まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

元日、2日の夜は新大阪にて・・・

2022年01月14日 | 旅行記E・関西

元日は名門大洋フェリーで大阪南港上陸~池田の久安寺~雪景色の能勢妙見山と慌ただしく回った後、新大阪に2泊とする。実家の藤井寺には2日に顔を出すが宿泊はしない。ならば天王寺など、もう少し近いところに泊まればよいのだろうが、新大阪をベースキャンプにしたのは1月3日の動きを意識してのことである。

宿泊としたのは新大阪の東口にあるスーパーホテル。朝食、大浴場つきで2泊10,700円。新大阪近辺には他にホテルの空きはあったが、朝食、大浴場つきとで探していた。また、この手のホテルは需給バランスによって価格が大きく変動するが、早期の予約だと安く利用できるということで決め打ちしていた。部屋はお任せプランだったが、禁煙のダブルルームが割り当てられた。ベッドは広いし、机もまあまあ大きく連泊も苦にはならない。

テレビをつけるとちょうど「笑点」の元日特番をやっていて、2021年末をもって降板となった林家三平さんの後のメンバー発表のタイミングだった。そこで発表となったのは、桂宮治さん。BS版で放送の若手大喜利にも出ていて、事前の予想にも挙がっていた一人である。まあまあ、妥当なところではないだろうか。

大浴場に向かう。「天然温泉秀吉ゆかりの天下取りの湯」とある。大浴場といってもそれほど広いわけではなく、また時間帯によって男女交代となるために入浴のタイミングを見計らう必要はあるが、私が行ったときはたまたま他の客がいない、あるいは少数だったためゆったりと浸かることができた。

そして元日の夜。元日に開いている店などほとんどないだろうということで、メインディッシュは駅弁、飲み物はコンビニ調達ということにした。新大阪の「駅弁にぎわい」で選んだのが、三ノ宮の「神戸中華焼売弁当」、そして福井の「越前かにめし」。何ともアンバランスな組み合わせになった。今思えば、酒の肴もかねて和風の幕の内も入れれば華やかになったかな?と思うが、これで正月から一人宴だ。

元日の夜は早くに横になった・・。

・・・さて2日。スーパーホテルの朝食は簡易メニューとはいえバイキング形式で、正月料理も若干出ていた。また、たこ焼き器の中でたこ焼きがクルクル回っている。こういうのもちょっとした面白さである。早朝からそこそこの人出である。

2日はテレビで箱根駅伝のスタートを見た後にホテルを出発し、藤井寺の実家に向かう。途中西国三十三所第5番の葛井寺にも立ち寄って手を合わせる。先月、西国三十三所の3巡目を終えて中先達の昇補申請を行うにあたり葛井寺で証明をいただいたが、現在まだ手続き中である。今回は西国の先達納経軸は持参しておらず、この日は手を合わせただけである。

西国三十三所めぐりはすでにフライングで4巡目に取っ掛っているが、かなりハードなイベントを盛り込むことを考えていて、近々始める予定だ。いずれ、このブログでそのシリーズが延々続くのだろう・・・。

その後実家で両親らと顔を合わせ、昼食を含めてしばらく過ごし、夕方にまた新大阪に戻った。まだ実家に泊まるというところには至らない(まあ、狭いし(笑))。事実、ホテル泊のほうがお互い気兼ねせずに済むだろう。

そして2日の夕方。ちょうど新大阪東口の前で見つけたのは「さくら水産」。灯りもついていたので地下1階に入店。キタやミナミならともかく、2日の夜に新大阪で飲む人はさすがに少ないか、店内はガラガラだった。

「さくら水産」は関東を中心に展開するチェーンで、私も東京勤務時にはお世話になった。もう10数年前のことだが、当時はメニューが書かれた紙に赤鉛筆でチェックを入れて注文していたなあ。価格が安いのも特徴で、「魚肉ソーセージ 50円」なんてのもあった。関西にも何店舗かあったと思うが、いずれにしても久しぶりに入るチェーンである。

ただ、時代の流れか運営会社も経営が厳しくなったか、その間に店舗数も大幅に減ったようである。関西はここ新大阪東口のみである。

一方で、料理については単価が高いものの、そこそこのものが並ぶようになったという印象である。何だか、普通のチェーン居酒屋になったようである。その中でもさまざまな料理を楽しむ。中にはイカのルイベやら、鯛のかぶと焼きといったものもある。

ホッピーも美味しくいただく。

部屋に戻り、2日夜もぐっすりと休むことができた。

これで大阪での2日間を終えて、3日は広島に戻る。ただ素直に戻るのではなく、ある日帰りプランにてさらに遠くに出ることにする。正月ということで思い切って贅沢をしたのだが・・・。

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西国四十九薬師めぐり~能勢電鉄乗り継ぎで雪の能勢妙見山へ

2022年01月13日 | 西国四十九薬師

池田の久安寺に参詣した後、どこに行こうか考えた結果思いついたのが、池田からほど近い能勢電鉄の乗車である。過去に途中の駅まで訪ねたことはあったが、終点の妙見口まで乗ったことがなかった。

池田から1駅、川西能勢口に到着。池田と川西、県境をまたいでいるが川西池田というJR駅もあるように一つのエリアと見ることができる。能勢電鉄も両市をまたいで運転する路線である。

阪急とはホームの一部を共有しており、朝夕には阪急~能勢電鉄直通の特急「日生エクスプレス」も運転される。運賃も合算される。車両も阪急から譲渡されたものである。「阪急能勢線」といってもいいくらいだが、子会社とはいえあくまで独立した会社である。車両にも「のせでん」のマークが入るし、駅名標も周辺のスポットをデザインしたイラストも入ったオリジナルのものが続く。

列車はしばらく猪名川近くの住宅地が並ぶ中を走る。かと思うと周囲が山の景色に急に変わるところもある。日生中央への線が分岐する山下を過ぎると単線になり、急カーブとトンネルも続く。地図を見るとその山の上に住宅地が開かれていて決して過疎地を走っているわけではないのだが、大阪近郊なのにローカル線に乗っているかのような雰囲気を味わえる。

光風台、ときわ台というニュータウン風の駅名を過ぎると周囲は一気にローカルムードとなり、終着駅の妙見口に到着。ホーム1本、行き止まり式の無人駅である。

能勢電鉄は能勢妙見山への参詣客輸送と、沿線の特産物の輸送を目的として建設された。経営が厳しい中早くから阪急が資本参加するなどで持ちこたえ、沿線の住宅開発で利益を上げることで何とか経営も安定させることができた。

終点の妙見口は大阪府最北端の駅だが、来るのは初めてである。長いこと大阪府に住んでいたにもかかわらず乗ったことがない路線があったとは、乗り鉄を名乗っていてもいい加減なものである。

ここまで来たのならと、能勢電鉄が建設された当初の目的である能勢妙見山にお参りすることにしよう。能勢妙見山へは、同じく能勢電鉄が運行する鋼索線(妙見の森ケーブル)と索道線(妙見の森リフト)を乗り継ぐことになる。

能勢妙見山への参道は、途中駅の名前でもある一の鳥居から続くそうだが、妙見口駅からだと花折街道を通って妙見の森ケーブルの駅まで20分ほど歩く。

なお、この日は突然思い立ってケーブルとリフトを乗り継いで能勢妙見山に行くことになったが、いずれも冬季は運休する路線である。ただし、正月3ヶ日と、能勢妙見山のお祭りがある2月11日に限り運行するとあった。もし前日の大晦日に来ていたら妙見口でそのまま折り返すところだった。

大阪府にもこんなところがあるのかと感心する里山の景色を歩く。途中に八幡宮があり、そちらに初詣で訪ねる人の姿もちらほら見る。ただここに来て、晴れ間が出たかと思うとまた雲が覆い、風も出てきた。

そしてケーブルの黒川駅まで来ると、軌道に沿って雪が積もっているのが見える。元日早々、大阪でこうした景色を見るとは思わなかった。それもオモロイやないかと、ともかくケーブルとリフトの往復セット券を買って乗り込む。座席がほぼ埋まるくらいの乗客があった。

5分ほどで山上駅に到着。リフト乗り場であるふれあい広場まで坂道が続くが、周囲は数センチの積雪。ケーブルに乗り合わせていた子どもたちがわざと雪道を歩いたり、雪を手に取って投げたりして親から「やめとき!」と言われていたが、そりゃ遊びたくもなるだろう。

リフトに乗り継ぐ。かつてはここからもケーブルカーが運行されていたが、戦時中に不要不急路線として撤去されたそうだ。戦後再建するにあたり、建設費などを考慮してリフトにしたという。係の人がビニール座布団を用意してくれて、リフトが回って来るとそれをシートに置く。その上に座っての出発である。

リフト沿いは桜をはじめとして四季の花が楽しめるそうだが、今は雪景色である。繰り返しになるが、まさかこういう展開になるとは思わなかった。ただ元日から珍しいものを見てうれしい気持ちである。もっとも、リフトに乗るのに雪が降っていたら大変なことになっただろうな。冬は正月3ヶ日と2月11日だけ運行とあるが、もし大雪だったら運休もあるのかな。

妙見山に到着。すぐ横に展望台があるので、雪を踏みしめて立ち寄る。その展望台からは六甲山、大阪平野、大阪湾が一望できる。なかなかの眺めで、今朝方降り立った大阪南港の辺りも見える。こちらはどんよりと曇っているが、平野部には日が差しているのがわかる。そのくらいしか離れていないのだが、晴れの大阪南港から一転して雪の能勢という眺めを楽しむことができて、急に思い立ってやって来た甲斐があった。

能勢妙見山へはもう少し参道を歩くが、一面の雪である。ただ、関係者の人が整備してくれているおかげか、歩行に難儀するほどではない。足元のこの感触も久しぶりだ。

参道の鳥居の近くに駐車場があり、多くのクルマ、そして初詣客で賑わっている。ケーブルやリフトは冬季運休だが道路は通年走ることができるし、そもそも、能勢妙見山にお参りするのはクルマが主流なのかもしれない。タイヤがノーマルなのかスタッドレスなのかは気になるが。

能勢妙見山という寺、大阪北部では有名なところで、こうして鉄道やケーブルカーが敷かれるくらいだから参詣者が多いのだが、私がさまざまな札所めぐりをするようになったにも関わらず、これまでご縁がなかった。改めて能勢妙見山について調べて納得したのだが、その理由が、ここが日蓮宗の霊場だったからだ。

確かに、これまでの札所は天台宗や真言宗が中心で、鎌倉仏教系でごくたまに浄土宗や臨済宗、曹洞宗が入ってくるが、日蓮宗、浄土真宗はこれらとは一線を画しているところもあり、そうした札所めぐりに登場することがなかった。これは別にどちらがいい、悪いというものではない。私の父方の宗旨が高野山真言宗ということもあり、そちらのほうにシンパシーを感じていただけのこと。

能勢妙見山は正式には「真如寺境外仏堂能勢妙見山」と呼ぶそうで、あくまで真如寺の飛び地にあるお堂の扱いだそうだ。近くにもう1ヶ所、能勢妙見山本瀧寺という寺があるそうだが、そちらは無関係な別の寺だという。

古代中国には北極星信仰があり、これに仏教の思想が混じって「妙見菩薩」が生まれた。平安時代、源氏の流れを汲む能勢氏がこの地の領主となると妙見菩薩を篤く信仰した。

後の戦国の世、当主の能勢頼次は能勢の地を失うのだが、関ヶ原の戦いの活躍で再び能勢の地を領地として与えられ、旗本として家を再興した。この頼次が帰依していたのが日蓮宗の日乾で、新たに妙見菩薩を祀った。これが現在の能勢妙見山の開基である。その後、「能勢の妙見さん」として人々からの信仰を集めた。現在は「北極星信仰の世界的聖地」としてPRしているところだ。

参道には馬の像が目立つ。馬は妙見菩薩のお使い・守護とされていて、また武士にとって大切な乗り物であったことから能勢氏も大切にして奉納したとされる。

屋台も出ている石段を上りきると、独特の形の建物に出た。「星嶺」という信徒のための建物である。これも能勢妙見山のシンボル的な建物だという。信徒の行事の時など、限られた時だけ開放されるそうだ。

そして山門へ。ふと見ると、ここに大阪府と兵庫県の境界の表示がある。ここまで大阪府と兵庫県を行ったり来たりしていて、川西能勢口で能勢電鉄に乗ったのは兵庫県。そして妙見口は大阪府。駅からケーブル黒川駅まで歩く途中で兵庫県に入ったようで、ケーブルとリフトは兵庫県である。そして石段を上がり、この山門から先は大阪府だ。昔は同じ摂津国だったから何の不思議もなかったことで、逆に現在の大阪府と兵庫県に分かれるにあたり、境界を引く基準がどうだったのかが不思議なところだ。

本堂にあたる開運殿にお参り。能勢頼次により開かれ、再建を経て現在に至る建物だ。ここに妙見菩薩が祀られている。他には日蓮・日乾などを祀る祖師堂や、経堂などがある。いずれも少し雪をかぶっている。一瞬、東北か北陸の寺にいるのかと思わせる。別に日蓮宗の寺だからといって他を寄せ付けないわけではなく、お参りする分には普通の寺である。鳥居が残っているのは神仏習合の名残ではあるが。

初詣の「おかわり」の形になったが十分満足し、境内を後にする。再び雪道を歩き、リフトでふれあい広場まで下りる。その降り口のところにあるのが「妙見の水」。妙見山の地下から湧き出る自然の恵みで、ペットボトルに汲んで持ち帰る。

ケーブルカーに乗り継いで黒川まで来た。すると乗り場前に阪急バスが到着した。この3ヶ日に合わせての運行で、せっかくなのでバスに乗って妙見口まで戻る。

帰りは途中の山下までの列車に乗り、タイミングよく日生中央から来た川西能勢口行きに乗り継ぐ。この日はこのまま宿泊地となる新大阪まで移動することに・・・。

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第18番「久安寺」~西国四十九薬師めぐり・48(池田の里での初詣)

2022年01月12日 | 西国四十九薬師

九州西国霊場の札所を回った後にフェリーに乗り、そして大阪に上陸して今度は西国四十九薬師めぐり・・札所めぐりでそれぞれで手を合わせてお勤めはしているというものの、はたから見れば完全にスタンプラリーかなとも思う。まあ、もとよりそこに他の観光スポットやら夜の一献やらも交えているので純粋な巡礼ではないのだが、それもいいだろう。

阪急宝塚線の急行にて池田に到着。池田には日清食品の創業者である安藤百福がチキンラーメンを発明した縁から「カップヌードルミュージアム」もあるし(カップヌードルはお世話になることもしばしば)、「池田の猪買い」などの噺の舞台となったことから「落語みゅーじあむ」というのもある。いずれも私にとって楽しめそうなスポットだが、年末年始のため休館である。まあ、もとより年末年始はいわゆる「ハコモノ」は休館するところがほとんどで、元日に池田に来ても入れないのは仕方ないと当初から割り切っていた。その点、この時季に旅行を楽しむなら年末年始よりは次の成人の日絡みの連休のほうがいいかもしれない。その時は「ハコモノ」や飲食店含めほとんどが通常営業に入っているので・・。

さて向かう久安寺へは池田からの路線バスである。日中は30分~1時間に1本の間隔での運行である。西国四十九薬師の一つである寺だし、元日は初詣客でバスも混雑するのかと思いきや、乗ったのは数人。それも地元の人のようで久安寺に初詣に向かうわけではなさそうだ。

特に道路が混むわけではなく、猪名川に沿って走る。阪神高速池田線の延伸区間も池田木部まで来ている。

先ほど落語「池田の猪買い」について少し触れたが、落語では雪も降る冬の寒い季節に、男が猪の肉を買いに大坂の丼池からどうにかこうにか歩いて向かっている。今なら阪急電車ですぐに行けるところで、駅周辺をはじめとして宅地化も進んでいるが、それでもバスで抜けると畑も広がり、山がちな景色となる。こうしたところなら、かつて普通に猪が獲れていた場所だといっても違和感はない。また「池田の牛ほめ」という噺もあり、立派な家を普請して、普通に牛が飼われていたとしてもうなずける。

現在は「不死王閣」という立派な温泉旅館もある。大阪市内からでも気軽にアクセスできるので有名だ。

そこからもう少し進んで久安寺のバス停に着く。バス停横の駐車場から境内に入れるが、そこはいったん通り過ぎた山門に向かう。山門そのものはくぐれないが、横の扉から入る。その扉も閉めるようにとの札がある。猪・鹿・犬通行止めとある。今も「池田の猪買い」の世界が残っているようだ。

久安寺は聖武天皇の勅願で行基が開いたとされ、弘法大師空海が真言密教の道場として建てた安養院が前身である。後に焼失したが、平安後期に近衛天皇の勅願で再興され、その頃から久安寺と呼ばれるようになった。先ほどの山門は室町時代には建造されていたもので、後に何度かの修復を経て現在に残る。

受付で拝観料を納め、バインダーの納経帳を預ける。まず出たのは「開運の鐘」。大晦日には除夜の鐘としても撞かれたそうだ。ここは新年を祝ってゴ~ンと一撞き。また年が明け、先ほどまで新年の勤行、護摩祈祷などが行われていたそうだ。境内で焚かれた火がまだ残っている。

本堂に上がる。今回、西国四十九薬師めぐりで訪ねたが、寺の本尊は千手観音である。平安中期、後一条天皇の勅願で定朝が彫ったとされる秘仏である。元日の勤行の後のためか椅子がずらりと並び、まずはそこに腰かけてお勤めとする。

本堂から三十三所堂、御影堂へと回廊が続き、スリッパでそのまま向かう。三十三堂には西国三十三所の本尊がずらりと並ぶ。新年早々、オールスターのお出迎えに恐縮する。久安寺は摂津国三十三所霊場の札所の一つでもある。

そして御影堂へ。ここも勤行の後のためか椅子や座布団が並ぶ。摂津国八十八ヶ所霊場の札所の一つでもあり、手を合わせる。この奥には四国八十八ヶ所のお砂踏み霊場のコースが広がっている。気候のいい時なら回るのも面白そうだ。

で、薬師如来は・・?と境内を回るうち、本堂から見て左手、山門から見て右手に新しい建物がある。薬師如来は8世紀の作で、池田市最古という。もっとも、直接見ることができるのは平成作の御前立ちの像である。ここでもお勤めとする。

それにしても、開運の鐘に始まり、千手観音、西国三十三所本尊、弘法大師、薬師如来・・と、初詣にふさわしいスポットに出会ったものである。このタイミングで順番が回ってきてよかった。帰りに受け取った朱印の用紙には「元日」の文字が入っていた。

西国四十九薬師めぐりはこれで48ヶ所まで回り、残るは第49番の比叡山延暦寺のみとなった。ここは日を改めて向かうことにする。

とりあえず、一度バスで池田に戻る。時刻はちょうど昼時、新大阪のホテルには夕方チェックインするとして、時間はまだある。そういえば、池田駅の近くに呉服(くれは)神社というのがあったな。その昔、正月に阪急宝塚線沿線の「七福神めぐり」をしたことがあり、七福神の恵比寿が祀られているスポットとして参詣したことがある。

・・ただ、元日の昼間、拝殿から阪急の高架まで長い行列ができていた。境内がそれほど広くないこともあるのだが、ここまで並ぶものかと驚いた。特に長時間並んでまで拝むか・・と言われればパスする。特に本日ここがメインというわけでもない。

ならばどうするか。宝塚線で宝塚まで行き、今津線を南下する乗り鉄でもいいかなと思ったが、路線図を見るとすぐ近くにまだ終点まで乗ったことのない路線があるのに気づく。その路線とは・・・。

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西国四十九薬師めぐり~まずは海上から謹賀新年、初日の出

2022年01月11日 | 西国四十九薬師

早いもので年が明けてからもう10日が経ったが、記事は新門司港からの名門大洋フェリーの船上にて新年を迎えた2022年(その瞬間は個室の中で寝落ちしていたのだが)。

さて、正式に眠りについて、そして目覚めたのは6時前。日の出の時刻は7時すぎ、ちょうど明石海峡で迎えることになる。となると、それまでが慌ただしい。

まずは朝風呂である。前夜にも入っているし、普段朝風呂の習慣があるわけではないが、こういうところで1泊すると朝風呂に入らなければもったいない気がする。貧乏性なのかな。入口には余裕あり、入浴中1名との表示が出ていたが、更衣室に入ると結構な人出。この表示もあまりあてにならない。まずは髭を剃り、体を洗って湯船に浸かり、新たな気持ちになる。

その後は朝食。前夜と同じバイキング形式。お椀に餅が1つ入って、出汁を注いで出来上がりの雑煮や、蒲鉾、伊達巻、田作りなどの簡単なお節料理もあり、それぞれ少しずつつまむ。旅の途中でこうした料理はありがたい。

そして甲板に上がる。明石海峡大橋はもう通過していて、大阪湾に入ってきた。上部甲板にはすでにかなりの人だかりができている。前方には神戸から大阪の湾岸部、さらには生駒~紀伊の山あいが見えるが、あいにく雲がかかっている。

初日の出を狙うが、先ほどまで左舷の方角が明るかったところ、フェリーが左に舵をきった。すると甲板の人たちが一斉に右舷に移った。どうやらこちらから日の出が拝めそうだ。

ただ、山上には厚い雲。日の出の時刻はとうに過ぎているが、太陽はなかなか顔を出さない。雲の一角に明るくなっているところがあり、そこから顔を出すのだろうと皆待ち構えている。

そして雲の隙間から・・・。

きれいに真ん丸なわけではないが、きちんとした日の出である。少しずつ明るくなり、光線が水面を走る。甲板にいた人たちから拍手が起こる。2022年がよい年になりますように・・・。

大阪南港が近づく。そろそろ着岸である。12時間半あまりの航海ももうすぐおしまい。船上での年越し、そして初日の出・・よい思い出になった。無事に大阪南港に到着。

さて元日の過ごし方。藤井寺の実家には2日に顔を出すとして、元日は大阪近郊で過ごす。元日、2日は新大阪に連泊することにしている。実家に宿泊してもいいし、親からもどうするのか訊かれたが、スペースの問題もあるし、一応コロナ禍の中で気をつかうとして・・・まあ、お互いそのほうが気楽でいいだろう。

そこで、タイトルにあるように西国四十九薬師めぐりである。ここまで49の札所のうち47ヶ所まで回っている。最後に比叡山延暦寺に向かうとして、その前に残っているのが池田の久安寺。ちょうど大阪ということでいいのではないかと思う。ならばそのまま延暦寺にも行けばよいのではという声も聞こえそうだが、延暦寺については満願として改めて参拝したいと思う。そこにはある思惑もあって・・。

目的地は池田だが、まずは宿泊地の新大阪に向かうことにする。大阪南港から新大阪に向かうのはコスモスクエア経由が近いのだろうが、これまでの経験からか住之江公園行きに乗る。そのままニュートラム~四つ橋線~大国町同一ホーム乗り継ぎの御堂筋線~で新大阪に到着。

新大阪に先に来たのは荷物をコインロッカーに預けるためだが、コインロッカーなら阪急の池田にもある(はずだ)。それを新大阪まで行ったのは、宿泊地に近いこともあるし、元日の夕食を確保しておこうという思いもあった。そのことはまた改めて触れるとする。

何だか無駄な動きをしているようだが、新大阪からまた御堂筋線で1駅西中島南方に戻り、阪急京都線に乗り換えて十三に到着。さらに乗り継ぎ、阪急宝塚線の急行で池田に向かう(新幹線と阪急の乗り換えも近いようで遠い・・・)。

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第7回九州西国霊場めぐり~新門司港から「フェリーきょうと」で年越し

2022年01月09日 | 九州西国霊場

大晦日の夕方、小倉駅北口に向かう。これから新門司港に移動して、名門大洋フェリーにて大阪南港に向かう。ちょうど船上での年越しとなる。今回の札所めぐりの中の目玉の一つである。

乗るのは19時50分出航の第2便。徒歩での乗船客は小倉駅18時40分発の送迎バスで移動することになる。18時すぎに小倉駅に着き、送迎バスが発車する北口のロータリーに早めに向かう。並走する阪九フェリーの送迎バスも同じ場所から出るが、乗客も結構多そうだ。名門大洋フェリー乗り場にはJTBのツアーの旗を持った添乗員が立ち、参加者の受付を行っている。九州発で、関西の由緒ある寺社での初詣ツアーのようだ。

しばらくすると北九州市交通局のバスがやって来て、名門大洋フェリーの客を誘導する。確かに通常の送迎バスだけでは足りないので応援ということだろう。私のような個人客や、ツアーの客で受付が済んだ人も順次乗り込み、前倒しで発車。これだと30分ほど早く新門司港に着きそうで、その分船内での滞在時間が増える。

門司港で関門海峡を見てからそれほど時間が経っていないがすっかり暗くなり、淡々と走って新門司港に到着。建物の入口で検温を済ませる。今回はネット予約時に発行された予約確認書を持参しており、印字されたQRコードを読み取ればそのまま乗船できる。乗船名簿も書かなくて済むとは合理的だ。

この日割り当てられたのは「フェリーきょうと」。2週間前の12月16日に就航したばかりの新造船である。別に狙っていたわけではないが、大晦日の第2便に新門司港を出航する便ということで選択したらたまたま「フェリーきょうと」だったということだ。

乗り込むのは1人用個室の「ファーストS」。「フェリーきょうと」は最も安い「ツーリスト」でも独自のキャビンを設置し、一人ひとり区切られたベッドスペースが確保されている。いわゆる桟敷タイプ、雑魚寝タイプというのがない。昨今の個室ニーズに応えたものだという。

割り当ての「ファーストS」はベッド、机、いす、テレビ、洗面台、個別エアコン、コンセントが備わる。一夜を過ごすには十分な広さである。まずはここに荷物一式を置き、レストランに向かう。フェリーのレストランといえば乗船客が集中して混雑するイメージがある。ましてや今年(2021年)最後の食事である。早めに済ませて安心しておきたい。

第2便は夕食・朝食ともバイキング形式で、1月15日乗船分までは「フェリーきょうと」の就航記念として夕食1600円、朝食750円のところ、夕食1000円、朝食500円の合計1500円と割引されている。これはお得だ。部屋用のアルコールは別に買い求めてきたが、せっかくなのでと瓶ビールをつける。まあ、割引分は瓶ビールで吸収されるのだが・・。

和洋中さまざまな料理が並ぶ中、9マスに区切られた皿に万遍なく載せてカウンター席に陣取る。まだ出航前だが一人乾杯。いろいろあった2021年を名残惜しむことにする。それにしても、1000円でこれだけのものが並ぶとはすごく、1回目では取り切れなかった料理もある。他にはもつ鍋もあったな。あれはご飯と一緒にシメでいただくとするか。

一献やる中で出航の時刻となり、少しずつ離れていく。陸側で出航に関わった係の人たちが手を振って見送ってくれる。今年最後の出航を見送って感慨深いものがあるのだろうか。

もっとも、他の乗船客も次々にやって来て満席の状況となる。食事を済ませた客は席を立つようにとのアナウンスもあり、私もそれほど長居することもなくレストランを後にする。

続いては入浴。入口の前に混雑状況が表示されていて、訪ねた時は混雑の表示だったが、中をのぞくと空きのロッカーがあったのでそのまま入る。これまでに入った人が多かったためか湯船の湯が心なしか少ないように感じたが、それでもゆったりすることができた。長距離フェリーでの2大イベントと言ってもいい食事と入浴(別に長距離フェリーでなくとも、普段の生活でもイベントか)を済ませてとりあえずホッとする。

展望ラウンジにも行ってみる。売店でカップ氷を買い求め、チューハイと合わせる。さすがにこの時間に甲板に出る気はなく、もう船内でゆったりすることに・・。

部屋に戻る。現在の船舶の位置を示すチャンネルもあり、ちょうど周防灘に差し掛かろうかというところである。時折このチャンネルに合わせるが、瀬戸内を通るのがよくわかる。広島から大阪に帰省するのに、わざわざ九州に渡り、福岡のローカル線や久留米の札所など回って瀬戸内海を渡るという大循環の旅である。自分でも結構カネをかけているなと思う。

さて、大晦日の夜のテレビといえば紅白歌合戦だ、格闘技だ、ダウンタウンだ(これは2021年はやっていなかったか)といろいろあるが、個人的に楽しみなのはBS-TBSで放送の「吉田類の年またぎ酒場放浪記」である。画面に出てくる酒肴を愛でながらチビチビやるのもいいものだ(2020~2021年の年越しは広島の自室で過ごしたが、この番組のおかげで退屈することもなかった)。BSなので公表される視聴率には現れないが、この番組を観ているという方も全国に少なからずいるのではないかと思う。

2021年版は吉田類さんの故郷・高知県での酒場巡りで、高知を出発して仁淀川、土佐久礼、窪川、中村、土佐清水とめぐる。かつて四国八十八ヶ所めぐりで高知県を回ったが、四国もまた何かの形で回ってみたいものである。レストランからは年越しそば販売のアナウンスも流れるが、まあいいか。

そのまま時刻は23時を回り、恒例のカウントダウンでの樽酒鏡開きを待つばかりとなったが・・・。

・・・気が付けば時計は1時を回っていた。うわ~、肝心なところで寝落ちしてしまったようだ。番組も終わっていたようだ。新年早々やらかしたかなと思いつつ、本格的に寝ることにする。

1月1日の日の出予想時刻は7時06分、明石海峡近辺ということは船内でも案内されていた。初日の出を見ることはできるかな・・・?

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第7回九州西国霊場めぐり~日田から門司港へ・・

2022年01月08日 | 九州西国霊場

田主丸11時43分発の日田行きに乗車する。キハ200系のロングシート車で、感覚としては普通の近郊電車に乗っているようだ。この形式もオールロングシート、オールクロスシートそれぞれあり、そこに千鳥式に配置のキハ220系が混じる。

3月にこの区間を通った時、車内にはウォーキング姿の人が目立っていたように思う。筑後吉井からうきはまでのコースで、途中には地元で知られる桜並木があったり、古い町並み保存地区があったりと楽しめるようだ。

筑後大石を過ぎて筑後川を渡り、大分県に入る。川と並走して夜明に到着。日田彦山線の分岐駅だが、2017年の九州北部豪雨で大きな被害を受けたことから、添田~夜明~日田間の鉄道での復旧を断念し、BRTに転換することが決まっている。現在は2023年度の開業に向けて工事が進められている。夜明駅には日田彦山線への乗り換え表示が残っており、ホームには線路が伸びているが、その線路もだいぶ草生してきたようだ。

12時14分、日田に到着。ホームの向かいに停まっていた12時33分発の大分行きに乗り継ぐ客も目立つ。ここで気づいたのだが、この列車に乗り継げば、途中の接続時間はそれぞれわずかだが、大分、中津とぐるりと回っても夕方に小倉に着くことができる。久大線の日田~大分が乗り残す感じだったのをカバーできるが、まさか日田に来る展開になるとは思わず、荷物は久留米に残しているので先に進むわけにはいかない。13時10分発の久留米行きで折り返すことにする。

日田は「進撃の巨人」の作者である諌山創氏の出身地ということで、地元のPRにもキャラクターがふんだんに使われている。駅のホームや待合室にも歓迎メッセージが並ぶ。

そんな駅前を見て、昼食は駅前の久留米ラーメンの店にする。今回は豆田町の町並みまで行く時間まではなく、駅前でラーメンだけ食べての折り返しである。

日田行きは先ほど乗った車両がそのまま折り返す。筑後川の眺めから耳納連山を見つつ、途中ウトウトもしながら久留米まで戻ってきた。

久留米では土産物コーナーや待合室で1時間近くつぶした後、15時10分発の快速門司港行きに乗る。鹿児島線はそれより前に何本か列車が発車するが、いずれも途中駅止まりの区間快速や普通で、結局小倉に着くのが早いのはこの快速である。

小倉までは2時間近くの乗車となる。筑後川を渡り、佐賀県の最東部を走り抜ける。鳥栖駅横にはその名も「駅前不動産スタジアム」というのがある。別に鳥栖駅前というわけではなく、福岡、久留米、佐賀を中心に展開する不動産業者「駅前不動産」がネーミングライツを持つことからその名がついている。次回は鳥栖から長崎線シリーズに入ることになる。県庁所在地の佐賀、交通の要衝の鳥栖、いずれも泊まったことはないのでベースキャンプとして検討したい。

駅ごとに乗車があり、博多で多くが入れ替わる。そこから先の鹿児島線の区間だが、これまで列車で通過するばかりで、下車してどこか見物するということがなかった。この先、そうした機会が出るかどうか。

16時55分、小倉に到着。今夜乗船する名門大洋フェリーの新門司港へは小倉駅から無料の送迎バスが出ている。19時50分発の第2便へのバスは18時40分発だが、さすがにちょっと早かったかな。なお、乗っている列車は17時08分まで停車して門司港に向かう。ならば、いったん門司港まで行って駅舎くらいちらりと見た後に小倉まで戻ってもいいかなと、そのまま乗っていくことにする。

17時21分、夕暮れの門司港に到着。門司港は昔ながらの終着駅(始発駅)の風情を残しており、ホームもシンプルな造りだ。ちょうどいい時間帯に来たのではないかと思う。

そして重要文化財の駅舎。ちょうど照明がついたばかりのところだ。

関門海峡を望む。夕陽の残骸が西の空に残っているが、ちょうど関門橋、下関の街並みもライトアップされたところ。今年の最後に眺めた絶好の景色となった。

いや、小倉で何となく時間を送るより、門司港まで少しの時間でも足を延ばして見物してよかった。私の旅、札所めぐりにもたまにはこうしたものがないと・・。

17時48分発の荒尾行きに乗り、18時01分小倉着。少し早いが、駅北口で送迎バスを待つことにしようか・・・。

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第7回九州西国霊場~第19番「観音寺」(河童の田主丸、牛鬼退治の伝説が残る古刹)

2022年01月07日 | 九州西国霊場

善導寺から久大線に乗って田主丸に到着。駅舎が河童をあしらった造りになっていることで一部では知られている。またホームにも河童の像が建つ。

駅舎にも登場するくらい、田主丸には河童に関する伝説が多い。その中で知られているのが「九千坊(くせんぼう)」率いる河童の一族。かつては9千匹の河童が球磨川に棲んでいたという。その九千坊だが、加藤清正の家来の「尻小玉」を抜くなどさまざまな振る舞いをしたために、清正の怒りを買い、球磨川を追われた。その後、悪さをしないことを条件に久留米の有馬氏から筑後川に棲むことを許され、久留米の水天宮の守り役として、領民を水害から守ったという。

さてこれから向かう観音寺だが、ホームの案内標にも「石垣山観音寺」の文字がある。地元としても名所なのだろう。南東2.5キロ、徒歩30分とあり、一応駅からの徒歩参詣の許容範囲内である。

駅近くの踏切で特急「ゆふいんの森」に遭遇し、そのまま南下する。何度か道がジグザグとする。先ほどの善導寺と同じく駅周辺には庭木の栽培が目立つ。

またほかにぶどう園が立ち並ぶ。今はシーズンオフだがぶどう狩りを楽しむことができる。この耳納連山の麓が条件的に適しているのかな。そういえば、田主丸のホームの駅名標にも、河童がぶどうを口にしているイラストがあった。

県道に出て観音寺に到着。いったん境内の横を過ぎて、東側の山門から入る。

観音寺は天武天皇の勅願で開かれ、筑後国でもっとも古い歴史を持つ寺院とされる。後に行基により伽藍が建立されるとともに、平安時代には慈覚大師円仁により天台宗に改められた。以後、現在は寺の規模も小さなものだが、観音信仰が受け継がれている。

観音寺には牛鬼伝説というのがある。ある夜、真夜中に鳴る鐘の音に住職が驚いて目が覚めるが、鐘堂には誰もいなかった。その後、同じように真夜中に鐘が鳴ることが続き、その都度、牛や馬、さらには村の娘子どもがいなくなる出来事が起こった。そこで住職が宝剣を持って鐘堂に隠れてその正体を突き止めようとしたところ、頭は牛、体は鬼という牛鬼が現れた。そこで住職がお経を唱えると牛鬼は苦しみ、そのまま息絶えた。それを聞いた村人たちは、頭を都に送り、手を観音寺に奉納し、耳を近くの山に納めた。その耳を納めた山が現在の耳納山の名前になったという。

この牛鬼退治を行った住職が、観音寺中興の祖である金光上人とされる。金光上人は後に浄土宗の僧として東北地方に念仏を広めた人物で、現在も顕彰されている。

ちょうどこちらでも大晦日ということで境内の清掃の最中である。納経所の扉も閉まっている。先ほどの観興寺の件もあるからさてどうしたものかと思うと、寺の方から「ご朱印ですか?」と声を掛けられる。「どうぞ、本堂の中でお待ちください」と本堂の扉を開けてくれる。

せっかくなので中でお灯明を上げてもう一度お勤めとする。それが終わるころに寺の方が来て、朱印と寺の行事案内のちらしをいただく。「バタバタしててすみません。どうぞごゆっくりお参りを。(ろうそくの)火だけ消しておいてください」との対応。こちらこそ恐縮である。

しばらく本堂の中にいて、火を消して扉を閉めて寺を後にする。ともかくこれで今回の目的地である久留米市の2ヶ所を回り終えた。福岡県にはまた戻るが、次回からは新たな県である佐賀県に入る。とりあえず佐賀市近辺の2~3ヶ所で組んでみようかと思う。

これで田主丸駅まで歩いて戻るが、晴れてはいるが風がきつい。思わず上着のフードをかぶる。河童の駅舎の待合室にたどり着いた時はほっとした。

時刻は11時半を少し回ったところ。思ったよりも早くこの日の行程が進んだように思う。久留米行きの列車までは時間があるが、バスで戻ってもいいかなという中で、ふと11時43分発の日田行きの文字が目に留まる。いったん日田まで行き、1時間足らずの時間で折り返して久留米まで戻り、鹿児島線の快速で小倉に向かうことにするか。日田で特に観光する予定はないが、乗っているだけで青春18きっぷの元を取ることはできる・・・。

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第7回九州西国霊場めぐり~第18番「観興寺」(ちょっと対応がな・・)

2022年01月06日 | 九州西国霊場

12月31日、JR久留米から久大線の列車に乗る。8時33分発のうきは行きはキハ220系の2両編成。そのうち1両は長崎線・大村線当時の「シーサイドライナー」のロゴが残る。これから走る区間は海とはまったく関係のないところだが。

今回は久大線に乗るが、2021年の3月、九州西国霊場第1番の英彦山を目指すにあたり、久留米から久大線~日田彦山線と乗り継いでいる。今回はその区間を一部なぞると言っていいだろう。

まずは久留米の市街地の南側を回るように走り、西鉄の線路とも交差する。南側には耳納(みのう)連山の山並みが広がる。その様子が屏風のように見えることから屏風山とも呼ばれているそうだ。

久留米から20分走り、8時53分、善導寺に到着。正に寺がつく駅名だが、目指すのは観興寺である。ちなみに善導寺とは鎌倉時代に開かれた浄土宗の寺院で、久留米藩有馬氏の保護を受け、九州における浄土宗の大本山となっている。沿線の観光スポットとしてはそちらが有名なのだが、今回は行かない。

善導寺駅は昭和の初めに開業したが、建物はその当時のままである。前回来た時はちょうど桜の時季で、ホームの桜もよく咲いていたのを覚えている。ここまでがICカードの有効区間とある。

駅の周りには観葉植物や庭木の栽培が目立つ。また「世界つつじセンター」というのもある。つづじは久留米市の花に指定されているそうだが、このつつじセンターでは世界各地から収集したさまざまな種類のつつじが栽培されている。

10分ほどで県道に出る。西鉄バスの山本停留所は交差点のすぐ横で、観興寺の案内板も出ている。次の田主丸方面のバスは9時36分発で、さすがにそれには間に合わないため次の10時34分発に乗ることを目指す。

このまま山本の集落を15分ほど進み、観興寺の山門に出る。山門をくぐると長い石段が続いている。そのたもとに「普光院」と書かれた巨大な幟が立ち、風に揺られて竹がきしむ音がする。寺の正式名としては「山本山普光院観興寺」というそうだ。

観興寺は天智天皇の時代、草野太郎常門という人が狩の途中に霊木を得て、千手観音の像を彫り、本山として開いたのが始まりとされる。後に天智天皇から「普光院」の名前を賜ったという。その後多くの僧坊も有していたそうだが兵火で焼かれ、現在の境内は江戸時代に再興されたものだそうだ。

石段を上がったところが本堂の観音堂で、まずはここでお勤めとする。ローソク、線香のセットが置かれているので灯明もお供えする。本堂の周りには西国か四国か、石像がずらりと並ぶ。

また本堂の前からは先ほど通ってきた一帯を眺めることができる。朝方、列車を待つ間は粉雪もちらついていたが、ここに来て晴れ間も見えてきた。この日は歩きが多いので雪ならまだしも雨だけは降ってほしくなかったが、このぶんだと天気は大丈夫そうだ。

石段を下りると釈迦堂やその他の石像もある。小ぢんまりしているが山間の落ち着いたところだなという印象。

さて納経所へ向かう。納経所の前に紙の箱が置かれていて、それを開けると九州西国、そして百八観音それぞれの朱印の紙が入っている。ここはセルフ対応なのかなと思っていると、ちょうど横の釈迦堂の前で住職らしき人が掃除をしている。こちらを向いたので会釈をすると住職から発せられたのは、

「上にお参りはしたのか?」

上とは本堂のことだろう。まあ、先にお参りを済ませてから納経所に向かうのはルールというか、マナーであるのでそういう問いかけは当然だろう。ただ、この忙しい時に胡散臭い奴が来たとでも思っているのか、機嫌が悪そうだ。「この朱印の紙をいただいていいですか?」と尋ねても何も言わない。私もちょっとムッとした感じになり、箱から紙を取ってお金を入れて、もう日付も入れなくていいかとここを去ろうとすると、

「さっきから写真撮っとっただろ。そんなことするな」と。

これには思わず「はあ?」となった。例えば撮影禁止の表示でもあればこちらが悪い。また、寺の本尊に勝手にカメラを向けるならマナー違反をとがめられても仕方がない。ただ、こちらは境内のお堂とか、外にある石像を撮っているだけ。そんなことを言われたのは初めてだ。まあ、住職、失礼こいつがそういう方針、考えを持っているなら仕方ないし、ここで言い争っても仕方ないのでこちらも黙って寺を後にする。後でネットを見ても、観興寺の境内の写真などいくらも出ているし、本堂からの眺めを賞賛する記事もあった。何やねん。

まあ、札所の中にはこうしたところもあるだろう。今後来ることもあるまいが、感じが悪い寺とだけ記しておく。

寺での滞在が短かったことや、案内より早く歩いたこともあり、山本10時34分発のバスまで待つこともなく、善導寺駅まで戻り、10時ちょうど発の筑後吉井行きにぎりぎりで間に合いそうだ。

少し早歩きで進み、発車数分前に到着。バス、鉄道で同じように行けるなら、青春18きっぷも持っているし鉄道のほうがよい。下車経験駅も増える。

2駅乗り、10時09分に田主丸に到着。ここは河童が出迎える駅として知られていて・・・。

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第7回九州西国霊場めぐり~久留米にて一献

2022年01月05日 | 九州西国霊場

12月30日は西鉄久留米駅前にて宿泊。JR久留米と比べて駅前も賑わっている様子だしホテルもいろいろあるが、その中で選んだのはエンナンホテル久留米。それはそうと、エンナンってどういう意味だろうか。

施設は年季が入った感じだが、リニューアルされた感じで居心地は悪くない。予約サイトの案内に「軟水風呂」とあり、大浴場があるのかなと思って予約したのだが、使っている水が軟水ということで風呂じたいは室内の普通のユニットバスだけだった。私の早合点。

さて、少し部屋で休憩した後、ホテルのすぐ近くにある一番街に向かう。飲食店もいろいろ並ぶ一角で人出もそこそこある。久留米で一献は初めてだが、今回、年末ということで営業を終了している店があるだろうし、開いているところに客が集まって満席だったらいやだなということで、グルメサイトにて1人OKの店を予約していた。旅の楽しみとしては、知らない街中をぶらついて、その中で雰囲気がよさげな店を見つけるところにあるのだろうが、最近は私も守りに入っているのか、事前にネットで予約することが増えている。まあ、事前予約した価値があったり、(予約なしでも余裕で入れて)私の取り越し苦労だったり、予約に縛られて失敗したな・・ということもあり、これはこれで来てみないとわからないのだが。

福岡で展開する焼き鳥チェーンの「戦国焼鳥家康」。福岡で家康というのもイメージがわかないが、「戦国焼鳥」だけで検索すると、家康以外にも秀吉、信長、信玄・・などの武将名がついた店舗が全国に点在しているのがわかる。何か関連があるのかな。

そのチェーンの一つの久留米店に入る。入ると「予約の方ですか?」と訊かれる。この日は予約客以外は基本お断りのようだ。まだ時間が早かったので店には2~3組しかいなかったが、この後次々と客が顔をのぞかせる。そして予約がないとなると断られ・・・というやり取りが何度となく続いた。地元でそれなりに流行っているのだろう。今回については、居酒屋難民にならずに済んだことで予約は正解だったと言える。

今回はグルメサイトからの予約が可能な90分飲み放題コース(1650円)を注文。生ビールも対象で、普通に飲めば十分に元が取れるコース。まずは九州に渡って来たことで一人忘年会だ。

焼鳥についてはセットメニュー(10本1760円)とする。カウンターの目の前に焼き鳥がずらりと並び、それを中央の炭火で焼いてくれる。こういう光景、見ていて飽きない。

福岡の郷土メニューといえばもつ鍋、ラーメンが思い浮かぶが、焼き鳥も名物の一つである。その食べ方だが、まずは大皿にキャベツがデンと盛られる。そして串が焼かれると都度キャベツの上に置かれる。このキャベツ、大阪の串カツ屋のようにそれだけをタレにつけてつまみにして食べるのもありだし、焼き鳥の脂や酢タレなどと絡むとまた別な口直しの一品になる。これが福岡流の食べ方という。ただ、広島市内で店舗が広がる「カープ鳥」もこのスタイルではなかったかな。

焼き鳥といっても鶏肉だけではなく、豚肉、牛肉、野菜、魚介とバラエティに富んでいる。まずは10本セット(といいながらもサービスか?12本出てきた)をいただき、追加でもう何品か頼む。味付けも適度で結構いける。

飲み放題としつつも結局サッポロビールとレモンサワーで押し切り、いい心持ちになって店を出る。ちょうど人出も増えたところで、こうした賑わいにどこかホッとするものを感じる。

この後は久留米まで来たのだからラーメンを・・というところだが(体に悪いのは承知で)、それこそ名店がいろいろあってどこにしようかと思う。結局、「戦国焼鳥家康」の斜め前に建つ「麺志」に入る。「ラーメン道」(あっさり)と「ラーメン志」(こってり)の2種類のうち、こってりの「志」を注文。

両者を食べたわけではないので比較できないが、こってりといっても思ったほどドロドロしているとか、臭みがあるというものではなく、スルスルといただける。夕食後ということを考えて1玉だけにしたが、昼食で来ていれば間違いなく替え玉を頼むところである。

また、駅前のコンビニに立ち寄ると立地条件からか、ラーメンコーナーが充実していた。久留米ラーメンの名店の名前が冠されたカップ麺、袋麺、半生ラーメン、棒ラーメンが何種類も並ぶ。地元の人も買うのだろうが、私も自分土産としていくつか買い求める。

部屋に戻り、翌日の行程を再度確認する。ここまでが長かったが、メインの九州西国霊場めぐりは翌日、大晦日のことである。

今回は第18番の観興寺、第19番の観音寺といういずれも久留米市内の札所である。午後にJR久留米から快速で小倉に移動し、新門司港から大阪南港行きの名門大洋フェリーに乗る。当初はレンタカーでの移動を想定し、予約もしていたのだが、地図と時刻表をあれこれにらめっこして、今回は鉄道、バス、徒歩ででも十分行けると判断して結局キャンセルした。

まず観興寺は、西鉄バスの山本という停留所から徒歩10分とある。いったん荷物は西鉄久留米のコインロッカーに預けて、そこからバスに乗ればよい。またこの系統のバスは次に向かう観音寺の最寄りである田主丸駅前を通る。駅からは2キロあまり歩くしかないが、九州西国霊場の札所としては「徒歩圏内」と言っていいだろう。田主丸まで行けば、西鉄久留米まで別系統の路線バスもあり、昼過ぎには西鉄久留米まで戻り、そこからJR久留米までバス移動でつながる。

その一方、改めて地図を見ると久大線の善導寺駅から山本のバス停までそれほど離れていないように見える。それなら、先にいったんJR久留米までバス移動してここで荷物を預け、久大線で善導寺まで行って観興寺まで多少距離は延びるが歩けばよいのではと、予定を変更する。この日も青春18きっぷを投入するが、単に午後の久留米から小倉への移動だけで1回分を使うよりは少しでも利用区間が増えるのでいいだろう。

さて翌朝、バイキング形式の朝食を済ませ、西鉄久留米からJR久留米へのバスに乗る。両拠点の間はバスが頻発しており、乗車時間は10分あまり。西鉄に比べて周囲は静かに見えるが、新幹線も通っており街の玄関口の役割を果たすJR久留米に到着。コインロッカーに荷物を預け、8時33分発の久大線うきは行きに乗り込む・・・。

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第7回九州西国霊場めぐり~「某鉄道」経由で久留米入り

2022年01月04日 | 九州西国霊場

九州西国霊場めぐりの前泊のために、さらにその前夜(12月29日)から出発するという何とも暇人な行程を続ける中、福岡県内の乗り鉄シリーズとなった。前の記事で小倉から日田彦山線~後藤寺線~福北ゆたか線~原田線とたどって原田まで来た。

原田から14時02分発の荒木行き区間快速に乗る。そのまま乗れば15分で宿泊地の久留米に着くのだが、快速の次の停車駅である基山で下車する。福岡県からいったん佐賀県に入った基山町にある駅であるが、私は下車して改めて基山が佐賀県だということに気づいた。

駅の通路には漫画「キングダム」を記念した顔抜きパネルが置かれている。作者の原泰久さんが基山町の出身だという。漫画は読んだことがないのでそうなんや・・というくらいの感想だったが、時間待ちの間に基山町出身の有名人を検索すると、カープの長野、ベイスターズの濵口両選手や、お笑いコンビのどぶろっくといったところが出てくる。うーん、この中で町のPRに誰を起用するかとなると・・・下ネタのどぶろっくは論外として(お笑い番組で彼らが出たら私はチャンネルを変える)、「キングダム」が妥当なところだろうな。

基山で下車したのは、ここから分岐する甘木鉄道に乗るためである。かつての国鉄甘木線を引き継いだ第三セクター線だが、そういえばこの線に乗ったことがなかったなと、今回組み入れることにした。次の発車は14時18分の甘木行き。ホームは国鉄時代から引き続き鹿児島線と隣接しているが、そこは別会社である。なお甘木鉄道の乗車券はJRの自動券売機では発売しておらず、車内で精算する仕組みである。

1両の気動車は中央部にクロスシートを備える。第三セクターにありがちな車体の気動車に見えるが、同社では開業当時からの名残か、車内案内では「この『レールバス』は・・」との言い回しがあった。

甘木鉄道の前身である国鉄甘木線は、終点の甘木を含む現在の朝倉市で鉄道開通の機運が高まったこともあるが、途中の太刀洗に開設された陸軍の飛行場への物資輸送を目的として建設された路線である。戦後、飛行場の跡地にキリンビールの工場が建ち、その輸送の一端も担ったがトラック輸送への転換により経営は厳しくなった。近くに西鉄甘木線があり、また並行するバス路線もあったことから廃止の方向だったが、沿線自治体の尽力により第三セクターとして存続した。ちなみに主要株主にはキリンビールも名を連ねているそうだ。

なぜかこれまで甘木鉄道には乗ったことがなかったが、ともかく乗ってみよう。

まずは大手メーカーの工場や物流センターが並ぶ中を走る。甘木鉄道になってから新たに信号場を設けたこともあり、現在は朝夕に15~20分おきの運転も可能になったそうだ。また、国鉄甘木線にあった筑後小郡を西鉄との交差地点に移設して、西鉄との連絡を改善した。元々沿線人口もそれなりにあった中でそうした取り組みもプラスとなり、全国の第三セクター路線の中では比較的安定した成績を残しているそうだ。

その小郡で乗客の乗降があり、淡々と走る。基山駅のホームにも広告看板があったキリンビール福岡工場最寄りの太刀洗も過ぎる。そのキリンビール工場はコロナ禍の影響で見学は中止とのこと。また機会があればと思う。

14時44分、終点の甘木に到着。駅としては終着駅なのだろうが、鉄道としてはここが本拠地である。車庫も設けられていて、さまざまな塗装のバリエーションを持つ車両が並ぶ。かつての国鉄型気動車をイメージしたデザインの車両もある。こういうのも鉄道のPRになりそうだ。

駅舎も戦前の建物だという。かつては町の玄関口として大きな役割を担っていたことがうかがえる。

その前に建つのが「日本発祥之地 卑弥呼の里 あまぎ」の石碑。前回の九州西国霊場めぐりで訪ねたみやま市(山門郡)も邪馬台国があったとされる地の一つだったが、こちら朝倉市、甘木もその候補の一つだという。次回に向かう予定の佐賀には吉野ヶ里遺跡もあり、こちらも邪馬台国の地として有力である。

なお、どうでもいいことだが、「甘木」という文字を見ると、かつての内田百閒「阿房列車」を思い出す。別に百閒が甘木に来たわけではないのだが、作品の中に「甘木君」というのがちょいちょい登場する。別にこれはアマギ隊員(ウルトラ警備隊)・・・もといアマギさんという人がいたわけでなく、仮名である。「甘」と「木」をくっつけると「某」という文字になる。これは旅先で会った人たちの実名を伏せるための言い回しで、他に「何樫君」をはじめとしたいくつもの仮名が登場する。そういうイメージがあるから、甘木鉄道という文字を見て「某鉄道」と脳内変換してしまう。

さて某、じゃなくて甘木からどうするか。甘木鉄道で折り返してもいいが、同じ乗るならこちらも初めての西鉄甘木線だろう。久留米でも西鉄の久留米に到着する。

甘木鉄道の甘木から少し歩いて西鉄の甘木に到着。交通量の多い道端に小ぶりな駅舎が建つ。何だか周囲に申し訳ないと言うかのような小ぢんまりとした造りだ。一応、両社の甘木駅の乗降人員数を見ると西鉄のほうが若干上回るものの、いずれも厳しい状況である。

西鉄甘木線は単線で、2両編成のワンマン運転である。三井電気軌道というのが前身だそうで、三井(財閥)はこういうところの鉄道運営にも関係していたのか・・と思ったが、後で見ると三井(みつい)は関係なく、三井郡(みいぐん)に敷かれたからそういう名前になったのだとか。

駅間も短く、ワンマン運転のためか、各車両の中央の扉は開かない。そのまま天神大牟田線と合流する宮の陣に到着。本線の普通列車が先に発車するということでそちらに乗り換える。ホームには太宰府天満宮向けの大晦日の終夜運転の時刻表も出ている。西鉄久留米に到着。

福岡県南部の主要な町である久留米。こうやって駅前に降り立つのは初めてである。時刻は16時を回ったところで、本日の移動はここで終了。今夜は西鉄久留米駅前で宿泊、一献・・・。

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第7回九州西国霊場めぐり~かつての炭鉱路線を乗り継いで・・

2022年01月02日 | 九州西国霊場

12月30日、山陽線を乗り継いで小倉に到着。この日は札所めぐりを前に久留米に宿泊するのだが、このまま鹿児島線の快速にでも乗れば13時すぎに到着する。何ならその時間からでも予定の2ヶ所を回ることができるかもしれない。ただそうしなかったのは、同じ移動日ならちょっと変わったルートをたどろうという思いがあった。

まず乗るのは、小倉10時46分発の日田彦山線、田川後藤寺行きである。ここは気動車に乗ってみよう。

その前に腹ごしらえ。ちょうど田川後藤寺行きが停まっている2番ホーム上にあるスタンドでかしわうどんをいただく。北九州駅弁当が運営する店舗で、7・8番ホーム上にあるのと同じ味わいである。小倉駅構内のかしわうどんはもう1社、JR九州フードサービスも運営しており、3・4番ホーム上と、連絡通路で営業している。それぞれ好みがあるようで。ちなみに5・6番ホームにはラーメンのスタンドがあるが、こちらもJR九州フードサービスの運営。駅ホームにラーメン店があるのも福岡らしいが、こちらは昼前からの営業である。

田川後藤寺行きは近郊の利用客のほかに、大きな荷物を持った帰省らしい家族連れも見られる。私もでかい荷物を抱えている。広島から大阪に向かうのにいったん九州に渡り、札所めぐりも盛り込んでいるが、それでも帰省は帰省。

分岐駅の城野でしばらく停車して、日田彦山線に入る。しばらくは小倉近郊の住宅地が並ぶが、だんだんと景色も山がちになる。それでも結構なところまで北九州市小倉南区が続く。日田彦山線は田川地区の石炭を輸送する目的で敷かれた路線だが、炭鉱がなくなった後も石灰石の採掘が行われ、専用線も敷かれていた。

それはそうと、線名の「日田彦山線」である。2017年7月の豪雨のために添田~夜明間が不通となり、復旧に向けてJRと地元は協議を重ねたものの、結局鉄道での復旧は断念し、BRTの運行に切り替えることになった。九州西国霊場めぐりの第1回で英彦山を訪ねた時、現在の代行バスに乗り、工事中の駅構内などを見る機会があったが、鉄道としては日田にも彦山にも行かない路線というのも何だか妙なものである。かつて香春~添田を走っていた「添田線」の名前でええやん・・とすら思ってしまう。

桜の名所としても知られる採銅所、かつてセメントの積み出しでも賑わった香春を過ぎる。

かつて炭鉱で栄えた田川伊田を過ぎる。ホームには「炭坑節発祥の地」のプレートが掲げられている。「月が出た出た~月が出た~ヨイヨイ」の「炭坑節」を耳にした方は多いだろう。その後に「三池炭鉱の上に出た~」と続くので、「炭坑節」は三池炭鉱があった大牟田の歌かなと思われるが、江戸時代から田川で歌われていた民謡に歌詞をつけたものだという。各地の炭鉱が自分のところの名前をつけて歌うようになり、その一つだった三池炭鉱が国内最大規模だったから広まったとも言われている。一時、「炭坑節」のルーツをめぐって田川と大牟田で論争があったそうだが、結局は田川に軍配が上がった。

その田川の中でも伊田、後藤寺という要衝が続いていて、それぞれが町の中心を名乗っている。12時01分、その一方の田川後藤寺に到着。ここからは後藤寺線に乗り、もう一方の炭鉱線の中心だった筑豊線に出る。現在は福北ゆたか線の愛称が一般的になっているが。

12時19分発の後藤寺線新飯塚行きはキハ40の炭鉱、もとい単行。きっちりとボックス席を確保する。全国的に見てもこの形式が走る路線も徐々に少なくなっているが、日田彦山線、後藤寺線ではもうしばらくその活躍が見られそうだ。

まずは次の船尾に到着。駅周辺に巨大プラントが並ぶが、炭鉱ではなくセメントの工場。麻生セメントの田川工場で、その名からして、言わずと知れたあの方が関係する地元グループ企業の一つである。

そのセメント工場を抜けた後にゴルフ場と接する区間もあり、またその後、新飯塚の手前には遠方にボタ山らしきものを目にすることができる。

九州西国霊場めぐりで英彦山を訪ねる前に泊まった新飯塚に到着。駅に入る手前、線路際にあるホテルに泊まったのも思い出だ。その時は町中での一献はなかったが、次に機会があればそうした時間も作りたいものだ。この日は向かいのホームに停車中の12時44分発の博多行きに乗り継ぐ。

12時54分、桂川に到着。博多には向かわず、ここで下車する。桂川から分岐する原田(はるだ)線に乗るためである。

原田線・・・文字通り桂川から原田を結ぶ線だが、正式な「筑豊本線」の一部である。筑豊線は現在では区間によって線名(愛称)が分断されていて、若松~折尾が若松線、折尾~桂川が福北ゆたか線、そして桂川~原田が原田線として案内されている。博多への近道となる篠栗線桂川~吉塚間が開通してからは、桂川~原田は完全なローカル区間となり、本数も極端に減った。そして現在は原田線としてあたかも別路線の案内である。

本数が少ない中、土日祝日のみ運転という13時22分発の原田行きがある。今回、広島から久留米に行くのにいろいろ乗るとか、時間を気にして(わざわざ岩国まで先行して前泊して)いたのはこの区間に乗るためである。まあ、乗り遅れても1時間後に毎日運転の列車はあるのだが・・・。

時間があるので一度外に出る。駅舎も新しい感じの橋上駅である。いっぽう、ホームに隣接した「売店」は昔からのようで、小さなコンビニも兼ねているので少しのぞいてみる。桂川駅の近くにある蔵元の「寒北斗」という銘柄の酒が一押しで、四季それぞれ限定の「シビエン」というシリーズの冬版というのを買い求める。この記事を書いている時はまだ口にしていないが、どんなものか楽しみである。

この13時22分発の原田行き、時刻表を見ても原田からの折り返し列車が来るわけでもないようだ。直前になり、飯塚面から1両のキハ40がやって来た。先ほど後藤寺線で見かけた何人かも同じく乗る。わざわざ狙ってこの列車を選んだのかな。

この区間に乗るのもずいぶん久しぶりである。初めて乗ったのは30年以上前で、その時は原田から50系客車列車に乗ったのを覚えている。その時も列車本数は少なかったのではないかと思う。使われなくなった長いホームの跡が残る。

冷水峠の長いトンネルを抜ける。江戸時代には長崎街道が通じていたがかなりの難所だったという。ここに長崎街道があるのは、小倉と長崎を最短ルートで結ぶこともあったが、福岡の黒田藩が他の大名たちに自分の城下町を通らせないためにこのルートを支持したともされている。

トンネルを抜けると筑紫野の開けた地に出る。工業団地もや大型店舗も広がる。13時50分、終点の原田に到着。新興宗教の「善隣教」の広告板が出迎える。

これで鹿児島線に入り久留米に向かうのだが、時間はまだ早い。もう少し寄り道していこうか・・・。

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今年もよろしくお願いします

2022年01月01日 | ブログ

本年もよろしくお願いします。

初日の出は・・微妙ですな。
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