以前に「父の飛燕の思い出」という記事で、神戸空襲時の56戦隊の緒方大尉のことをご紹介しましたが、その記事を読まれた方から下記のようなコメントが寄せられました。(内容を少し変更しています)
「私は平成17年に大阪府交野市で発掘された、56戦隊の中村中尉機の飛燕の機関銃の鑑定を大阪府警から依頼された者です。現在、発掘された飛燕の残骸が交野市で展示されています」
短いコメントですが、ミリタリーマニアの私にとっては、ドッキリとしてしまう内容でした。
このコメントへの返信は既にさせていただきましたが、返信した時は時間が無く、とりあえず秘蔵の書物で調べると「おそらく・・・」という空戦記録が見つかりました。
それは「56戦隊の飛燕は、昭和20年7月9日に大阪・淀川上空でP51と交戦。中村少尉が撃墜された」というものでした。
その後、時間が取れた時にネット検索すると、この交野市で発掘された飛燕については、簡単に見つけ出すことが出来ました。
後述する2つのHPをご覧いただければ詳細に説明されていますが、「面倒やな」と思う方もおられるでしょうから、箇条書きで簡単に説明しましょう。
1.昭和20年7月9日に硫黄島から飛び立ったP51は、大阪上空で56戦隊の飛燕と交戦。中村少尉(戦死後、中尉)の飛燕は撃墜される。
2.撃墜された中村少尉はパラシュートで脱出するものの、P51にパラシュートの紐を切られ落下して戦死。
3.墜落した飛燕は戦後60年を経て、平成17年に交野市内の道路工事中に発見され、エンジン他が発掘された。発掘された飛燕の残骸は、交野市の「いきいきランド」で展示されている。
と、いうことです。もっと詳しく知りたい方は、下記の2つのHPをご覧ください。当時の目撃者の証言や、展示されている飛燕のエンジンなどの写真も紹介されています。
http://www.city.katano.osaka.jp/kakka/hisyo/sityou-heya/hien2koku.htm
http://www.oshipee.com/omami/j-photo-hien.htm
さて、ここから本題となるのですが、この交野市の飛燕について会社の同僚のエストレア君に話すと「その話は知っています。中村中尉の慰霊碑の場所も分かります」と言うのです。
ウーン、詳しいな~と、よくよく聞けば、何とエストレア君は交野市出身だったのです。ですから飛燕の残骸が展示されている、交野市の「いきいきランド」の場所もバッチリだと言うのです。
よし!これでツーリング・コースが一つ決まりました。一応、飛燕の残骸の展示を確認して、エストレア君の後を付いて交野市に行きましょう。もちろん中村中尉の慰霊碑に供える、お花を忘れてはいけませんね。
「私は平成17年に大阪府交野市で発掘された、56戦隊の中村中尉機の飛燕の機関銃の鑑定を大阪府警から依頼された者です。現在、発掘された飛燕の残骸が交野市で展示されています」
短いコメントですが、ミリタリーマニアの私にとっては、ドッキリとしてしまう内容でした。
このコメントへの返信は既にさせていただきましたが、返信した時は時間が無く、とりあえず秘蔵の書物で調べると「おそらく・・・」という空戦記録が見つかりました。
それは「56戦隊の飛燕は、昭和20年7月9日に大阪・淀川上空でP51と交戦。中村少尉が撃墜された」というものでした。
その後、時間が取れた時にネット検索すると、この交野市で発掘された飛燕については、簡単に見つけ出すことが出来ました。
後述する2つのHPをご覧いただければ詳細に説明されていますが、「面倒やな」と思う方もおられるでしょうから、箇条書きで簡単に説明しましょう。
1.昭和20年7月9日に硫黄島から飛び立ったP51は、大阪上空で56戦隊の飛燕と交戦。中村少尉(戦死後、中尉)の飛燕は撃墜される。
2.撃墜された中村少尉はパラシュートで脱出するものの、P51にパラシュートの紐を切られ落下して戦死。
3.墜落した飛燕は戦後60年を経て、平成17年に交野市内の道路工事中に発見され、エンジン他が発掘された。発掘された飛燕の残骸は、交野市の「いきいきランド」で展示されている。
と、いうことです。もっと詳しく知りたい方は、下記の2つのHPをご覧ください。当時の目撃者の証言や、展示されている飛燕のエンジンなどの写真も紹介されています。
http://www.city.katano.osaka.jp/kakka/hisyo/sityou-heya/hien2koku.htm
http://www.oshipee.com/omami/j-photo-hien.htm
さて、ここから本題となるのですが、この交野市の飛燕について会社の同僚のエストレア君に話すと「その話は知っています。中村中尉の慰霊碑の場所も分かります」と言うのです。
ウーン、詳しいな~と、よくよく聞けば、何とエストレア君は交野市出身だったのです。ですから飛燕の残骸が展示されている、交野市の「いきいきランド」の場所もバッチリだと言うのです。
よし!これでツーリング・コースが一つ決まりました。一応、飛燕の残骸の展示を確認して、エストレア君の後を付いて交野市に行きましょう。もちろん中村中尉の慰霊碑に供える、お花を忘れてはいけませんね。
交野市へ行くなら、少し足を伸ばして京都府八幡市の流れ橋へ立ち寄られては如何でしょう。時代劇のロケでもお馴染みの木造橋で、一見の価値ありですよ~♪
今は、第二京阪道路の側道になっている国道1号線バイパスがありますので、交野市からの時間も大して掛からないと思います。
ご紹介の「流れ橋」は興味ありますね。私の田舎の方にも木造橋がありました。
八幡市もしかりなんですが、ケムシトリー♂さんのお膝元に突入するかもしれません。鹿と大仏に戯れるかもしれませんので、その節はご連絡します。
まささん、おそらくP51のパイロットは意図的にパラシュートの紐を切ったのでしょう。戦争の悲惨さを表しています。
現実の戦争は映画とは違います。騎士道も何もありません。それは撃墜され、パラシュートで脱出した米軍機の乗務員達の運命も同じでした。
ところでコメントを寄せられた方ですが、その後は連絡がありません。
大阪府警の調査ということですから、ひょっとしたら数少ないドイツの20mmマウザー砲(MG151)を搭載していた飛燕かもしれませんね。