まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

クライマックスシリーズ、参戦します

2022年10月14日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

そりゃ、ファイナルステージ3戦全勝(または2勝1分)でストレートでの勝ち抜けが理想ではあるが(スワローズがそうでしたな)、相手のあることだし、千賀投手だし、序盤のミスが失点につながったし、まあ勝負事なのでこういうこともあるだろう。

・・本音を言えば、15日の第4戦まで持ち越されたことで、私が予約したチケットも日の目を見ることになった。もし14日で決まったとしたら、関西の神仏霊場めぐりと合わせて15日の宿泊も京都に変更したところだが、これで当初の予定通り、観戦後は大阪での宿泊となった。

これで15日で決着がつけばよいが、どうだろうか。バファローズ先発は山下という声もあったが、ここは経験のある山岡が先発。一方のホークスは和田。ここで嫌な相手が出て来たな・・・。

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津山まなびの鉄道館と「Saku美Saku楽」

2022年10月14日 | 旅行記F・中国

10月9日、鉄道の日記念「秋の乗り放題パス」と通常の乗車券・特急券で岡山から旧国鉄色の「やくも9号」で新見に到着し、12時51分発の姫新線津山行きに乗車する。

まずは備中と美作の国境をたどるところで、時速25キロ区間も交えながらゆっくりと進む。芸備線の東城~備後落合の1日3往復に比べると、新見~中国勝山はまだ本数が多いが、それでも1日8往復(うち1往復は土日祝日運休)しかない閑散区間である。この先も決して安泰とはいえない。

その中国勝山を過ぎ、旭川に沿う区間を経る。中国自動車道とも並走するところ。この後は昔ながらの駅舎が建つ区間でもあるのだが、不覚にもうとうとしてしまった。

14時29分、津山到着。次に乗る15時53分発の「ことぶき」に併結される「Saku美Saku楽(さくびさくら)」の発車まで時間があるので、駅に隣接する「津山まなびの鉄道館」に向かう。

「津山まなびの鉄道館」じたいは何回か来ているのだが、かつての国鉄型車両を間近に見られるスポットである。保全のために扇形機関庫の中に入ることはできないが、やはり車両の正面だけでなく、側面の近いところからも眺めたいものである。

ちょうど、これから乗る「Saku美Saku楽」も側線で出番待ちである。キハ40を改造した車両だが、それにしてもキハ40,キハ47の系統いうのは全国通してさまざまな観光列車、イベント列車に姿を変えている。非電化区間を走ることができるのも大きい。

そんな中この日は、展示車両の一つであるDD13が転車台の上に鎮座している。主に操車場内、貨物駅での入換作業に従事した形式で、こうして外で全身を見るのは私としては初めてではないかと思う。そしてちょうど転車台が特別に回るタイミングだったようで、案内放送が入る。

両側に運転台がついているので機関車がどちらを向いているのか写真ではわかりにくいが、鉄道の日近くのイベントということで楽しむことができた。他にもかつての気動車たちが停まっており、乗車した時のことを懐かしく感じることができた一時だった。

さて、津山駅に戻る。改札口からホームに向かおうとすると、ちょうど因美線、姫新線ホームにはキハ47の旧国鉄急行色をまとった「ノスタルジー号」が停車していた。通常列車としての運用だったのか、まさかこのタイミングで遭遇すると刃思わなかった。

この11月5日・6日に、因美線の智頭までの「みまさかスローライフ」列車が運転される。たまたまネットの鉄道ニュースでこのことを知り、全車指定席というのであわてて「e5489」にて往復の席を確保した。実際には、ここにキハ40の旧国鉄一般色塗装の車両が加わる3両編成で運転されるが、これまでの情報だと、どういう順番で連結されるのかがわからない。またネットや券売機では座席の指定ができない設定なので、割り当てられた座席番号がどちら向きなのか、急行色なのか一般色なのかわからない状況である。別に津山駅の窓口で訊くほどのことでもないので、当日までの楽しみとしよう・・。

そして、「Saku美Saku楽」である。快速「ことぶき」の岡山側に併結されるようで、側線にて待機している。「Saku美Saku楽」に常務するアテンダントの方が、「ことぶき」乗車の客はホーム後方(東津山寄り)に並ぶよう案内する。「ことぶき」の指定席車両という見方もできるが、途中停車駅での乗降は不可で、時刻表上では岡山までノンストップの表記である。

車内へ。まずは中国勝山の町並みで見られるのれんがお出迎え。客室は中央にボックス席が4つ、あとはロングシートである。今回割り当てられたのはボックス席に接したロングシート。体を横に向ければ背もたれができる席である。ボックス席には固定式、そしてロングシートには移動式のテーブルが置かれ、さらにアクリル板で仕切りを設けている。そのため、一人当たりのテーブルのスペースはごく限られたものだ。これでは弁当を広げるのもやっとだろう。ボックス席は1人が4人席を占める席割となっていたが、せっかくのテーブルもわずかなスペースしか使えず、もったいないように見える。

なお、観光列車の時は当初からセットになっていた弁当、土産物だが、観光アプリでオプションとして事前予約していた客もいたようで、配られていた。岡山までは1時間あまりと、長いような短い時間のようだが・・。

定期の「ことぶき」もそれなりの乗車があったようで、発車。津山線に入り、最初の停車駅である亀甲を目指す。亀をあしらったユニークな駅舎や、地元美咲町が発祥の地とされる卵かけごはんなどについて、アテンダントからの紹介がある。

その亀甲に到着。列車行き違いのために3分停車するというので、「Saku美Saku楽」の客が写真を撮りにホームに出た。・・・するとアテンダントから「車外に出ないように」と呼びかけられ、車内に戻される。実は私もいったん車外に出ようと席を立ったのだが、これを見てあきらめて自席に戻った。「ことぶき」は停車だが、「Saku美Saku楽」はあくまで通過扱いのようだ。混乱を避けるためには仕方ないのだろうが・・。

弓削を過ぎ、その次は福渡に到着。ここでは地元の人たちがホームまで出迎えてくれ、小旗を振ったりシャボン玉を吹かせたりしての歓迎である。

金川に到着。この後は旭川の流れに沿う場面もあるが、岡山に向けて淡々と走るのみである。

17時02分、終点の岡山に到着。うーん、天気が今一つだったこともあったが、アテンダントの観光・沿線案内は悪くなかったとしても、何だか中途半端な乗車のように思えた。やはり専用の観光列車として運転されていた時に乗っておくべきだったかな? 岡山~津山間で、530円を払って多少ゆったりできる移動空間と割り切ったほうがよかったかな?とも思う。現在のところ、11月27日までは「ことぶき」併結の形での運行で、12月以降どのような活躍をするのかが楽しみである(さすがに冬季は運休するのかな・・)。また乗車する機会があれば、違った感想を持つだろう。

さて、岡山に来たということで久しぶりに駅前のミシュラン大衆酒場「鳥好」に向かおう。時刻は17時を回ったところ。この店は16時開店だが、開店直後から多くの客が訪ねるところである。まあ、大丈夫だとは思うが・・。

・・・しかし、残念だった。ちょうどこれから飲み始めようかという客がカウンター、テーブル、座敷にびっしり埋まっており、予約でなければお断りの状況だった。これはタイミングが悪かったかな。やはり16時の開店直後に来るくらいでなければ、そうでなければ第一陣が席を立つ頃合いを見計らってかと思うが、待つのも嫌なのであきらめて引き返す。うーん、「鳥好」に入れなかったのも、因果関係はないのだが「Saku美Saku楽」が今一つだったという感想に余計に連動してしまった。

改めて別の店を探すこともなく、ならば岡山から鈍行でゆっくり帰ればよいのだが、自分の中でヤケがあったのだろう。そのまま駅に向かい、新幹線「のぞみ」のそれも指定席を購入して改札をくぐった。一刻も早く帰ってしまおうと思った。これで「秋の乗り放題パス」の貯金を吐き出すどころか、赤字になってしまったが、その時はどうでもええわという心境だった。

・・・翌10日は広島とは逆の方向、下関を目指す。翌日ことは、気分を切り替えよう・・・。

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旧国鉄色「やくも9号」に乗車

2022年10月13日 | 旅行記F・中国

10月9日、JR「秋の乗り放題パス」を手に山陽線で東に向かう。このパスは「青春18きっぷ」の秋バージョンというべきものだが、「青春18きっぷ」とは異なり、購入時に使用開始日を決める必要があり、その日から連続3日間が有効である。そのためフルに使うなら10月8日~10日の3連休が最適だが、私は8日に購入したものの、実際に使用するのは9日、10日の2日間のみ。それでも、元は十分に取れる。サイズは通常の乗車券、特急券と同じなので、自動改札もそのまま通すことができる。

西広島から糸崎、福山と乗り継いで10時05分、岡山着。

岡山からは11時05分発の「やくも9号」に乗る。旧国鉄型の塗装が復活した編成で、岡山~出雲市間を1日2往復するうちの1本である。「秋の乗り放題パス」では乗ることはできないが、「鉄道の日」を前に乗り鉄で出かけたお目当ての一つである。

折り返しとなる出雲市からやって来た「やくも8号」が到着し、早速両側のホームからカメラが向けられる。そして折り返しのためいったん側線へと引き上げる。

この「やくも9号」だが、日程が決まって「e5489」で予約しようとチェックしたところ、この9日に限り指定席が満席だった。前後を含めて他の日、あるいは9日の他の時間帯だと空席が目立っていたが、この列車に限って何か理由があるのだろうか。そのため、さらに課金して「秋の乗り放題きっぷ」の貯金を取り崩すのだが、期せずしてグリーン車を確保することになった。まあ、特急のグリーン車に乗る機会はほとんどないのでいいだろう。

発車直前にゆっくりと入線。写真撮影の塊ができ、その中をグリーン車に進む。

「鉄道唱歌」のオルゴール音とともに、まずは直線区間の多い山陽線を走る。端の席に座っているためか、グリーン車といえども結構揺れる。テーブルの上に置いた飲み物の缶が倒れないかと常に手を添えておく必要がある。

倉敷を発車。ふと、隣接した水島臨海鉄道の倉敷市駅ホームを見ると結構多くの人が列車を待っている。そこに入線してきたのは、かつての国鉄型であるキハ37首都圏色+キハ30八高線色の2両編成である。何かイベントでもあるのかと調べると、10月9日は終日、水島臨海鉄道の「全線無料デー」とのことだった。水島地区でイベントがあり、周辺の渋滞緩和の一環として臨海鉄道もフリーに、そして応援として旧型車両もお目見えとなったようだ。

伯備線に入り、高梁川に沿って走る。今後はカーブも増えるところで、車両が振り子の傾きを見せるのもわかる。終点出雲市まで3時間ほどのうち、今回はその3分の1、約1時間を新見まで過ごす。車内では昼食として、サワラ、ママカリ、黄ニラという岡山名物がネタの握り寿司のセット。途中では車掌により特急「やくも」の歴史や、旧国鉄色に塗装されたことの案内放送もある。

12時07分、新見に到着。数人の客とともにここで下車する。改めて旧国鉄色を先頭部から眺め、出発を見送る。乗っている分にはどの編成も同じような内装なので外の塗装は関係ないが、やはり外から眺めるとこちらのほうが絵になるし、旧国鉄の列車に乗って来た!とイメージを膨らませることができる。そんな列車だからか、「やくも」旧国鉄色の撮影をめぐって、沿線でも撮り鉄の迷惑行為がたびたび報じられるようだが・・(この線区に限ったことではないだろうが)。

いったん改札を出る。駅前の観光管内所にて、千屋牛、いのししのレトルトカレーを土産として購入する。

ちょうどこの時間帯は、新見から姫新線の12時51分発津山行き、そして芸備線の13時02分発備後落合行きが相次いで発車する。特に後者は芸備線の超閑散区間(日中は実質1往復のみ)を行く列車ということで、やはり「秋の乗り放題パス」を使って乗車しようという客が多い。列車が入る前から乗車口に列ができていて、入線するとロングシートもあらかた埋まるくらいの混み具合となった。そこに、倉敷方面から12時46分着の鈍行が到着して、さらにそれなりの数の乗客がこちらのホームに来て芸備線に乗り継いだ。立ち客も出たようである。

片や、私が乗る津山行きは合計7人。ボックスシート、ロングシートそれぞれに散らばって着席し、一足先に発車する・・。

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鉄道150年を前に「秋の乗り放題パス」で・・

2022年10月12日 | 旅行記F・中国

10月2日、パ・リーグの優勝争いはバファローズの2連覇ということで幕を閉じたのだが、この結果次第で私の10月の予定も左右されることになるため、テレビ観戦時は実にやきもきしたものを感じていた。

クライマックスシリーズのファーストステージは10月8日~10日(第2戦で決まれば9日まで)、2位チームの本拠地でいずれも14時開始。そしてファイナルステージは10月12日から最長で17日まで優勝チームの本拠地でいずれも18時開始で行われる。クライマックスシリーズはぜひ観戦したいところ。そこで、ファンとしてはいかがなものかとも思いつつ、優勝、2位どちらに転んでもいいようにファーストステージのうち10月9日、10日、そしてファイナルステージの15日のチケットをファンクラブ先行で予約していた。ファイナルステージ、いずれも18時開始なら遠征して観戦できるのは15日に限られる。

いずれにしても関西遠征となるが、当然試合観戦と絡めて宿泊し、現在進行中の神仏霊場めぐりの時間を作る予定である(ちなみに次回は京都編で、前回朱印をもらいそこねた相国寺も秋の特別拝観期間に乗じて参詣する)。その一方、ホークスが優勝した場合は、チケットのあてはないのだが福岡に出向くことも考えていた。

・・・そして、しつこく繰り返しになるが、結果は10月2日にバファローズがリーグ優勝を決めた。そして同時に、ファイナルステージに合わせて、10月15日~16日と大阪での観戦と関西での神仏霊場めぐりが決まった。15日夜は第4戦である。

もしバファローズがそれまでの3試合に全勝、もしくは2勝1分(2021年のパターンですな)となればアドバンテージの1勝と合わせて日本シリーズ進出が決まり、第4戦は行われない。ただ、そこはホークスが相手。ストレートに決まるとは思えない。観戦予定の第4戦で決まればベストだが(あ、ホークス4連勝で決まる・・のだけは勘弁)、そこはもつれるものと予想する。

逆に、8日~10日の連休が空くことになった。8日は元々別の予定があるが、9日と10日をどうするか。九州西国霊場、九州八十八ヶ所百八霊場についてはそれぞれ次に行く日程を決めており、無理にそこを前倒しすることはないかと思う。

ちょうど、10月14日の「鉄道の日」に合わせてJR全線の「秋の乗り放題パス」が発売されている。「青春18きっぷ」の秋バージョンといえるもので、3回分ではなく連続する3日間有効で7850円。まあ、1日どこかに遠出すれば元が取れる値段である。これを10月9日、10日の2日間、宿泊なしの連続日帰りで使おうと思う。ちょうど2022年は日本の鉄道150周年ということもあり、鉄道の要素を取り入れてみよう。

そこで思いついたのが、岡山県。この夏は、旧国鉄型が多数現役で活躍しているのを好機として鉄道を前面に出したキャンペーンも展開していた。目をつけたのが、この夏に津山線でデビューした観光列車「Saku美Saku楽(さくびさくら)」。9月まではツアー専用で、車内での食事やスイーツ、土産物がついて(便により内容は異なる)、岡山発が5200円、津山発が6000円だった(この800円の差は何なのかと思うが)。それが10月~12月は通常の快速「ことぶき」に併結して運転され、料金も通常の指定席と同じく530円である。「ことぶき」の指定席車両の感覚だろう。乗るだけなら通常料金になってからでもいいかなということで、このタイミングとなった、なお、ツアー専用の時に提供されていた弁当、スイーツ、土産物を希望するなら別料金のオプションとして観光アプリから事前予約が可能である。

そして乗り鉄をするのなら、「秋の乗り放題パス」の対象外だが、国鉄色に塗り替えられた特急「やくも9号」にももう一度乗りに行こうと思う。

この両方の列車を同じ日の日中に楽しめるルートがある。岡山から「やくも9号」で新見まで行くと、新見から津山への姫新線に接続しており、中国山地のローカル線も楽しめる。そして津山では「Saku美Saku楽」が併結される快速「ことぶき」まで1時間半ほどあるので、駅近くの「津山まなびの鉄道館」の見学も可能だ。ここの扇形機関庫にはかつての国鉄型車両が保存されているし、敷地に隣接して現役の気動車を間近に見ることもできる。

「ことぶき」に乗ると岡山に着くのは17時すぎ。これは国鉄型とは関係ないが、岡山ということで久しぶりに駅前のミシュラン居酒屋「鳥好」に行くのにちょうどよい。特急、気動車、観光列車さまざま楽しんだ後に大衆酒場での一献・・・私のいい誕生日祝いになりそうだ・・・。

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第12回九州西国霊場めぐり~七ツ釜と唐津城 そして次回は・・

2022年10月11日 | 九州西国霊場

長かった第12回九州西国霊場めぐりの記事も今回が最終回である。

9月25日、九州西国霊場の札所をお参りし、昼食もいただいたことで、後は呼子から唐津市街に戻るだけである。最後に唐津城を訪ねることにして、その前にもう1ヶ所くらい立ち寄ることができそうだ。

そこで向かったのが七ツ釜という景勝地。ここは初めての場所で、国道から脇道に入って岬の先端を目指す。それなりの数のクルマも停まっていて、観光客の姿も多い。先ほどの呼子から遊覧船も出ており、海から眺めるのがおすすめとのことだが、レンタカーを停める場所が近くになさそうだったので、陸側から訪ねることにした。

一帯が遊歩道になっていて案内板も出ているが、経年で文字が読めなくなっているものもある。標識を頼りに回ってみる。

途中に鳥居があり、「土器崎神社」の額がかかる。この道で大丈夫かいなと岬方面に向けて下っていくと小さな社殿に出た。など「土器崎」とは「かわらけさき」と読むそうで、その昔、神功皇后が朝鮮出兵した際、海神に戦勝を祈願して、お供えとして酒を入れた土器を海に投げ入れたという伝説がある。

その神社の先は長年の浸食で独特の形状をした岩場に出る。神功皇后の伝説はともかくとして、豊臣秀吉も少し先の名護屋から出兵したし、古くから半島に向けての玄関口の役目があったのだろうと思う。そもそも「唐津」という地名も大陸とのつながりを連想させる。

その玄界灘に面して「鯨鯢(げいげい)合戦記念碑」というのがある。呼子は現在はイカ漁が盛んなところだが、江戸時代には捕鯨が行われていた。かつてこの辺りにクジラの見張り台があり、クジラを発見したら松明で合図を送り、対岸の小川島や加部島などから大勢の男たちが舟で出動したという。捕鯨の様子は絵巻物にも残されているそうだ。

次に見たのは象の鼻。見る方向、角度にもよるのだろうが、そう言われればそう見えなくもないなあ。

景勝の名前である七ツ釜だが、七つの海食洞があることからその名がついた。スマホで、展望所から見た七つの洞窟の画像を見たのだが、現地に来てその洞窟はどこかいなと案内板に沿って回ったものの、残念ながらわからなかった。後で気づいたところ、私はその洞窟の上の真上に立っていたようで、展望所は対岸から見る必要があった。先ほどから海べりと遊歩道を行ったり来たりしていたが、もう1本遊歩道を入って行けば見ることができたようだ・・。

まあ、玄界灘の眺めを楽しめたことでよしとしよう。

国道202号線に戻り、唐津市街を目指す。途中から海べりの倉庫や工場群を抜ける県道に入り、そのまま進んで唐津城の駐車場に到着する。唐津城には以前にも一度来たと思うのだが、来たとしてもかなり昔のことではっきり覚えてない。いや、こうした個性的な立地の城なので覚えていないことはないはずなのだが・・。

本来なら200段以上の石段を上って天守閣に向かうところ、エレベーターの案内がある。当然昔にはこのようなものはなかったはずで、バリアフリーの観点から造られたものである。敷地をぐるりと回って乗り場に向かう。片道100円で、一度に10人あまり乗ることができる。斜めに進むのが面白い。そして本丸、天守閣の下に到着する。

唐津城が築かれたのは江戸時代初期、名護屋城の建造にも関わった寺沢広高による。広高は関ヶ原の戦いで東軍につき、その功績によりそれまでの唐津に加えて新たに天草の領地をもらった。唐津城は松浦川の河口にある満島山に築かれたが、満島山と陸地とを切り離し、松浦川の流れがそこから唐津湾に注ぐよう改造した。築城といい、こうした土木技術に長けていた人物のようだ。

天守閣がそびえる様は天然の要塞のように思えるが、実は天守閣は元々存在しなかったそうである。ここに模擬天守閣ができたのは戦後になってからのことで、観光客を呼び込むのを目的として、江戸時代初期ならこういう様式で造られたのではないかという全くのイメージで築かれたそうだ。

その寺沢氏だが、広高の子の堅高の時に島原の乱が発生したことの責任を取らされ、天草の領地は没収、堅高も詰め腹を切らされた。また、堅高に子がなかったため、結局は寺沢氏もお家断絶という大変なことになった。その後はいくつかの大名が入れ替わり城主を務め、小笠原氏の時に明治維新を迎える。

天守内は唐津城の各大名家や唐津焼についての紹介が中心だが(撮影禁止のため画像なし)、なんといっても最上階からの眺望がすばらしい。なるほど、実際にはなかった天守閣だが展望台の役割を十分果たしている。目の前の唐津湾、虹ノ松原などの景色を楽しみ、心地よい風を受ける。

これで唐津見物も終了としてレンタカーを返却し、唐津15時33分発の筑肥線筑前前原行きに乗車する。まずは松浦川の河口から、海に面してそびえる唐津城を見る。こうして眺めると、模擬とはいえ天守閣があったほうが絵になるように思う。

途中、虹ノ松原の横を過ぎ、玄界灘を眺める区間に差し掛かる。後はこのまま筑前前原まで行き、福岡地下鉄乗り入れの福岡空港行きに乗り継ぐ。なお、九州西国霊場の次の札所は第29番・千如寺で、いよいよ福岡県の筑前の国に入る。なお現在の予定では、大相撲九州場所見物、糸島半島めぐりとの組み合わせを考えている。また、レンタカーのお世話になるだろうが・・。

さて、列車は地下鉄の区間に入り、唐人町からはマリーンズのユニフォーム姿の人が何人か乗って来た。そういえばこの日(9月25日)は福岡でホークス対マリーンズ戦があり、パ・リーグの優勝争いも大詰めを迎えようとしていた時。この試合はエース千賀の好投、打線の爆発もあり10対0でホークスが圧勝。優勝へのマジックを5とした。地下鉄で過ぎたのはちょうど試合終了直後のタイミングだったようで、大半のホークスファンは試合後のセレモニーで勝利の余韻に浸っていたところだった。この時も優勝争いがどうなるかわからず、まさかその1週間後、ああいう形でバファローズが連覇することになったとは・・・。

博多に到着し、新幹線に乗り換える。さすがシルバーウィーク最終日ということで大勢の人出が。その中で17時02分発の「こだま862号」に乗車する。ここで飲み鉄モードを発動し、少し早い夜のアテにはやはり鳥栖の焼麦である・・・。

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第12回九州西国霊場めぐり~名護屋城と呼子のイカ

2022年10月08日 | 九州西国霊場

九州西国霊場めぐりも目的地の2ヶ所を回り終え、ここからはオプションである。唐津まで来たということで、その先の名護屋城跡に行ってみることにした。久しぶりの訪問となる。

名護屋城は豊臣秀吉が朝鮮出兵の際拠点として築いた城で、当時としては大坂城に次ぐ規模を有していた。全国から諸大名が参戦のために陣屋が設けられ、一時日本の中心は名護屋にあったと言える。

その城跡の一角に名護屋城博物館がある。この日は桃山文化に関する企画展も行われていたが、時間的に省略して、無料の常設展示エリアのみ見学する。

地理的に朝鮮半島に近いエリアということで古くから交流、交易の歴史があり、博物館の展示テーマもそれに沿っている。仏教伝来もその一つである。

中世には松浦党の一人である名護屋氏がこの地に拠点を置いていたが、秀吉の天下統一、そして朝鮮出兵にあたり、半島への最短距離の地であるとして拠点に選ばれた。諸大名に普請を命じてわずか半年で築かれたという。展示されている当時の屏風絵や、それを元に造られた模型を見てもその規模がうかがえる。

模型と言えば、10分の1サイズで復元された安宅船、亀甲船という日本、朝鮮それぞれの軍船。朝鮮の亀甲船は、矢や日本兵の侵入を防ぐために上部を固い板で覆い、その隙間にびっしりと剣先を突き出した構造である。この亀甲船がどのくらい活躍したかはさておき、日本では文禄・慶長の役と呼ばれる朝鮮出兵は朝鮮側の強烈な反撃に遭い、結局秀吉の死をきっかけに兵を退くことになった。

この朝鮮出兵により朝鮮から多くの陶工たちが日本に連れて来られたが、そのおかげで日本で発展したのが唐津焼、有田焼といった磁器類である。また江戸時代には朝鮮通信使の来日があり、さらに明治時代から戦前には韓国併合と、彼の国とはさまざまな紆余曲折があるのだが・・。

名護屋城跡から出土された瓦などもある。名護屋城は朝鮮出兵の中止により役目を終えたとして廃城となり、建物は寺沢広高により唐津城に移築されたものもある。また、島原の乱で浪人たちが原城跡に立て籠もった事例も踏まえ、石垣も多くが破却されたという。確かに、ここは海上を見渡せる要塞として適した地のように見える。

さて、フロアには「黄金の茶室」が再現されたコーナーがある。秀吉が自らの権威や財力を誇示することで見る者を圧倒させる装置として、京や大坂城で使われていたが、朝鮮出兵時は茶室を名護屋城まで運び、茶会を催したり朝鮮や明の使節の応接に用いたという。間取りでいえば3畳に床の間がある広さ。うーん、確かにまばゆく、豪華に感じるのだが、晩年のこうした秀吉の手法というのはあまり好きになれないなあ。

博物館を後にして、城跡に向かう。まずは大手口から東出丸、三ノ丸と進む。

おして本丸に出る。東郷平八郎の揮毫による「名護屋城址」の石碑がシンボルのように建つ。

この本丸、そして天守台跡からは周囲を一望できる。その先の波戸岬の手前まで諸大名の陣屋があった。最大で20万人とも30万人とも言われる兵が集結したという。その向こうには玄界灘に浮かぶ島々で、遠くには壱岐の島影も見える。九州西国霊場もとうとう玄界灘までやって来た。

ここまで来ればもう少し城跡や陣屋跡を見るとか、先端の波戸岬に行くことも考えられるが、名護屋城跡で折り返しとして呼子に向かう。港周辺はクルマや観光客の姿も多く、何かイベントでもあるのかよさこいソーランの衣装姿のグループもある。呼子名物の、イカを高速回転で乾燥させる「いかぐるぐる」も目に付く。

港を抜け、少し高台に上がったところにある「漁火」に到着。呼子でイカを確実に食べるためにあらかじめ活け造りコースを予約していた。その時間が近くなったので名護屋城跡で折り返したわけだ。ちょうどランチタイムということで次々に客が訪れ、私が食べ終えた時には受付表に名前を書いて待つ客が何組もいた。

活け造りが来るまでの間、小鉢やネット予約サービスのサザエ壺焼きなどで待つ。イカ焼売もある。この時点で一献やりたくなるが、クルマ利用ということで・・。

そしてメインの活け造り。丸ごと1杯で登場する。ゲソをつつくと確かにまだ動いている。それにしても、アジやタイといった他の魚もそうだが、活け造りを前にするとつつきたくなるのはなぜだろう。まだ透明な身を美味しくいただく。

ゲソについては天ぷらにしてくれるということで店の人が下げるが、思ったより早くに天ぷらがやって来た。ひょっとして、ほとんどの客が活け造り~ゲソの天ぷらというコースなので、前の人のゲソが天ぷらになって出てくるということもあるのかな・・。いや、そんなことはしないと思うが、あまりにも手際がよかったので、つい。それでもこの天ぷらも美味く、ビールが欲しくなるところであった。

店の裏手にはこうした穏やかな景色が広がる。午後の時間はまだまだあるので、唐津市街に戻るとしてもう少し立ち寄りとしてみる・・・。

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第12回九州西国霊場めぐり~第28番「常安禅寺」(唐津を行く)

2022年10月07日 | 九州西国霊場

9月25日、伊万里から7時40分発のJR筑肥線に乗車する。筑肥線は福岡地下鉄と乗り入れしている姪浜~唐津間と、伊万里~山本間で分断され、後者は非電化のローカル線としての運転である。その中を「ロマンシング佐賀」とラッピングされた気動車が走る。

伊万里から唐津に向かう場合、国道202号線が通っており、両駅を結ぶ路線バスも出ているのでこちらを通るのが一般的だろう。この後訪ねる九州西国霊場第28番の常安禅寺も国道沿いにあるのでバスに乗って行けば早いのだが、ここはローカル線に乗りたかったのと、バスの往復のダイヤの兼ね合いでまずは筑肥縁で唐津に移動する。

途中乗降がないまま淡々と走り、肥前長野に到着。ふと外を見ると、窓のすぐ横で牛が5頭ほどつながれていて、畜産農家の方が世話をしているところだった。その牛がいるのはかつての側線ホーム跡だそうで、その奥には牛舎がある。列車の窓からこんな近くで牛を見ると思わなかったが、これも佐賀牛になるのかな。その牛とは反対側だったので見逃したが、肥前長野の駅舎は昭和初期の開業当時の木造のもので、地元の人たちの手で保存の取り組みが行われているという。

左側に線路が並ぶ。佐賀に向かう唐津線の線路だ。一見すると複線のようだがあくまで別の路線で、左側の線路に片面のホームがある駅を通過する。本牟田部駅で、あくまで唐津線の駅である。まあ、ここにもう1本ホームを作ったり分岐線を作って筑肥線の列車も停まるようにしたところで利用客が劇的に増えるとは思えないが・・。

両線の分岐となる山本に到着。ここからは唐津湾に注ぐ松浦川に沿って走る。

やがて高架となり、8時33分、唐津に到着。列車はこの先の西唐津まで向かうが、ここで下車する。

唐津といえばユネスコ世界無形文化遺産にも登録されている唐津くんちが有名。その駅前通りには「唐津レオブラックス」というロゴマークやポスターが並ぶ。唐津を拠点とする3人制プロバスケットチームだそうで初めて目にする名前だが、チーム名が唐津くんちの曳山「黒獅子」から取られているという。地域密着が出ている(ちなみに、5人制のBリーグには、現在B2だが佐賀市を拠点とした「佐賀バルーナーズ」というのがある。こちらは佐賀バルーンフェスタが由来だ)。

駅から5分ほど歩き、トヨタレンタリースに到着。ここからレンタカー利用で常安禅寺のほか、唐津市のポイントをいくつか回ることにする。いずれも路線バスで行けるところだが、効率重視の面もある。そういえば九州西国霊場めぐりはこれで12回目だが、そのうち8回でレンタカーまたは自分のクルマを投入している。

今回利用するのはヤリス。まずは国道204号線から国道202号線へと、先ほど乗って来た唐津線~筑肥線の線路とも並走して走る。そのまま20分ほど走り、常安禅寺に到着。常安禅寺というより「垂玉観音」と書かれた看板が目印である。

寺は国道に面しており、山門はなく鐘楼と六地蔵などが並ぶ入口からいきなり境内に入る。特に駐車場があるようではないが、境内の空いているところに適当にクルマを停める。目の前は本堂である。

常安禅寺は、一説には弘法大師が唐から帰国した際に開かれたともされるが、中世にこの地を領地としていた松浦氏の家臣・波多氏の時代に開かれたとされる。その後、波多氏の衰退とともに寺も衰退したが、江戸時代になり、唐津藩主・寺沢広高の時に再興された。

そして本堂だが・・扉が閉まっていて中に入ることはできない。そのまま外でのお勤めとする。

さて納経所は・・と見ると、境内の奥に道が続いていて、その奥はこども園の建物がある。敷地の国道側にも遊具が置かれていたから、平日は子どもたちも境内で遊んでいるのだろう。本堂と渡り廊下でつながる建物があり、そこの玄関のインターフォンを鳴らす。住職らしき方が出てきて、書き置き式の朱印をいただく。

本堂の中に入らず、また他にさまざまなお堂があるわけでもないので札所での拝観時間は短いものだった。バスのダイヤの都合で、ここで2時間待ちということになるとさすがにかなりのロスである。その点、クルマの機動力に頼ることになる。

これでともかく、今回で長崎、佐賀の両県を回り終えて、九州西国霊場めぐりは福岡県に戻る。旧国名でいえば、最後に残ったのは筑前である・・。

さてこれからどうするか。実は昼食は呼子でイカの活け造りをいただこうと、店を予約している。当初は常安禅寺を拝観後、唐津の街中を経由して呼子に向かうつもりだったが、時間に余裕ができた。そこで、昼食後に訪ねようと思っていた名護屋城跡に先に行くことにした・・・。

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第12回九州西国霊場めぐり~伊万里の建設会社ホテルで1泊

2022年10月06日 | 九州西国霊場

9月24日、この旅2泊目の伊万里に到着。今利益はかつて松浦鉄道とJR筑肥線が同じ構内で乗り換えとなっていたが、周辺の再開発で道路建設等もあり、それぞれが終着駅として分断され、現在の造りになっている。一応、道路をまたぐ連絡通路で結ばれているが・・。

駅周辺の歩道にはオブジェとして伊万里焼が並ぶ。先ほど有田にてさまざまな有田焼の作品を見てきたが、隣接する伊万里焼とはどこがどう違うのだろうかと思う。現在は作られた土地の名前が冠せられているが、江戸時代では、有田で焼かれた磁器も伊万里の港から運ばれたことから伊万里焼という名前で普及したという。「古伊万里」という呼び方もあるが、それは江戸時代に伊万里から運ばれた有田焼のことを指すそうだ(他にも見方はいろいろあるそうだが)。

この日の宿泊は、駅から7~8分歩いたところの「ビジネスホテル新天」。伊万里には他にもホテルは数軒あるようだが、プランニングの時点で空いていたのがこちらである。

駅から南に向いて歩くとホテルの建物と看板が見えてきたが、これはホテルというよりワンルームマンションのようだ。

そして敷地に行ってみると、「株式会社伸建設工業」とある。玄関前には創業者とおぼしき人の胸像と社訓が書かれた石碑が建つ。こちらから入ると完全に会社の建物である。「ビジネスホテル新天」のフロント入口は会社玄関の奥にある。ホテルじたい、この伸建設工業が経営しているそうだ。

チェックインの後、部屋に上がる。外玄関の造りで、扉を開けると中はやはりワンルームマンションだった。リビングも広く、クローゼットも1間の幅がある。

他にもバス、トイレ、洗面台がそれぞれ独立しているし、ミニキッチンもある。さすがに洗濯は共同のコインロッカーで行うようだが・・。ひょっとしたら、元々建設会社の寮だったのをホテルにリニューアルしたとか、あるいは一部の部屋には実際に社員が住み込んでいるとかいうことがあるのかな。

この日は伊万里の町で一献とはせず、駅から来る途中にあったマックスバリュにてさまざまな食材、酒を買い込んで部屋でゆっくりする。大相撲中継を見た後、バスルームが独立しているのでバスタブに湯を張ってドブンと浸かる。

大手のスーパーだと刺身がお買い得なことがあり、この時は2パックより取りで500円というのがあった。そこで選択したのが長崎沖のカツオ、そしてサバの刺身。しめサバではなく刺身というのが産地に近いところならではである。

焼き物はレンコ鯛の塩焼き。小ぶりだが身が詰まっていて食べ応えがあった。

佐賀の酒の冷酒、その名も「古伊萬里」も含めて、あれこれ飲み食いした。すぐに横になることができるのも部屋飲みならではだ。なお、先ほど有田駅で購入した「有田焼カレー」の出番はなく、マックスバリュで購入した寿司に軍配。

さて翌朝、1階のレストランは6時から開いており早めの朝食とする。レストランというよりは寮の賄いといった雰囲気である。

最終日(9月25日)は唐津の北波多地区にある第28番の常安禅寺を訪ねる。伊万里と唐津の間には路線バスが出ており、常安禅寺もバス停の近くにある。そのため、伊万里からバスで向かい、途中下車して次の便に乗れば唐津にもスムーズに移動できるが、同じ唐津に行くのなら久しぶりにJR筑肥線にも乗ってみたい。

ただ、筑肥線で唐津に行った後に常安禅寺までバスに乗るとすると、ダイヤが合わない。日中の時間帯、唐津から向かうのに手頃だなと思った便が土日祝運休だったり、行きは良くても折り返しの便が土日祝運休だったりで、現地で2時間ほど滞在を余儀なくされる。寺の周囲を見ても他にこれというスポットもない。ということで、唐津まで筑肥線で行った後はレンタカーを利用することに。常安禅寺だけだとすぐに終わってしまうが、せっかくなので唐津近辺のスポットを他に回ることにする。

松浦鉄道と道路を挟んで反対側のJR伊万里駅に着く。伊万里焼に交じってある銅像が立っている。森永製菓の創業者で伊万里出身の森永太一郎である。手にしているのはミルクキャラメルの箱。

松浦鉄道の伊万里駅は有田、佐世保の両方向に向かうターミナルの役割があるが、これから乗る筑肥線は行き止まり式のホーム1本だけである。乗車するのは7時40分発の唐津行きで、この便の次は11時05分までない。筑肥線の唐津~伊万里間じたい1日8往復しかない。

2両編成の黄色いキハ125が2両でやって来る。平日なら通学利用もそこそこあるのだろう。その車両には「ロマンシング佐賀」というロゴとキャラクターがデザインされている。これは、ロールプレイングゲームソフトの「ロマンシングサガ」のもので、佐賀県の観光名所もあしらったコラボ企画だという。

伊万里から乗ったのは私を含めて3人だけ。ボックスシートを独り占めして進む・・・。

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第12回九州西国霊場めぐり~有田焼の歴史と気鋭に触れる

2022年10月05日 | 九州西国霊場

九州西国霊場めぐりは九州北部を豊前~豊後~肥後~筑後~肥前~筑前というルートで回るのだが、その肥前編も終盤である。佐世保から佐世保線の特急に乗り、松浦鉄道の接続駅である有田で下車。

ホーム横にはJR貨物のオフレールステーションがある。JR貨物といっても有田には貨物列車は走っておらず、代替のトラック便が佐賀の鍋島との間を結んでいる。

有田といえば有田焼で有名だが、それに関する主な観光スポットは1駅先の上有田駅周辺や、クルマで行く距離のところに点在している。もっとも、私の旅で陶磁器が登場することはほとんどなく、今回も有田で途中下車して・・というのは想定していなかった。ここまで予定より早い時間帯で動いており、この日(9月24日)は宿泊地の伊万里に夕方に着けば十分なので、たまたま有田で時間が空いた形である。

そんな中、駅からほど近くに佐賀県立九州陶磁文化館というのがあるというので行ってみる。駅から徒歩10分くらいのところ。途中、橋の欄干に有田焼の作品が置かれているのも見る。

ちょうど企画展「未来へつなぐ陶芸 伝統工芸のチカラ」というのが行われており、順路的に先にそちらからの見学となる。日本の伝統陶芸を牽引して来た日本工芸会陶芸部会の活動が2022年に50周年を迎えるのを記念して、これまでの活動を振り返りつつ、これからの伝統陶芸の歩みを考える機会という。

展覧会では陶芸において人間国宝に認定された方の作品や、新進気鋭の作家の作品までが並ぶ。皿や鉢、花瓶や花器などさまざまである。

有田といえば、酒井田柿右衛門という江戸時代から続く陶芸の名家が連想される。現在の柿右衛門は15代だが、先代の作品もこの展覧会にて紹介されている(たぶん、この画像の作品もそうだと思うのだが・・)。

結局、誰が人間国宝で誰が新進帰依の作家かの区別はともかく、鑑賞して直感的にいいなと思った作品をいくつか掲載する(作品はいずれも撮影可だった)。ただ、こう並べてみると私の鑑賞眼というか、何をもって良しとしているのかが自分でもよくわからないのだが・・。

この後、常設展示にて有田焼の歴史について見学する。豊臣秀吉による朝鮮出兵にともない、朝鮮半島から多くの陶芸家が日本に渡って来た。そこでもたらされた技術と、有田近辺には磁器の制作に適した石が存在したことにより陶芸が広まった。佐賀藩も産業として保護したことでさらに技術が発展し、柿右衛門様式や鍋島様式といった名品が生まれるようになった。将軍家や大名家への献上、贈答だけでなく、オランダ商人の手によって海外にも輸出されるようになった。

そうして中国やヨーロッパに輸出され、その後日本に里帰りした作品の数々が並ぶ。蒲原庫レクションというもので、有田町出身の蒲原権という人が戦後に収集し、町に寄贈したものである。派手な色彩の作品も多く、まばゆいばかりである。

ただ、何も有田焼は輸出ばかりされたわけではなく、江戸をはじめとした国内にも広まり、当時の人々の生活を豊かに、鮮やかに彩る役目も果たしている。これは現在にも受け継がれている。

また地下のコーナーには、柴田夫妻コレクションというのがある。こちらは食品会社や貿易会社を経営していた柴田明彦・祐子夫妻により江戸時代を中心とした有田焼の収集が行われ、やはり当館に寄贈されたものである。有田の磁器を網羅的、体系的に収集しており、学術的にも貴重なものだという。見る人が見れば、有田焼のどの時代に分類されるもので、年代ごとに現れる特徴や違いというのがわかるものだろう。

私はあまりの数の多さに圧倒されてさらりと流す程度でしかなかったが、興味のある方なら1日いても足りないのではないかというくらいの両コレクションだった。本来なら、有田焼の窯元などをめぐるのが旅の楽しみなのだろうが、この文化館で歴史体系的に見学するのも理解が深まることだろう。

駅に戻る。構内にある土産物コーナーを見て、「そういえばここだったな」と気づいたものがある。それが「有田焼カレー」。有田テラスというところが製造している駅弁で、佐賀県米や28種類のスパイスを使用した焼カレーだが、有田焼の器を使っているのもポイントである。冷凍を通販で購入することもできるが、やはり現地に来ると常温というのか、カレーなのでレンジで温める必要はあるがこうして売られている。これはぜひ購入しよう。本来ならその日のうちに食べる必要があったが、機会を逃して翌日夜、帰宅後にいただいた。カレーは辛さ控えめだが普通に美味しくいただき、器はさまざまな用途に使えそうだ(裏底に「有田テラス」の銘も入っている)。

さて、ここからは松浦鉄道に乗る。券売機で伊万里までの乗車券を購入したが、車内ではICカード(nimocaに加盟している)で精算できる。車内でICカード利用可能というのは、運賃の取りっぱぐれを防ぐ意味でも有効だろう。

松浦鉄道は佐賀、長崎両県にまたがる第三セクター線だが、元は国鉄~JRの松浦線である。その松浦線も有田~伊万里、伊万里~佐世保は別の私鉄がルーツで、有田~伊万里間は有田焼を港のある伊万里まで輸送することを目的として建設された路線だという。

今は地元の人たちの足としてのんびりと走り、終点の伊万里に到着。松浦鉄道の佐世保方面とは運転継投が全く分かれており、またかつて接続していたJR筑肥線とは道路整備のために完全に分離された。伊万里といえば伊万里焼もあるように同じく陶磁器の町で、行程上とはいえまさかこの町に泊まることになるとは思わなかった・・・。

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第12回九州西国霊場めぐり~SASEBO軍港クルーズ

2022年10月04日 | 九州西国霊場

9月の九州西国霊場めぐりは佐世保まで進み、第27番・清岩寺(福石観音)に参詣した後、駅構内の観光案内所で「SASEBO軍港クルーズ」というのを見つけた。土日祝日に1日1便運航され、案内所の人によれば連日人気で予約が必須という。今回、たまたま1席だけキャンセルが出たところに私が案内所を訪ね、乗船することができた。1時間のコースで乗船料は2000円。これも観音様のご利益といえる。

チケットを買って乗船口に向かうと、11時30分の出航まではまだまだ時間があるが、すでに10人あまりが並んでいた。おすすめは客室内より階上席、早い者勝ちということでそれ狙いだろう。

黄色く塗られたクルーズ船が入港する。階上席は船尾側だけでなく、操船席の前方、船首側にもベンチが設けられ、そちらがおすすめのようだ。

船に入るとライフジャケットが配布され、上半身がビチビチになって私も前方に陣取る。先ほど船を待つ行列の中でも大きなカメラを手にした人の姿も目立っており、そうした筋の人たちには人気の遊覧ルートのようである。その後も次々に客が乗り込み、満員御礼となった。

出航前に船員姿のガイドが挨拶に来る。「吉田拓郎から3本線を取った吉川拓郎と覚えてください」という自己紹介から始まる(漢字の「田」から横3本取ると「川」になるという意味)。佐世保はアメリカ海軍の第7艦隊と日本の海上自衛隊が同居する基地で、このクルーズは両方の艦隊の船舶が見られることで人気だというが、このガイドも人気の要因の一つなのだという。なお、クルーズ船から眺める分にはアメリカ海軍、自衛隊いずれの艦船や関連施設も撮影は可能ということで、「『映える』『バズる』写真をじゃんじゃん撮ってください」という。

出航してしばらくすると世保海軍施設の建物が見える。旧日本海軍では佐世保鎮守府が置かれていたところで、太平洋戦争後にアメリカに接取された。敷地には星条旗、日の丸に加えて国連旗が掲げられている。国連軍という名のもとにアメリカ軍が各地に出動した歴史を物語っている。そして今も東アジアをめぐってはさまざまな動き、牽制があり・・。

その奥に停泊しているのは、アメリカ海軍の強襲揚陸艦「アメリカ」という。強襲揚陸艦とは耳慣れない名前だが(その筋の人でなくても一般常識なのだろうが)、空母とは異なり上陸作戦用の兵員や戦車、それらを輸送する小型船やヘリコプターなどを搭載するという。国の名前を冠した艦船が日本に配備されるのは、ガイドの吉川さんに言わせれば実に光栄なこと、日本を重視していることの表れだという。その奥にはドック型揚陸艦の「アシュランド」が停泊している。

その隣には、護衛艦「ひゅうが」をはじめとした海上自衛隊の艦船が並ぶ。こういう日米の競演が見られるのは横須賀とここ佐世保だけだそうで、それがこの軍港クルーズならではの光景として人気を集めている。先ほどから階上席からずっとカメラが向けられている。ガイドの吉川さんも一つ一つ「あれは何型で・・」と流暢に説明していくが、普段聞き慣れない身としてはいっぺんに覚えきれない。

佐世保重工業(略称・SSK)のドックが広がる。かつての佐世保海軍工廠だったところで、多くの造船や船舶の整備に携わってきたが、事業を取り巻く環境の変化により、新たな造船事業は休止されている。それは佐世保の産業として痛手ではないかと思う。

佐世保港の対岸に、一見貨物船、タンカーのような造りの船舶が停まっている。アメリカ海軍の海上遠征基地と称される「ミゲルキース」という。ヘリコプターの格納や、さまざまな物資の補給など、海上においてなくてはならない存在だそうで、東シナ海での軍事演習や、佐世保への入港というのはニュースにもなったそうだ。この船が見られるのも、その筋の人たちにとっては貴重な機会としてSNSでも紹介されているようだ。

少しクルーズ船の速度が上がり、佐世保湾の入口に向かう。その途中に米軍の石油備蓄基地を見る。クルーズ船からだと普通の陸地に見えるが、その奥深くには膨大な地下タンクが広がっているという。佐世保はアメリカ海軍にとって重要な補給基地、兵站の地とされており、多くの艦船が佐世保に立ち寄って十分に英気を養い、東シナ海、インド洋方面へと向かっている。

佐世保湾の入口を遠くに見る。佐世保と外海をつなぐのはこの入口だけで、この立地条件が佐世保を軍港にした要因といえる。佐世保は明治初期まで人口数千人の半農半漁の町でしかなかったが、その地形に着目して海軍鎮守府が設置されると人口が急増した。クルーズ船乗り場にもあったように、今から120年前の1902年には一足飛びで市制が導入され、九州でも有数の都市として発展した。

軍港として発展しただけに太平洋戦争では空襲の標的となり、町はほとんど焦土となって終戦を迎える。戦後は商業の港として、また九十九島を中心とした観光の港として復興しようとしていたが、そこで勃発したのが朝鮮戦争である。佐世保は朝鮮半島に向かう(アメリカ軍を中心とした)国連軍の前進基地となり、そのことで大いに復興した。そして現在もアメリカ軍、海上自衛隊が同居する軍港として機能している。

その後の佐世保は、原子力空母「エンタープライズ」の寄港をめぐって反対運動が起こったのをはじめとして、現在も原子力潜水艦などの寄港があるたびに反対運動が起こる。ガイドの吉川さんはそのことに理解を示しつつも、やはり平和は自らの手で「護らなければならない」というスタンスでのガイドを行う。かつて自衛隊にもいらっしゃったのかな。「平和を祈る長崎、平和を護る佐世保」というフレーズもあった。「さまざまなお考えはあるでしょうが・・」といつつも、国を護る、平和を護るために頑張っている人がいることについては語り口も熱くなる。

・・・そういえば、この記事を掲載した10月4日、北朝鮮からのミサイルが日本上空を通過しましたな・・・。

先ほどから、湾の中央にずっと停まっている艦船の存在が気になっていた。クルーズ船はそちらに近づく。

停泊していたのは護衛艦「すずつき」。アフリカのソマリア沖の海賊対処の任務のために派遣される護衛艦で、9月24日時点では佐世保出港後、一時停泊中という。

このクルーズ船が来るのを知ってか、隊員の人たちが甲板に出て手を振ってくれる。中には体がなまらないようトレーニング中の人もいて、お互いに手を振り合う。ガイドからも無事任務を果たすようエールが贈られる。そういえば、昨今は自衛隊の海外派遣が全国ニュースになることもほとんどなく、日庁的な光景になったのかなと思うが、偶然とはいえこうして出発を控えた隊員たちを目の当たりにすると、本当に無事に帰ってきてほしいと思う。何せ世界情勢は混沌としており・・。

再び港を目指して走る。アメリカ海軍、海上自衛隊の艦船が行き来することもあり、佐世保湾内の船舶の航行というのは制限があるのだという。そのためか、佐世保市民の人たちというのは案外海からの景色を日常的に見ることが少ないそうだ。

港に戻り、練習船が停まるエリアに向かう。「かしま」、「しまかぜ」という、どこぞの特急を思わせる名前である。現在近海練習航海中ということで、呉を出港し、佐世保、函館と1ヶ月あまりかけて回って呉に戻るそうである。これからの日本の海の平和を護る若者たちがここから巣立つわけだ。こうした艦船にも結構近づくことができる。

こうして1時間の軍港クルーズは結構見どころがあったものだった。艦船が好きな方ならより一層楽しめるのではないかと思う。

時刻はお昼どき。佐世保ということで思いつくのが佐世保バーガーとなるが、フェリー乗り場に面した店には長い列ができている。今から注文しても出来上がりには30分以上かかるという。後で駅近辺の複数の店にも行ったが同様だった。そこまで待って食べたいかと聞かれればそういうわけでもないので、別にいいかと思う。

とりあえず駅に戻り、昼食は構内のコンビニで買ったもので次の列車にて軽く済ませることにする。画像は、待合室で見かけた、先ほど通った大村線の海岸べりの景色のパネルである。この旧国鉄色がよく映えている。

さて、次の札所がある唐津は翌25日に向かうことにして、この日の宿泊は伊万里で予約していた。佐世保から伊万里に向かう鉄道ルートは2つあって。まずは佐世保線で有田へ出て、松浦鉄道で伊万里に向かうルート。もう一つは、そのまま松浦鉄道に乗って最西端のたびら平戸口などを経由して伊万里に向かうルート。どちらも捨てがたいが、松浦鉄道については現在並行して進めている九州八十八ヶ所百八霊場めぐりにて、いずれ沿線の札所をめぐることになるので、その時まで楽しみにしておく。

この日乗車したのは佐世保13時44分発の「みどり24号」。「白いかもめ」885系が、西九州新幹線の開業を受けて「白いみどり」として登場である。早岐で進行方向が変わるので、あえて逆向きにシートがセットされている。自由席は早岐までなら特急料金不要で利用できるためか、地元の人らしき利用も目立つ。

佐賀県に入り、14時10分、有田に到着。有田で下車するのは初めてである。有田といえば言わずと知れた有田焼の町。有田焼に対する鑑賞眼があるわけではないが、せっかく来たのだから有田焼に関する何かを見に行くことにしよう・・・。

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第12回九州西国霊場めぐり~第27番「清岩寺」(佐世保の福石観音と五百羅漢窟)

2022年10月03日 | 九州西国霊場

話は、9月の九州西国霊場めぐりの続き。

九州西国霊場めぐりは長崎県北部の佐世保へ。駅から港がすぐ近く風光明媚なところである。過去に一度宿泊したこともある。遠くには「SASEBO 120th」の文字も見える。2022年は佐世保の市制施行120周年である。1889年に佐世保に海軍鎮守府が開かれたのを機に人口が増え、1902年に市となった。

これから目指す清岩寺は佐世保駅から徒歩15分ほどということで、駅前の国道35号線を歩く。そこに見えたのは「福石観音」の文字。福石観音前というバス停もある。この記事では清岩寺という名前をタイトルにしているが、地元の人には福石観音の名前で通っているようだ。山門があり、ここを進んだ突き当りに境内が広がる。

さまざまな祠や石像が出迎える中。右手の階段を上がったところに本堂がある。

清岩寺、福石観音の由来は奈良時代にさかのぼる。行基が諸国を回る中で、福石山を訪ねて庵を結んだ。この時に仏木を発見して十一面観音を彫り、福石山に祀ったのが福石観音の始まりとされる。九州にある「行基七観音」の一つである。後に、弘法大師が行基の足跡をたどる中でこの地を訪ね、清岩寺を開き、山の裏手にある洞窟に五百羅漢を祀ったという。現在の形になったのは江戸時代、平戸藩の時という。

本堂の中に入れるということで外陣にてお勤めとする。

本堂の周囲は岩窟となっていて、そのところどころにも石像が祀られている。こうしたところは古くから信仰の場、修行の場としての歴史が長いように見える。

大師堂にお参りした後で、朱印をいただく。本堂の受付に書置きのケースがあったが中が空だったので、インターフォンを押して寺の方に来ていただく。かえって恐縮である。

さて、先ほど触れた五百羅漢を見に行くことにする。境内の案内に沿って進むと羅漢像らしきエリアがあるが、ここだけではないようだ。目指すのはさらにその先で、福石山の北側に回り込む。

そして現れたのは、どうすればこういう形の洞窟ができたのかなと思わせる景色である。現在の市街地からは想像できないが、その昔はこの辺りまで海岸線が来ていたとか?

この羅漢窟は「平戸八景」の一つという。江戸時代、平戸藩の領地内にある奇岩奇勝の8ヶ所を選んで、世間にPRしたのが始まりである。

時代が下り、太平洋戦争での空襲で焼け出された人たちがこの地に避難して、戦後もそのまま仮住まいを続ける中で、五百羅漢像の多くが廃棄されたり、あるいは破壊されたりした。そのため、首が落ちたままの像も結構あり、ちょっとびっくりする。昔と比べて羅漢像は減っているとはいうものの、一方で新たに寄贈された石像も見られる。佐世保の「とんねる横丁」というのは知っていたが、こうした洞窟があったとは初めてである。

佐世保駅に戻る。時刻はまだ10時30分だが、この日(9月24日)の札所めぐりはこれでおしまい。この後もゆったりしており、決まっているのは宿泊地が唐津の途中の伊万里ということだけである。佐世保での過ごし方も漠然としていて、駅からバスで移動して、九十九島の遊覧船でも乗ろうかというくらいのものである。

そこで、駅からのバス、遊覧船の時刻を調べようと構内の観光案内所に向かう。すると入口前のテーブルに「軍港クルーズ乗船の方は記入をお願いします」と、バインダーに挟まれた受付票がある。そういうクルーズがあるのか、面白そうだなと、受付票に記入して列に並ぶ。

そして私の番になったのだが、この「軍港クルーズ」、どうやら事前のネットや電話での予約が必須だったようだ。それでも係の人が念のために確認すると、キャンセルがあったようで1席だけ空きがあったようだ。すぐにチケットを発行してもらう。係の人の話では連日人気のコースだという。少し後に、私と同じように予約なしで受付票を提出した客が断られていた。こういうことがあると、先ほど訪ねたばかりの福石観音のご利益かなと感謝してしまう。

その「軍港クルーズ」の出航は11時30分。遊覧船は11時すぎには入港するが、おすすめの甲板席は早くに埋まるので今からでも並ぶよう勧められる。再び港に出て、出航する乗り場の列に加わる・・・。

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おめでとう!バファローズ大逆転優勝!!

2022年10月02日 | プロ野球(バファローズ・NPB)

信じられん!

まさに奇跡の大逆転優勝!!

2つの球場でバファローズ、ホークスが戦うことになったが、いずれも熱戦。BS中継を行ったり来たりしながら、やきもきしながらのテレビ桟敷だったが、最後は祈るように、そして「Wおう!」ができた。

シーズン当初はまったく優勝の気配もなく、マリーンズ佐々木に完全試合を決められるなど低迷していたし、打線も湿ったまんまだし、その中で夏場になって少しずつ上がって来たものの首位にいたのはわずか「20時間」だけ。

それが最後の最後でひっくり返すとはね・・・。

正式には「ひっくり返して」はおらず、バファローズ、ホークスともに勝率は同じ。かろうじて、直接対戦に勝ち越していたことで優勝したというところだが、「10.2」での優勝には変わりない。

まだまだクライマックスシリーズも勝ち抜く必要があり、昨年のようにすんなりとはいかないだろうが、また日本シリーズに進んでほしい。そしてぜひ「日本一」を!!!

ほんまおめでとう!ありがとう!!

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パ・リーグ優勝は最終143試合目で決着へ

2022年10月02日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
いや、何ともすごい展開になったものだ。

1日、マジック1のホークスは所沢にてライオンズ戦。勝つか引き分けでホークス優勝ということで、私も仕事を終えて帰宅してからBS中継をテレビ桟敷観戦。この時は1対0でライオンズがリードしていた。

ライオンズの継投も上手くいって迎えた9回表、このままライオンズ逃げ切りでホークスの優勝は持ち越しかというところで出たのが、柳田の一発。前日の試合で負傷退場したのが嘘のようなえげつない当たりだった。これで同点。

このまま延長引き分けでもホークス優勝ということで、モイネロ、松本、そして11回は藤井と勝ちパターンの継投。しかし11回裏、ライオンズが山川の打った瞬間に行った当たりが飛び出る。サヨナラ2ラン。テレビの前で私も叫んでしまった。

さてこれでバファローズの逆転優勝に望みがつながり、パ・リーグ優勝争いはともに最終143試合目に持ち込まれた。バファローズは仙台でイーグルス戦、ホークスは千葉でマリーンズ戦、いずれもナイターである。イーグルス、マリーンズともプロの意地を見せてくるだろう。

バファローズが優勝するにはとにかく勝つしかなく、その上でホークスが負けた場合のみ仙台での胴上げとなる。確率としてはホークス有利だし、バファローズはイーグルスに分が悪い。厳しい状況には変わりないが、ここまで来たのだから選手たちには悔いのないプレーをしてほしい。

夜は、テレビ桟敷にて観戦〜祝杯があげられるよう支度しなければ・・・。
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第12回九州西国霊場めぐり~西九州新幹線と大村線で佐世保へ

2022年10月01日 | 九州西国霊場

9月24日、九州西国霊場めぐりのメインである。今回の目的地は佐世保にある第27番・清岩寺、そして唐津にある第28番・常安禅寺である。札所めぐりのコマは前回長崎まで来ており、ここから北上するコースとなる。今回で長崎、佐賀の両県が一気に終わりとなり、舞台は最終版、福岡県の筑前国エリアに移ることになる。

まずは長崎から佐世保に向かう。長崎から佐世保への鉄道は大村線経由である。同じ長崎県内の移動だが、およそ2時間かかる。途中大村湾の海岸線に沿って走ることもあるが、長崎県も結構広いものである。当時とは車両ががらりと変わっているが、久しぶりの乗車が楽しみである。

その一方、せっかくなのでもう一度西九州新幹線にも乗ってみたいと思った。ただ武雄温泉まで行ってしまうと大村湾の景色は見えないので、西九州新幹線で新たに開業した新大村まで乗り、駅前を一瞥した後で大村線に乗り継ぐことにした。

24日は朝から好天である。宿泊した東横イン長崎駅前にて、まずは簡易朝食。ロビーには多くの宿泊客がいて料理を取る列も伸びている。荷物の中に大きなカメラがある客もちらほらいて、新幹線の撮影に来たのかなと想像する。

長崎駅に向かう。九州西国霊場めぐりで長崎市内は前回訪ねたことになっており、今回は一献と宿泊のみで後にする。

乗るのは7時45分発の「かもめ8号」博多行き。新幹線の車両が走るのは武雄温泉までで、博多へは「リレーかもめ8号」に乗り継ぐわけだが、何度も触れるようにあくまで「一つの列車」の扱いである。長崎駅のホームでも、「かもめ博多行き」というのが強調されている。前にも書いたが、在来線区間の沿線事故やトラブル等で「リレーかもめ」が運休となると、新幹線区間も運休してしまうという路線である。

当初は予定していなかった2回目の新幹線乗車だが、朝の時間帯だし、始発駅からということで自由席に乗ってみることにした。乗車口には列ができているが問題なく着席できるくらいの人数である。

自由席は2列-3列の通常のタイプ。シートが黄色というのが独特のセンスである。シートの快適さは指定席が断然上だが、武雄温泉まで30分の乗車と割り切れば、自由席でも十分快適に移動できるのではないか。

時刻となり発車する。ホームを出てすぐ、坂に広がる街並みを見たかと思うとトンネルに入る。このまま、長いトンネルが連続して一気に諫早に向かう。諫早まではわずか9分。

次の新大村へは諫早からわずか5分で到着。加速したかと思うとすぐに減速する感じである。何だか、新型車両の性能を持て余すかのようだ。私は長崎からの合計15分ほどの乗車で下車するが、驚いたことに、先ほど諫早から自由席車両に乗って来たばかりなのに、新大村で下車する人が複数いる。おそらく、その筋の人だろう。

ホームに降り立ち、出発する「かもめ8号」を見送る。

次の大村線は8時11分発の佐世保行き。「かもめ8号」との接続時間は10分ほどだが、この駅に関してはそれだけあれば十分だった。大村線の新大村駅じたいが西九州新幹線に合わせて開業した新駅で、スマホの地図にも23日になって突然表示されたところである。

それでも駅前広場では開業イベントの準備中で、地元の人たちも集まっていた。この新大村だが、開業にともないあることでその筋からは注目された。それは、稚内を起点とするJRの「最長片道きっぷ」の終点駅が肥前山口(現・江北)から新大村に変わったことである。かつて、1978年に宮脇俊三が「最長片道切符の旅」でたどった時と比べればローカル線を中心に大きくキロ数は減っているが、またこうした旅が注目される機会にもなったようだ。

さて、在来線である大村線の新大村だが、新幹線の高架下に寄り添うようにホーム1本だけ設けられた駅である。ホームへの上り口にはICカードの読み取り機はあるものの、利用可能区間は次の竹松までで、その先に行くにはあらかじめきっぷを買うか、整理券を取っての精算が必要である。せめて長崎からハウステンボス、佐世保くらいはICカードが使えたほうがよさそうに思うのだが。

やって来たのはYC1系というハイブリッド気動車である。これまでのキハ47やキハ66・67のような「いかにも気動車」という外観と比べるとスマートで、なるほど、こういう車両だとつい「電車」と呼んでしまうだろうなと思う。ディーゼル・エレクトリック方式と蓄電池の併用ということで、これからの非電化区間はこうした車両が中心となるのかなと思う。なお、「YC」とは何の略かというと「やさしくて 力持ち」のローマ字の頭文字である。なお、この列車の始発は長崎で6時35分発。「かもめ8号」の長崎発が7時45分だったから、新幹線と長与回りの鈍行の差というのは十分感じられた。

車内はロングシートで、長崎側の車両の中央部にはバリアフリー対応のトイレが備え付けられている。その反対側は座席がないスペースだ。

大村車両基地駅を過ぎる。こちらも西九州新幹線開業に合わせて開業した駅で、そのまんまの駅名である。西九州新幹線の大村車両基地は「かもめの巣」という愛称があるそうで、駅で降りて車両基地の外観を見に行こうという人らしき姿が見える。

新幹線の高架橋と別れ、松原を過ぎると大村湾沿いの区間である。

ロングシートの席に座っていたのでは景色が見にくいので、あえて席を立ってドアの窓から景色を楽しむ。実に穏やかな水面が広がる。

その途中の千綿に停車する。ドアのすぐ下が海である。日本全国に「海の見える駅」、「海に近い駅」があるが、千綿はその中でも上位に入るくらいの景色と言われている。今回下車しなかったが、駅舎も昔の面影を残して改築された木造のもので、わざわざ訪ねてくる人も多いそうだ。

棚田の景色が紹介される彼杵に到着。

そういえば、西九州新幹線の開業に合わせて誕生したもう一つの観光列車がある。「ふたつ星4047」という列車で、武雄温泉~長崎間の往復で長崎の海を楽しむことができる。午前の往路では有明海、そして午後の復路では大村湾。1日何本も走る新幹線よりも「ふたつ星4047」のほうが指定席の入手が困難なようで、もちろん今回の九州行きでは乗ることはなかった。

ハウステンボスに到着。観光客らしい客も多く乗って来る。先日、旅行会社のHISが、自ら保有するハウステンボスの全株式を香港の投資会社に売却することが発表された。コロナ禍で業績が悪化したHISが経営立て直しのためにとった策だが、売却先が中国系ということで波紋も広がっている。ハウステンボスのテーマパーク事業はそのまま継続されるそうだが・・・。

佐世保線と合流する早岐に到着。江北方面からの列車待ちのために数分停車する。先ほど到着する時に珍しい車両を見かけたのでのぞきに行く。同じく観光列車の「或る列車」である。本来なら久大線経由で博多~由布院間を走る列車だが、先日の台風14号の影響で久大線の豊後森~由布院間が運休となっており、ここに避難しているようである。

佐世保線の列車からの乗り継ぎ客も加え、そのまま佐世保市内に入る。9時20分、高架の佐世保に到着する。

コインロッカーに荷物を預け、いったん駅前に広がる佐世保の港の景色をのぞいた後、目指すのは九州西国第27番・清岩寺である・・・。

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