我、再び駆ける。

ADV150・MT-03・4D9マジェスティなどを購入したことから、これらのバイクについて紹介していくブログです。

ミステリー・バスツアーに参加しました。(その1:関ケ原と多賀大社)

2020年01月13日 | お出かけ
前回のラクビー記事とは前後しますが、1/11(土)は日帰りミステリー・バスツアーに参加しました。明石は7:15出発でしたが、10分ぐらい前にバスが到着です。

旅行会社はクラブツーリズム。ミステリーですから、どこに行くか分かりません。ただ「お土産申込書」には関ケ原の文字が・・・大体、滋賀方面であることが分かりました。(^^)



ちなみに参加費は、昼食付で6千円。平日なら5千円という驚きの破格値です。^^

出発後、次に神戸市役所前で三宮出発組の方々がバスに乗り込み、生田川から阪神高速・神戸線。続いて名神高速をひたすら走り続けます。そして大津SAで一回目の休憩。



久しぶりの大津SAです。こんなのあったかな?です。^^



琵琶湖を望んで、再び出発。



関ケ原ICで名神高速を降り、関ケ原の合戦慰霊碑のところで早めの昼食です。



昼食は、このドライブイン(かな?)です。



6千円の参加費ですから大きな期待は無かったのですが、牛すき鍋膳の昼食でした(^^)。牛肉は近江牛・飛騨牛だったかな?です。



昼食場所の壁は、大きな関ケ原の合戦の陣形図です。



こんな感じで、東軍(徳川方)と西軍(石田方)が色分けされていますが、



この青赤の東軍への寝返りが無かったなら、歴史は変わっていたでしょう。



関ケ原の合戦に参加した武将の中で、一番好きな大谷吉継。石田三成に徳川との戦を最後まで反対したのですが、石田三成との友情で参戦しました。東軍を次々と打ち破る獅子奮迅の活躍でしたが、寝返った小早川秀秋勢の前に敗れました。



石田三成の家臣で、活躍した島左近。



長曽我部盛親。関ケ原の合戦では動かず。その後、大阪の陣では「五人衆」の一人として活躍しましたが、大阪城落城後に捕らえられ斬首となりました。



関ケ原の合戦の概要です。僅か7時間ほどで終わりました。西軍の敗因はいろいろと紹介されていますが、一つは石田三成の人徳の無さでしょうか。他には、もし西軍の総大将が前田利家であれば・・・若しくは北政所が西軍に加担していれば、加藤清正や福島正則は西軍だったことでしょう。



こんなところで、あらためて関ケ原の合戦をお勉強し出発。関ケ原ICから名神に乗り込み、彦根ICで名神高速を降ります。しばらく一般道を走って到着したのは多賀大社です。



多賀大社は、初詣が終わったにもかかわらず大量の参拝客。^^



お参りし、おみくじを引くと「末吉」でした。



多賀大社にも能舞台がありました。



四斗樽が奉納されているのは、他の神社と同じ。この中で目を引いたのは「七本槍」です。



「七本槍」とは、賤ケ岳の合戦で名をあげた七人の武将(脇坂安治、片桐且元、平野長泰、福島正則、加藤清正、糟屋武則、加藤嘉明)のことです。この中で、片桐且元は豊臣家存続のために尽力しましたが、最後は病死となりました。

多賀大社のお土産で有名なのは「糸切り餅」。特に天ぷらが美味しいとのことで食しました。



熱々の天ぷらで美味しかったです。多賀大社にお参りしたなら、ぜひ食しましょう。(^^)



多賀大社の後は次の目的地に向かったのですが、画像が多くなるので「その2」に続きます。^^
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする