今回は3/13に訪れた、靖国神社・遊就館に展示されている九七式中戦車などを紹介しましましょう。紹介するのを、すっかり忘れていました。^^
先ずは、九七式中戦車の詳細から。空冷12気筒ディーゼルエンジンのマフラーです。左右2本出しとなっています。
57mm戦車砲と7.7mm機銃。
砲塔後方の7.7mm機銃。砲塔上部の円形の手摺のようなモノはアンテナです。
前から見ると、一般的な戦車と違い砲塔位置が右側にオフセットされています。
説明パネルです。4名乗車であることが分かります。
九七式中戦車の主なスペックです。
全長:5.55 m
全幅:2.33 m
全高:2.23 m
重量:全備15.0t
速度:38 km/h
行動距離:210km
主砲:九七式57mm戦車砲
副武装:九七式車載7.7mm機関銃×2
エンジン:空冷V型12気筒ディーゼル150hp・排気量21,720cc
乗員:4名
この九七式中戦車は、サイパンの戦いで全車を失った戦車第9連隊所属のものです。戦後、生存された戦車第9連隊の方々や関係者の努力により、日本に帰ってきました。
このため、米軍に攻撃された弾痕が残っています。
ところで戦車に詳しい方なら、例えばドイツ軍のパンサーやタイガー戦車と比べ、小さな車体で小口径の主砲と思われるでしょう。これは、そもそも戦車を用いる用法が、ドイツ軍の機甲戦車軍団とは異なるからです。
日本での戦車の役割は歩兵と共に行動し、トーチカなどに設けられた敵の機関銃陣地を突破することが目的でした。このため主砲の口径は小さく、戦車自身の装甲厚も薄いものでした。
また国内の移動時には橋梁を渡ることもあるのですが、戦前の日本国内の多くの橋は重荷重に耐える橋が少ないことや、道路や鉄道事情が悪く小型化せざるを得ないものでした。
もっとも戦争末期には、アメリカ軍のM4シャーマン戦車に対抗するため三式戦車が開発されましたが、制海権を奪われ南方の戦場に輸送することは不可能でした。
ちなみに旧日本軍の戦車は、意外にも戦後も形を変えて数多く残りました。もちろん武装は撤去されましたが、用途としては雪上運搬車や警察での装甲車です。
続いて紹介するのは、桜花特別攻撃機です。この桜花はレプリカですが、紹介しましょう。
ご覧のように、天井から吊られています。
操縦席です。
エンジン部。ロケット推進ですが、固形燃料ですので打ち上げ花火と基本的に同じです。
桜花のスペックです。ちなみに木製でした。
全長:6.066m
全幅:5.12m
全高:1.16m
自重:440kg
全重量:2270kg
速度:804km/h(急降下突撃状態の速度)
航続距離:37km(高度7,000mで投下して約60km)
武装:1200kg徹甲爆弾
エンジン:固体ロケットエンジン
出力:推力800kg×3
乗員:1名
上記のスペックで注目すべきは、速度と航続距離。さらに武装です。この桜花は敵艦に体当たりする特攻機ですが、速度は高速なれど、あまりに短い航続距離。このため一式陸上攻撃機の下面に搭載され、敵艦に近づいたところでロケットエンジンを噴射して体当たりしましたが、多くは敵艦に近づく前に母機である一式陸上攻撃機と共に撃墜されてしまいました。
それでも命中すれば、1,200kgもの爆弾。駆逐艦は真っ二つになり撃沈したそうです。
この桜花については、下記の動画をどうぞ。松本零士さん原作「戦場まんがシリーズ」をアニメ化したものです。
桜花は、決して搭乗員が生還することが無い特攻機。桜花を設計された方は、心が痛んだことでしょう。
続いて紹介するのは人間魚雷である「回天」です。こちらも桜花同様、生還することのない特攻兵器でした。
内部と操縦席です。あまりにシンプルです。
潜水艦上部から発艦した後、この小さな潜望鏡で敵艦に狙いを定め突撃しました。楠木正成の旗印が描かれています。
回天とは「天を回らし戦局を逆転させる」という意味ですが、人間が魚雷を操縦し、敵艦を攻撃せざるを得ないぐらい戦局が悪化していたことが分かります。もはや通常の潜水艦からの魚雷攻撃は、制空権・制海権を奪われ極めて困難な状況だったのでしょう。
次は、またも特攻兵器である「震洋」。合板(ベニヤ板」のボートに、トラックのエンジンを搭載したもの。船首に250kg爆薬を搭載し、敵艦に体当たりする艦艇です。
しかし当初は、必ずしも体当たりするのではなく、狙いを定めると乗員は飛び降りての生還を目指す訓練を受けていたそうです。
特攻兵器ばかりで気が滅入るので、一般兵器の紹介です。先ずは戦艦「陸奥」の副砲である14cm砲。戦艦「陸奥」は、1943年(昭和18年)6月に突然爆発事故を起こし、広島湾に沈没しました。この副砲は、戦後に引き上げられたものです。
続いて砲弾です。一番左側は、戦艦「武蔵」の46cm主砲弾。黄色四角は、日露戦争での日本海海戦の旗艦として活躍した、戦艦「三笠」の30cm主砲弾です。
これは、三年式8cm高角砲(海軍)と八八式7cm野戦高射砲(陸軍)です。どちらも、上空の敵機攻撃のために用いられた対空砲です。
最後に四式20cm噴進砲です。実際に硫黄島の戦いに用いられたロケット砲です。これは大砲ではなく、砲弾自らが推進するロケットです。沖縄戦でも用いられ、米軍に多大な損害を与えました。
以上で、大展示室に展示されている主要な兵器の紹介を終わります。おそらく、これだけ多くの旧日本軍の兵器類が展示されているのは、この遊就館だけでしょう。しかも実際に使用された兵器が展示されているので、そのリアル感は怖さすら感じます。一度、見学されることをお勧めします。
先ずは、九七式中戦車の詳細から。空冷12気筒ディーゼルエンジンのマフラーです。左右2本出しとなっています。
57mm戦車砲と7.7mm機銃。
砲塔後方の7.7mm機銃。砲塔上部の円形の手摺のようなモノはアンテナです。
前から見ると、一般的な戦車と違い砲塔位置が右側にオフセットされています。
説明パネルです。4名乗車であることが分かります。
九七式中戦車の主なスペックです。
全長:5.55 m
全幅:2.33 m
全高:2.23 m
重量:全備15.0t
速度:38 km/h
行動距離:210km
主砲:九七式57mm戦車砲
副武装:九七式車載7.7mm機関銃×2
エンジン:空冷V型12気筒ディーゼル150hp・排気量21,720cc
乗員:4名
この九七式中戦車は、サイパンの戦いで全車を失った戦車第9連隊所属のものです。戦後、生存された戦車第9連隊の方々や関係者の努力により、日本に帰ってきました。
このため、米軍に攻撃された弾痕が残っています。
ところで戦車に詳しい方なら、例えばドイツ軍のパンサーやタイガー戦車と比べ、小さな車体で小口径の主砲と思われるでしょう。これは、そもそも戦車を用いる用法が、ドイツ軍の機甲戦車軍団とは異なるからです。
日本での戦車の役割は歩兵と共に行動し、トーチカなどに設けられた敵の機関銃陣地を突破することが目的でした。このため主砲の口径は小さく、戦車自身の装甲厚も薄いものでした。
また国内の移動時には橋梁を渡ることもあるのですが、戦前の日本国内の多くの橋は重荷重に耐える橋が少ないことや、道路や鉄道事情が悪く小型化せざるを得ないものでした。
もっとも戦争末期には、アメリカ軍のM4シャーマン戦車に対抗するため三式戦車が開発されましたが、制海権を奪われ南方の戦場に輸送することは不可能でした。
ちなみに旧日本軍の戦車は、意外にも戦後も形を変えて数多く残りました。もちろん武装は撤去されましたが、用途としては雪上運搬車や警察での装甲車です。
続いて紹介するのは、桜花特別攻撃機です。この桜花はレプリカですが、紹介しましょう。
ご覧のように、天井から吊られています。
操縦席です。
エンジン部。ロケット推進ですが、固形燃料ですので打ち上げ花火と基本的に同じです。
桜花のスペックです。ちなみに木製でした。
全長:6.066m
全幅:5.12m
全高:1.16m
自重:440kg
全重量:2270kg
速度:804km/h(急降下突撃状態の速度)
航続距離:37km(高度7,000mで投下して約60km)
武装:1200kg徹甲爆弾
エンジン:固体ロケットエンジン
出力:推力800kg×3
乗員:1名
上記のスペックで注目すべきは、速度と航続距離。さらに武装です。この桜花は敵艦に体当たりする特攻機ですが、速度は高速なれど、あまりに短い航続距離。このため一式陸上攻撃機の下面に搭載され、敵艦に近づいたところでロケットエンジンを噴射して体当たりしましたが、多くは敵艦に近づく前に母機である一式陸上攻撃機と共に撃墜されてしまいました。
それでも命中すれば、1,200kgもの爆弾。駆逐艦は真っ二つになり撃沈したそうです。
この桜花については、下記の動画をどうぞ。松本零士さん原作「戦場まんがシリーズ」をアニメ化したものです。
桜花は、決して搭乗員が生還することが無い特攻機。桜花を設計された方は、心が痛んだことでしょう。
続いて紹介するのは人間魚雷である「回天」です。こちらも桜花同様、生還することのない特攻兵器でした。
内部と操縦席です。あまりにシンプルです。
潜水艦上部から発艦した後、この小さな潜望鏡で敵艦に狙いを定め突撃しました。楠木正成の旗印が描かれています。
回天とは「天を回らし戦局を逆転させる」という意味ですが、人間が魚雷を操縦し、敵艦を攻撃せざるを得ないぐらい戦局が悪化していたことが分かります。もはや通常の潜水艦からの魚雷攻撃は、制空権・制海権を奪われ極めて困難な状況だったのでしょう。
次は、またも特攻兵器である「震洋」。合板(ベニヤ板」のボートに、トラックのエンジンを搭載したもの。船首に250kg爆薬を搭載し、敵艦に体当たりする艦艇です。
しかし当初は、必ずしも体当たりするのではなく、狙いを定めると乗員は飛び降りての生還を目指す訓練を受けていたそうです。
特攻兵器ばかりで気が滅入るので、一般兵器の紹介です。先ずは戦艦「陸奥」の副砲である14cm砲。戦艦「陸奥」は、1943年(昭和18年)6月に突然爆発事故を起こし、広島湾に沈没しました。この副砲は、戦後に引き上げられたものです。
続いて砲弾です。一番左側は、戦艦「武蔵」の46cm主砲弾。黄色四角は、日露戦争での日本海海戦の旗艦として活躍した、戦艦「三笠」の30cm主砲弾です。
これは、三年式8cm高角砲(海軍)と八八式7cm野戦高射砲(陸軍)です。どちらも、上空の敵機攻撃のために用いられた対空砲です。
最後に四式20cm噴進砲です。実際に硫黄島の戦いに用いられたロケット砲です。これは大砲ではなく、砲弾自らが推進するロケットです。沖縄戦でも用いられ、米軍に多大な損害を与えました。
以上で、大展示室に展示されている主要な兵器の紹介を終わります。おそらく、これだけ多くの旧日本軍の兵器類が展示されているのは、この遊就館だけでしょう。しかも実際に使用された兵器が展示されているので、そのリアル感は怖さすら感じます。一度、見学されることをお勧めします。
実際に、米軍に代表される連合軍のヨーロッパでの死者は日本軍を上回ると本で読んだことがありますが、生きて帰れと願われながら出撃するのと必ず死ねと命じられるのとでは全然違いますよね。
しかし正攻法の作戦(攻撃)では、損害ばかりで戦果は無く。ならば体当たりで・・・という統計(確率)的なところから始まりました。
何にしても、現在(当時の外国)では考えられない作戦。戦時中の日本は、国家のためには国民は消耗品のようなものでした。でも、これって現在のブラック企業にも通じます。
弾痕が生々しく、何とも言えない気持ちになります・・・(+o+)
いろんな特攻兵器があることに驚きました・・・(@o@)
それぞれの兵器には、いろんな悲しい物語があるんでしょうね・・・日本人以外には理解が出来ないかも知れません・・・(-_-)
遊就館・・・引退したら是非!行ってみたいです・・・(^^)
特攻兵器は同じ日本人として心が痛みます。画像では紹介できませんが、特攻隊の方の遺書を読むと、現在の我々と同じ人間だった分かるところです。
遊就館にはぜひ!歴史教科書では、僅か数10ページでしか記載のない近代史を、詳しく知ることができます。
ラテンと日本人・・・随分と違うはずなのにねぇ~笑
ドイツでいえばⅡ号や初期のⅢ号戦車あたりかな。ラテンと日本とは違えども、用法が同じであれば似たようなデザインとなるのでしょう。
まだ行けてないですが回天の島にはいつか行ってみたいです。こちらの施設もぜひ行ってみたいですね〜
回天の搭乗員ですが、学徒動員で招集された学生が多かったとか。回天については下記の映画でも描かれました。
https://www.youtube.com/watch?v=2ImwKzWZMxU&t=141s
茨城県の神栖町の公園に塹壕と言いましょうか
コンクリートで掘って固めた格納庫みたいな
所に実物大の桜花特別攻撃機のレプリカが
展示してありブログアップした記憶がございます。
ただ、容量の関係で古い記事は大幅に削除したので探しても見つかりませんでした。
暖かくなったらZ号で再び取材してみたいと
思います。確か機体を触る事が出来た記憶が・・・
http://hikokikumo.net/a3018-2-KashimaOhkaPark.htm
ざっくりと調べると、鹿島で桜花特攻の訓練を行っていたそうです。当時、日本本土決戦の作戦としては、連合軍は先ず南九州に上陸し、前進基地(飛行場)を設営。その後、茅ケ崎と九十九里浜付近に上陸し、東京を挟み撃ちする作戦でした。
日本軍も当然予想しており、陸地から桜花を発進させ、沖合の連合軍艦隊を攻撃するために鹿島が選ばれたのでしょう。
また、Z900でのレポ楽しみにしています。かなり精巧な桜花に見受けられました。