前回の多賀大社を後にして、新幹線高架や近江鉄道を跨ぎます。そして添乗員さんから「次は登録有形文化財です」で到着したのは、旧豊郷小学校校舎でした。
校舎を正面から撮影。そして登録有形文化財のプレートです。
ここで旧豊郷小学校校舎について、ウィキからの説明です(抜粋)。少し長いですが、お読みください。後半の問題は、マスコミでも大きく取り上げられました。
1937年(昭和12年)、本校出身で丸紅の専務取締役であった古川鉄治郎が私財を投げ打って建設した。
設計はヴォーリズ建築事務所、建設は竹中工務店が担当し、神谷新一が現場監督となって指揮を執った。
当時としては珍しい、壮麗な鉄筋コンクリート造の校舎は、「白亜の殿堂」ないし「東洋一の小学校」との異名を取った。総工費は365,000円に上っている。(当時の豊郷町予算の10倍に相当)
1999年(平成11年)に大野和三郎が新町長に就任すると、施設の老朽化と耐震性を理由として校舎と講堂を解体するとともに、新校舎の建設を目指す方針を打ち出し、町議会もこれを賛成多数で承認した。
しかし、地元町民からは歴史のある校舎を取り壊すことに反対する意見が出され、賛成意見を大きく上回った。2001年(平成13年)10月に「豊郷町の歴史と未来を考える会」が設立されて大津地方裁判所に講堂の解体工事の差し止めを求める仮処分申請を行ない、2002年(平成14年)1月に裁判所は差し止めを認めた。
町側はいったん地裁の判断を不服として高等裁判所に抗告したものの、講堂を保存する方向に方針転換。しかし、校舎に関しては解体の方針を変更しなかった。
2002年8月、考える会は大津地裁に校舎解体差し止めを求める仮処分を申請し、12月19日に承認されるが、大野町長は地裁の判断や町民の意向を無視して、同月20日に強行的に解体工事を開始。
作業員が、解体中止を求めて抗議した女性を床に叩きつけるなど、暴行を加える様子もニュースで放送された。これを受けて町民は工事の差し止めを求めて校舎に立てこもり、町長も工事中止を発表する。
かかる状況の中、大野町長は24日になって方針を転換し、新校舎を建設しながらも旧校舎を保存するとした。
こんなところで、紆余曲折で保存された旧校舎です。とりあえず難しい話はおいといて、内部を見学。さすがに1937年(昭和12年)の建物です。
教室の窓は、珍しい横軸回転窓。
ドアノブや非常ベルは歴史を感じます。
不意にドアを開けた時、廊下を歩く子供達に当たらないように、廊下にはドアの軌跡が描かれています。
なぜか豊郷町の原付ナンバーまで置かれていました。^^
この旧校舎の見所は、階段の手摺です。この赤丸なんですが、
イソップ寓話「ウサギとカメ」をモチーフとした、ブロンズ装飾が設置されています。どれも素晴らしいものでした。
次に向かうは旧音楽室です。
こちらも内部の造作が素晴らしく、
なんですが、こちらの展示のメインは、京都アニメーションの「けいおん」です。登場する高校がこの校舎と似ていることから、聖地巡礼で訪れるファンが多いそうです。
こちらで、豊郷町のマンホールカードを配布していました。T2さん、今度お会いした時に一枚プレゼントします。^^
旧豊郷小学校を後にして、またも名神高速に乗り込みます。添乗員さんにお聞きすると、「後、一か所立ち寄ります」とのこと。ふむふむ、最後は京都方面かな?と思いきや、草津JCTから新名神に入りました。そして信楽ICで降りると・・・もうお分かりですね。(^^)
最後は信楽焼の窯元でした。(^^)
現在、放送中のNHK朝の連続ドラマ「スカーレット」で話題の信楽焼です。旅行会社の心遣いでしょう。^^
信楽焼といえばタヌキの焼物。タヌキだらけでした。^^
スタッフの方が、タヌキの焼物の部位ごとに意味を説明されました。
ここでタヌキの焼物が、なぜ縁起物なのか紹介しましょう。
笠:災難から身を守る
通帳:信用が第一
目:何事も前後左右に気を配る
腹:常に沈着冷静に、しかし、決断には大胆さが必要
顔:常に愛想良く真を以て努める
金玉袋:金銭を自由自在に使える金運
徳利:飲食には困らず、徳を持つ
尻尾:物事の終わりは大きく、しっかりと身を立てる
また説明された登り窯です。登り釜といえば、兵庫県の立杭焼も有名ですね。
こんなところで信楽を後にして帰路となりました。新名神の信楽ICに乗り込み、以下、名神高速~阪神高速で三宮駅前に到着。その後、明石には予定どおり19:30に到着。丸一日のバスツアーとなりました。
この度はミステリー・バスツアーということでしたが、結局、4か所を見学したところ。見学箇所は、どこも入場無料ということで、旅行会社さんの苦労が分かりましたが、それでも工夫も感じたものです。
結局のところ、破格の6千円(平日なら5千円)というお値段としては、十分に満足できるツアーと言えるでしょう。皆さんにもお勧めです。
校舎を正面から撮影。そして登録有形文化財のプレートです。
ここで旧豊郷小学校校舎について、ウィキからの説明です(抜粋)。少し長いですが、お読みください。後半の問題は、マスコミでも大きく取り上げられました。
1937年(昭和12年)、本校出身で丸紅の専務取締役であった古川鉄治郎が私財を投げ打って建設した。
設計はヴォーリズ建築事務所、建設は竹中工務店が担当し、神谷新一が現場監督となって指揮を執った。
当時としては珍しい、壮麗な鉄筋コンクリート造の校舎は、「白亜の殿堂」ないし「東洋一の小学校」との異名を取った。総工費は365,000円に上っている。(当時の豊郷町予算の10倍に相当)
1999年(平成11年)に大野和三郎が新町長に就任すると、施設の老朽化と耐震性を理由として校舎と講堂を解体するとともに、新校舎の建設を目指す方針を打ち出し、町議会もこれを賛成多数で承認した。
しかし、地元町民からは歴史のある校舎を取り壊すことに反対する意見が出され、賛成意見を大きく上回った。2001年(平成13年)10月に「豊郷町の歴史と未来を考える会」が設立されて大津地方裁判所に講堂の解体工事の差し止めを求める仮処分申請を行ない、2002年(平成14年)1月に裁判所は差し止めを認めた。
町側はいったん地裁の判断を不服として高等裁判所に抗告したものの、講堂を保存する方向に方針転換。しかし、校舎に関しては解体の方針を変更しなかった。
2002年8月、考える会は大津地裁に校舎解体差し止めを求める仮処分を申請し、12月19日に承認されるが、大野町長は地裁の判断や町民の意向を無視して、同月20日に強行的に解体工事を開始。
作業員が、解体中止を求めて抗議した女性を床に叩きつけるなど、暴行を加える様子もニュースで放送された。これを受けて町民は工事の差し止めを求めて校舎に立てこもり、町長も工事中止を発表する。
かかる状況の中、大野町長は24日になって方針を転換し、新校舎を建設しながらも旧校舎を保存するとした。
こんなところで、紆余曲折で保存された旧校舎です。とりあえず難しい話はおいといて、内部を見学。さすがに1937年(昭和12年)の建物です。
教室の窓は、珍しい横軸回転窓。
ドアノブや非常ベルは歴史を感じます。
不意にドアを開けた時、廊下を歩く子供達に当たらないように、廊下にはドアの軌跡が描かれています。
なぜか豊郷町の原付ナンバーまで置かれていました。^^
この旧校舎の見所は、階段の手摺です。この赤丸なんですが、
イソップ寓話「ウサギとカメ」をモチーフとした、ブロンズ装飾が設置されています。どれも素晴らしいものでした。
次に向かうは旧音楽室です。
こちらも内部の造作が素晴らしく、
なんですが、こちらの展示のメインは、京都アニメーションの「けいおん」です。登場する高校がこの校舎と似ていることから、聖地巡礼で訪れるファンが多いそうです。
こちらで、豊郷町のマンホールカードを配布していました。T2さん、今度お会いした時に一枚プレゼントします。^^
旧豊郷小学校を後にして、またも名神高速に乗り込みます。添乗員さんにお聞きすると、「後、一か所立ち寄ります」とのこと。ふむふむ、最後は京都方面かな?と思いきや、草津JCTから新名神に入りました。そして信楽ICで降りると・・・もうお分かりですね。(^^)
最後は信楽焼の窯元でした。(^^)
現在、放送中のNHK朝の連続ドラマ「スカーレット」で話題の信楽焼です。旅行会社の心遣いでしょう。^^
信楽焼といえばタヌキの焼物。タヌキだらけでした。^^
スタッフの方が、タヌキの焼物の部位ごとに意味を説明されました。
ここでタヌキの焼物が、なぜ縁起物なのか紹介しましょう。
笠:災難から身を守る
通帳:信用が第一
目:何事も前後左右に気を配る
腹:常に沈着冷静に、しかし、決断には大胆さが必要
顔:常に愛想良く真を以て努める
金玉袋:金銭を自由自在に使える金運
徳利:飲食には困らず、徳を持つ
尻尾:物事の終わりは大きく、しっかりと身を立てる
また説明された登り窯です。登り釜といえば、兵庫県の立杭焼も有名ですね。
こんなところで信楽を後にして帰路となりました。新名神の信楽ICに乗り込み、以下、名神高速~阪神高速で三宮駅前に到着。その後、明石には予定どおり19:30に到着。丸一日のバスツアーとなりました。
この度はミステリー・バスツアーということでしたが、結局、4か所を見学したところ。見学箇所は、どこも入場無料ということで、旅行会社さんの苦労が分かりましたが、それでも工夫も感じたものです。
結局のところ、破格の6千円(平日なら5千円)というお値段としては、十分に満足できるツアーと言えるでしょう。皆さんにもお勧めです。