昨日の土曜日は、またも家内と姫路に行ってきました。いつもの800円/日の駐車場にジュークを停め、先ずは「みゆき通り」に向かいます。
少し早く姫路に着きすぎたので、ウロウロと・・・310さんご用達のハリーはこの店でしょう。(イケメンのお兄さんでしたね)
2年前、7時間耐久飲み会で行った姫路屋です。さすがに朝の9時前ですから閉まっています。
目的地は姫路フォーラスです。今月一杯で営業を終え、この建物は取り壊されるそうです。
フォーラスでの目的は、シネ・パレス山陽座での上映会です。フォーラスの閉鎖と共にこの映画館も営業を終えることから、「フィナーレ上映」が開催されます。
私と家内が観る映画は、この映画です。初めての無声映画ですが、弁士の語りと楽士の演奏が楽しみです。
シネ・パレス山陽座の7階に到着すると、ご覧のような状態・・・大衆演劇(芝居)の公演があるようです。
この映画館に来るのも最後でしょう。小さな売店です。斜め後姿の小柄な女性の方がマネージャーさんのようでしたが、この数時間後には大変な状況となります。
座席をキープします。弁士と楽士さん達は、最後の打合せ&音合わせをされていました。
この方が弁士さんです。関西では、この方が唯一の無声映画の弁士さんだそうです。78歳のご高齢の方ですが、挨拶で「もう歳ですので、今日は最後まで勤められるかどうか・・・」なんて冗談まじりに話されていましたが、まさか、それが・・・です。
楽士さん達です。楽器は、三味線・バイオリン・キーボード・太鼓でした。
現在では珍しい無声映画の上映ということで、サンテレビ・朝日新聞・神戸新聞などのマスコミも取材に来ていました。サンテレビのスタッフさんは、取材の合間に一休みです。
さて、オーナーさんの挨拶の後(何でもシネ・パレス山陽座は、戦前から営業されていたとか)、上映が始まりました。上映された「血煙高田の馬場」の一部をどうぞ。1937年の作品ということで、今から約80年前の映画です。
この映画の最後の方を録画していると(周りの方も録画していました。著作権は切れているのかな)、スクリーンではセリフの場面でも弁士さんの語りは無く・・ありゃ変だな~と思いきや、弁士の近くの方が慌ただしくなりました。やがて照明が点き楽士の演奏も止まりました。どうも弁士さんが意識不明となったようです。(大変だ!)
スタッフの方や、前述の大衆演劇の役者さんまで弁士さんに駆け寄ります。そしてマネージャーさんから「弁士さんの気分が悪くなり、救急車を呼んでいます」との説明・・・館内は騒然とします。
救急隊員が到着して、担架で弁士さんを運び出しました。とりあえず弁士無しで「血煙高田の馬場」は最後まで上映されました。
映画はどうなるのかな?と思いきや、動揺しているマネージャーさんから「申し訳ございません。少しお待ちいただくとチャップリンの“街の灯”を特別に上映します」との説明です。家内によると「映画代の返金も・・・」なんてことまで、スタッフの方が話されていたそうです。
待っている間、私はサンテレビと朝日新聞からインタビューを受けました。夕方のニュースで放送されたかな?です。
では、特別上映されたチャップリンの「街の灯」のエンディングをどうぞ。盲目の花売り娘を、貧しいチャップリンが助けようと悪戦苦闘・・・喜劇王と呼ばれますが、チャップリンは映画の天才です。セリフが無い映画でも、見事な演技で強いメッセージを観客に伝えます。
「街の灯」が終わると、倒れた弁士さんが戻って来られました。一時的に貧血されたそうです。観客から大きな拍手が湧きました。(皆さん、心配していましたからね)
本来は午前中に「血煙高田の馬場」、午後にお客さんを入れ替えて別料金での「番場の忠太郎 瞼の母」の上映でしたが、結局、午前のお客さんも残ったまま、「番場の忠太郎 瞼の母」の上映が始まりました。1931年の映画です。一部を動画でどうぞ。
こんなところで、結局、3本も映画を観てしまいました。終わったのが15時過ぎ・・・昼食も食べることなく観ることになってしまいました。前述のとおり閉館となりますので、皆さん、壁にメッセージを残されていました。
映画館を出て、同じフォーラスの隣の建物の7階に向かいます。目的地は「つばめや模型店」です。姫路では老舗の模型店(創業60年ぐらい前)でしたが、フォーラス閉館と共に完全閉店されます。
完全閉店のため、50%OFFです。もっとも商品棚には、1/10ぐらいしか商品は残っていませんでした。
GX750(3気筒シャフトドライブ)や隼の完成品もありましたが、
こいつを買いました。私にとっての1/72スケールの零戦は、プラモのルーツです。^^
姫路の最後は御座候という毎度のパターンです。(笑)
昭和30年の大手前通りの写真に感動!私が子供の頃の姫路は、これに近いところがありました。となりのフェスタ店の御座候は、今もハッキリと覚えています。
いろいろあった無声映画の上映会でした。それにしても無声映画での弁士さんの語りと、楽士さんの生演奏は素晴らしかったですね。デジタルの3D映画を上回る迫力がありました。
現在では観ることが無い無声映画ですが、上映ごとの語りと演奏・・・すごく贅沢な映画と言えるでしょう。
少し早く姫路に着きすぎたので、ウロウロと・・・310さんご用達のハリーはこの店でしょう。(イケメンのお兄さんでしたね)
2年前、7時間耐久飲み会で行った姫路屋です。さすがに朝の9時前ですから閉まっています。
目的地は姫路フォーラスです。今月一杯で営業を終え、この建物は取り壊されるそうです。
フォーラスでの目的は、シネ・パレス山陽座での上映会です。フォーラスの閉鎖と共にこの映画館も営業を終えることから、「フィナーレ上映」が開催されます。
私と家内が観る映画は、この映画です。初めての無声映画ですが、弁士の語りと楽士の演奏が楽しみです。
シネ・パレス山陽座の7階に到着すると、ご覧のような状態・・・大衆演劇(芝居)の公演があるようです。
この映画館に来るのも最後でしょう。小さな売店です。斜め後姿の小柄な女性の方がマネージャーさんのようでしたが、この数時間後には大変な状況となります。
座席をキープします。弁士と楽士さん達は、最後の打合せ&音合わせをされていました。
この方が弁士さんです。関西では、この方が唯一の無声映画の弁士さんだそうです。78歳のご高齢の方ですが、挨拶で「もう歳ですので、今日は最後まで勤められるかどうか・・・」なんて冗談まじりに話されていましたが、まさか、それが・・・です。
楽士さん達です。楽器は、三味線・バイオリン・キーボード・太鼓でした。
現在では珍しい無声映画の上映ということで、サンテレビ・朝日新聞・神戸新聞などのマスコミも取材に来ていました。サンテレビのスタッフさんは、取材の合間に一休みです。
さて、オーナーさんの挨拶の後(何でもシネ・パレス山陽座は、戦前から営業されていたとか)、上映が始まりました。上映された「血煙高田の馬場」の一部をどうぞ。1937年の作品ということで、今から約80年前の映画です。
この映画の最後の方を録画していると(周りの方も録画していました。著作権は切れているのかな)、スクリーンではセリフの場面でも弁士さんの語りは無く・・ありゃ変だな~と思いきや、弁士の近くの方が慌ただしくなりました。やがて照明が点き楽士の演奏も止まりました。どうも弁士さんが意識不明となったようです。(大変だ!)
スタッフの方や、前述の大衆演劇の役者さんまで弁士さんに駆け寄ります。そしてマネージャーさんから「弁士さんの気分が悪くなり、救急車を呼んでいます」との説明・・・館内は騒然とします。
救急隊員が到着して、担架で弁士さんを運び出しました。とりあえず弁士無しで「血煙高田の馬場」は最後まで上映されました。
映画はどうなるのかな?と思いきや、動揺しているマネージャーさんから「申し訳ございません。少しお待ちいただくとチャップリンの“街の灯”を特別に上映します」との説明です。家内によると「映画代の返金も・・・」なんてことまで、スタッフの方が話されていたそうです。
待っている間、私はサンテレビと朝日新聞からインタビューを受けました。夕方のニュースで放送されたかな?です。
では、特別上映されたチャップリンの「街の灯」のエンディングをどうぞ。盲目の花売り娘を、貧しいチャップリンが助けようと悪戦苦闘・・・喜劇王と呼ばれますが、チャップリンは映画の天才です。セリフが無い映画でも、見事な演技で強いメッセージを観客に伝えます。
「街の灯」が終わると、倒れた弁士さんが戻って来られました。一時的に貧血されたそうです。観客から大きな拍手が湧きました。(皆さん、心配していましたからね)
本来は午前中に「血煙高田の馬場」、午後にお客さんを入れ替えて別料金での「番場の忠太郎 瞼の母」の上映でしたが、結局、午前のお客さんも残ったまま、「番場の忠太郎 瞼の母」の上映が始まりました。1931年の映画です。一部を動画でどうぞ。
こんなところで、結局、3本も映画を観てしまいました。終わったのが15時過ぎ・・・昼食も食べることなく観ることになってしまいました。前述のとおり閉館となりますので、皆さん、壁にメッセージを残されていました。
映画館を出て、同じフォーラスの隣の建物の7階に向かいます。目的地は「つばめや模型店」です。姫路では老舗の模型店(創業60年ぐらい前)でしたが、フォーラス閉館と共に完全閉店されます。
完全閉店のため、50%OFFです。もっとも商品棚には、1/10ぐらいしか商品は残っていませんでした。
GX750(3気筒シャフトドライブ)や隼の完成品もありましたが、
こいつを買いました。私にとっての1/72スケールの零戦は、プラモのルーツです。^^
姫路の最後は御座候という毎度のパターンです。(笑)
昭和30年の大手前通りの写真に感動!私が子供の頃の姫路は、これに近いところがありました。となりのフェスタ店の御座候は、今もハッキリと覚えています。
いろいろあった無声映画の上映会でした。それにしても無声映画での弁士さんの語りと、楽士さんの生演奏は素晴らしかったですね。デジタルの3D映画を上回る迫力がありました。
現在では観ることが無い無声映画ですが、上映ごとの語りと演奏・・・すごく贅沢な映画と言えるでしょう。
生演奏と弁士さん付きってスタイルも普通なんでしょうか?
トラブルもあったようですが、最後に3本も見られたってことで思い出に残る上映会になりましたね(^^)
模型店は移転じゃなくて閉店なんですね。
半額ならいいものから消えていってるでしょうから、出物は少なかったかも(^^;
最近模型屋が減っているので専門店が無くなるのは寂しい限りです。。
写真などで見た無声映画は、弁士さんと楽士さんは舞台に上がってのスタイルでした。弁士さんは演台を扇子で叩きながら喋っていましたね。何となく落語ぽい雰囲気でした。
模型店は、選択の幅のほぼ無かったです^^。皆さん、忙しいのか、じっくりとプラモを組み立てる時間が無いのでしょう。完成しても展示する場所も無いので、スグに壊れてしまいます。
入り口の花束の行列に林与一さんの名前がありますね、以前はタイがドラマの常連でしたが、最近はテレビで見かける機会も少なくなってるのが残念です^^
土曜日の午前中というのが幸いして、スグ近くのお医者さんに観ていただけたのがラッキーでした。多分、点滴を打たれたと思います。
林与一さんの名前を見つけるとは鋭いですね。家内もスグに見つけていました。最近、こういう大衆演劇を応援されているそうです。
弁士さんのアクシデントもあったりで
印象的な映画館の閉館イベントに
なりましたね・・・。
それとアカデミーの72/1スケール
ゼロ戦がシブイです!確か韓国の
メーカーだったと記憶していています。
模型の特売も もう少し早く行けば
又、違った物を買ったかもですね?
0戦のキットを買いましたが、まず給油車を作りました。
ドイツ、中国、ロシア、アメリカと数があるのですね。
GX750の完成品のモデルがあるのを初めて知りました。
加速すると尻が上がる妙な感覚が忘れられません。
GS750Gはこの癖の無い良いバイクでした。
山陽座に、大劇に、OSにと 姫路の映画館が
軒並みなくなっていくのは残念です。
最後にこのようなイベントされた山陽座に参加された
シュミットさん、さすがですね^^
弁士の方、大したことなくて、ホント何よりでした^^
長らくプラモの世界から離れていたので、アカデミーが韓国製のメーカーとは知りませんでした。ウィキによると、いろいろあったようですが、今は精密モデルメーカーとなったようです。
本当はTAMIYAやハセガワあたりが欲しかったのですが、さすがに残っていなかったですね。レベルはたくさんあり、Me262の複座型やP-47Nなんてレアなものもありましたが、今回は零戦としました。
チャトラさん、今や模型店は壊滅状態です。一時のブームは過去の栄光です。
給油車とは、またレアなものを・・・詳しいことは忘れましたが。整備兵と給油車のセットが売られていたように思います。戦時中のフィルムを見たことがありますが、給油は整備兵の手廻しによるハンドポンプでした。
シャフトドライブで、尻が上がるとはよくご存知ですね。今の国産シャフトドライブ車(と言っても数少ないですが)はそんなクセがありませんが、モトグッチあたりはハッキリと分かるようです。
Cuteさん、その新聞は朝日か神戸新聞ではないでしょうか。ちなみに朝日新聞の播州版には、私へのインタビューが載っていました。(笑)
姫路の映画館は、まず松竹座(洋画)が営業を止め、次に大劇だったでしょうか、山陽座はアースシネマズに移りますが、他の映画館はどんどんと消えて行きますね。(明石の20年前と同じ)
今回のイベントは、16日にアースシネマズに行って知ったものです。もし行かなかったら知らないままだったでしょう。弁士の方は回復されて一安心でしたが、高齢のため何時まで弁士を続けられるか難しいところです。
・・・で、飯は・・・(^^;)
楽しみ~・・・デス~・・・('o^)
大衆演劇の公演はあちこちにポスターが貼ってます♪見には行かないと思いますが(笑)
あれ?お昼は御座候って事ですか?(笑)