ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

露天風呂

2009年01月28日 | ひとりごと
「人生明るく楽しく!」
これをわたしの耳元で、それはそれはしつっこく繰り返し言い続けた友人M。
その頃、全然明るくも楽しくも無かったので、最初はそれが気に障って仕方がなかったのだけど、そのうち呪文のように耳慣れしたのか、気にならなくなったばかりか、自分もそう信じ込んでしまったようです。

Mは、着かず離れずの、もちろん気は合うけれど、そうかといってベッタリでもない、友人であり、その頃は仕事仲間でもありました。
不思議なことにMは、わたしがなにか大きな決心をしようとするとススッとやって来て、全く違うことをしたり話したりするのだけど、
そうこうしているうちに、わたしの中ですっかり決心が固まってたりすることが何回かありました。

「まうみ、露天風呂に行こ!」
いつものごとく、底抜けに明るくそう言った彼女の手には、露天風呂特集が掲載された雑誌が数冊。
その頃、離婚をするかしないか、家族を悲しませることと失う物の大きさに恐怖を感じていたわたしは多分、彼女の目には暗~く見えたのだと思います。
「露天風呂なんてぜぇ~ったいにイヤ!」
「なんでぇ~?」
「人前ではだかになんかなれへん!」
今ではやっと、それなりに病的ではなくなりましたが、その頃のわたしはまだ、偏狭的病的はだか恐怖症だったのです。
もともとはだか恐怖症(というより過度のコンプレックスの持ち主)だった上に、息子達の出産でおへそから恥骨までの長く太い手術後のケロイドも加わり、
家風呂の着替えを家族の前でさえもできないのに、公共の、しかも露天でなんて、年末ジャンボ宝くじで1等賞が当たっても無理!(1等賞やったらちょっと考えるか、な?)

ところがMはしつこかった。きっと彼女の勘だったんでしょう。なにがなんでもまうみを露天風呂に連れていく!すごい気迫でした。

根負けして決めた所は、秘境も秘境、ほんまにそんなとこにあるんかいな~と、着いて実際にこの目で見るまで心配し続けたほどの、山の上の温泉でした。
建物にはなんの愛想もなく、焦げ茶色の木造の、所々建て増しをした形跡がはっきりと分かる古ぼけた宿でした。
案内された部屋はとても狭く、真ん中にポツンと小さな真四角の炬燵が置かれていて、部屋の隅っこに積まれた座布団もボロボロ、
思わず、南こうせつの『神田川』の世界にすっぽり入り込んでしまうような風情が漂っていました。
「とりあえず来るには来たけど、わたしゃ絶対に風呂にゃ入らんからね」
「またぁ~、そんな頭の固いこと言うてたら老けるで~」
などと、炬燵に足を突っ込みながら言っている所に、夕食が運ばれてきました。
山菜料理にお吸い物に……うん?なんでしょこれ?
「あ、これですか、イナゴの唐揚げですよ、珍味、美味しいですよ」
イ、イナゴ?!あの、バッタみたいにビヨ~ンと跳ぶやつ?!
「お客さん、初めて?」
「あ、はい、まあ、初めて、です」
「そりゃもう、食べてもらわにゃいかんわ。残さんとってね~」
向かい合って、ジィ~ッとイナゴを見つめるMとわたし。残さんとってね~って、そんなこと言われても……ともじもじしていると、ガシガシ!え?!
Mの口からイナゴが半分露出していて、しかも揺れてます!
ぎゃ~!!あんまりびっくりして、わたしも思わずガシガシ!うまくねぇ~!
お茶をゴクンと飲み干してから、お互いの顔を見、「食ったな」「うん、食った」……どっちの目もかなり据わっていました。
その時突然、わたしの考えが変わりました。入るわ、露天風呂に。イナゴパワーだったんでしょうか?

まず手始めに、せめて脱着の囲いのある所からってんで、スティーム風呂と名がついている所に行きました。
Mは、初めてのわたしのためにまずは見張り役をやると言って、掘建て小屋のような粗末な扉の前で、わたしの浴衣を持って待っていてくれました。
真っ裸になって中に入ると、もう何も見えません。ものすごい湯気と熱気で瞬間に参ってしまい、すぐに出ようと外に居るMに声をかけました。
ところが向こうには聞こえないのか、まるで応答がありません。
わたしはすっかりパニックになってしまい、扉の方に向かって手探りで小屋の中を歩きながら、「熱いよ~出してよ~」と叫んでいました。
ようやく扉が開き、少し灯りが差し込んだ方に向かって突進したわたしは、びっくりしているMの顔に自分の顔を寄せ、「次行こ、次!」と命令したのでした。

次は、長四角に仕切られてあるだけの、扉無しのトイレのような小部屋に、四角く穴が掘られているお風呂でした。
わたしはさっさと、Mを待つこともせず、浴衣をはらりと脱ぎ(下着はいちいち面倒だというのでつけていませんでした)ドボン!
ギャア~!熱つつつぅ~!
とんでもない熱さです。お尻が日本猿です。足の裏だって、体の中で1番分厚い皮なのに我慢できない熱さです。
たまらず立ち上がって風呂から飛び出すと、浴衣姿の男性客がちらほら。見たけりゃ見なはれ!こっちは火傷しそうなほど熱かってんから。
いったい以前のまうみはどこに行ってしもたのか……さすがのMも、あまりのわたしの急変にオロオロし始めました。
「ちょっとお尻を冷まさなあかん」
雪がうっすらと残る岩風呂に入り、川のほとりの穴風呂に入り、月見風呂に入り、すっかり露天風呂の楽しみに目覚めたわたし。

最後に行き着いたのは、なぜか15メートル以上はありそうな露天プール。更になぜだか、そこの着替え場の上には裸電球がついていました。
もうその頃には、浴衣を着るのも面倒になって、しっかり前を合わせないまま次の風呂へ移動するほどに大胆になっていたわたし達、
なんの躊躇もなく、パアッと景気良く脱いで、バシャバシャと楽しく泳いでいると、そこにうら若き女性2人がやって来ました。
「いいですかぁ~」
「もちろん、どうぞどうぞ、一緒に入りましょ」
彼女達が電球の下で浴衣を脱ぎ始めたのを見て、すごいことに気がつきました。
そのプールの周りをぐるりと囲むように宿は建っていて、その2階の部屋の窓という窓に、男性客がイモリのように張り付いているのです。
彼らの口元の窓ガラスがどうしても曇ってしまうので、時々手のひらでゴシゴシしながら、目はプールに集中しています。
若手2人が加わったのを目ざとく見つけた連中が、後ろを振り向いて、部屋の向こうにいる仲間に手招きしているのも見えました。
ふん、エロ河童どもが!
背泳ぎ、クロール、平泳ぎ、これって正しいのか正しくないのか、そんなことより今の自分がどうしたいのか、それでいいやん。
うす青い湯に、鯉のぼりみたいに大きなウロコ模様の白い線が揺れていました。

翌日、山の景色を逆に辿りながら麓の町に降りました。
「またいつか、ここにMと来れたらいいな」
Mは、そんなことを言うわたしを嬉しそうな顔で見ていました。
わたしは胸の中で、そっと、けれどもきっぱりと、何かが決まったのを感じていました。


今日も雪が降り積もりました。
窓から外の景色を見ていて、ふと思い出した露天風呂のお話でした。


コメント (2)
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