今回は、3/13に訪れた靖国神社・遊就館の零戦を観察しましょう。この零戦を初めて見たのは、今から18年前のこと。その時は初めて零戦を見た感激で、詳細まで確認することなく記念写真を撮って帰りました(^^)。今回は、あらためて詳細を見ていきます。
遊就館の展示スペースは狭いので、いろんな角度から撮影できませんでしたが、とりあえず全景です。
続いて詳細ですが、この零戦は三菱製の52型です。先ずはピトー管ですが、明らかに現在のパーツ。
主脚部分はブレーキ用の油圧配管など、丁寧に復元されています。しかし、格納部分が青竹色に塗られていないのが残念。
オイルダンパー部分に、何か銘板が付いています。
銘板部分の拡大。何とパーツメーカーなどの詳細が分かります。これは大和ミュージアムや鹿屋の零戦には付いていないもの。おそらく戦後、銘板が残っており復元時に付けられたのでしょう。
栄21型エンジンは別展示ではなく、零戦本体に搭載されています。
そして、よく見ると奥の方に銘板です。吸排気バルブの冷間時のバルブ・クリアランスや、点火順番まで記載されています。製造や修理年月日が刻印されていないのは、これも戦後に残っていた銘板が付けられたのでしょう。
20mm機関銃は、明らかに後付けパーツ。本物ではありません。それでも黄色四角の主脚確認棒があるのが嬉しいところ。
尾輪と着艦フックは、丁寧に復元されています。
昇降舵のトリムタブとフラップ部分上面に、赤字の「サワルナ」「フムナ」の注意書が無いのが残念。
推力式単排気管の奥の方は、ちゃんと2in1になっています。
補助翼(エルロン)操作ロッド部分は、大和ミュージアムの零戦同様にカバー付き。
少し開いていますが、搭乗員が零戦に乗り込むときに使う足掛棒のカバーです。このカバーが付いているのは、国内展示の零戦では遊就館だけだと思います。
光像式照準器まで、丁寧に復元されています。
この零戦の銘板です。
ここからは別展示の零戦のパーツです。先ずはエンジンと操縦席の間に設けられた防火壁の一部。
続いて操縦席。何らクッションはありません。もっとも落下傘をお尻の下に敷いていましたので、落下傘がクッション代わりです。
本物の20mm機関銃(九九式)ですが、ドラム弾倉式で100発搭載です。
この零戦の紹介です。ラバウルに残され、廃棄された零戦を1980年に入手。その後、20年もの歳月をかけて復元された零戦です。
さて総括というのも僭越ですが、遊就館の零戦は大和ミュージアムに展示されている零戦同様に、詳細まで復元された貴重な零戦と言えるでしょう。
今現在、国内で見れる旧日本軍用機の中で、最も当時の状態で保管されているのは知覧の四式戦闘機「疾風」ですが、あくまで遊就館の零戦は復元機。比較するのは酷なところ。それでも、ミリタリーマニアを十分に納得させる零戦でしょう。
遊就館の展示スペースは狭いので、いろんな角度から撮影できませんでしたが、とりあえず全景です。
続いて詳細ですが、この零戦は三菱製の52型です。先ずはピトー管ですが、明らかに現在のパーツ。
主脚部分はブレーキ用の油圧配管など、丁寧に復元されています。しかし、格納部分が青竹色に塗られていないのが残念。
オイルダンパー部分に、何か銘板が付いています。
銘板部分の拡大。何とパーツメーカーなどの詳細が分かります。これは大和ミュージアムや鹿屋の零戦には付いていないもの。おそらく戦後、銘板が残っており復元時に付けられたのでしょう。
栄21型エンジンは別展示ではなく、零戦本体に搭載されています。
そして、よく見ると奥の方に銘板です。吸排気バルブの冷間時のバルブ・クリアランスや、点火順番まで記載されています。製造や修理年月日が刻印されていないのは、これも戦後に残っていた銘板が付けられたのでしょう。
20mm機関銃は、明らかに後付けパーツ。本物ではありません。それでも黄色四角の主脚確認棒があるのが嬉しいところ。
尾輪と着艦フックは、丁寧に復元されています。
昇降舵のトリムタブとフラップ部分上面に、赤字の「サワルナ」「フムナ」の注意書が無いのが残念。
推力式単排気管の奥の方は、ちゃんと2in1になっています。
補助翼(エルロン)操作ロッド部分は、大和ミュージアムの零戦同様にカバー付き。
少し開いていますが、搭乗員が零戦に乗り込むときに使う足掛棒のカバーです。このカバーが付いているのは、国内展示の零戦では遊就館だけだと思います。
光像式照準器まで、丁寧に復元されています。
この零戦の銘板です。
ここからは別展示の零戦のパーツです。先ずはエンジンと操縦席の間に設けられた防火壁の一部。
続いて操縦席。何らクッションはありません。もっとも落下傘をお尻の下に敷いていましたので、落下傘がクッション代わりです。
本物の20mm機関銃(九九式)ですが、ドラム弾倉式で100発搭載です。
この零戦の紹介です。ラバウルに残され、廃棄された零戦を1980年に入手。その後、20年もの歳月をかけて復元された零戦です。
さて総括というのも僭越ですが、遊就館の零戦は大和ミュージアムに展示されている零戦同様に、詳細まで復元された貴重な零戦と言えるでしょう。
今現在、国内で見れる旧日本軍用機の中で、最も当時の状態で保管されているのは知覧の四式戦闘機「疾風」ですが、あくまで遊就館の零戦は復元機。比較するのは酷なところ。それでも、ミリタリーマニアを十分に納得させる零戦でしょう。
現在の最新鋭の戦闘機(F35?)と並んだところを見てみたいです。
ゴジラとガンダムくらい違いそうです(笑)
さすがに零戦とF-35とのランデブー飛行は無理ですが、アメリカでは、結構、P-51とF-15との飛行はあります。下記の画像をどうぞ。^^
https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=P51%20F15&fr=top_ga1_sa&ei=UTF-8&ts=14215&aq=-1&ai=b0eee91f-8a7b-4310-b282-5e87c48459ec#6437b3076625e8c268eb1d35c30196b1
チンプンカンプンで、全くついて行けませんデス・・・(>o<;)
落下傘がクッション代わりだったとはオドロキです・・・結構過酷な環境だったんですね・・・(@o@)
おそらく零戦搭乗員で、もっとも過酷な飛行は、ラバウルからガタルカナルまでの往復8時間。それをクッション無しで飛行していました。
汚い話ですが、その間、もちろんトイレには行けないので、落下傘は黄色く染まり(^^)。本来の役目として使う前に、臭いと汚れで捨てたそうです。
沈頭錨なのがよくわかりますねぇ~
内装色は「若竹色」ネ?!笑
枕頭鋲ですが、確か九六式陸上攻撃機から採用された記憶が・・・このあたりはジブリの「風立ちぬ」で紹介されていたと思います。
「若竹色」ですが、タミヤでは「青竹色」。まあ、どっちでもいいんですが、多くの実機(復元機)を見たものの、以外にも塗られた機体は少ないです。資材不足で塗らなかったのかな?です。
やはり知覧のは違うんですね。
見るなら知覧かな。行きたいけど遠いです(笑)
ご存じでしょうか?すごい画力で描く戦闘機の
本土防衛のために集結されたパイロットの物語。
彼には、永遠のゼロの漫画版もあり好きな作家ですね。大和も描いていますしね。
知覧の四式戦「疾風」は、十数年前までは飛行可能な実機。それに比して、この度の零戦は復元機。やはり、その差は大きいです。鶉野の紫電改よりは実機に近いですが、それでも・・・というところです。
https://www.youtube.com/watch?v=kN0yQ0tGHCs
343空についてコメントすると紙面が尽きませんが、エースパイロットを集めたのは事実なものの、全搭乗員ではなかったそうです。
それでも、数少ない精鋭部隊でした。パイロットのレベルに加え、無線による連携攻撃をおこなったそうです。