まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

新潟にて年越し

2020年01月13日 | 旅行記C・関東甲信越

強風の羽越線から新潟に戻ったのは17時半を回ったところ。1時間遅れの特急「いなほ10号」から同じホーム上で上越新幹線への接続を取っていたが、私はここで宿泊のため駅の外に出る。

この日の宿泊は駅近くの「新潟第一ホテル」。シングル料金でダブルルームに宿泊できるお得なプランを見つけた。他にも大浴場があるし、同じ建物の1階にローソンもある(宿泊客は部屋着で利用可)。

さて新潟で年越しなのだが、夕食は駅前でいただくとしてその後どうするか、年が変わる瞬間をどうやって迎えるか、実はここに至って決めかねている。

旅のプランニングをする中で目についたのが、越後の一ノ宮でもある弥彦神社への二年参り。これに便利なのが快速「行く年令和元年」と帰りの「来る年令和二年」という初詣列車。「行く年」は新潟を21時54分に発車して越後線~弥彦線と走り、23時23分に弥彦着。「来る年」は弥彦を1時32分に発車して2時32分に新潟着。弥彦滞在は約2時間。弥彦神社にはかなり以前に一度お参りしたことがあるが、駅から徒歩10~15分くらいかかったと思う。ただ二年参りはかなり混雑するのではないかと思う。拝殿前に並んだはいいが帰りの列車に間に合わないというのは困る。

対抗は、弥彦まで列車で行かずに新潟市内の中心部の神社。新潟でもっとも初詣客が多いという白山神社がある。こちらは1000年の歴史を有する由緒ある神社。また市内にはもう一つ新潟県護国神社がある。創建は明治と新しいが、日付をまたいで「年越神輿渡御」の行列があるという。翌日1月1日は朝から列車に乗って移動してしまうので、お参りするなら二年参りである。いずれも駅から距離はあるが、まあ歩けない距離でもない。

この辺りを決めかねたまま、とりあえずこのまま日付が変わってホテルに戻ってもいいように支度をして外に出る。向かったのは駅前の「越後番屋酒場」。この店を予約していたために、遅れての運転となった(であろう)「海里」の指定席を放棄した。

店は民芸風の構え。わざわざ予約したのは、1年前に新潟に来た時に満員で入れなかったからである。訪ねたのが元日の夜で、営業している居酒屋というのが限られていた。そこに年始の客が集中したものだからどの店も軒並み満席。この店も秒殺で断られた。だからというわけではないが、グルメサイトからでも予約が可能だったので決め打ちしていた。果たして訪ねた時は同じように「満席」の札が出ていた。

さて畳敷きで椅子が並ぶカウンターに通される。まずはお通しということでエイヒレ(自分で七輪であぶっていただく)と豚肉の陶板焼き(火をつけて、頃合いを見て店員がふたを取る)が出る。そして刺身の三種盛り。三種だったがサービスとしてもう二種が追加で出てきた。

「ここ一軒で新潟県・土産土法」というのが店の売り文句だが、新潟県は広い。本土ではなく佐渡まで含まれるものだから食材の幅は実に広く、メニューを見てもどれを注文すればよいか迷ってしまう。後になっては(マグロ、カンパチ、サーモンのような大阪の居酒屋でもいただける)刺身盛り合わせよりも郷土料理をもっと注文すればよかったかなと思うし、こういう時に一人旅の限界を感じる。誰か相手がいればシェアしながら幅広く注文できるのだが・・。

前日は長岡でも郷土料理はいただいたということで、それにないものをいただくことにする。それでも栃尾揚げ(納豆入り)は二夜連続での注文となった。

あんこうの竜田揚げ。あんこうと言えば茨城や福島のイメージだが、新潟も佐渡や糸魚川では名物なのだという。そういえば一昨日に糸魚川に泊まった時、食べることはできなかったが市内の料亭やドライブインではあんこう料理のキャンペーンをやっているというポスターがあった。

幻魚の干物。日本海にすむ深海魚で、実物は見た目がヌルヌルしてちょっと抵抗があるが、干物にして焼くと実に美味い。それと氷頭なます。鮭の頭の軟骨の酢の物で、コリコリした食感がいい。

いつしか、店員の一人がカウンターの向こうに立ち、笠をかぶる。そこに流れてきたのは佐渡おけさのメロディ。なかなか仕草がサマになっている。この実演は毎日行われているとのこと。

日本酒は新潟の地図とともにこれでもかと並ぶ。メニューには各酒蔵のレギュラー銘柄で100種類くらいあったのではないか。正に「ぽんしゅ館」状態だが、店での注文なのでいずれも1合790円均一。さらに特別なものとなると1合だけでなく4合瓶での提供もあるが、そうなると価格も4ケタになる。今回は「越後鶴亀」、「峰乃白梅」をいただく。

郷土料理、酒のアテということでまたメニューを見る中で目に留まったのが、メダカの佃煮。別名はウルメの佃煮ともいうが、あの絶滅危惧種とされるメダカを食べちゃっていいのかと思う。

そこは郷土料理。雪の多い新潟、特に中越地区では田んぼや水路にいるメダカは冬の貴重なタンパク源で、佃煮にしたり味噌汁の具にしていたという。今でも見附市あたりでは食べる風習があるそうだが、最近は高級食材として郷土料理店のメニューになったり、瓶詰が売られるようになったという。ちょっとした苦味がメザシの味にも通じて、ウルメというのも言い得ているなと思う。これが酒によく合う。なお天然のメダカは絶滅危惧種とされているが、佃煮のメダカは厳密には種類が違うもので、かつ食用に養殖したものとのことで、その辺りは問題ないようだ。

水族館の大きな水槽で海の魚が泳いでいると「刺身にすると美味いんだろうな」とイメージすることがあるのだが、今後は水槽でメダカが泳いでいるのを見ると「佃煮にすると美味いんだろうな」という新たな想像を働かせることになる。今回の旅ではいろんな食材をいただいたが、インパクトではメダカの佃煮がMVPである。

締めはへぎそば。これで年越しそばということにする。これも歯ごたえがよく美味かった。

新潟県の各エリアから代表させるように注文したが、このあたりでお腹、財布の両面でお開きにする。他にももっといただきたいものはあったが、店そのものにはすっかり満足して後にする。もしまた新潟の夜を楽しむことがあれば続きを楽しみたい。最後は店員が火打石を鳴らして送り出してくれる。

さて時刻は21時前。これから弥彦神社なり白山神社なり行くことができるのだが、結局は「もういいか」とそのままホテルに戻ってしまった。この日は移動が続いたからか、最後は部屋でゆっくりしたいという気持ちが勝ったようである。まあ翌日も初詣の機会はある。

テレビだが別に紅白もダウンタウンも格闘技も見るつもりはなく、持参のパソコンにて旅行記の続きを書く。ただそのうち眠くなり、ベッドに入る。日付が変わり新たな年になった時には、すっかり夢の中だった・・・。

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酒田にて

2020年01月12日 | 旅行記B・東北

大晦日の酒田駅前。強風のために列車ダイヤが乱れているが、幸いなことに雨はやんでいた。帰りの新潟行き「海里」の発車まで時間があるので、少し町歩きをする。

酒田駅は2019年の元日に降り立っている。その時は新庄から陸羽西線、最上川下りを楽しんだ後に「きらきらうえつ」に乗ったのだが、駅前が再開発に向けて更地になっていた。現在、ホテルや図書館などの複合施設やマンションの建設の工事が進められていて、2020年度には一部が先行開業するという。そうなればこの駅舎も建て替えようという話がでるかな。

酒田は昔から最上川の水運から栄えた港町で、江戸時代には北前船の航路が整備されて交易の中心となった。町の自治を担ったのが三十六人衆で、北前船の交易を通して京の文化も入って来ていた。今の市役所前にその紹介

その酒田の繁栄ぶりの事例として井原西鶴の『日本永代蔵』で紹介されたのが、旧鐙屋である。廻船問屋として米や紅花などを扱い、その才覚と堅実な商売で発展したという。普段はその建物内部も公開しているが、年末年始の休業中だった。

町中には三十六人衆の一つであった本間家の旧屋敷もある。本間家は江戸時代以来社会貢献を方針とした家だそうで、戦後になって別荘を開放したのが本間美術館だが、いずれも年末年始休業である。

さらに進んで着いたのは山居倉庫。酒田の観光のシンボルといえるが、明治時代に建てられた米の保管倉庫である。現在も現役の農業倉庫として使用されている。観光スポットとして紹介されるのがケヤキ並木との組み合わせである。ケヤキ並木には夏の直射日光、冬の季節風を防ぐ役割がある。ちょうどこの日の天候だと風よけになるのだが、それでも吹き込むものは吹き込む。

倉庫の一つは庄内米の歴史資料館だが、こちらは冬季休業中。やはり冬、年末年始の旅行というのはこうした制限が出てしまう。

しかし、こちらも倉庫を活用した「酒田夢の倶楽」は観光物産館ということで開いていた。観光バスも横付けされて団体客が買い物の最中である。最上川の川下りとセットのコースなのだろう。せっかくなので地酒やレトルト芋煮、こんにゃくなど買い求め、新潟だけではなく山形にも来た印にする。

また展示コーナーではアート水引が飾られている。2020年の干支であるねずみや、その他の縁起物の数々がある。ちょっと正月気分を楽しむ。

酒田といえばドラマ「おしん」の舞台としても知られている。放送があったのは私が小学生の時で、子どもなのでドラマのストーリーがどんなものかはよく知らなかったとしても、冬の山形の雪景色と「大根めし」という単語が印象に残っている。今では炊き込みご飯としての大根めしのレシピがネットでもいろいろ出ているが、明治時代におしんが食べていた大根めしというのは、貧しくて米の不足を補うために大根を入れたもので(たいていはほとんどが大根だったようだ)、決してごちそうというものではなかったという。

現在NHKのBSで全編再放送されているためか、「おしん」も注目されているようだ。私もドラマを見る時間はないので改めてウィキペディアなどであらすじを追ってみたが、実に複雑だ。明治時代からドラマ放送時の「現在」までが舞台なのだが、特定の人物ではなく「当時の日本女性」をイメージして作られたストーリーということで、さまざまな要素が盛り込まれている。だからドラマは大人になってからの話のほうが長いのだが、こうしたスポットで紹介されるのは少女時代の「おしん」である。

こちらでは山形の人形作家の手による「おしん」の名場面の人形ギャラリーがある。やはり酒田を訪ねた人にこのドラマのことを知ってもらおう、思い出してもらおうということである。私もここを訪ねたことで酒田に来た甲斐があったと思う。

元々(列車が定刻で走っていた場合)はこの先港を望む日和山公園にも行こうかと思っていたが、風も強いしちょっと時間がかかるかなということで、ここで折り返しとして駅に戻る。時刻は15時を回っていたが、新潟方面への列車は14時30分発の「いなほ10号」の発車を待っているところだ。この「いなほ10号」は本来なら秋田始発の列車だが、折り返しとなる「いなほ1号」が酒田~秋田間が運休となったため「いなほ10号」も酒田始発での運転となっている。発車準備ができて、信号が変わり次第出発するという。

列車の遅れは1時間というところ。このぶんだと「海里」が発車するのも定刻の16時から少なくとも1時間は遅れるということになる。それだと新潟に着くのは19時半とか20時とかになりそうだ。この夜は新潟に泊まるのだから問題はないが、実は大晦日ということで19時に居酒屋の席の予約をしている。それに遅れるのもどうかな・・という気持ちもある。

私は「海里」の指定席券はそのままに、券売機で新潟までの自由席特急券と乗車券を購入した。そしてホームに停まっている「いなほ10号」に乗り込んだ。指定席だけではなく青春18きっぷの「貯金」も吐き出す形になるが、このまま新潟に戻ることにした。この先ダイヤがどうなるかわからないし、安全策を取った。新しい観光列車に乗れないのは残念だが、冬の日本海の景色は往路で十分見たし、新しい列車ならこの先乗る機会もあるだろう(これが廃止間際の列車だったらまた違った判断をしたかもしれないが)。

「いなほ10号」は15時30分、1時間の遅れで出発。鶴岡である程度乗車があり、やれやれという感じで乗り込んで来る。そのまま日本海に向かうので、少しずつ暗くなる中、窓越しに目を凝らして景色を眺める。途中で若干の徐行もあったが、そのまま約1時間遅れを状態で走り、新潟に到着した。

なおこれは後で知った情報だが、この夜、羽越線の下り三瀬~鶴岡間が運転見合わせとあった。これは強風の影響ではなく羽前水沢での信号点検のためだそうだが、結局運転再開は元日の朝までかかったようだ。結果論だが早めに新潟に戻ってよかったと思う。

さてこれから新潟での年越しである・・・。

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国鉄型気動車と大晦日の強風

2020年01月10日 | 旅行記B・東北

村上駅でホームの先に停まっていた気動車を見て心の中でうなる・・・何やら怪しげな行いだが、今回の巡り合わせは年の最後にラッキーなことだと感じた。

新潟地区では国鉄型車両の置き換えが進められていて、かつての鉄道旅行では当たり前に乗っていた車両も少しずつ減っている。特急型の485系の改造で最後まで残っていた「きらきらうえつ」は2019年秋に引退したし、115系が限られた運用となったこともこの旅の記事で触れている。

そこにもう一つ、キハ47、48という気動車が加わる。JR東日本でも置き換えが進められていて、新潟地区については2019年度中に全面的に引退するという。JR東日本の非電化ローカル線で主力の110系に加えて、ハイブリッド型の車両が増車される。まあ、快適性は向上するから地元の人には良いニュースだろう。

そのキハもすでに車両を減らし、運用も限られるから今回出会えるかどうかだったが、まさかここで目にするとは。しかも4両編成。青春18の乗り継ぎ客を当て込んだか、あるいは酒田に着いてから切り離して運用するのかもしれない。

後ろ(新潟寄り)2両はキハ48、47の国鉄急行色。国鉄時代はこの色が使われることはなかったのだがかつての風情を出している。また前2両はキハ47の新潟色。青バージョンと赤バージョンである。さまざまな色の組み合わせ4両は、引退前の大盤振る舞いのように見える。わたしの場合は、SLよりもこうした気動車のほうに懐かしさを感じ、それを惜しむ気持ちも強い。

4両のうち、かつての急行色のキハ48に乗る。寒地仕様でデッキがあるのが急行の姿に近い。

酒田までは2時間少し。発車まで時間があるのでいったん改札を出て、売店で飲み物を仕入れる。アテは村上名産の鮭の酒ひたしである。日本海を眺めつつの一献、これこそ「飲み鉄本線日本海」なり・・・。

先ほどから雨が続く。窓に水滴がつくがそれは仕方がない。鮭の遡上で知られる三面川を渡りしばらくすると日本海に出る。前々日、前日とは明らかに迫力が違う白波が押し寄せる。これが冬本来の?日本海の表情と言えるだろう。

この先しばらくは海を間近に、小さな港と岩場が繰り返される。風光明媚なところはたいてい険しい地形なので列車はトンネルに入ることが多いのだが、昔懐かしい気動車の旅を存分に楽しめる。当初は、新潟から酒田行きの「海里」に乗りたかったのだが満席だった。ただこうした鈍行プランにして、現地では実に満足である。

もっとも、外は押し寄せると沿岸の岩がすっぽり洗われるほどの波である。風も強い。駅に停まって発車するまでの間、風のために車両が揺れるくらいだ。そのため、風の確認として一時停止するところもあった。

鼠ヶ関で新潟県から山形県に入り、あつみ温泉に着く。車掌が何やら連絡を取っている。その後の案内で、強風のため羽前水沢までの間は徐行運転で行くとあった。先ほど村上までの列車の中で、羽越線強風のため「いなほ1号」が酒田~秋田間で運転取り止めになったという情報に触れたが、それをきっかけに他の特急にも遅れや運休の影響が広がりつつあるようだ。羽越線は単線と複線が入り交じる路線のために、これからも上り下り合わせての影響も広がりそうである。この先どうなるかだが、ならばどうなるのかの成り行きをじっくり見てやろうという気になる。別に酒田に急いで着かなければならないものではない。

あつみ温泉を出ると徐行運転になる。期せずして、列車の中から日本海をよりじっくり眺める機会となった。駅に着くたび時刻表と見比べると遅れが10分、20分と少しずつ広がる。こうなると全体のダイヤにも影響が出るわけで、さすがに新潟への帰りも少し気がかりになる。

その日本海とは三瀬でお別れして、庄内平野に入る。次の羽前水沢に着くと、速度を通常に戻すとの案内がある。ここまでで32分の遅れである。なお羽前水沢はJRコンテナが何基も置かれている。かつては近くの化学工場の専用線と貨物駅があったが、現在はトラックを使ったオフレールステーションである。

冬の田んぼは白鳥の越冬地。あちこちで数羽~数十羽単位で羽を休めている。

羽前大山で、私の後ろのボックスシートに座っていた家族連れが降りる。クラゲの展示で最近知名度が上がっている加茂水族館に向かうようだ。当初は鶴岡で降りるようだったが、水族館までの距離だと鶴岡よりも羽前大山が近いとして降りた。ただいずれの駅からも歩いて行ける距離ではない。「タクシーくらいあるだろう」と話していたが、果たしてどうだろうか。

鶴岡から広い庄内平野を酒田に向かうが、余目からまた徐行となる。この先最上川を渡るのだが、2005年12月に特急列車の脱線事故が起きたところだ。当時は荒天で雪や雨も激しかったところに、局地的な突風が発生して列車が弾き飛ばされた。それだけに強風時の列車運転についてはシビアになっている区間だ。幸い、徐行にて最上川を渡ることができた。

結局40分あまり遅れとなり、終点の酒田に到着した。改札口付近では、秋田、新潟両方面に向かう客がこの後の列車の運転がどうなるか、駅員にいろいろ問いかけている。私が帰りに乗る予定の「海里」も、定刻なら先ほどの普通列車の数分後に酒田に着くはずだが来る様子もない。「海里」の発車は16時なので時間はあるが、ダイヤはどうなっているか。

駅前には数台の観光バスが停まっている。秋田までの代行運転用だ。ただ、先ほどの駅構内もそうだったがさほど混乱した様子はない。

いずれにしても時間はあるから、町の中心の観光スポットまで歩いてみることにする。キャリーバッグをコインロッカーに入れて、強風の駅前に出る・・・。
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長岡から村上へ、乗り鉄の大晦日

2020年01月08日 | 旅行記C・関東甲信越

12月31日の大晦日、この日も乗り鉄である。今回の年末年始旅行は観光の要素はほとんどなく、乗ること、飲むことのウエイトが高い。

まあ、年末年始は博物館や美術館などの見学施設が軒並み休館だから・・などと言い訳する。そんな中でも寺社仏閣は行くことができるし、新潟にはかつての豪農の館を開放した北方文化博物館といった年中無休の施設もある。一時は長岡から新潟までそうしたところを廻りながら1日がかりで行こうかとも検討したこともある。

ただ今回は鉄道メインの旅を選んだ。カギになるのは2019年秋にデビューした観光列車「海里(かいり)」である。「きらきらうえつ」の485系車両の置き換えでハイブリッド気動車で運転される。今回の旅で乗るとすれば大晦日か元日か、そして新潟から酒田行きか、酒田から新潟行きかという組み合わせの中からである。

結果をいえば、思い立ったのがに指定席前売り開始から数日後だったためにすでに満席の便が大久野島、大晦日の酒田発新潟行きの指定席、それも山側の席を押さえるのが精一杯だった。それでも、ちょうど1年前に暗闇の中をたどった「きらきらうえつ」が新しい列車になったことで、乗り比べは楽しめる。車内では庄内や新潟の食を楽しめるスペースもあるそうだ。ということで、長岡から遠路酒田を目指すことになる。そして夕方に新潟に戻って宿泊だが、大晦日から元日にかけての年越しということで、二年参りに行くことも検討中である。長い1日になりそうだ。

まずはその前に朝食、ホテル内の大浴場での朝風呂の後に向かう。6時半から開いているのはありがたい。バイキング形式のメニューの中に、新潟の味ということで栃尾揚げ、へぎそば、たれかつ、のっぺ、鮭漬け焼きなど代表的なメニューも多数並ぶ。ついあれこれ取ったが、新潟に来たことを満喫できるだけの中身で満足だった。

長岡からまずは新潟に向かう。乗るのは7時22分発の快速「おはよう信越」である。全車指定席で別途料金がかかるが、E653系という特急車両に乗れる。指定席は前日に購入していた。平日は通勤客の利用も多いのだろうが、大晦日の朝だからか4両編成の各車両には数人ずつしか乗っていなかった。

この時間帯に快速が走るのは、時刻や列車形態は異なるがかつての大阪発新潟行きの急行「きたぐに」の名残かとも思う。ボックス席の自由席からグリーン車、三段式B寝台、A寝台までバリエーションに富んでいた列車で、私も懐かしく思う。

長岡を出た時点では雨や雪はないが、風はそれなりに強く、雲が流れるのも速く感じる。天気予報では北日本の日本海側は荒れるとのことだが、大丈夫だろうか。

羽越線、磐越西線が分かれる新津を過ぎると沿線の住宅も増えて、8時35分、新潟に到着。新潟駅は現在高架工事中で、2021年度中の完成を目指している。着いたのは仮設の8・9番ホームで、信越線、白新線の普通列車が発着する。

次に乗るのは8時54分発の村上行き。これで村上まで行くと酒田行きの普通列車に接続する。酒田まで行くと帰りの「海里」の発車まで3時間半近く空くのだが、次の鈍行だと酒田発に間に合わないし、まあその時間はどうにかして酒田でつぶすつもりである。

その村上行きは同じホームの向かい側に停車していた、E129系の4両編成。この形式は2両タイプと4両タイプがあるようだ。4両だからだろうか、各車両ともゆったりと座ることができる。

白新線はまずは新潟貨物ターミナルの横を抜け、近郊区間を走る。幅の広い阿賀野川も渡る。

西新発田という駅に着く。元々は田んぼの中にあった駅のようだが、進行右手はその景色の一方、左手はイオンモールをはじめとした大型店が並び、下車する人も多かった。この時間なので買い物客か従業員なのかはわからなかったが、駅とイオンモールが近いというのはローカル線にあって貴重なアピールポイントではないかと思う。

新発田から羽越線に入る。隣のボックスには、新潟からはロングシートにいたが席が空いたので移ってきた年輩の男性二人が陣取る。ペットボトルや水筒で「偽装」しているようだが、中身は日本酒か焼酎のいずれかである(「見た目、全然わからんやろ」と話していた)。鉄道のうんちくについて話し合っていて、この後、坂町から米坂線で米沢方面に抜けるようだ。ただ米坂線の列車まで時間がかなりあるが、いったん村上まで行って少しぶらついた後、午後の米坂線に乗る様子だ。

風力発電所の風車、防風目的の鉄道林が並ぶ。雪はそれほどではないのかもしれないが風は常に強い一帯なのだろう。

風が強いといえば、車内でふと見た運行情報で、「いなほ1号は強風のため、酒田~秋田間運休」というのを見た。「いなほ1号」は先ほど新潟に着く手前ですれ違った列車だが、やはり天候の影響が出て来たか。なお他の情報を見ると、新潟から佐渡の両津に渡るフェリー、高速艇も便によってはすでに運休が決まったものもある。この先どうなるだろうか。

村上が近づくと雨模様になった。到着前に信号の関係で徐行する。まあ、これは遅れではなくダイヤの範囲なのだろう。酒田行きは同じホームの前側から発車とのことで、より慎重になっている様子だ。乗り換え客は列車の前寄りからというので運転席の後ろに移動して前の様子を見る。雨の向こうに酒田行きの気動車が停まっているのが見えて、少しずつ姿が大きくなる。そしてその姿がはっきりしたところで、思わず心の中でうなる。

まさかこういう展開になるとは・・・という大晦日の乗り鉄については次の記事にて・・・。

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長岡で「会おうれ」

2020年01月07日 | 旅行記C・関東甲信越

宝徳山稲荷大社へのお参りから長岡に戻る。30日は長岡駅前の法華クラブに泊まる。

長岡駅から街中には歩道橋で結ばれているが、屋根、壁が完備されていて雨や雪に濡れることはない。また商店街の歩道も昔の雁木造りの名残でしっかり覆われている。歩道橋の柱ごとに、バスケットボールのBリーグのアルビレックス新潟BBの選手が広告塔のように紹介されている。新潟、アルビレックスといえば野球のBCリーグ、サッカーのJリーグのチームがあるのは知っていたが、バスケもあるのか。それらが「アルビレックス」という一つのブランドとして新潟に定着している。

その先には「アオーレ長岡」という施設がある。最初に目に飛び込んできたのがこのイルミネーション。

この「アオーレ長岡」、長岡市が街の交流拠点として整備したスポットで、長岡市役所本庁舎、アリーナ、市民交流ホールを備える。先に出たアルビレックス新潟BBの本拠地はここのアリーナだとか。またさまざまなイベントもここの広場で行われて、長岡で賑わう場所という。「アオーレ」という名前は長岡弁で「会いましょう」という意味の「会おうれ」からつけられたそうだ。

さてホテルにチェックイン。ここまで直江津の駅弁を持ってきたが、それらは「二次会」として、せっかくなので長岡の居酒屋に行こう。

ちょうど駅前の角にある「いさり火」という店を見つける。地元のチェーン店で「昭和23年創業 地元の居酒屋」という看板が出ている。開店直後だったのですんなり入れたが、その後間もなく地元の人たちで満席となった。グループで先に来た人が電話で「いさり火に居るよ」と言うだけで通じていたくらいだ。

日本各地の漁港からの魚が売り物のようだ。そんな中で越後の名物を味わうとする。まずはのっぺと栃尾揚げ(納豆入り)。のっぺは越後の郷土料理だが、地域によってつゆの味付けが違うそうだ。それでも根菜類での野菜摂取にぴったりの一品である。

同じ新潟県でもエリアは異なる阿賀だが、この店では麒麟山という銘柄を推しているようだ(長岡では吉乃川が有名)。大河ドラマではないが、麒麟がくる、麒麟山を一杯いただく。そういえばビールもキリンだったっけ。越後で大河ドラマは天地人だろうが。

この後は越後妻有ポークの越後漬焼き(酒粕風味)や、日本酒によく合う鮭とばなどいただく。その昔「幻の酒」としてブームになった越乃寒梅も、「いさり火」ではその他大勢の酒扱いで気軽に飲める。

満足して店を後にしたが、そのままホテルに戻るところをもう一度駅に向かう。お目当ては長岡の「ぽんしゅ館」。越後湯沢、新潟に続いて2017年に開業したスポットで、コイン式でさまざまな酒の試飲ができる。

こちらに入るのは初めて。越後湯沢と比べれば酒の銘柄が若干少ないようだが、塩や味噌、さらにセルフお燗マシンがあるのは同じである。ここでもコイン1枚ずつ5種類いただく。いただいたのは「米百俵」、「越乃男山」、「上善如水」(越後湯沢に続いてのおかわり)、「真野鶴」。

最後に手にしたのはその名も「越路吹雪」。昭和のシャンソン歌手の名前そのものだが、最後に「ろくでなし」と言われた心持ちになっておしまいとする。越後湯沢の「ぽんしゅ館」はインバウンド含めた旅行客向けだが、長岡では地元の人らしいのが身軽な格好で立ち寄る感じもある。今回は建物が休みで訪ねることはできなかったが、「ぽんしゅ館」は新潟駅にもある。もし私が新潟や長岡に住む、あるいは通勤するとなったら、日常的に立ち寄るかもしれない(悪い習慣だが)。長岡にてさまざまな味覚に「会おうれ」することができた。

そこそこのところでホテルに戻る。法華クラブには大浴場もあり、光明石の湯でゆったりできる。そして部屋での一人二次会・・。

長岡といえばということで「吉乃川」も交ぜておく。

直江津駅弁の「磯の漁火」と「鱈めし」。自分で買っていて申し訳ないのだが、夜の長岡まで引っ張ったのが果たして良かったのかなと思う。わざわざ駅弁購入のために上越妙高まで足を延ばそうと考えるなど、ひょっとしたら自分で期待値を上げすぎたかもしれない。いや、単に食いすぎということなのだが。

これで旅の前半2日間を終えて、翌日の大晦日はさらに北に向かう。大晦日から元日にかけて荒天との予報が気になるのだが・・・。

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宝徳山稲荷大社

2020年01月06日 | 旅行記C・関東甲信越

越後湯沢始発の13時13分発の上越線長岡行きに乗る。やって来たのはE129系という初めて乗る形式である。

新潟地区の電車区間(信越線、上越線、白新線、越後線など)の車両といえば長く115系が占めていた。独自の塗装を施したりシートを張り替えたり寒地らしくドア横に風よけのパネルがあったりしたのだが、2014年にE129系が導入されて以降、順次置き換えが進められた。現在ではごく限られた車両数、運用になっているという。私が鉄道旅行をやりだした頃には各地の幹線やローカル線でバリバリ活躍していた「万能選手」も新潟からそろそろ全面引退という日が来るようだ。

一方で新しい車両には新しい車両の良さがある。今の車両だから全面ロングシートでもおかしくないのだが、E129は通勤輸送と旅行移動の両方取りをしているようだ。1両の半分がロングシート、もう半分がボックスシート4つのセミクロスシートである。このボックスシートも窓が大きく、従来より広く感じる。この旅でボックスシートの相席になる場面はなかったが、向かいに座った人との膝どうしが当たることもないだろう。

ガーラ湯沢は強風のためこの日は営業休止だが、沿線の他のスキー場はやっているようだ。リフトは動いているがあまり人の姿は見えない。私自身やらないので何ともいえないが、スキー人口そのものはこのところ雪国新潟県ですら大幅に減っているようだ。

話はそれるが、関西でも滋賀や兵庫の北部にはスキー場がある。ただ伝えられるのは雪不足。人工雪も使ってどうにか営業しているのが実情のようだ。その中で見たニュースだが、神戸市内の小学校では毎年県北でスキー実習を行っているが、半数近くの学校が実習の取り止めを検討しているという。学習指導要領の改訂で英語やプログラミング教育上などが導入されるため、授業時間を確保する必要があるそうだ。

ただ思うに、学習指導要領だけではなく、そうしたことじたいをしない、させないということが大きいのではないのかな。スキーで万が一ケガでもしたら学校の責任が問われるし、子どもたちも暖かい部屋でスマホをいじるほうを望むのだろう。時代といえば時代だ。

さて六日市を過ぎると雪もなくなり、曇り空の下を走る。只見線が分岐する小出を過ぎる。この時間では列車もなく乗り換え客もいないようだが、今や只見線はインバウンド客も含めた超人気ローカル線で、満員御礼が続くという。三陸で津波に遭った路線は永久にバス転換が決まったが、只見線は巨額の費用をかけてでも鉄道で復旧させるだけの「価値」がある路線である。

信濃川と合流して平野となり、14時31分に長岡到着。ホテルのチェックインには早いのでそれまでどうするかだが、先ほどの車内で行き先の見当をつけていた。

荷物をコインロッカーに預けて、14時43分発の直江津行きに乗る。新幹線から乗り継いで来たらしい客で混んでいる。目指すのは長岡から4つ目の越後岩塚。

無人駅のホームから見えるのは神社の屋根。ここが目指す場所、宝徳山稲荷大社である。

ここに来ようと思ったのは全くの気まぐれだが、実は20年近く前に訪ねたことがある。

当時入っていた旅行サークルがあるのだが、ある年の年末年始旅行で信越を訪ねることをメンバー内で明らかにしたら、その中のNさんから「実家が長岡なので泊まりに来い」と誘われたことがある。時刻表にてそのようにプランニングして、正月に長岡でNさんの実家に泊めさせていただくことになった。雪が積もる庭のある屋敷にお邪魔して、客分のくせにアホみたいに新潟の酒を食らったのを覚えている。正月早々迷惑な客だっただろう。

その翌日に、面白いところがあるとNさんがクルマで連れていってくれたのが宝徳山稲荷大社だった。雪の中に社殿の鮮やかな朱色の柱があったのを憶えている。今はサークルそのものがなくなったし、泊めていただいたNさんはその後同じサークルにいた女性と結婚したのだが今はやり取りもないし(そもそもサークルも消滅)、Nという名字もどこにでもあるものなので長岡で特定することも無理。まあ、昔の思い出ということでいいだろう。

その帰りに送っていただいた越後岩塚駅も何となく憶えている。宝徳山稲荷大社までは徒歩5分ほどで、少し坂を上ると境内の入口に到着した。巨大な鳥居が出迎える。

それにしても大きな建物だが、何やら怪しげな宗教組織に見えなくもない。それでも歴史をたどると起源は縄文時代までさかのぼるという。持統天皇の時代には越の国の一ノ宮の格式を持っていたそうだが、平安時代以降はあちらこちらに移り、現在地に鎮座するのは江戸時代後期だという。そこから増改築を繰り返して現在にいたるが、前回来たのが20年近く前で記憶がはっきりしないとはいえ、ここまで大きかったかなと思う。

道順に従い内宮に入る。初詣の準備が進められているが、祈祷も行われている。この先は撮影禁止のため画像はないが、ここではまず五色のローソクを供えるのが流儀という。高説を唱える神社の方から300円で五色が2本ずつ入った箱をいただき、神殿右手のローソク立てに向かう。説明板によるとローソクの色と並べる順は決まっていて、左から緑(身体健全、交通安全、学術増進)、赤(商売繁盛、金融順行)、黄(火難防止、五穀豊穣)、白(家内安全)、紫(心願成就)とある。火はどうするかというと、すでに立っている他の白のローソクで自分の緑のローソクをつけ、以下、赤、黄、白、紫とリレーしていく。他人のローソクから火をもらうのって、確か他人の業をもらうことになるとして、これまでの西国や四国の札所めぐりではタブーとされていたが、ここはそうしたことはないのだろうか(まあ、説明板にわざわざそう書いてあるから問題ないのかな)。

ローソクの色とご利益というと道教や陰陽道的なものを感じるが、宝徳山稲荷大社ではこういうものだろう。続いて左手のローソク立てにて同じように五色お供えして、最後に正面で手を合わせる。何だか勝手が違うが、これでお参りとする。

奥にはさらに巨大な、地上6階建てはあろうかという本宮がある。お社を通り越してビルである。ただ、冬の間は閉鎖という。最初は雪や凍結のためかと思ったが、春と秋の祭りを境として参拝場所を本宮と内宮とで入れ換えるのだそうだ。冬から春にかけては先ほどの内宮で祈祷も執り行うという。まあせっかく来たので外側だけでも見て行く。絵馬が飾られている一角があり、志望校への合格や安産祈願のお願いもある。その中には「私に親権が得られますように」という何やら複雑な家庭事情のお願いもあるのだが、まあそれらも含めてあらゆるご利益があるのがこの宝徳山稲荷大社なのだろう。

訪ねた時には地元の人らしい人がクルマでお参りに来る姿がいろいろ見られたが、ただ私には、やはり一神社の域を超えて、何かの教団の本部があるように見えてしまう(別にやましいことはしていないだろうが)。さらには少し離れて奥宮もあるが、それはパスした。

予定より早く動けたために一つお参りできたことでよしとして、越後岩塚から長岡に向かう。そろそろ外が暗くなってきた・・・。

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越後湯沢の駅ナカを楽しむ

2020年01月05日 | 旅行記C・関東甲信越

直江津から北越急行ほくほく線の普通列車に乗る。犀潟で信越線と分かれ、頚城の山中へと入って行く。ここまで来ても雪を見ることはない。

北越急行は元々は頚城地区に鉄道を誘致することを目的として計画されたが、その後さまざまな経緯があって上越新幹線と北陸を最速ルートで結ぶ高速鉄道として開業した。越後湯沢~金沢を結ぶ特急「はくたか」は時速最高160キロを出した。私も以前にこの特急に乗ったことがあるが、かなりのスピード感に頼もしさをおぼえたものである。

しかし2015年の北陸新幹線開業により、「はくたか」は新幹線の名称となり北越急行から特急はなくなった。もともと収入の多くが特急によるものだったため赤字ローカル鉄道となったが、それでも「はくたか」運転当時の「貯金」を運用するなどして財務的にはまだ安定しているそうで、ローカル鉄道ながらも「超快速」という高速列車を走らせたり、えちごトキめき鉄道への乗り入れを行ったりと利便性の維持に努めている。

そういえば先ほど乗ってきたえちごトキめき鉄道の列車の車体に、北越急行とのコラボをうたう広告がラッピングされていた。今のところは北越急行の車両がえちごトキめき鉄道に乗り入れるだけだが、設立の経緯は違うとはいえ同じ新潟県にある第三セクター線なのだから力を合わせる意味で一緒になってもいいのではないかと思う。

さて列車はまつだいから十日町を通る。多少雪景色になってきた。この辺りから乗車する客が多く、直江津を出た時はガラガラの車内も立ち客が出る盛況となった。

六日町から上越線に入る。宿泊地の長岡とは逆方向だが、いったんこの列車の終点である越後湯沢に向かう。この日は青春18きっぷを投入、先に直江津でスタンプを押してもらい、北越急行のきっぷは乗車前に六日町まで購入している。車内の運賃表示のディスプレイには「青春18きっぷは利用できません」というメッセージが何度も流れる。

10時54分、越後湯沢に到着。温泉やスキーで賑わうところということで駅前にも人が多い。この駅に来るのも久しぶりだが、駅前には新たに足湯もできている。なお、越後湯沢から上越新幹線が1駅季節運転するガーラ湯沢は強風のためこの日(30日)の営業を休止するという案内が出ている。

さて越後湯沢だが、ここはスキーをせずとも、また町中にでなくても駅ナカで結構な時間を過ごすことができる。というより、私の場合はこの「CoCoLo湯沢」に久しぶりに来るのが今回とったルートの目的といっていい。

観光客でごった返す中を抜けて向かったのが「ぽんしゅ館」。まずは「酒風呂 湯の沢」に向かう。天然温泉に酒風呂専用の日本酒を投入したものである。日本酒の成分の効果で血行を促進し、肌もスベスベになるというので評判という。浴槽も満員御礼だが出たり入ったりをする中で気持ち良くなる。

入浴の後は日本酒である。といっても居酒屋にどっかり腰を据えてというのではなく、利き酒コーナーの「唎酒番所」。新潟県内すべての酒蔵の酒を利き酒で楽しむことができるコーナーで、こちらも久しぶりに訪ねる。1回500円でおちょことコイン5枚をいただき、コインを利き酒マシーンに投入しておちょこ一杯分を楽しむものである。近年は外国人にも人気なのか、コーナーでは外国語も飛び交っているし、スーツケースを置くためのスペースもできていた。

それにしても、200近くの銘柄があるのでどれにしようか迷うところである。目安ということでスタッフお勧めの銘柄や、人気ランキングの上位銘柄が黒板に書かれている。後は醸造方法や、日本酒度、辛口か甘口かというそれぞれの紹介文に頼ることになる。

今回選んだのは「越後鶴亀」、「上善如水」、「八海山越後で候」、「お福正宗」、「越乃寒梅」。画像に「メダル1枚使用」とあるのにお気づきだろうか。かつてはどれもメダル1枚だったと思うが、このところはさまざまな特徴を出すために、限定版やスタッフお勧めについてはメダルも2枚、3枚と増え、多いのだとメダル10枚というのもある。メダル10枚といえばおちょこ一杯の利き酒だけで1000円。さすがにそこまでは手が出ない。

利き酒のアテとして各地の個性ある塩や、キュウリにつけて食す味噌もある。またこれも新たに出会ったのだが、セルフでお燗もできる。酒を注いだおちょこを、ヒーターで温められた湯の中に2~3分つけて引き上げる。そうすると冷やとは違った味わいが出る。これだけの銘柄があると、中には燗で飲んだ方がその良さがより引き出されるものもあるはずで、利き酒の時代はそこまで進んでいる。

私は作らなかったが、「全蔵制覇記録帳」というスタンプカードもある。コインを購入するごとに確認印が押され、何を飲んだかは自分でチェックを入れるというものだ。何事も収集、コンプリートしたくなる人の気持ちをくすぐるもので、見事全蔵制覇すると「ぽんしゅ館」内に名前が残される。すでに何十名かの名札が掲げられていた。

心持ちよくなったところで、「雪ん洞」へ。南魚沼産のコシヒカリでつくった爆弾おにぎりの店である。私はかつてここの「大爆おにぎり」をいただいたことがある。爆弾おにぎり1個がコシヒカリ1合、そして大爆おにぎりだとコシヒカリ4合である。大爆おにぎりの完食者は記念撮影をしてもらい、店内に飾られる。結構な数の方が「殿堂入り」しているのだが、その中にあって私の写真もまだ残されている。

もっとも、大爆おにぎりを2回完食したのも30歳代の頃のことである。40歳代になり、数年前に3回目として挑戦した時は途中でギブアップして、申し訳ないが残ったものも後で食べることもなく廃棄してしまった。知らず知らずのうちに年齢は重ねているものである。

「雪ん洞」を訪ねるのはその時以来で、もう大爆おにぎりに挑戦する気はない。それでも1個・・・いや2個ならいけるかなと、鮭、南蛮味噌それぞれ1個ずつ注文する。

それぞれ1個ずつ包装され、味噌汁が1個ずつつく。これをテーブルに置いて1個ずついただく。食べ方が悪いのか途中で形が崩れて、最後の方は箸を使って食べることになるのだが、体調がよかったのか美味しくいただく。爆弾おにぎりが4個という注文の仕方ならひょっとしたらいけたかも・・?

ちなみに、爆弾おにぎりではなく普通サイズのおにぎりも別の店でいただくことができる。

温泉、酒、コシヒカリ・・これで越後湯沢訪問を満腹満喫して長岡に向かうことにする。乗るのは13時13分発の長岡行きで、当初の時刻表プランより1本ないし2本早い列車である。その分長岡に早く着くわけだが、果たしてその後どうしようか・・・。

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糸魚川から直江津へ

2020年01月04日 | 旅行記C・関東甲信越

12月30日。この日は前日の快晴とはうって変わって、太平洋側は晴れ、日本海側は曇りまたは雨という典型的な冬の気圧配置となる予報である。ただ暖冬傾向のためか雪とまではならないようだ。

糸魚川で宿泊したホテルジオパーク。朝食は「簡易」朝食ということで、何種類かのパンとゆで卵、マカロニサラダのセルフサービス。これまでの宿泊記事を見ると、同じ簡易朝食でも焼き魚の和定食だったり、うどん・そばとおにぎりだったり、ホテル側も試行錯誤していることがうかがえる。パンそのものは美味しくてよかったが、人によっては物足りなく感じるかもしれない。ただ、気軽に買いに行けるコンビニが近くにないのも実情である(糸魚川駅のコンコースにセブンイレブンがあるが、コンビニというよりはキオスクの置き換え版という店構えである)。

この日は8時21分発の直江津行きに乗ることとして、それまで少し駅の周りを歩くことにする。まずは駅からの道をまっすぐに進んで国道8号線に突き当たったところの展望台に向かう。そこまで徒歩5分。糸魚川は「日本海に一番近い新幹線の駅」ということをさりげなくアピールしている。

ここは目の前にテトラポッドが並ぶ日本海、目を転じれば黒姫山など北アルプスの山々を見ることができる。海と山の景色を同時に楽しめるスポットだが、この季節である。ここに来て雨が落ちている。また日本海も前日のように穏やかとはいかず、色も暗く見える。

駅に戻る途中、商店街の一角に入る。昔からの雪国の知恵である雁木が広がる通りもある。

糸魚川といえば、2016年12月に大規模な火災が起こったことが思い出される。焼けたのが駅の北側から日本海にかけて、昔からの町の中心部だったところである。火元は町の中華料理店の火の不始末からで、周辺が雁木造りの通りや木造家屋が密集する一帯だったことと、強い南風にあおられたことで被害が大きくなった。幸い死者は出なかったものの、147棟に延焼、約4万平方メートルが焼失した。

現在は復興が進められ、被災した建物も再建されたり新たな区画整理も実施されている。商店街のメインストリートには、七福神にヒスイの女神である奴奈川姫を加えた「八福神」が並ぶ。火災では一部の石像が行方不明になったが、後の作業で無事に見つかり、今は町の復興を温かく見守っている。一日も早く福が舞い降りるのを願うところである。

さて出発のためにホームに向かうと、ホームの一部を切り取って行き止まり式にしている大糸線乗り場にキハ120が停まっているのが見える。前の記事では引退したキハ52について触れたが、大糸線も久しく乗っていない路線なのでまた訪ねてみたいものである。特に非電化の糸魚川~南小谷は列車本数が少なく、また過去にはしばしば河川の被害で運休になることがあったため「難所」のイメージがある。そんな中で、実は2019年の10月~12月31日まで(つまり、この旅の期間中も該当)、新潟・庄内エリアのディスティネーションキャンペーン「日本海美食旅」を契機とした沿線活性化のため、この期間限定で大糸線増便バスというのを出している。通常ダイヤなら途中駅までの折り返しを含めて9往復のところ、4往復のバスを朝、午前、午後、夜に運行し、区間も南小谷ではなくその先の白馬まで結んでいる。

実際にバスに乗ったわけではないので何とも言えないのだが、こうした「バスによる増発」で思い出すのは、廃止前の三江線である。便数を増やして利用客が増加するかの試みだったのだが、一面では鉄道を廃止してバス転換した場合のシミュレーションの意味合いもあった(結果的にそうなった)。大糸線の場合は観光キャンペーン期間内の利便性向上の位置づけだったが、果たして成果はどうだったか、また今後の大糸線に何か影響が出るのだろうか。

8時21分発の直江津行きは1両のワンマン運転。この時間だとさすがに青春18~第三セクター乗り継ぎの旅行者の数は少なく、海側の席に座ることができた。この先、海に近い区間を走るがやはり海の色は前日よりも暗く感じる。

トンネルも多い。その中にあるのが筒石である。この区間を通るたびに「越後つついし親不知」という、水上勉の作品および映画から来る厳しく暗いイメージを連想してしまう。物語は戦前の話で、北陸線は今のようなトンネルではなく海沿いの厳しい地形の中を走っていた時代。名立のゆるキャラがホームでお出迎えする現在とはもちろん時代背景は違うが、名前のインパクトというのは強いものがある。

9時02分、直江津に到着する。えちごトキめき鉄道、JR東日本、北越急行(厳密には犀潟から乗り入れ)の3社の車両が集まる要衝である。この先のコースだが、宿泊は長岡である。このまま信越線に乗り継げばスムーズに長岡に着くのだがいくらなんでも早すぎる。そのため、いったん北越急行に乗車して越後湯沢に出ることにしている。

一方で、直江津では駅弁を調達したい。以前にいただいた「磯の漁火」や「鱈めし」あたりがお目当てで、直江津駅前のホテルハイマートで作られるものである。ただ、北陸新幹線が開業してから販売の拠点が上越妙高駅に移ったということも聞く。ひょっとしたら直江津では駅弁が手に入らないかもしれない。

駅弁の販売について別に電話で訊くほどのことでもないが、前日までに時刻表を開いてコースを見たところで、9時44分発の妙高高原行きでいったん上越妙高に行くことにしていた。そして駅弁を購入して、次の列車でさらに新井まで南下する。するとその折り返しが11時03分発の北越急行直通の越後湯沢行きとなるのでちょうどよい。駅弁は昼食というより、夜の長岡まで持っていくつもりだが。

そんな中、乗り換えのために橋上の通路に出ると、心配をよそに駅弁の販売コーナーは健在だった。「鮭めし」にも食指が動くが、予定通り「磯の漁火」と「鱈めし」を調達。つまみ用の「するてん」まで手に入れた。そうすると別に上越妙高までわざわざ行かなくてもよくなった。のみならず、直江津から9時32分発の越後湯沢行きに乗ることができ、上記の予定より2時間早く動ける。それならばそのまま越後湯沢まで行ってしまおう。

2両編成の越後湯沢行きの車両はローカル仕様のボックス席。まずはガラガラなのでボックス席を占領する形で出発する。犀潟までは信越線の線路を走るが、ここからは一時北陸への最速ルートを形成していた路線で、今でも「日本最速のローカル列車」を有する北越急行ほくほく線に突入する・・・。

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糸魚川のキハ52

2020年01月03日 | 旅行記C・関東甲信越

北陸新幹線の長野~金沢間が開業したのは2015年3月のことで、もうすぐ5年になる。この新幹線開業とともに、北陸線の市振~直江津、信越線の妙高高原~直江津が第三セクターのえちごトキめき鉄道に移管された。糸魚川もその区間に含まれる。開業以降、新幹線とトキめき鉄道でそれぞれ1回ずつ通ったことはあるが、駅に降り立つのは初めてである。駅舎も立派な橋上式の建物に造りかえられた。

この日(29日)宿泊するのは駅の真ん前にあるホテルジオパーク。これまで糸魚川に泊まった時は駅前の老舗ホテル、駅からちょっと離れたルートインを利用したことがあるが、新幹線開業を機に新たにできたホテルである。実はこの日の宿泊地というのもあれこれ迷っていて、一時は魚料理込みということで先ほど下車した越中宮崎や、親不知にある民宿も候補に入っていた。ただやはりマイペースで過ごしたいということもあり、ビジネスホテルを選ぶことに。また糸魚川を通り越して直江津や高田というところも検討したが、たまたまネット検索で見つけたこのホテルに落ち着いた。なお現時点では公式サイトのみでの予約受付で、宿泊予約サイトでは出てこない。

部屋はシンプルな造り。私が宿泊したサイドの部屋からは駅舎を見ることもできる。

さて夜をどうするかだが、事前に調べたところでは糸魚川の駅前には飲食店街もあるそうだが、訪ねたのが日曜日ということで休みが多いようだ。事実、訪ねた時にはそうした店の灯りというのはほとんどついていなかった。これは予想通りということで、こういう時は近くの地元スーパーであれこれ仕入れて、部屋でのんびりするのも楽しみである。やってきたのは駅前の「ナルス」。ご飯ものは富山で「ぶりの寿し」を買っているからそれを充てるとして、刺身盛りや惣菜、つまみ、そして地酒も。特に地酒は銘柄や醸造法(純米酒とか本醸造とか)にこだわらなければ土産物店より安く購入できることがある。

※ちなみにホテルジオパークの1階には寿司屋がある。一品もので刺身の盛り合わせや天ぷら、から揚げ、地酒もあるがやはり寿司メインで値段はそれなりにしそう。今後の行程もあるのでこの日はスーパーでの買い出しとしたが、選択肢の一つにはなる。

先に集めたものを紹介すると、サッポロの新潟限定「風味爽快ニシテ」や、「加賀の井」、「根知男山」といったところ。また江戸末期創業の老舗蒲鉾店による、たらを原料とした「くしがたかまぼこ」もある。

その食事の前に、買い物袋をぶら下げてもう一度駅に向かう。そういえば新しい駅舎に、かつて大糸線を走っていたキハ52が保存されているというのを聞いていたからである。駅舎の山側に「ジオステーション ジオパル」という交流施設があるというのでそちらに向かう。

するといました、キハ52。今は新幹線の高架下に静態保存されているが、限定日には屋外に引き出されて展示されることもあるという。かつて使われていたレンガ造りの車庫も、一部だけが移築されて外に保存されている。

面白いのは車内が待合室としてそのまま開放されているところ。ちょうど訪ねる人もまばらで、車内の様子も撮影できる。このままシートに座って、何なら先ほど買ったビールを空けてもいいかなと思ったが、そこは「飲食禁止」の貼り紙がある。

大糸線のキハ52、私も現役時代の最後のほうに乗ったことがある。その時は確か3両在籍していて、それぞれが赤とクリーム色の国鉄色、青とクリーム色の横須賀色、朱色一色の首都圏色と分かれていて、訪ねた人たちがそれらを乗り比べたり、沿線で撮影にいそしんだりとした光景を思い出す(乗車記はこちら)。また引退後は1両はここ糸魚川、もう1両は津山の鉄道館、さらにもう1両はいすみ鉄道にて動態保存されている(乗車記はこちら)。こうしてシートに座るだけで懐かしがって満足だが、もうこれからこうしたタイプの実車に乗る機会というのは少なくなるのも事実である。

さらに奥には鉄道模型の巨大なジオラマがあり(有料で運転も可能)、北陸線や大糸線関係の懐かしの品々も展示されている。こうした鉄道の要衝としての歴史も伝えて行こうという取り組みを見ることができ、訪ねることができてよかった。

この後は部屋に戻り、上記の食材での夕食を楽しみ、持参のパソコンにて旅行記の続きを書く。周囲も静かな環境で、ゆっくりした一夜を過ごすことができた・・・。

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たら汁とヒスイ海岸

2020年01月02日 | 旅行記D・東海北陸

話は年末の29日に戻る。

あいの風とやま鉄道の泊行きに乗る。富山を12時47分に出て、終点の泊まで50分の道のりである。進行右手には立山連峰の姿が先ほどよりも近くにはっきりと見える。車窓にカメラやスマホを向ける姿も見られる。

泊では次の13時52分発の直江津行きに接続だが、駅舎とは反対側のホームの前と後での乗り換えとなる。泊が終点ではあるが、これは第三セクターどうしの都合でのことでしかない。確かに富山県朝日町の玄関駅ではあるが、富山県と新潟県の県境に近いところで設備がそれなりにあることから乗り換え駅になっているだけだ。第三セクターらしい仕切り。

つまりは、直通で利用する人のほうが多いために階段を上り下りすることなく乗り換えということだ。直江津行きは1両の気動車だが、まだ4~5年の新車である。立ち客も出る中、前側のドア付近に立つ。

泊を出るとさっそく左手に日本海が見える。波が実に穏やかだ。話はこの先になるが、一口に「冬の日本海」といっても少しエリアや日が変わることによってさまざまな表情を見せるものだなとまざまざと感じさせられることになる。

次の越中宮崎で下車する。富山県側最後の駅である。ちなみに、あいの風とやま鉄道ではICカードの利用が可能である。富山では乗り換えが慌ただしかったのでICカードで改札を入ったのだが、これを見越してのことである。もっともカード読み取り機は駅舎にあるので、ワンマン運転手にその旨を告げて外に出る。

越中宮崎に降り立つのは初めてである。無人駅だがコインロッカーが備え付けられていて、しかも100円の返却式である。また今は閉まっているが臨時の案内所もある。越中宮崎駅のすぐ目の前には海岸がある。シーズンには海水浴やキャンプで訪ねる客も多いのだろう。ここでロッカーを利用する。

海岸に向かってもいいのだが、先に遅めの昼食とする。この朝日町から糸魚川市にかけての一帯は、たら汁が名物である。横を走る国道8号線沿いには何軒かのたら汁料理店(兼民宿)がある。今回はその中で、駅のホームからも見える「ドライブインきんかい」に向かう。たら汁のみならずラーメンや丼ものといったガッツリ系メニューもあり、民宿やコインランドリーも兼ねている。幅広いドライバー向けの店という感じだが、駅から近ければ私のような客も来ることができる。

メインの食堂が満室のようで、先に待っていた家族連れ2組とともに別室に通される。たら汁は単品の他に定食があり、さらに刺身盛りを追加したセットもある。ならばとたら汁と刺身のセットを注文し、エイヤッとばかりに1本つける。

やってきたのは別にアルミ鍋に入ったたら汁と、刺身盛り合わせ、小鉢が3品とごはん、なます。刺身もなかなかだし、小鉢のいかの煮付けも食べられるとはお得だ。で、たら汁だがぶつ切りが3~4切れ入っていて、少しずつ身をほぐしながらいただく。たら汁はいわゆる宴会のたらちりとは違う、あくまでも家庭料理のメニューに入る。そのため作り方もシンプルで小骨なども入るが、切り身と格闘するぶん時間をかけて楽しめる。この時点で、越中宮崎からの列車を1本遅らせることにした。

味噌もあっさり仕立てで、たらの味を損なわないようにしているように感じた。たら以外には白ねぎとゴボウが入り、薬味のような位置付けだ。まあ、店によって作り方も違うようだし、たら汁を語ろうと思えばいろんな食べ比べをする必要があるが、満足して店を後にする。

さて、次の列島までの時間は酔いさましも兼ねて海岸に出る。有名なヒスイ海岸だ。正しくは境海岸と呼ぶそうだが、地元でもヒスイ海岸としてPRしている。この日は年末年始休みだったが、駅前には「ヒスイテラス」という海岸のPRや交流センターの位置付けの新しい建物もある。

ヒスイは古くから宝石の一種として貴ばれているが、日本では長い間中国からもたらされたものだと考えられていた。それが昭和になってから糸魚川でヒスイの鉱石が見つかり、古くからこの辺りで採れたヒスイが当時の交易ルートに乗って都をはじめ各地にもたらされたのではないかということになった。

ヒスイの鉱石が長い年月をかけて姫川や青海川の流れによって海に運ばれ、そこから波によってこの辺りの海岸に打ち上げられたという。そして今では宝探しのようにヒスイ探しが行われるようになった。

こう書くと海岸のいたるところにヒスイがゴロゴロ出てくるイメージを持つ人がいるかもしれないが、観光案内その他によると、ヒスイ探しは簡単なものではなく、地元の人でも苦労してようやく見つかるかどうかというものらしい。見た感じがヒスイに似た石も結構あるそうで、見分け方も紹介されているが、パッと見てわかるかと言われれば・・。

別に一攫千金を狙うものではないのでヒスイ探しはしない。海岸を歩くが、砂浜ではなくこうした丸い形の小石がゴロゴロしている景色に驚く。別にヒスイでなくても、色や形が気に入った石を持って帰ればいいのだが、この先の道中に石を持ち歩くのも何だかなと思う。

見ていると等間隔で釣糸を遠くに飛ばしている人が目立つ中、打ち寄せる波に腰まで浸かりながら波打ち際の地面の石を拾う人がいる。ヒスイは波打ち際にある可能性が高いそうだが、それを実践している人だ。やはり何かを得たいならばそれに見合った取り組みをしないといけないようだ。しばらくすると自分のクルマに戻ったようだが、果たして成果はあったのかどうか。

そうかと思えば、おそらく先ほど私が見送った列車で越中宮崎に来たであろう、おじいさんと孫らしい出で立ちも見える。男の子は両手に何個かの石を持っている。おそらくヒスイとは違うだろうが、おじいちゃんと越中宮崎のきれいな海岸に来て、きれいな石を拾えた思い出・・私より純で、旅の記念とはそもそもそういうことなのだろう。

乗るのは16時38分発の直江津行き。座席は埋まっているのでまたドア横に立つ。次の市振から新潟県に入ってえちごトキめき鉄道の区間になるとともに、景色が険しくなった。親不知の険である。

1本前の列車なら親不知での途中下車もありだったが、すでに暗くなりつつなる中では躊躇する。その中で1人下車があった。列車にカメラを向けていて地元の人ではなさそうだが、よく考えれば時刻はまだ17時前、列車は上り下りともいくらでも来る。

その17時になったばかりの糸魚川に到着。29日の乗り鉄はここで終了。糸魚川には過去にも泊まったことがあるが、北陸新幹線が開通してからは初めてである・・・。

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謹賀新年

2020年01月01日 | ブログ

2020年、謹んで新年のご挨拶を申し上げます。

新たな年が皆さまにとって良い一年になりますよう、ご健康とご多幸をお祈りいたします。

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