崩されたようですね。
これからやっていけるかどうか、不安になられたのは分かるような気がします。

 普段はすごく不器用で、気の利いた言葉をかけてくれることもないご主人が、
あたたかい手で奥様の手をぎゅっと握ってくれた、その優しさに奥様の心が落ち着かれた。
ご主人、なかなかやりますね。(笑)

 このご夫婦なら、この先どんなにつらいことがあっても乗り越えられると思います。
とても良いご夫婦ですね。(笑)

 この奥様の投稿文を拝読して、竹内まりやさんの歌詞の一節を思い出しました。
♪泣きたい日もある 絶望に嘆く日も そんな時そばにいて  寄り添うあなたの影♪





いのちの歌

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「ありがとう」と言う機会はいくらでもあったのに、言わずに終わってしまいました。

2020-04-22 03:09:56 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「感謝の心きっと伝わる」というタイトルで、57歳の女性が投稿されていました。



 4月2日付本欄の「母へ ごめん ありがとう」という女子中学生の投稿に心を揺さぶられて涙しました。

 忙しいため、つい母親に強く当たってきたという彼女は
リビングで寝ている母を見て疲れているのはお母さんも同じなんだということに気付き、ハッとして・・・・・・。

 私は年明け早々に母を亡くしました。
「今までありがとう」と言う機会もないあっけない別れで、
感謝の気持ちをもっと伝えればよかったと後悔しています。

 中学生の彼女は、いつの日かお母さんに「いつもありがとう」と言えますようにとつづっていましたが、
投稿を読まれたお母様には、あなたの思いが十分に伝わっていますよ、きっと。

 それで、お母様はどんなにうれしかったことでしょう。



 以上です。


>「今までありがとう」と言う機会もないあっけない別れで、
感謝の気持ちをもっと伝えればよかったと後悔しています。


 私が母を亡くしたのは、定年(60歳)のひと月前でした。
当時有給休暇を利用して、2日に一度母の入院している病院へ見舞いに行っていました。
「ありがとう」と言う機会はいくらでもあったのに、言わずに終わってしまいました。

 両親には散々苦労をかけたので、一言「ありがとう」を言えば良かったと今でも後悔しています。










小田和正 本人 言葉にできない フル
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このコロナ・ウイルス禍が終息して、元の普段通りの生活ができるようになって、初めて懐かしいと思える心境になるかもしれませんが。

2020-04-21 04:29:53 | 日記
 中日新聞のコラム「中日春秋」に下記のことが書かれていました。




 小津安二郎監督の映画「彼岸花」(1958年)は娘の婚期をめぐる家族ドラマで、こんな場面がある。

 夫婦と娘二人で遊びに出かけた箱根。
妻(田中絹代)が夫(佐分利信)に苦しかった戦争だが、今は懐かしいと語る。

 「戦争は厭だったけれど、時々あの時のことがふっと懐かしくなることがあるの。あなた、ない?」
「私はよかった。あんなに親子四人でひとつになれたことなかったもの」

 戦争が終わり、生活も豊かになったが、家族そろって夕飯を食べることもなくなった。
それが寂しくて、戦争が懐かしいと言うのである。

 このせりふが最近、よく分かる。
新型コロナウィルスの感染拡大という試練の中にあるが、
見方を変えれば、
日本の家族がここまで「ひとつになれた」のは戦後75年の歴史の中で初めてではないだろうか。
そんなことを考える。

 外出も出勤も自粛で学校は休校。
それはつらいことだが、間違いなく、家族が家で同じ時間を共有する機会を増やした。

 日に三度、顔を合わせて食事をするという家もあるだろう。
それはややもすれば、家族よりも仕事を優先しがちな日本人が忘れていた幸せとも言えよう。

 気のせいか、買い物に向かう家族はこの状況にも穏やかで朗らかにみえる。

 憎いコロナである。
早く普通の日々を取り戻したいが、この重苦しい日々がいつか、
懐かしいと思えるのかもしれない。


 以上です。


>日に三度、顔を合わせて食事をするという家もあるだろう。
それはややもすれば、家族よりも仕事を優先しがちな日本人が忘れていた幸せとも言えよう。

この作者、今「不要不急の外出」を虐げられている国民を励まそうとされている趣旨はわかりますが、
何だかなぁと思ってしまいます。

 作者はこのコラムを担当されているということは、中日新聞の恵まれたポジションにいる方のように思います。

 政府・都道府県の緊急事態宣言を受け、商売があがったりになってしまった会社・商店がたくさんあります。
ネットを見ますと、シングルマザーが商店をクビになり1日1300円で暮らしている状況を書かれています。

 大学に入学したが、アルバイトができず、1日300円で暮らし、故郷も祖父母がいるのでコロナをうつす危険があるため
帰省できず、せっかく入った大学をやめようかどうか悩んでいる学生さんもいるようです。

 ある人気女性アナウンサーが、コロナウィルスにかかられました。
その前にご主人もコロナウィルスで入院されています。
残された2歳のお子様をどうしたらよいのか悩んでいらっしゃいます。
ご実家の祖父母に預けるわけにもいかないですし、困りますよね。

 先日 義兄と電話で話していましたら、
義兄が「〇〇さん(私のこと)、私たちのように持病を持ち、高齢なものはいつコロナ・ウィルスで死ぬかもしれない!
レッド・ゾーンに入っているよ」と言われ、自分の身に迫っている危険を知らされました。

 うちの息子からも安否確認の電話がありました。
孫たちが3月4日から学校が休校になり、このままだと留年も覚悟しなければと言っていました。
たしかにこのままで推移したら、留年もありうるかなと思いました。

 「長い一生のことを思えば、留年もやむ得ないな」と、息子には言いました。

 このような時期に、このコラムは適切ではないと思いました。
このコロナ・ウイルス禍が終息して、元の普段通りの生活ができるようになって、初めて懐かしいと思える心境になるかもしれませんが。

>気のせいか、買い物に向かう家族はこの状況にも穏やかで朗らかにみえる。

 今は買い物も極力一人で行くようにと言われています。
スーパーなどへ行った際、一人一人の間隔を開ける為です。
この作者、そのような現実を知っていらっしゃらないのかな?








もうひとつの雨宿り # さだまさし
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