我、再び駆ける。

ADV150・MT-03・4D9マジェスティなどを購入したことから、これらのバイクについて紹介していくブログです。

青野ヶ原俘虜収容所の冊子と鶉野飛行場の展示会です。

2016年08月13日 | お出かけ
今日は家内とジュークに乗ってドライブです。高速はどこも混んでいるようなので、R175を北上します。

R175からR372に入り、しばらく走って到着したのは、お馴染みの「がいな製麺所」です。到着したのは11時前でしたので、まだ行列もできず空いていました。



この度に来たのは、こんなハガキが着たからですね。しっかりとラムネを頂戴しました。^^






私は毎度お馴染みのバター釜玉とかやくごはん(小)。家内は梅とろろうどんのセットです。



ここで家内が「T2さんが来た!」との一声。仲良く同じテーブルで、鈴鹿の思い出話に花を咲かせながら頂きました。(笑)



T2さんの奥様に「来年はお互いタンデムで鈴鹿を走りましょう」と水を向けましたが、あっさりと却下されました。^^

T2さんのFITです。LEDライトがT2さんらしいところです。



お先に「がいな製麺所」を出発して、到着したのは北条鉄道・北条町駅。



いえ北条町駅が目的ではなく、道向かいの「アスティアかさい」です。



それも3階の加西市立図書館です。



ここに来たのは加西市のサイトで、「青野原俘虜収容所が分かる入門書を無料配布」と掲載されていたからですね。青野ヶ原俘虜収容所(現在の陸上自衛隊・青野ヶ原駐屯地あたり)とは、第一次世界大戦で敗戦となったドイツ兵などを収容していました。
映画「バルトの楽園」は徳島の板東俘虜収容所が舞台でしたが、同じような俘虜収容所が兵庫県にもあったのです。

「加西に捕虜がいた頃 青野原収容所と世界」という冊子ですが、残念ながら配布が終わってしまい在庫がありませんでした。(涙)
ちなみにデジタル版(PDF形式)は以下のサイトで観ることができます。
「加西に捕虜がいた頃 青野原収容所と世界」

ここで「観るのは面倒・・・」という方のために、一部を画像でどうぞ。ドイツ兵たちは池で泳いだり、法華山一乗寺に遠足に行くなど、結構、自由があったようです。






およそ100年前に、青野ヶ原に俘虜収容所があったとは驚きです。ドイツ兵たちは現在のJR加古川縁・青野ヶ原駅から、こんな感じで歩いて収容所に向かったそうです。



さて、冊子も入手できず、無念の気持ちで法華口駅に向かおうとすると・・・ミリタリーな私が大好きな展示です。(笑)



紫電改のタイヤや20mm機関砲、それに飛行服が展示されていました。どれも鶉野飛行場跡近くの防空壕などに置かれていた展示物だと思います。






さらに、こんな展示会も開催されていました。



こんな展示会で、



「展示パネルの撮影以外はどうぞ」で撮影です。1/6スケールの紫電改は巨大でしたね。RC機のようです。



紫電改以外にも、彗星艦上爆撃機や九七式艦上攻撃機などの模型も展示されていました。



米軍機では、この逆ガル翼のコルセアが好きなんです。ジェット戦闘機の時代に入っても、地上攻撃機として長らく使われました



それほど大きくなかったので60kg爆弾でしょうか。



現在、加西市が進めている鶉野飛行場の整備ですが、この度の展示会の主催者である「鶉野平和祈念の碑苑保存会」の方と少々お話しました。何でもレプリカですが、実物大の紫電改と九七式艦上攻撃機が鶉野飛行場に展示されるようです。
紫電改については、レプリカではなくアメリカで保存されている実機の返還も検討されているそうですが、問題は費用で・・・ざっと1億円と言われていました。

鶉野飛行場の展示を後にして、到着したのは恒例の法華口駅です。



駅長さんに一枚お願いして、



暑いのでソフトクリーム・・・黄色はパインで、白い方は白桃です。^^



多くの自転車野郎さんが駅舎内を占拠していたので、パンを買って帰路とします。



帰りに小野のイオンでお買い物。



家内が買物している間、イオン内をウロウロと・・・こんな展示がありました。



そろばんの町である小野市ですから、巨大なそろばんや、



こんな曲がったそろばんが展示されていました。クルクル巻いての携帯用そろばんです。



こんな感じでのドライブでしたが、エアコンの効いたクルマでも暑かったですね。さらに高速道路の表示は、どこも渋滞情報でした。やはりお盆は自宅で大人しく・・・高校野球とオリンピック観戦としましょう。^^
コメント (10)
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